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再召喚!  作者: 時永めぐる
第三章:月を宿す乙女
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暗雲は晴れる


「退け」


 ディナートさんの低い声が響いた途端、私の前に立ちはだかっていたオレストの姿が消えた。と思ったら左側から、柔らかい物が石壁にぶつかるような鈍い音がした。ぎしぎし言う首を動かして音のしたほうを見れば、オレストが壁に背をもたせ掛けて座り込んでいる。

 力なく放り出された腕に、うなだれた首。意識があるようには見えなかった。

 えーと。

 これは、多分ディナートさんが吹っ飛ばしたってことかな。

 力が封じられてるせいか、それとも単に具合が悪いからか、ディナートさんの力の気配は感じなかったけれど。

 今しがたまでオレストがいた場所にディナートさんが立った。


「ヤエカ殿、手を」

「は、い……」


 歩けないことはないと思ったんだけど、ちょっと自信がなかった。ここは素直にディナートさんの手を借りよう。


「ごめんなさい。力を封じられたせいで体調が……」

「これのせいですか?」


 全部言わないうちにディナートさんが私の首に触れた。

 こくこくと頷きながら、どうして分かったんだろうと不思議に思う。


「やっぱり。これから酷く嫌な感じがします。──こんなものすぐに取ってしまいましょう」


 ディナートさんが忌々しげな舌打ち付きで首輪に手をかけた。


「あ、待って! 裏に刻んでる呪文に触れると力が封印されちゃいますから! 触っちゃダメ! それに私のことは後で良いですから!!」


 気を失っているとはいえ、オレストはそのまま放置になってるし、そっちを拘束するのが先なんじゃ……? 目線で問う。

 と、彼はオレストを一瞥すると、嘲るようにふん、と鼻を鳴らして、何事もなかったかのようにまた私の首輪を外しにかかった。


「ディナートさん!?」

「大丈夫です。動けないように拘束してありますから。今の貴女は力の軌跡さえ追えないんですね」


 咎めるように名前を呼んだ私に、彼は不愉快そうな声で答えた。


「上手く説明できないですけど、とにかく私の体からは力が一切放出できないようになってるらしくて」


 そのせいで具合も悪い……とは言えなかったんだけど、ディナートさんにはその状態が私に及ぼす影響を正確に推測したらしい。


「下衆が」


 短く吐き捨てた。


「多分、この首輪に触れたらディナートさんも力が使えなくなるから」


 触っちゃダメ。

 なのに、ディナートさんは私の言うことを聞いているのか、いないのか。金属の輪を矯めつ眇めつしている。


「少し触っているだけでこんなに不快なのに、貴女は何日もこれをつけているんですね。この酷い熱はそのせいでしょう? 特にこれと言った罠は仕掛けられていないようですし、貴女の状態を見る限り悠長に構えている時間もありません。破壊します。少しの間苦しい思いをさせますが、どうか辛抱を」

「はい」

「では、失礼」


 言うなり、彼の両手の指が、首輪と首の間にねじ込まれた。私の首にぴったりに作られているから、彼の指が入ればそれだけ首が絞まって苦しい。

 ディナートさんが不敵な笑みを浮かべた。


「我々、有翼族には翼とあともう一つ、面白い特技があるんですよ」


 耳のすぐそばでミシリと音がした。次いで金属が軋み歪むような甲高い音。音がするたび、僅かずつ首の締め付けが緩んでいく。


「怒りが頂点に達すると、とんでもない怪力が発揮できるんですよ。ちょうど今みたいに、ね」


 悪戯っぽく唇を吊り上げた途端、ガキン! と大きな音がした。途端に、今まで重かった体がスッと軽くなって、体の中を清水がめぐるように力が巡った。呼吸ってこんなに楽に出来るものだったんだ、と思うくらい自由に息が出来る。


「ほら取れた。まったく無粋な枷でしたね」


 と、まるで髪についたゴミがとれたくらいの軽い口調で言うディナートさんの手には、無残にひしゃげた金属片。


「す、ごい……」


 呟いたら、ディナートさんは手の中の元首輪をぽいっと捨てながら、くすくすと笑った。


「この怪力(ちから)、実用性は低いんですけどね。今日は役に立って良かった。今の私の目、少し赤くありませんか?」

「言われてみれば……」

「有翼族は本気で怒るとこうなるんですよ。そして、こうなってる時しか馬鹿力は発揮できない」


 いつもの吸い込まれそうに透明な金じゃなくて、赤みを帯びた金色をしている。さっき赤っぽく見えたのは、錯覚じゃなかったんだ。

 

