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再召喚!  作者: 時永めぐる
第三章:月を宿す乙女
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勇者不在のそのあいだ


 私が聖女宮に帰ってきた日から早一週間が過ぎていた。

 私が監禁された間に雨期が明けたそうで、ベッドから眺める窓の向こうには今日も青い空と白い雲が見える。

 こう天気が良いと外に出たくてウズウズするんだけど、まだ外出許可が下りていない。それどころか、ベッドから降りる時間すら決められている始末。

 なので、今日も大人しくベッドの上に座って、みんなから差し入れてもらった本を読んでいる。だいぶ語彙が増えたので絵本は卒業。今は児童文学へ昇格して、ほとんど誰の手を借りることもなく読めるようになった。書くほうはまだまだミミズが這ったような字しか書けないけど。

 私は今しがた読み終わった本を閉じると、背伸びをして窓の外に目をやった。

 そんなに根を詰めて読んだつもりはなかったんだけど、やっぱり少し目が疲れている。


 「ヤエカ様。どうかなさいましたか?」


 部屋の隅から控えめな声がかかった。私の看病係を努めてくれている侍女さんだ。私の邪魔にならないようにって配慮からか、目立たない隅っこの方に椅子を置いて、そこに控えてくれている。二十四時間、交代で誰かが付き添ってくれる。そろそろ元気になったんだから徹夜で看病してくれなくても……と思うんだけど、恐らく護衛も兼ねているんだろうなぁと考えると「もう付き添いは要らない」なんて言えない。


「本を読み終わったのでちょっと休憩しようかと思って」

「では、そろそろお茶にいたしますか? ちょうどいい頃合いでございますよ」


 彼女は膝の上に広げていた編みかけのレースを籠の中にしまった。


「ただいまご用意をいたしますので、少々お待ちくださいませ」


 彼女は穏やかに笑って、寝室を出て行った。

 ドアの向こうから誰かに指示するような声が聞こえて、今まで時が止まったようにシンと静まり返っていた部屋に、少しだけ人の気配が満ちる。ドアの向こうで誰かが立ち働く気配を感じながら、私は真っ白な天井を仰いだ。白一色の天井には花や蔦を模した装飾が彫られていて、窓から入ってくる光が生き生きとした陰影を作っている。

 ぼんやりと眺めていたら、さらに隣が騒がしくなった。

 この物々しさは絶対ルルディだ。そして最近一緒に何やら仕事をしているらしいあの人も一緒なんだろう。

 ああ、もう。

 何でこんなことになっちゃってるんだろうなぁ。

 と深々とため息をついてたら。


「エーカ! ほら、見て見て見て~!! ラプロの新作のお菓子よぉ~! 一緒に食べましょ?」


 ドアが開いたと思ったら、明るい声が飛んできた。

 声の主はキラキラと光る金髪を少し乱していて、いかにも急いでやってきましたと言った感じだ。目の前に掲げるように持ち上げられた手には赤いリボンのかかった小さな白い小箱がぶら下がり、左右に小さく揺れている。

 そのラッピングには私も見覚えがある。城下で一、二を争う人気菓子店『ラプロ』のものだ。

 ラプロのお菓子にハズレはない! 喉がごくりと鳴った。

 

「ラプロのお菓子!? 食べたい!」


 しっかり喰いついた私に、ルルディはしてやったりって顔で、にやりと笑った。その得意げな彼女を押しのけるように、彼女の後ろから長身の人物が顔をのぞかせた。


「やぁ、八重香。今日も調子良さそうだな」


 上機嫌で、良かった、良かったと何度も頷くその人は。


「お母さん……」

「ん? 何だい?」


 未だ、この状況に納得がいかない私と正反対に、すっかりここに馴染んだ母が屈託なく笑った。

 いや、もともと母はここで聖女やってたんだし、馴染む馴染まないって問題じゃないのかもしれないけど、でもなんだかしっくり来ない。


「ううん。やっぱり何でもない」


 微妙に目を逸らして答えた。何か、こう……納得できないけど、なんて反論したら良いのか分からないから、目を背けることしか出来ないって言うか、そんな感じ。


「ねぇねぇ、エーカ! エリカ様とお話してたんだけどね、今日は涼しいし、庭でお茶にしましょう? 大丈夫、先生の了解は取ってあるから」

「外に出て良いの!? やったー!!」


 ルルディが言う『先生』は、ルルディの主治医のことだ。今回、私の体調も診てくれたくれた人だ。その先生がOKと言うのだからOKなんだろう。久々に外の空気が吸えるって言うだけでも、気持ちが明るくなる。


