エピローグと言う名のプロローグ
この世界にやって来てから、二度目の夏がやってきた。
窓の外には濃い青の空が広がっていて、ところどころに眩しいくらい白い雲が浮いている。
「今日も良い天気だなぁ」
そんな独り言が出てしまうくらいに気持ちいい天気だ。
聖都もそうだけど、ここの夏は比較的過ごしやすい。湿気が少ないからひなたは暑くても、日陰は驚くくらい涼しい。
晴天の日が多くて過ごしやすく、市場には瑞々しい果物が溢れ、多くの人に愛されている季節。こっちに来て日が浅い私もすっかり夏が気に入っている。
唯一残念なのは期間がだいぶ短いこと。だから、こっちの人たちは短い夏をあの手この手で満喫する。催し物もお祭りも今頃が一番多いらしい。
なんて、色々考えてみたけれど、時間が経つにつれて緊張が高まるのは止まってくれなかった。
気を紛らわしたくても、話相手さえいない。
さっきまで一緒にいてくれた侍女のアウラは、会場の様子を見に出かけてしまった。
ディナートさんが迎えに来るまでこの部屋から出ちゃいけないそうで、支度が終わってしまった今、私はとにかく手持ち無沙汰だ。
こう暇だとろくなことを考えないのが人の常。よせばいいのに色々考えちゃって、自分で自分の緊張を高めてしまう。
「あーうー……。めちゃくちゃ緊張する……」
口に出してみたら多少和らぐと思ったのに、逆効果だった。
そう言えば、一年前の今頃。聖女宮で行われた舞踏会に出席した時も、こんな風に緊張してたっけ。なんて思い出していたら、ちょっとだけ気が紛れた。
あの日も朝からこんな風に気持ちよく晴れていたのに、それを良い天気だと思う余裕もなかったなぁ。
締め切ったままの窓の向こうで、さわさわと木々が揺れているのが見えた。
きっと気持ちのいい風が吹いてるんだろう。
じっとしてても緊張は高まるばかりだし、新鮮な空気でも吸って気持ちを切り替えようと思い立って、椅子から立ち上がった。
最近ようやくドレスを着ることに慣れてきた。
けれど、それは普段着用のものに慣れただけで、パーティ用の豪華なドレスにはまだまだ慣れない。
裾を踏まないように慎重に歩いて、窓へ近寄った。
留め金を外して窓を開ければ、途端に乾いた風が頬をくすぐる。
「やっぱり気持ちいい!」
少しのぼせた頬を冷やしてくれる風は、遠くから華やかな喧騒も運んできた。
人々の笑いさざめく声、陽気な音楽。もうずいぶん沢山の人が集まっているみたいだ。
この部屋はちょうど死角になっているから、集まってくれた人たちの姿は見えない。けれど、声を聞いているだけで、私の心も浮き立ってくる。
少しの間、そうやって窓辺にもたれながら、遠くから聞こえてくる喧騒に耳を傾けていた。
と、急に強い風が吹き込んで来た。
「きゃ!?」
慌てて髪を押さえたけど、煽られて少し乱れてしまったかもしれない。あとでアウラに直して貰わないと。
「我が花嫁は窓から逃げ出すおつもりかな?」
背後からくすくす笑う声が聞こえた。
慌てて振り向けば、正装に身を包んだディナートさんが笑っている。
「ディナートさん!? もう時間ですか?」
「いいえ。手が空いたので、早めに貴女に会いに来ました」
甘く晴れやかに笑う彼は、今日の空と同じくらい深い青の上着を着ていて、銀の髪と金の目がよく映える。
漆黒の制服や鎧も彼によく似合っていたけれど、彼が今日纏っている衣装もとてもよく似合う。
去年の秋、騎士団を辞した彼は、ソヴァロ様から下賜されたこの地に移り住み、領主として日々手腕を発揮している。
もうあの黒衣を纏うことはないのかなと寂しい気もするけれど、これからはずっと一緒にいられるんだと言う喜びのほうが強い。
「とても綺麗ですよ、ヤエカ」
「ディナートさんも、格好いい……です」
見つめ合うのも、もうだいぶ慣れて、恥ずかしくなったり狼狽えることもない。
「このまま口づけの一つもしたいところですが、先ほどからアウラの視線が痛くてね。先にその乱れてしまった髪を直して貰いましょうか」
「え? あ!」
すっかり忘れてた。
