訓練開始……の前に
翌日。
昨日の今日なんだからゆっくりしたらと言う周りの勧めを振り切って、夜明けとともに起床した私は軽い朝食をとり、食後のお茶もそこそこにディナートさんの執務室へと向かった。
廊下を歩くたびに、ブーツがカツカツと小気味いい音を響かせる。久しぶりに腕を通した服は懐かしくて無意識に胸のところの金ボタンを弄ってしまう。
あ、例のひらひらのワンピースと赤い鎧は式典用プラス戦闘用でね。普段は違う服を着てるの。今着てるのは、真っ赤なひざ丈のマントに深紅の上着、白のパンツに焦げ茶のブーツ。デザインは聖軍の近衛騎士団と同じで色だけが違うの。かなり目立つけど、動きやすいし綺麗だし恰好良いから私は気に入ってる。
聖軍は青色のマントに同色の上着、白のパンツに焦げ茶のブーツが基本で、細かいところは階級とか所属してる団で違う。ちなみに魔導軍は黒のマントに黒の上着、黒のパンツに黒のブーツ。夏はものすごく暑そうだよね。
騎士って言ってもね、ここの世界の騎士さん達はいつも鎧をつけてるわけじゃないの。彼らは任務に就くとき以外、鎧を脱いでる事が多い。
魔導軍も同じらしいので、交流がなかった割に共通点があって不思議だ。まあ鎧を脱いでいられる時間があるってことは平和で良いのかもしれない。
そういうわけで、青と黒の集団にぽつりと赤い私が混じるとすごく目立つのです。下手に失敗出来ませんね。あはははは!
――なんてね。閑話休題。
ディナートさんは、爽やかな笑顔で私を迎えてくれた。昨日より一段とキラキラして見えるのは朝陽マジックでしょうか。
緊張でかちんこちんな私に、ディナートさんは柔和な笑みを浮かべながら椅子をすすめてくれた。
「ヤエカ殿。稽古を始める前に少しお話をいたしましょう」
そんな風に笑いかけられたら余計に緊張するじゃない。ぎこちない動きで椅子に座る。
「なぜあなたの指導が、聖術部でも聖軍でもなく、我が魔導軍に任せられたか……そのあたりはご存知ですか?」
唐突に尋ねられた私は少し考えた。
もともと人間の中で力を持って生まれる人は極端に少なくて、その希有な人達はほとんどが聖術部で神官さんになっているらしい。
神官さん達のなかで攻撃術を得意とする人達はそれで戦うことは出来るけれど、剣や弓や槍などの武器を使った戦い方を知らない。そして武器を扱える人が集う聖軍には力を持った人間がいない。――つまり、術を使いながら剣を持って戦う方法を知る人間はほぼいないと言うことだ。
逆に魔族はそのほとんどが力を持って生まれるらしい。当然、魔導軍の者もほぼ全員が大小の差はあるけれど力を使える。
「術を使いつつ武器を持って戦うのに慣れているのが、魔導軍だけだから。ですよね?」
「はい。その通りです」
よく出来ましたとディナートさんがにっこり笑う。
正解でホッとした。的外れなこと言って、呆れられたら切ない。
「では次の質問です。あなたは力を感じることは出来ますか?」
「それって気配みたいなもので良いんですよね? それなら何となく感じるというか……」
「よろしい。では、あなたの力をあなた自身が制御することは?」
「……出来ません」
力が必要な時はいつもアレティが私の中から勝手に引きずり出して使ってた。だから、私の中から力が引き出される感覚は分かっても、自分で力を引き出したり、それを制御して何かの形にすることは全然出来ない。
「そうですか。では、訓練はそこからになりますね」
ため息とともにそう言われて、私は小さくなった。
自分の力を自分でコントロールするなんて、彼らにしてみたらきっと基本中の基本。それがが出来ないなんて、ものすごく劣等生なんだろうなぁ。
「……すみません」
ルルディは時間がないみたいなことを言ってたけど、私は出陣までに術が使えるようになるんだろうか。開始早々不安になって来た。
「謝ることはありません。出来るようになれば良いのです。ともに頑張りましょう。ね?」
出来るようになれば良い……裏を返せば、出来るようにならなければ問題ありってことだよね。励まされているようで叱咤されてるって捉えていいのかな。でも、ただ大丈夫だって慰められるより、俄然やる気が湧いてきたから不思議。ディナートさんって何だか先生みたいだなぁ。
なかなか返事をしない私を不思議に思ったのか、彼が小首を傾げた。その拍子に長い髪がさらりと流れて煌めいた。黒い服の上を滑るそれが悔しいくらいに綺麗で羨ましい。私もあんな綺麗な髪だったらもっと長く伸ばすのになぁ。
「ヤエカ殿?」
「え? あ! はい、先生!!」
げ! つい口が滑った。
「……先生?」
ディナートさんは一瞬ぽかんとして、それから肩を揺らして笑いだした。
そ、そんな思い切り笑わなくても良いじゃない! しどろもどろになりながら言い訳を考えてみても良い案は浮かばないし、彼は笑いっぱなしだし、恥ずかしいし。で、ちょっとキレた。
「そんな笑わなくたっていいじゃないですか! 教えていただくんですから、ディナートさんは先生で間違ってま・せ・んっ」
我ながら子供っぽいとは思ったんだけど、むくれながらそう言うとディナートさんはキョトンとした顔をして笑いを止めた。
その代わり、背後から豪快な爆笑が起こった。
え? 誰?