「でね、病み上がりのエーカの体調が心配なので、エーカ運搬係も呼んでおきましたぁ~!」

「はぃい?」


 私運搬係って何よ?


「やっだー! 照れなくっても良いのよ」


 けらけらと笑うルルディと、ニヤニヤしてる母の向こう。ディナートさんが困ったような微笑を浮かべている。


「さ、いつまでもこんなところでおしゃべりしてたら、お茶の時間が減るぞ。そろそろ行こうか。──ディナート君、八重香を頼む」

「はっ」


 さも当然とばかりにディナートさんをこき使う母と、さも当然のように頭を下げるディナートさん。

 何なの。何なの。何なの!


「歩けるから!! 自分で歩けるからっ!! ディナートさんもそんな平然と返事しないでくださいってば!!」


 自分で歩く。じゃなきゃ行かない! そんな主張を押し通してようやく移動する。

 聖女宮にはいくつか庭があるけれど、今日のお茶はルルディの執務室と、私の部屋とのちょうど中間点ぐらいにあるところだ。夜会や舞踏会に使われる大ホールからも降りられるようになっている大きな庭で、時々ガーデンパーティーもするらしい。

 大ホールの外側のテラスがちょうど良い日陰になっていた。私たちがついた時にはすでにセッティングが終わっていて、給仕係が何人か静かに待っていた。 

 自分は警護のつもりでついた来たんだから同席するわけにはいかないと固辞するディナートさんを説得して、ようやく四人でお茶会開始。

 ティーポットから注がれる濃いお茶の香りが、ほの甘く漂う。

 けれど私に出されるお茶だけみんなと違う。ミントのような匂いと色をした、とても苦い薬草茶だ。滋養強壮の効果があって、こちらでは病中病後に良く飲まれるらしい。

 給仕係から差し出された蜂蜜をたっぷり落として、ようやく飲める味になった。

 目の前ではルルディと母が小難しそうな術理論の話をしている。二人の会話はさっぱり頭に入って来ないで。むしろ、頭が理解するのを拒んでるかのようで、右耳から入って左耳から抜けていく。

 それにしても、目が覚めた時一番最初に見たのが母だった時の、あの衝撃は忘れられないなぁ。

 お行儀悪いと窘められそうだけど頬杖をつきながら考える。



 ディナートさんに抱っこされたまま、聖女宮に向かったのは覚えてるんだけど、よっぽど消耗していたのかいつの間にか眠っちゃってて、気がついたら二日も経っていた。

 で、目を開けたら母の顔がそこにあった。一瞬、眠ってる間に日本に戻って来ちゃったのかと思ったけど、母の向こうに見える天井は聖女宮の私室の天井だし、母の隣にはルルディやセラスさんの顔があった。

 違う。日本に戻ったんじゃない。母がこっちに来たんだ! 気が付いた途端、一気に目が覚めた。


「なんでここにいるの!!」


 がばっと起き上がろうとしたけど、途中で眩暈がしたせいで頭は枕へ逆戻り。だいぶ長いこと眠っていたみたいで、全身がぎしぎしと痛んだ。


「なんでって、八重香が心配だったから」


 しれっと答える母の涼しい顔に、もう一回眠ろうかなと思った。けど、それで事態が変わるわけじゃなし。ドクターストップがかかるまで延々と事情を問いただした私は絶対悪くない。

 私が姿を消してから、ルルディたちは必死になって行方を捜してくれたらしい。けれど、気配すらどこにもなくて、アレティも反応しない。こんな完全に気配が消えるのは私が死亡したか、異世界に飛んだ場合。そう踏んだルルディがうちの母に連絡をとって、私が日本に帰ったかどうかを尋ねた。その話から母は私の身に何かが起こった事を知り、急きょこっちにやってきた。

 そんな簡単に界が渡れるものなのかと思ったけれど、母はもともとこっちの人間だし、私が通った痕跡が残っていたので比較的簡単に来られたらしい。

 けど、こっちの人間がこっちに戻ってきたと言うことはつまり、あるべきものがあるべき所へ収まったってことだよね。それってもしかして日本に帰るのは難しくなるって事じゃないの? 