「さ、聖女宮に帰りましょう。みんな心配していますよ」


 いつもの笑顔。髪を優しく撫でる指。それが当たり前のように、目の前にある。もう会えないと思ったのが、ただの夢か幻だったみたいに。

 はい、と答えるつもりで、口を開いた瞬間。


「……化け物めがっ」


 片隅から掠れた罵倒が飛んできた。


「ほう。まだ動けるのか」


 面白そうにディナートさんが笑う。けれど、目が座っていて、正直なところ、非常に怖い。迫力があるなんてレベルはとうに突き抜けている。


「僕を……侮るな、よ……」


 青い顔に無理矢理笑みを張り付けている。上目使いに睨めつけてくる瞳はギラギラと光り、さっきまで飄々としていたオレストと本当に同一人物なのかと目を疑うくらい形相が変わっている。こめかみから流れ落ちる血が、さらに彼の顔を壮絶に見せている。

 彼の唇がゆっくりと吊り上がり、嫌な予感がした。

 ほぼ同時に力が動く気配がして、どこからともなくゴゴゴ、と地響きがする。

 地震? といぶかる間もなく足元の石畳がぼこぼこと波打った。


「わ? わわわ!?」

「ヤエカ殿、掴まってください」


 まだ足元もおぼつかない私は揺れに耐えることが出来なくて、慌ててディナートさんにしがみついた。

 彼は私がしっかり掴まるのを見届けた後、オレストに向き直った。


「そこまでだ。この程度の力、私が抑えられないとでも思うか?」


 その言葉通り、揺れはすぐに収まった。


「クソッ! いいさ、僕が消えても、意思を継ぐ者は大勢いる。お前ら、化け物どもにこの国を良いようにされてたまるか! ──さぁ、さっさと殺せ」

「意思を継ぐ者か。その意思とはお前の意思か? それとも先代神官長ソロンの意思か?」

「な、なぜそれを知って!?」


 先代神官長!? ソロン!? 誰だっけ? と一瞬悩んだ後で思い出した。最初に召喚された時、私に『魔王を殺して来い』と熱心に言っていた人だ。再召喚された時は姿を見かけなかったけど、もう高齢っぽかったので退職でもしたのかなと思って、全然疑問に思わなかった。もともと高圧的な話し方をする人だったから、用事がない限り顔を合わせないようにしてたんだけど。


「我々が何も知らないとでも? まぁ、お前とソロンの繋がりは随分巧妙に隠してあった。それは褒めてやる。が、たった四日の足止めにしかならなかった。お粗末だな」

「お、お、お前ごときがあの方を呼び捨てにするなあああ!」


 オレストはそれを期に見境のない悪口雑言を垂れ流し始めた。魔導国や聖司国の政策に対する罵詈雑言に対して、ディナートさんは眉ひとつ動かさない。それが面白くなかったのか、悪口の対象はソヴァロ様や、ルルディへと移り、そして私にも矛先が向いた。

 いや、のこのこ召喚される私が悪いって、どんな言いがかりですかね。そんな馬鹿馬鹿しい悪口を聞いているうちに、オレストってこんな残念なモブキャラだったのか……って憐みが募って、なんだかもうどうでも良くなっていた。

 こんな馬鹿に付き合ってるより早く聖女宮に帰ってゆっくり休みたい気までしてきた。


「ディナートさん。もう、帰り……。あ、あれ!?」


 きっとディナートさんも私と同じ気持ちだろうと思って見上げたら、無表情なのに何故かまた目が赤色を帯びて輝いてる。


「ヤエカ殿、少しの間、ひとりで立っていられますか」

「そ、それは大丈夫ですけど、あの……?」

「ちょっと失礼します」


 体を離したディナートさんは、オレストに近づきながら、剣を抜いた。鞘走りの音がしんとした廊下に不気味な甲高さで響いた。


「さっさとやれよ」

「言われるまでもない。お前の配下は軒並み拘束してある。お前一人がいなくなったとて証言には事欠かないだろう」

「あはは! 冷静沈着、氷の副団長なんて言われてるけど、ざまぁないね」

「余計なお世話だ」


 ちょっと待って。ちょっと待って。

 何なのこの話の流れは! 証言に事欠かないとかいうけど、オレストはいちおう大事な生き証人じゃないの!? だいたい私を攫った時に使った薬のこととか、あのウザい首輪の作り方とか、一応聞いておかなくて良いの!? オレストは悪い奴だし、作ったものも極悪だけど、でも平和利用だって出来るじゃない。それに一度作れたなら他の誰かが生み出す可能性がある。むやみやたらに封印したってその時対処できないかもしれないじゃない!?

 って言うか、こんな小物、ディナートさんが手をかけるまでもないじゃん!!


「ま、待って! ディナートさん、ちょっと待ったー!!」


 大声で叫んだつもりが、まだ体力はゼロに近いのでヨレた叫びにしかならなかった。けれど、それでもちゃんと届いたらしくて、ディナートさんの動きが止まった。


「ヤエカ殿、邪魔しないでいただきたいのですが」


 振り返らないので表情は分からないけれど、相当不機嫌な声が聞こえてきた。


「しますよ、大いにします。そんな小物、ディナートさんが殺す必要なんて」

「必要? あるに決まってるじゃないですか。貴女への暴言は許しがたい」


 え? 私!? 


