■□■夜空の色■□■
『会いたい』
なんてメール貰って浮かれて、すっ飛んで行ったらコレだよ。いい加減紛らわしいんだよ。
「お望みのもんは買えたかよ」
「バッチぐー」
「そうかい」
畜生、可愛く笑うんじゃねぇ。
「早くこれ読みたいから、とっとと帰るよ」
「へいへい」
そうしてさっさと踵を返すこいつに、もはや文句も出ない。
同じ手に何度も引っかかるなんて、自分でも馬鹿だと思う。でも惚れた女のためなら利用されても別に構わないって思えるのが、男の悲しい性だ。
俺の年下の幼なじみ、萩野夜空は無類のお絵描き好きである。まさに趣味に生きる女とも言える。彼女が大事に抱いてる紙袋の中身は、彼女が尊敬する絵師の新巻漫画らしい。ずっと発売日を楽しみにしていたのを知っていた。そして、本屋に赴くためにボディーガードとして夜道を歩かされるのも、何も今日が初めてではなかった。
「でね、この漫画家の凄いところは…」
彼女の偏見たっぷりの独自の講釈を聞きながら、ちっとも理解できないと思う。彼女に付き合わされて、そこそこ漫画を読み込んではいるけれど、そこまで熱狂的になれなかった。適当に相槌を打ってる間に、話は最近彼女が描いた絵のことに及んでいたようだ。
「…で、最近、描いた絵がコレなの。どうかな?」
いきなり眼前にアイフォンを叩きつけられてギョッとした。しかし気を取り直し、それを取り上げて、眺めること数秒。やっぱり理解の範疇を超えている。
「…あのさ」
「ん?」
「ひとつ、これ言ったらおしまいって突っ込みがあるんだけど、言っていい?」
「?いいよ」
「何で少女漫画系の絵って、人間の瞳の中に星があるの?」
別にお前の絵に限ったことじゃないけど、と付け加える。
「俺、そういう…なんていうの、矛盾?みたいのがやたらに気になって、むずむずしちゃうんだよなぁ」
気を悪くしたかなと彼女をチラリと見ると、意外にも真面目な顔をして俺を見つめていた。
「爽兄ちゃん、知らないの?」
「は?」
「瞳と夜空って同じ色なんだよ。だから瞳に星が光ってても、全然不思議じゃないの」
俺は絶句して、ただ彼女を見下ろしていた。歩みは勿論、止まっていた。彼女の細い人差し指と中指が、固まって立ち尽くした俺の頬にそっと触れた。
「爽兄ちゃんの目の色は、深みのある紺色だね。もしかしたら夜空より綺麗かもしれない…」
彼女は俺を見ながら、きっと絵のことを考えているんだろう。色合いを分析するような淡々とした言葉だったけど、不覚にも俺の心には暖かく浸透していった。どれくらい時間が経っただろうか。短いような長いような間を経て、そっと息をついた。
「…やられた」
「?何が?」
「お前、そういう台詞も漫画から学んでくるの?」
「持論だけど?」
…ますます参った。こいつとやり合うには、俺も修行が必要かもしれない。夜空に映る無数の星を見るためには、こいつの感性に見合う台詞を引っ提げて挑む必要があるようだ。それとも、ありきたりな台詞でも星は浮かぶのだろうか。試してみるのも悪くないか、と彼女の中にある夜空の色に視点を合わせた。