彼の背後に目をやれば、早くしろと言わんばかりに目を吊り上げるアウラの姿が。
彼女の手にはすでにブラシやピン、整髪料、その他必要な諸々が用意されている。
「やだ、ごめんなさい、アウラ」
「いいえ。宜しいんでございますよ。夫婦が仲睦まじいのは、良いことでございますから」
アウラはフフッと笑って、てきぱきと乱れた髪を直し始めた。
ソファから少し離れた場所に置いてある椅子に陣取ったディナートさんは、上機嫌な様子で私が髪を直してもらうのを見ている。『女性の支度を眺めるなんて無粋だから出て行け』と言いたげなアウラの視線をものともせずに。
「みんなもう集まってます?」
窓を閉めてしまったせいで喧騒は聞こえてこないけれど、さっき聞いたあの感じではだいぶ大勢の人が集まってそうだ。
「ええ。もうほとんどの方が集まっていますよ。貴女のご両親も晴章殿も、もう到着なさっているから安心してください。貴女の国では花嫁の家族は、式の前に花嫁と会うことが出来るんだそうですね。──貴女もそうしたかった?」
ディナートさんが少し申し訳なさそうに言う。
「いいえ。私はこの国で生まれ育ったディナートさんのもとへ嫁ぐんですから、ここのしきたりに従いたいです」
郷に入れば郷に従えってね。
私はこの地の領主に嫁いで、これからは領主の妻として生きてくんだもん。いつまでも日本を引きずってるのはどうかなって思う。
「そう、ですか」
私があっさりと返事したのが意外だったのか、ディナートさんは少し目を瞠って、それから嬉しそうに笑った。
「さ、これで良うございます、ヤエカ様。もうお転婆はおやめくださいましね。この部屋を一度出てしまえば、おいそれと化粧直しは出来ませんからね!」
「ありがとう、アウラ」
アウラが使った道具を片づけていると、ノックの音が聞こえた。
「ディナート様、ヤエカ様、お時間でございます」
扉の向こうからくぐもった声が聞こえ、
「分かった。すぐ行く」
ディナートさんがそう答えて椅子から立ち上がった。
「では、行きましょうか」
「はい!」
体がきゅっと萎縮するような緊張感を、彼の手の温もりが打ち消す。
長い廊下を彼と一緒に歩きながら、一歩ごとに幸せが胸に満ちていく。
そんな気がして、何度も何度も隣を歩くディナートさんを見上げた。
「爽やかな夏の日差しに、貴女の白いドレスはよく映えるでしょうね」
「ディナートさんのその青もよく映えると思いますよ。今日の空の色みたい」
笑いあった私たちの目の前には中庭に続く扉。
その扉がゆっくりと開き、眩しい光がこぼれる。
一瞬目が眩んだけど、明るさにはすぐ慣れた。そして、中庭の光景が目に飛び込んでくる。
庭師の手で完璧に整備された広い中庭は緑に溢れて、沢山の招待客たちが華やかな衣装に身を包んでいる。
扉から階段を通って、庭の中ほどまで続く絨毯の道。その両脇を固めたみんなが、拍手で私たちを迎えてくれていた。
ディナートさんと頷き合って、ゆっくりと一歩を踏み出す。
階段を下り、みんなのもとへ。
「おめでとう!」
沢山の声が祝福をくれる。
その声に応えながら、真っ直ぐに進む。
すぐそばに、父と母の姿。
まだ式は始まったばっかりだと言うのに、父はすでに目を真っ赤にしている。
「八重、香……っ」
「やだ、お父さん、そんなに泣かないでよ!」
母が苦笑いしながら父の背中を優しく叩いて慰めている。
父の耳には金色のシンプルなイヤーカフが光っている。ファッションというわけではなくて、母が作った翻訳用の呪具だ。耳につけるだけでこっちの言葉を理解できるし、喋ることもできるらしい。
「私は、羽衣を盗んだ男にはなりたくないからね」
そう言って笑って母を送り出したと言う父。だけど、母の仕事がなかなか時間がかかると知り、居ても立っても居られなくなって。さんざん悩んだ末、結局こっちへ飛んできちゃった。
今は聖女宮に厄介になってて、呪具がなくてもこっちの言葉を話せるように勉強しつつ、一方で力の訓練もしているらしい。あっちの世界の人間は無自覚だけどみんなそこそこ強い力を持っているらしくて、父もかなり大きな力を持っている。