「そ、そんなことで!?」

「──そんなこと? 何を言ってるんですか。殺す理由には充分ですが」


 何がどうして逆鱗に触れたのかよくわかんないけど、ディナートさん、すっごいキレてない!?


「充分じゃないです。そいつ、それでも生き証人です! それに『殺せ』って唆されて殺したら、オレストの思う壺じゃないですか! 悔しくないんですか?」

「ヤエカ殿?」

「それに、私、監禁されてる間に誓ったんです。いつかそいつを思いっきりぶん殴るって! 今の私にはぶん殴るほどの力も元気もないし、ディナートさんがここで殺しちゃったら……私、ぶん殴れなかったことをずっと後悔します!!」


 ここで殺されなかったとしても、オレストにはきっと厳しい処罰を受けるんだろう。もしかしたら処刑されるかもしれない。

 この国の法に則って彼が処刑されるなら、それは私が口出しすることじゃないし、仕方のないことだと思う。だからこそ、こんなところで殺して闇に葬るんじゃなくて、彼がやった事、これからしようとしていた事をきちんと明るみに出すべきだ。


「とにかく、今殺しちゃダメです!」


 ディナートさんの背中に向かって念を押した後、呆然とした顔で私を見上げるオレストに向き直った。


「あんたの命が惜しくて言ってんじゃないからね。あんたはちゃんと裁きを受けるべきだから言ってるの。誤解しないで!」


 それが言い終わるか終わらないうちに、深々としたため息が聞こえて、ディナートさんが振りかぶった剣を下ろした。


「貴女には負けましたよ」


 顔は見えないけど、きっと苦笑いを浮かべているんだろう。


「貴女に免じて殺す事は止めました。ですが、この男、どうも油断ならない相手のようですから少しばかり、痛い目を見て頂きましょうか。せっかく拘束したのに逃げられてはたまりませんからね」

「い、痛い目……それはちょっと……」

「同情は必要はありません。貴女はこの男にそれ以上の酷いことをされてきたのですから」


 言うが早いかディナートさんは、オレストのふくらはぎに深々と剣を突き立てた。しんとした廊下にオレストの絶叫が響き渡り、私はその壮絶さに身をすくませた。人の悲鳴って本能的な恐怖を呼び起こすらしい。手の指から血の気が引いて、震える。


「安心しろ。致命傷にはならない」


 冷たい声が言い放つ。

 剣を一振りして血を払ったディナートさんは、剣を鞘に納めるとオレストの近くへ膝をついた。

 何をするんだろう? と思う間もなく、ゴキリと嫌な音が響いた。悲鳴を上げるオレストをよそに、彼は反対側へ回って……。もう一度ゴキリと鈍い音が響いた。


「これでしばらくは両手も使えない。ひとまずはこれで良しとしましょう。今は力を使うような余裕はないでしょうし、聖女宮に戻れば神官たちがどうにかして封じるでしょう」

「ディ、ディナート、さん……」


 上ずった声しか出ない。

 痛みにのたうつオレストに対して、何も感じていないディナートさんが怖かった。と同時に、ああ、彼はやっぱり戦うことを生業としてる人なんだと納得した。そして、そのことに安心する自分がいて、複雑な気持ちだった。


「怖い思いをさせてしまいましたね。申し訳ありません」


 困ったように笑うディナートさんには、もう激昂の影はなかった。


「早く、聖女宮に帰りたい、です」

「御意のままに。歩くのはお辛いでしょう? 私の首に掴まっていただけますか?」


 言われた通り、かがんだ彼の首に手を回すと、ひょいと抱き上げられた。いわゆるお姫様だっこの形だ。


「カロル、いるんだろう。その男を連れて行け。それからそこの忌々しい首輪も回収しろ」

「了解しました。首謀者オレストを連行、併せて呪具の回収を行います」


 階段の陰からカロルさんが現れて、いつもの軽い口調とは打って変わった真面目な口調で復唱した。


「行け」


 短く命じたディナートさんに一礼して、カロルさんは彼の部下らしき人数人に指示を出した。

 ディナートさんは後は任せたとばかりに、足早に歩き出す。彼に抱き上げられた私は、小さくなっていくカロルさんたちを見ながら、小さな違和感に首を捻っていた。

 カロルさんも、彼の部下たちもいつも通りな気がする。なのに、どこか違う気がする。

 しばらく考えて、ようやく違和感の正体が分かった。


「あ。そっか」

「何がですか?」


 独り言はしっかり口に出ていたらしい。ディナートさんが聞いてくる。


「ディナートさんも、カロルさんたちも今日は制服着てないんですねぇ」


 違和感の正体はそれだった。


「まぁ、色々ありましてね」

「色々、ですか?」


 色々ってなんだろう?

 不思議に思って見上げると、ディナートさんの顔には苦笑いが広がっていた。


「ええ、まあ。大して面白い話でもありませんが、貴女が落ち着いたらそのうちお話しましょう。今は休んで」

「はーい」


 彼のぬくもりが心地よくて、私は彼の胸に頭をもたせ掛けた。

 



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