寝台の上の愉快な話
■躑躅邸/寝室/夕刻
友之:やあ、雅仁。只今帰りましたよ。
雅仁:おかえり、友之。今日は随分と早いのだな。
友之:ああ、そうだ。愛しい我が無二なる親友が心配で、足早に帰って来たのだ。今日の体調は如何だろうか。
雅仁:うむ。今日は比較的良好だ。しかし、お前が愛しい我が無二なる親友などとほざくので、僕は今吐き気を覚えているところだ。
友之:それは大変だ。直枝さんを呼んでこようか。
雅仁:いや、結構だ。今日は何か学校の方で、愉快なことはあっただろうか。
友之:ああ、あったとも。実に愉快なことがあった。
雅仁:ほう…。そうか。
友之:一大事なのだ。俺はそれを一刻も早く君に話したくて、こうして足早に帰ってきたのだ。
雅仁:なるほど。では聞こうか。何があったのか。お前は実に鬱陶しいが、出られなくなってからの僕の愉悦といったら、お前が外から持ち帰る話くらいしかないのだ。最近は、父上がお持ちになる洋書なども幾許かは楽しいが、友之のつくり話に勝るものはない。お前には道化師か詐欺師の才覚がある。若しくはそのまま政治家になるが良かろう。
友之:どうしたことか、これは光栄至極だ。明日は嵐であろう。
雅仁:不愉快なことを言うのであれば、人を呼んで追い出そう。
友之:そんなことをしては、愉快な話は聞けなくなる。君は俺の語る話にだけ、耳を傾けていればいいのだ。そもそも人の主観が経験であるとするならば、外を出歩くに不自由な君をつくるものは、限られた視覚と嗅覚と手足の感覚、そして大部分が聴覚に頼るものであろう。詰まるところ、俺は君の、主観の大半を製造できることになる。
雅仁:なるほど。友之。直枝を呼んでもらおうか。
友之:お安いご用だが、それは何故だろうか。
雅仁:無論、お前を追い出す為だ。僕は今、大変不快である。
友之:それはすまない、雅仁。これを白状するには早計であったか。けれど案ずることはないよ。日々を過ごし、もう暫くすれば、君は俺の発言に疑問を持たぬようになるだろう。他ならぬ君は俺が、俺という土の下に埋葬するのだ。
雅仁:分かった分かった。好きなだけ埋葬するがいい。ご託は結構だ。ご託道理は聞き飽きている。僕は刺激に飢えているのだ。一体、学校で何があったのか。
友之:事件が起きたのだ。
雅仁:事件というのは?
友之:人が死んだのだ。
雅仁:ほう。今日の話は人が死んだか。はは。誰が死んだというのだ。
友之:君は覚えているだろうか。学校の教師で、木野義行という男がいた。
雅仁:ああ、いたな。三回程会っただろうか。
友之:君が苦手であろう雰囲気の教師だ。
雅仁:ああ。僕が嫌いな部類の男だ。力馬鹿というのは、話が通じないので嫌いだ。しかも、己ができることを当然のごとく他者にも求め、できないと知れば途端に指を差して責める者が多い。知が足りず均衡が悪いとそうなる。浅はかなのだ。下々はそれで良いがな。それが教師の立場にあることが、僕は許せないのだ。今日の話の犠牲者は奴か。
友之:そうだ。校内にある武道館の教師室で、自殺をした。
雅仁:自殺? それはおかしい。
友之:そうかな。それは何故だろうか。
雅仁:彼はそのような繊細な神経を所有してはいないだろう。
友之:その通りだ。俺もそう思う。しかし、証拠があるらしいのだ。
雅仁:あるらしいのか。その証拠がどういったものか、詳しく知りたいところだ。
友之:そうか。ならば、俺は君の為に、その詳細を聞いてくるとしよう。他に何か知りたいことがあるのなら、合わせて調べてこようと思う。何かあるだろうか。
雅仁:そうだな…。ひとつ、自殺であるらしいという証拠。ひとつ、木野義行の死亡直近の予定。ひとつ、木野義行の死因。以上三点だ。
友之:分かった。以上三点を詳しく調べ、君に明日にでも報告をするとしよう。
雅仁:明日? 明日というと、日を跨ぐのか。
友之:不都合だろうか。
雅仁:いや、随分と凝った話だと思っただけだ。だが僕は時間を持て余している。お前の言うままで一向に構わない。
友之:そうだろう。悦んでもらえるのならば、俺も話し甲斐があるというものだ。
雅仁:時間があるのなら、ピアノでも弾いてはくれまいか。
友之:勿論だ。楽器はいい。一時でも聞く者の耳を支配できる。人を支配するには、音楽や優しい言葉などの洗脳が双方にとって最も良いと見てまず間違いはないだろう。結局人を支配するには、愉悦や快楽が最も効果的なのだ。覚えておくといいよ、雅仁。君は将来、全ての上に立つのだから。
■二日目
■躑躅邸/寝室/昼