無鉄砲な感じでこっちに渡ってきたけれど、父も自分の居場所を見つけつつあるみたいで、私としてもホッとしている。
孤児だった父に親戚と呼べるような親戚はないし、近所には海外に移住すると告げたそうで、特に不審は持たれなかったみたいだ。まぁ多少不審を持たれたとしても、世界は異常事態を自動修正する習性があると言うし、何とかなるでしょ。
日本の皆から忘れ去られていくのは寂しい。けど、例えその寂しさに苦しむことになってもこの世界にいたい。私たち家族四人はそれを選んだんだから絶対にこっちの世界で幸せにならなきゃね。
「八重香、おめでとう。しばらく見ないうちにますます綺麗になったね」
「ありがとう、お母さん」
眩しそうに笑う母は、昔より少しだけ日焼けが目立つ。今もルルディとともに、対妖魔用の警報システムの基礎をつくるためにあちこち飛び回っているらしい。
「ねーちゃん、おめでと! ほんとに結婚すんのな~。何か俺、まだ実感わかねえんだけど、とにかく良かったな!」
なんて、憎まれ口半分なのは弟の晴章だ。
一人で日本に残るよりもこっちに来たいと主張して、父と一緒にやってきた。初めは渋っていた父と母だけれど、弟の熱心な主張に折れて、高校をきっちり卒業してからってことで話し合いがついたらしい。
弟も母から小さいころに術をかけられていて言葉には困っていない。それに同じ血を引いているからか、私と同じくらいの力を持っている。昔から要領のいい子だから、すぐに術の使い方や制御の仕方を覚えて、今では私の後を継いで、勇者をやってる。
「なぁ、アレティ。ねーちゃん結婚しちゃうし、魔導国行っちゃうしさ、次の使い手、俺にしとかない?」
──ヌゥ……。マァ、良カロウ
それで次の使い手に決まっちゃったって言うんだから呆れる。父も母も、私も、止める暇なんてあったもんじゃない。
でも心配する私たちをよそに、晴章はよくやっているみたいで、武勇伝はここにもちらほらと聞こえてきている。だいぶ少なくなったけれど、まだたまに妖魔が出没するらしい。
「ありがとう。晴章。新しい勇者の噂、ここにも流れてきてるよ。 ──アレティも久しぶり!」
──先代カ。久シイナ。元気ソウデ何ヨリダ
アレティの思念が頭に流れ込んでくる。この感覚も懐かしい。
──先代ヨ、ソナタハ、過酷ナ試練ニヨク耐エタ。ソコナ男ト幸セニナレ
「ありがとう。アレティに祝ってもらえて嬉しいよ!」
なんて話をしている間に、父はディナートさんとがっちり握手を交わしつつ
「娘を、八重香を、よろしく頼みます! 幸せにしてやってください!!」
と目を潤ませている。
「もちろんです。お義父さん。必ず幸せにすると約束します」
ディナートさんが父の手をしっかり握り返して誓う。
なんだかやたら熱いやり取りなんだけど、それが自分を巡ってのことだと思うと気恥ずかしい。
なんだかんだで最初は難色を示していた父だけれど、水鏡でディナートさんと話したり、こっちの世界に来てから何度も会ったり、酒を酌み交わしているうちにすっかり意気投合して、今では驚くくらい仲がいい。
「ほら、お父さん。いつまでもそうやってたら二人が進めないだろう? 後でゆっくり話せばいいじゃないか」
「あ、ああ。そうだね、母さん。ディナート君、八重香。引き留めて済まなかったね。二人とも幸せに」
少し進むと今度はルルディとソヴァロ様の姿が見えた。
「エーカ! ディナート! おめでとう!!」
「二人とも、幸せにな」
二人より先に結婚式を挙げるのは心苦しかったんだけど、二人は全然気にしていない。
婚約自体、急速に両国を近づけるための手段だったと後で聞かされたけれど、でも二人の仲睦まじさを間近で見ている私たちにしてみれば「早く結婚したら!?」と言いたくなるけど、二人とも今は時期じゃないと思っているらしい。
確かに元とは言え聖女が聖司国を捨てて魔導国王に嫁いだら、物議をかもすかもしれない。としたら、二人が結ばれるのって、ルルディが計画を終えて、ソヴァロ様が退位した後ってことになるの? それってどれだけ先のことなんだろう。
