第二章 十二話 悪夢
ひゅうっ
また、風の音が聞こえた。未だに二人はその場にいた。何かをすることもなく、お互い向き合うこともなく。表情は幾分か落ち着いてきてはいたが、それでもなお、内心穏やかではなかった。
空間をさっきまでとは違う静寂が支配する中、一人の女生徒が通りかかった。その少女は、明らかにおかしい空間で何かがあったことを証明するかのような状態の二人の近くに来るなり、能天気な声を発した。
「二人ともここで何してるの?もしかして、修羅場?」
「えっ...?」
「ん?誰だお前」
二人そろってそちらを向く。そこには、少し小柄で、ラフな服を着た少女が立っていた。僕はその少女の顔を見たことがあった。そう、その少女は―――
「あれ?もしかして朱咲さん?もう一人の人は、もしかして知り合い?」
僕が今日訪ねようとしていた人―――委員長その人だった。
「いや、今日あったばかり。それで、こっちの質問に答えてもらいたいんだが?」
「あ、私は水野 楓です。えっと、あなたは?」
「汐野芽 瑠流。普通科の、第三学年」
威圧的な態度の汐野芽さんと、それを受け流して飄々(ひょうひょう)としてる委員長が互いに自己紹介を終えると、そこにはさっきまでと同じ重苦しい空気が降りてきた。
「あ、そういえば朱咲ちゃん私に用事だったんだよね?榎鏤ちゃんから聞いたよ。私の部屋に行くからついてきてね~」
「え?あの...」
委員長はそう言うと、半ば強引に僕の腕を引っ張ってその場から連れ出した。まだ廊下にうずくまっていた汐野芽さんだけを残して。
委員長さんの部屋に行く途中、まだ僕の心の整理ができていなかった時。ふと、委員長さんが口を開いた。
「大丈夫だった?けがはしてない?」
「......は、い...大丈、夫です...」
「うそ。やせ我慢はいらないから。ほら、ね?」
委員長さんは口には出さなかった。それでも、笑顔で語り掛けてくる姿に僕は、何か心のつっかかりを取り除いてくれたような気持ちになった。
頬に温かい何かが通った感覚が走った。それが何かなんて、誰よりも知ってる。それは、一度でもそうだと認識してしまうと、とめどなく溢れ出てきた。僕自身の力ではどうにもできない、誰もが生まれながらに持っている才能。
気づいたら、僕は、飛び込んでいた。暖かい場所に。
「よく、頑張ったね」
そう、聞こえた気がした。自分を認めてもらえた気がした。その「魔法」―――誰でも使える、でも、ほとんどの人が忘れてしまっている物―――は、僕がずっと堪えていたものを解き放った。
「とっても......こわか...った...」
ちゃんとした言葉になったのは、それだけ。
いつだれが通るかわからない廊下。そこに響く一人の少女の嗚咽。そして、その少女を優しく包み込む母のような少女。その光景は、まさに親子そのものであったという。
「好きなだけ、私の胸の中で泣いていいんだよ。それで君が救われるのなら」
「うっ...ぅぐ......うわぁぁぁぁぁぁ!!」
少女は泣き叫んだ。周りに誰もいなかったのが、その少女にとって不幸中の幸いであっただろう。もう一人の少女の服は、涙で濡れていたという。
・・・
「どうしたの?その子」
泣き疲れて眠ってしまった少女を抱えて部屋に戻ってきた楓に、同室者である皐月 湊が聞いた。
「まぁ、いろいろあって連れてきた」
「何やったんだよ」
髪の毛を短く切り、少し荒い口調で話しているせいか、男子と間違われることもしばしば。ほとんどの人に対して無関心で、関わっているのが同室の楓くらいなのではないかというほど孤独を好んでいる。
「何かを直接やったわけじゃないんだけどね。あ、起きるまでベットの上で寝かせてあげようと思うんだけどいいかな?」
「勝手にしろ」
楓は苦笑を浮かべながら、自分たちが寝ているベットに朱咲を寝かせ上からそっと布団をかけた。心地よさそうな寝息をたてている少女は、先ほどまで泣き叫んでいたとは思えないほどに静かで、穏やかで、儚げだった。
「一つ、聞きたいことがあるんだ」
楓は、眠っている少女を見ながら湊にずっと疑問に思っていたことを聞いた。
「...」
湊は無言で少女のもとに来た。いつものように無関心だったが、多少の興味が顔に浮かんでいた。
「この子が伝説魔法を使えるって本当?」
「......間違いはない。とだけ言っておく」