__ザー。
雅仁:……。今日は雨か…。
■躑躅邸/寝室/夕刻
友之:やあ、雅仁。只今帰りましたよ。
雅仁:おかえり、友之。待ちかねたぞ。
友之:待ちかねた。今待ちかねたと言ったのだろうか。君が俺に、待ちかねたと。
雅仁:別段お前のことは待ちかねてはいない。お前の持ち帰る話を待ちかねたのだ。
友之:いや雅仁、それは同じことだ。俺が来ないと、君は愉悦や快感を得られないということを、よくよく覚えておくといい。
雅仁:友之、直枝を呼んでもらおうか。
友之:お安いご用だが、それは何故だろうか。
雅仁:無論、お前を追い出す為だ。僕は今、大変不快である。
友之:それはすまない。お詫びに君に仕入れてきた情報を捧げよう。勿論、始めから進呈するつもりであったがね。さて、何から話そうか。
【自殺であるという証拠】
友之:やはり木野義行は自殺であるらしい。
雅仁:それは何故か。
友之:何故なら、彼の手に銃が握られていたからだ。彼は右利きで、右手にしっかりと銃が握られていた。人差し指は引き金にかかっていたようだ。彼の血でできた血痕が引き金にあったのだ。部屋の中央で大の字に倒れていたが、銃は手放してはいなかった。
雅仁:ふむ。木野義行は銃を右手にしていたのか。部屋の鍵はかかっていたのだろうか。
友之:いや、鍵はかかっていなかった。しかし扉は閉まっていた。この部屋は日頃施錠をしない部屋だ。室内に大したものがないからであろう。
雅仁:木野義行は鍵を持っていたのか?
友之:いや。彼も持ってはいなかったようだ。
雅仁:では誰でも侵入できるではないか。遺書はあったのだろうか。
友之:遺書はなかったようだ。
雅仁:第一発見者は誰なのか。
友之:始めに気付いたのは同僚の教師だ。交代で部屋に向かったところ、発見したらしい。
雅仁:ふむ…。
【木野義行の死亡直近の予定】
友之:木野義行は死亡前夜、近くの酒場で酒を飲んでいる。その日彼は不機嫌であり、近頃の学徒はなっていないと口にしていたようだ。
雅仁:そんなことはどうでもよいのだ。誰かに憎まれていたとか、誰かを恨んでいるとか、そういった情報はないのだろうか。
友之:店の者は、そのようなことは言っていなかった。そして今週の週末、友人と近くの山へ、散策へ向かう予定であったそうだ。
雅仁:今週末に予定があったか。それはおかしいな。では、自殺であるとするのなら、それは計画ではなくて衝動的な自殺ということが推定される。計画的であったのなら、前夜に酒場で、己の無力さではなく他者に対する愚痴をこぼす余裕があるという点でもおかしい。
友之:そうだろうか。心の底から気楽であった人間かもしれない。下々とは得てしてそういうものだ。
【木野義行の死因】
友之:胸を打ち抜いている。即死だそうだ。
雅仁:凶器は彼が持っていたという銃で間違いはないのだな。
友之:間違いはないだろう。銃口を胸に当て、そのまま引き金を引いたのだろうな。胸には、火傷の痕があるそうだよ。
雅仁:銃はどういったものであろうか。
友之:小銃だ。君も知っているであろう。学校で使用する、あの一般的な銃だ。俺の記憶が確かであれば、君も持ったことがあると思うがどうだろうか。
雅仁:お前の記憶は間違ってはいない。僕はそれを持ったことがある。まだ学校へ通っていた頃にだ。確か銃身が長かった。
友之:あの銃で胸を撃ち抜いたようだ。
雅仁:それは確かだろうか。
友之:ああ、確かだ。
雅仁:なるほど。それでは友之。僕はお前に失望した。
友之:何を言うのかと思えば、これは驚いた。失望と言っただろうか。今失望と。君が、この俺を。それは何故なのか理由を聞かぬ訳にはいくまい。君に嫌われれば、俺は生きていく自信がないのだ。改善せねばならない。
雅仁:お前の自信のあるなしに関わらず、お前は僕がいなくても生きられるであろうが、しかし何故かと聞かれれば答えよう。それはこの話が不完全だからである。
友之:何故不完全と言えるのか。
雅仁:木野義行が自殺をする人間かどうかということは、この際問題ではない。木野義行の人間性は、一切問題にはならない。問題は、これが自殺ではなく他殺であり、そうしてそれが面白味も何もなく、瞬く間に解ってしまうことにある。
友之:何故木野義行は自殺ではないと言い切れるのだろうか。
雅仁:それは簡単だ。自殺に使われた銃が、“小銃”である時点で他殺であるからだ。
友之:そうだろうか。