ルルディに「本当にそれでいいの?」と聞いたことがあるけれど、
「一緒にいられなくても、心は通じてるもの。それに聖女として聖女宮にこもっていた時よりもずっとずっと自由で、それだけでも幸せだわ」
と、真っ直ぐな目で答えが返ってきた。
「それに、前よりずっと魔導国が近くなったでしょ? だからね、ヴァーロってば暇を見つけては会いに来てくれるのよ!」
続いてそんな惚気も返ってきた。
それってお忍びってことだよね? 一国の主がそんな頻繁にお忍びで出かけて良いの!? と思わなくもないけど、まぁソヴァロ様を闇討ちできるような強大な力の持ち主はなかなかいないだろうという結論に達して、それ以上考えるのを止めた。
「お忙しい中、出席いただきありがとうございます」
「そんな堅い挨拶、やめてよ、ディナート。今日は楽しませてもらうわね」
楽しそうに笑いながらソヴァロ様に寄り添うルルディは、聖女だった時よりずっと晴れやかな顔で笑った。
「よー! おめでとうお二人さん!! これでやっと俺たちも肩の荷が下りるってもんだ。なぁ、そうだろ、みんな!」
「おう!!」
アハディス団長の呼びかけに応じて、野太い歓声が上がった。この体育会系のノリ、知らない人が聞いてたらドン引きしそう。
近衛騎士団の皆は相変わらず元気だ。自分たちがどれだけやきもきしたかと、あちこちから野次が飛んでくる。
私たちってそんなに心配されてたわけ!?
ディナートさんを見上げると、仕方ないなぁと言わんばかりの苦笑を浮かべている。
「ヤエカ殿、ディナートは色々面倒な奴だが、基本的には良い奴だ。従兄の俺が保証するんだから間違いねぇ。幸せにな! 何か困ったことがあったら俺んとこに来いよ。何とかしてやるから」
「団長、それは大きなお世話って言うんです。だいたいヤエカが困るような事はしませんから」
ニヤッと男臭い笑みを浮かべる団長と、ムッとしたディナートさんを交互に見比べながら、私は何て答えていいか迷っている。
このまま知らんぷりしちゃっていいかなぁ?
「あーもー! 団長も、副だ……じゃなかった、ディナート殿も、それくらいにしてください。いくら従兄同士で仲良いからって、そうやってじゃれてたらいつまで経っても式を始められないでしょ!」
と割って入ったのは、ディナートさんの後を引き継いで、副団長を務めているカロルさんだ。
「あ?」
「──そうだな」
団長もディナートさんも、こういう時はカロルさんに逆らえないらしい。
その構図がおかしくて、私はつい噴き出してしまった。
「カロルさんの言う通りです。さ、ディナートさん、行きましょ?」
悪戯っぽく笑いながらディナートさんの顔をのぞき込むと、彼は声を上げて笑った。
「ええ、行きましょう、ヤエカ」
不意に体のバランスが崩れて、悲鳴が勝手に口を突いた。
何が起こったか分からないうちに、周りからワッと歓声が上がって、あちこちから冷やかすような口笛や、きゃーと言う黄色い悲鳴があがる。
「な、なに!?」
反射的に一番近くにあったものにしがみつきながら周りを見渡せば、びっくりするぐらい間近にディナートさんの顔があった。
悪戯に成功したみたいな、ちょっと意地悪な笑顔。
「もう待てないので、急ごうと思いまして。これなら早いでしょう?」
つまり、式の会場まで私はディナートさんにお姫様抱っこされて行かねばならないと言うことですか!?
「やだ、自分で歩きますってば。下ろして!」
「嫌です。もう少しですから大人しくしていてください」
「えー!」
不満の声は、ディナートさんの笑い声に消えた。
あんまり楽しそうに笑うから、何か、もうこれでいいかなって気がしてきた。
ディナートさんの腕の中から見上げる空はやっぱりどこまでも澄んだ青で、まるで空にも祝福して貰っているみたいだ。
「幸せになりましょうね、ディナートさん」
「ええ、もちろん」
晴れた日も、曇りの日も、雨の日も、雪の日も。
この空の下で。
── 終わり ──