驚いて振り向いたら。
「だ、団長さんっ!?」
大柄な体をくの字にまげて、アハディス団長がお腹を抱えて笑っている。
ひええ! 昨日の怖いイメージががっちり刷り込まれてたから、ついついビクッて飛びあがった。また昨日みたいに睨まれたら私、泣く。絶対泣く!
野放しのライオンと向き合ったら、きっとこんな気持ちになるんじゃないかな。迂闊に動いたら噛み殺されそうだ。……この場合斬り殺されそうって言ったほうが正しいけど。
すっとディナートさんが私の前に進み出てくれて、私と団長さんの間に彼が立つような形になった。偶然なのか、それともさりげなく気を使ってくれたのか分からないけど、彼の影に隠れていよう!
私はディナートさんの後ろに隠れて、そこから顔だけ出して団長さんを見た。
「ディナートが……先生か……あははは! そりゃー良いな。きっとおっそろしい先生になるぜ。親にしてみたら子供の成績が上がって万々歳かもな。儲かるぞ!」
「軽口はそのくらいにして下さい、団長。あなたがそうやって茶々を入れては訓練の邪魔です。さっさと自分の仕事に戻って下さい」
冷やかなディナートさんの態度をものともせずに、団長さんはつかつかと私達に近寄って来た。何をする気なのかと思っていると、いきなり彼は腰を曲げて私と目線を合わせた。
「わっ!!!」
「うぎゃっ」
いきなり大声で脅かされた私は、ディナートさんの影に隠れて縮こまった。
「なんだその色気の欠片もねぇ悲鳴はよぉ……」
って団長さんはげらげら笑うけど、本気で怖かったんだから仕方ないじゃないの! 可愛い悲鳴なんて上げるられるのは、余裕がある時だってば!
「団長……」
呆れながら窘めるディナートさん。
「いやぁ反応が面白くてつい、な。――お嬢ちゃん、悪かったな」
やだ、近づいて来ないでー!
更に小さくなってディナートさんに隠れると、団長さんはあっさり体を引いて、困ったような顔でこめかみを掻いた。
「俺、そんなに怖がらせるようなことしたっけ? 参ったなぁ」
したじゃないですか! 昨日! あんな険呑な顔で睨んだくせに!
じーっと見つめると、団長さんはため息をついて肩を竦めた。
「まぁいいさ。人に懐かない小動物を手懐けるのも一興だ」
にやにや笑いを浮かべて私を見る。
あ。今ちょっとカチンと来た。もともと私、気が短いほうだ。考えるより先につい口が出た。
「ど、動物と一緒にしないで下さい!」
言ってから我に返って青ざめた。また睨まれるかもっ!!
「あはは! じゃあな。ディナートの訓練は厳しいと思うが頑張れよ」
私の予想に反して、団長さんはがははと豪快に笑った。あれ? 怒らないの??
ぼけっとする私の頭を、大きな手で乱暴にぐしゃくしゃーっとかき回して、それからぽんぽんぽんと叩いた。それで気が済んだらしく彼はひらひらと手を振って部屋を出て行った。
「た、台風みたいな……」
「それは言い得て妙ですね」
独り言だったんだけど、密着してるディナートさんには聞こえちゃったみたい。恥ずかしい。
と、そこで私はとんでもないことに気がついた。ディナートさんにぴったりくっついた挙句、彼のマントをがっしりと掴んでる!!
「わわわわ! ごごごごごごめんなさいっ」
慌てて手を離して飛びのいた。
「そんなに慌てなくて良いですよ。昨日、団長はずいぶんあなたを脅しましたからね。怖いと思うのは当然です」
そんな風に慰めて貰ったけど、でも……。
「ごめんなさい。私、もっと強くなります。精神的にも」
少しぐらい脅されたって動じないように。
「大丈夫ですよ。そんなに力まなくてもあなたは強くなります。今だって怖がってるわりには言い返してたでしょう?」
確かに、言われてみればそうだ。
「さて。うるさいのもいなくなりましたし、そろそろ始めましょうか? 今日は自分の意思で力を引き出す練習をしましょう。よろしいですね?」
「はいっ!」
ディナートさんに連れられて、私は訓練場へ向かった。
こうして訓練が幕を開けました。
限られた時間でどこまで出来るようになるか分からないけど。でも、頑張ろう!