雅仁:その顔は予め解っていた顔だな。そうなのだ。銃身が長い小銃で自らの胸を貫こうと思うのならば、腕を真っ直ぐに伸ばしたとしても、利き手の人差し指が決して引き金にかかることはないだろう。小銃で自殺を思うのならば、必ず親指で引き金を引くことになる。
友之:流石は雅仁。素晴らしい。ご明察の通りだ。木野義行は自殺ではない。他殺なのだ。
雅仁:しかし引き金には人差し指の血痕があったとのことだ。それは犯人が付けたのであろう。犯人は木野義行を射殺し、その後で銃を握らせたのだ。
友之:犯人は誰だろうか。
雅仁:残念ながらそれは僕には知る術がない。それを知るには、お前に彼の人間関係までもを話させなければならないが、僕はその点についてあまり興味が無い。
友之:ああ、そうだろう。そこまで話が膨らむと些か面倒になるだろう。簡潔且つ白状するならば、犯人は俺なのだ。
雅仁:ははは。犯人はお前なのか。お前にどんな動機が生じてたというのか。
友之:いい質問だ。そもそも俺は木野義行が好きではなかったが、引き金となったのは前夜の店で、君に対しての暴言を吐いていたからだ。
雅仁:暴言? たかが教師がか。僕の暴言を。
友之:そうだ。俺は偶然その場で食事をしていたが、耳を掠めた言葉にすっかり頭に血が上ってしまった。
雅仁:それは死が相応しい。僕に暴言を吐くことは、僕の地位に対して暴言を吐くことになる。我が国にそれは不要な民草だ。
友之:道理だろう。
雅仁:しかし、犯人だと言うのなら、すぐにお前は捕まるだろうな。
友之:いや、それはなかろう。今、警察処は別件で忙しいようなのだ。町の教師が一人死んだからと言って大したことではあるまいと、動いている人数は極めて少ないのだ。
雅仁:そうかそうか。それなら良かった。お前が捕まってしまっては、僕は退屈で死んでしまう。
友之:その通りだ、雅仁。今自身で言った言葉をしっかりと覚えておくといい。
雅仁:ああ小賢しい。はは。なかなか愉快だった。だが、少し疲れてしまった。僕は眠るとしよう。友之、直枝を呼んではくれまいか。
友之:お安いご用だがそれは何故だろうか。
雅仁:お前にお茶を振る舞うよう命じるからだ。外はまだ雨であろう。今少しゆっくりとしていくがいい。
友之:光栄だ。感謝するよ。では、俺は直枝さんを呼んでこよう。
雅仁:そうするが良かろう。…ああ、愉快だ。僕はとても満足だ。良い物語というのは、擬似的といえども、精神の経験となる。今宵は良い夢が見られるであろう。
友之:悦んでもらえて良かった。俺も満足だ。忘れてはいけない。この国の大半は、君の娯楽の為に存在しているのだ。君を日々悩ませる、退屈という悪夢を払うためであれば、俺は如何様にも愉悦を創ろう。心安く休まれよ、雅仁。
雅仁:ああ。おやすみ。
■三日目
■躑躅邸/寝室/早朝
直枝:宮殿、おはようございます。
雅仁:おはよう、直枝。
直枝:朝食をお持ちいたしました。お薬でございます。
雅仁:うむ。ご苦労。
直枝:今週末、ご母堂様がお見えになるそうです。ご所望の洋書がございましたら予めお伝えするようにとのことでございました。
雅仁:今朝は何か、僕の興味を充たすような話はないのか。
直枝:は…。以前お通いになられていた学校にて、何か事件があったそうです。
雅仁:事件か。はは。もしや教師が死んだか。
直枝:無粋な事件故、気にかけることでもないかと。詳しくは存じません。些細なことでございましょう。
雅仁:友之はどうした。
直枝:学校へと出られました。
雅仁:そうか。次に持ち帰る話が楽しみだ。そうだ、直枝。僕が昨日友之から聞いた話を教えてやろう。そこにかけるがいい。
直枝:恐れ入ります。
雅仁:まず事件が起きたのだ。
直枝:事件というのは。
雅仁:人が死んだのだ。
直枝:左様ですか。一体何方が。
雅仁:木野義行という男だ。偶然にも、これも僕の通っていた学校の教師で、実在する人物だ。
直枝:左様ですか。それで、どのように。
…。
完
お読み下さりありがとうございました。
読み手の中にあるイメージをマトリクスを極力使ってお話を書けないかと思って挑んだショートショートでした。あと短編というものがとても苦手なので。
敢えてさらっとさせましたが、読み手さんの今までの人生というトータル経験値の中で、「小銃」という単語・物を知っているか否か、イメージできるか否かがこのショートショートに「ん?」と違和感を持つかどうかの分かれ道のつもりで書きました。
少し狂った世界設定です。
次の短編も用意してございます。人物も少しずつ増えていきます。
宜しければ、EDを予想しながらどうぞまたお付き合いください。