楓があの場所に行くことができたのは、湊の能力があってのことであった。湊の能力は、一定範囲内の「魔法の気配」を見つけられるというものだ。そして、その能力は「魔法ならざる魔法」ですらも感じ取った。
「こんな小さな子が、あんな規格外の魔法が使えるなんて普通は思わないよな。それに...」
「湊、どうかしたの?」
珍しく言葉を濁した湊に、不思議に思った楓が聞いた。湊が言葉を濁すのは、琴把矩と対峙した時以来だったために、それが尋常ではない理由からだということは明白だった。
「...覚悟して聞いてくれ。こいつは、『魔』に足を踏み入れている」
「『魔』?それって、魔法を極めているとかそういう意味?」
「違う。私が言う『魔』は―――」
「っん......んぅ~...」
タイミングを計ったかのような朱咲の寝息に二人が、寝たふりをしているのではないかと確認するが変わらず眠っていた。
そう、穏やかな感じで。その時までは。
「話を戻そう。『魔』というのは、私たちと別の―――」
「い...も...う―――」
世界は、ここで少女の平和を壊した。
「だめぇぇぇぇぇ!!!」
寝言にしてはあまりに大きな声だった。それは防音すらも通り抜けるのではないか、というほどまでに。
「なんだ!?」
「どうしたの!?」
さっきのとは違い明らかに様子がおかしい朱咲に、湊と楓は心配になりベットで眠っているはずの少女を見た。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!ぐあぁぁ!うっ...いやぁぁぁぁ!!」
そこには、絶望と苦痛を表情全体に浮かべている、猫耳の生えた少女がいた。
「何がどうなってやがる!悪夢にうなされてるなんて次元じゃねぇぞ」
「これは...助けなきゃ!」
「助けるってどう――」
「あぁぁああぁぁっぁああっぁぁあぁぁあ!!!がはっ...ごっ...ぎゃぁぁぁぁぁ!!!」
「―――そんなのんきなこと言ってられない、か」
何かに取り憑かれているかのように絶叫を続ける少女。その叫びは、何かに助けを求めているようで、見ているだけでもつらくなってしまうほどに。
楓と湊が自分たちにできることで最低限の応急処置をしようとしたとき、それは唐突に静まった。
「ぅあぁあぁぁぁ......はぁ...はぁ...」
さっきまでの絶叫とは打って変わって静かな息づかい。音だけを聞いていたものからすれば、収まったと勘違いするだろう。しかし、少女の顔を見ていた二人からすれば、ある種事態は悪化したと言わざるを得なかった。
「湊!朱咲さんの体温が!!」
「わかってる!今氷を持ってくる」
急いで台所に氷を取りに行く湊。朱咲の近くで、状態を観察し続けている楓。そして、とめどなく上がっていく体温による苦しさで汗を噴き出し、苦悶の表情で何かを耐え続けている朱咲。その光景は、周りから見たら家族のワンシーンに映ったかもしれない。しかし、当人たちからすれば一刻を争うほどに危険な状態だった。
「だめだ、まだ上がり続けてる」
さっきまであった猫耳は消え、顔全体が熱によって赤く染まっていた。触ってしまったらやけどするのではないか。そう、感じてしまうほどに。
「たす...け...て......」
「目が覚めたの!?朱咲さん!」
楓は少女の手をつかんだ。その手は、生き物のものとは思えないほど熱くなっていた。それでも、楓はその手を放そうとはせず、むしろ強く握った。
ずっと眠っていたであろう少女は、ゆっくりと少しだけ目を開いた。その目は、生気を失っているかのように虚ろだった。
「だ...れか...助け......て...」
「ねぇ、いったい何がどうなったの?できる限りでいいから教えてくれないかな」
少女の虚ろな目が楓をとらえた。その瞬間、言葉では表しようのないほどの恐怖がその目に浮かんだ。
そして少女は、はっきりとした音で答えた。
「始まりの終わりが、始まっちゃう」
楓には、その意味が理解できなかった。何を指してそのことを言ったのか、なぜ今言ったのか、少女のその言葉すべてに疑問を抱いた。同時に、謎の恐怖も。
そして少女の意識は、ここで途切れた。
今回は途中で視点が変わりました。違和感とかあったら教えていただけると幸いです。
これからも不定期更新になってしまうと思いますが、何卒宜しくお願い致します。
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