 世界は因果に縛られている。いつかルルディはそう言っていた。

 世界はあるべきものをあるべき所に収めようとする。けれど、その修復する力を越えたトラブルが発生した時は、何とか辻褄を合わせて次善の策でその綻びを埋めようとする。

 それが本当だとしたら。いったん手放してしまった『エリカ』という存在が戻ってきたのなら、世界はなかなか手放そうとしないんじゃない?

 その答えを、目の前でのんびりとお茶を飲んでるルルディと母は知っているはず。


「ねぇ、お母さん」


 唐突な呼びかけに二人は話を止めて私に向き直った。


「ん? 何だ?」

「お母さん、日本に帰る気ないでしょ」


 しん、と沈黙が下りた。

 気まずそうな顔のルルディとディナートさんに対して、母の表情は変わらない。けれど、返事は返って来ない。


「それでいいの? お父さんは納得してるの?」

「父さんには全て話した。私のしたいようにしなさい、そう言ってくれたよ」

「したいように? それは何? 私を助け出すこと?」


 おそらく違う。きっともっと大きなことがしたくてこっちに来たんだ。そんな確信があった。

 だって、単に私を助けに来てくれただけなら、もう帰る準備をしていたっておかしくない。世界が阻もうとしたって、きっと母ならそれをぶち破る方法を探し出す。ダメなら力ずくでぶち破って父のもとへ帰るぐらいはやってのけそうな気がする。うちの両親、見てるこっちが恥ずかしくなるくらい万年新婚夫婦だから。


「今は言えない」

「なんで!?」

「時が来たら分かる」

「──そんな!!」

「ヤエカ殿!」


 思わず立ち上がった私を、それまで静観していたディナートさんが制止した。


「だって!」


 食い下がる私に向かって、彼は首を横に振った。

 色々思うところはあった。あったけど、これはきっとトップシークレットな何かが絡んでいるんだろう。それだけは分かったので、お座りくださいと言う彼の勧めに従って、大人しく腰を下ろした。

 私だって、結構この国の中枢にいると思うけど、でも中心である聖女とは立場が全く違う。ルルディや母との違いに寂しさと疎外感を覚えるのは、私がまだまだ子どもで、我ままだからなんだろう。

 和やかさと言うのは一度壊れてしまうとなかなか戻らない。壊してしまった私が言うのは何だけど、どうしよう。

 と思っていたところに、ルルディがもうすぐ開催される舞踏会の話題を出してくれたので、速攻で飛びついた。


「ルルディはどうするの? いつもみたいに最初だけ?」

「ん~。今回は最後までいるわよ。ただし、壇上の椅子にずっと座りっぱなしだけど。あ~私も踊りたい! でもヴァーロがいないからやっぱ我慢する~。ヴァーロ以外と踊りたくないもん」

「私もだ~。父さんがいないから踊らなーい」


 聖女と元聖女は惚気に忙しい。


「はいはい、ご馳走様。──ところでお母さん、大丈夫なの? 昔、着てたやつが残ってるの? あ、でもそれだと流行遅れだよね?」

「いま、作って貰ってる最中。八重香と違って主役ってわけじゃないし、既婚者だから比較的シンプルなドレスなんだ。まぁ間に合うだろう」


 だいぶアバウトな答えだけど、きっと今頃仕立て屋さんは大忙しだ。お針子さんたち、無理言ってごめんね。ありがとう!


「八重香のほうはどうなんだ? サイズが変わったりしてないか? 小物は?」

「あー。うん。サイズは変わってないし、あとは侍女さん達が完璧にやってくれてるから」


 ちょっとお母さん、ディナートさんの前で服のサイズとか言わないでよ!! 恥ずかしいから!!


「ディナート君。君も出席するんだろう?」

「はい」

「で?」

「で? ──と申されますと?」

「そんなすっとぼけなくても良いじゃないか!」

「とぼける?」


 ますます意味が分からないディナートさんは首を傾げ、全く分からない私も同じように首を傾げた。


「ディナート君。君、もしかして天然か? パートナーだよパートナー! 決まったのかと聞いているんだ」


 いやそれいくらなんでも察しろって方が無理なんじゃ? 突っ込みたいのに、突っ込む隙間がなくて娘としてはドキドキハラハラが止まらない。一体なにを言い出すんだこの人は!?


「い、いえ。我々は騎士団として──魔導国を代表しての出席ですから、パートナーは……」

「かー! 何を固いこと言ってるんだ。そっちは君の部下に任せておけば良いだろう!? ほら、何て言ったっけ赤毛の……」

「カロル、ですか?」

「そうそう! そのカロル君にでも任せておけば良いじゃないか。幸い、うちの娘のパートナーは今のところ決まっていない」


 立ち上がった母は、テーブルをぐるりと回って私の背後に立ち、両肩をポンポンと叩いた。


「え!? ええええ!? そうなのっ!?」


 知らなかった! 私のパートナーは宰相の息子さんって聞いてたんだけど、いつの間にキャンセルになったの!?

 目を白黒させる私をよそに、母と、あろうことかルルディまで加わって、ディナートさんに詰め寄っている。


「な、こういうのは早い者勝ちだ、ディナート君」

「そーよ。せっかく回ってきた絶好のチャンスをふいにするなんて、歴戦の騎士のすることじゃないわ」

「いや、しかし……」

「何を迷う事がある。さ、引き受けると言ってしまえ。さぁ!」

「男らしくバーンと言っちゃいなさいよ、ディナート! 情けないわね」

「ちょ、ちょっと待ってよ、ふたりともっ! ディナートさん困ってるじゃない。無理言っちゃダメだよ!!」


 慌てて割って入ったら、シンと静まり返った。

 明らかにホッとしたような顔のディナートさんから、私の方へ向き直った女性陣二人の目が──怖い!

 なんなの、この変な感じに憐れむような目は。

 まるで「何も知らない甘ちゃんが口出すんじゃないわよ」と「私たちの言う事を聞いてりゃ間違いないのよ、黙ってなさいこのヒヨっ子!」と「可哀想に……あなた何も知らないのね」を足して三で割ったような目。

 分かりづらいかもしれないけど、他に言いようがないこの感じ。


「エーカったら~。そうよね、そうよね~。だってエーカは知らないものね~。貴女がいなくなったって聞いた時の、ディナートの慌てっぷり!」

「そうそう。凄かったんだぞ~。なんせこの私でも腰が引けるぐらい怖かったんだからな」


 ルルディと母は、意味深にニヤニヤ笑う。


「あれを見たら……なぁ、ルルディ?」

「ええ。応援したくなりますわよね~? なんせ貴女達、気を利かせてそっとしておいたら、見事に拗れたって前科持ちじゃない。何とそしられようと、私たち仲人に徹しますわ」


 そうだ、そうだと頷き合う二人。


「私がいない間に何かあった、の?」


 ディナートさんが怒ると怖いのは前から知ってるけど……。

 視線を向けると、ディナートさんは気まずそうな顔をして視線を逸らした。耳がうっすらと赤くなってる気がして目を疑った。

 え……? 

 何やったんですか、ディナートさん!?


「聞きたい? 聞きたい?」

「聞きたいよな。よし、ディナート君には話しにくいことだろうから、ルルディと私が話してやろう。いいな、ディナート君!」

「────ご随意に」


 うわぁ。あの間の取り方はすごく嫌がってる!

 ごめんなさい、ディナートさん!

 でも、どうしても聞きたいので、今日はあなたの敵に回りますっ!!

 心の中でディナートさんに手を合わせ、母たちの話をしっかり聞くために身を乗り出した。






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