再召喚のわけ
ちょ! ルルディ!! 首! 首苦しいっ。締まるから。それ締まるから!!
すごい勢いで首にしがみつかれた私は窒息して声も出ない。誰か、助けてくれる人は……。必死に視線を巡らすと、視界の端でソヴァロ様が不機嫌そうなため息を一つついた。
「ルル。浮かれるのは良いが、せっかく召喚した勇者殿が死ぬぞ」
や、それ間違ってはいないんですけど、もう少し言い方ってものがあるんじゃないですかね。あ。もしかして嫉妬ですか? ルルディが私に抱きついたから嫉妬してるんですか? ――心の声が漏れたはずないのに、ソヴァロ様がぎろりと眼光鋭く睨んできた。……図星なんですね。嫉妬なんですね。全くもって迷惑ですね!
ルルディを引きはがしたソヴァロ様は、彼女の腰を抱くようにして隣に寄り添っている。いや、そんなにがっちりくっつかなくても盗りませんよ、っと。
その場に流れる微妙な雰囲気に全く頓着しないルルディが、
「ねぇ、こんなところで立ち話もなんだから、私のお部屋で話しましょ? 侍女たちがお茶の用意をして待ってるわ!」
にこやかに告げるので、私達は移動することになった。
神官さんと魔導士さん達は後の片付けがあるらしいので清奥殿に残るけど、聖軍と魔導軍の騎士達は私たちを見送った後、それぞれ自分の持ち場に帰ったらしい。
ちなみに魔導軍って言うのはソヴァロ様のところの軍のこと。本当は魔界じゃなくて魔導国って言う名前なんだって。
聖司国の軍隊は、聖司軍じゃなくて聖軍。聖女様の軍って意味だそうだ。初めて知ったよ!
そんな他愛もない話をしながら、侍女さんがお茶の用意を整えるのを待った。この場所にいるのは、給仕をしてくれる侍女さんを除けば、ルルディとソヴァロ様、それと私の三人だけだ。
「ねぇ、ルルディ。 ちょっと痩せたんじゃない?」
さっき抱きつかれた時にふと思った疑問をぶつけてみた。こうして間近で向かい合ってみると、顔に陰りと言うか疲れたような雰囲気がうっすらと見える。
ソヴァロ様との仲がこじれているわけでないのは分かる。嫌でも分かる。猿でも分かる。ラブラブが目に痛いです。
なら、一体何が?
私が帰還した秋の初め頃は『暇になっちゃった』なんて言ってたのに、水鏡の術でエオニオの妖魔の話を聞いた秋の終わりには『ストレス解消方法を奪わないで!』ってぷりぷりしてた。
そしてあれほど頻繁に水鏡の術で話してたのに、それが段々間遠になって、その上での再召喚。水鏡の術が途絶え始めたのは、ソヴァロ様との新婚生活が忙しいからだと思って気にも留めていなかったんだけど……。再召喚されたんだから違うよね。
私の問いにソヴァロ様はむぅと唸った。その隣でルルディは『そうかしら?』なんて暢気なことを言っている。侍女さんは……聞かなかったふりをしてる。
「ソヴァロ様と仲良すぎるせいでやつれたわけじゃないでしょ?」
そう尋ねたら、ソヴァロ様の腕が肘かけから滑った。ちょっと遠くからガチャン! と陶器同士がぶつかる耳障りな音。……高そうな茶器、割れてませんよね? 最後に真正面からクッションが飛んできた。
「やだ! エーカったらなに言いだすの!!」
照れるのは良いけど物は投げないで欲しい。顔面でクッションを受け止めた私は、それをそのまま抱きこんでため息をついた。
なんだろう。この清い交際を続ける高校生カップルのような空気は……。
「もしかして、その……?」
こっちの世界とあっちの世界でどのくらい時間の流れが違ってるか分からないけど、一応それなりに時間は経ってるよね?
え? この二人、なにも進展してないの?? ――まぁ、彼氏いない歴=年齢な私が言うことじゃないけど、それってどうなの? ソヴァロ様。あなた意外と奥手なんですか?
ちらりと彼をみると気まずそうに咳払いをした。
「それどころではないのだ」
ソヴァロ様。そこは『そんなことより……』って話を変えるところなんじゃないですか? それどころじゃないなんて、暗に手を出してないって公言しちゃってますよ? 失言ですね。動揺してる動揺してる!
と。さすがにこれ以上ふざけるわけにはいかないから。私も気を引き締めた。
ちょうどお茶の用意が出来て、優しい匂いのお茶が目の前に置かれる。真ん中には美しい形に盛られた焼き菓子や、繊細な細工の砂糖菓子が並べられて美味しそうな匂いを放っている。そんな豪華な皿の数々の中の一つに、私が持参したポテトチップスも盛りつけられているわけだけど、明らかに場違い……ですね。あはは。
ルルディはその皿をちゃっかり自分の前に確保してる。本当に食べたかったんだ、アレ。
「何が起きたんですか?」
このままダラダラと世間話を続けても意味がない。私は単刀直入に聞いた。二人同時に難しい顔になった。
「エオニオの妖魔の話はいつかしたわよね?」
私はルルディの言葉に頷いた。水鏡の術で話してた頃、聞いてる。
「人とか家畜を襲うってやつ?」
「そう。その妖魔の数がここ半年で随分と増えたの。今ではエオニオ周辺の街や村の住民はみなこの聖都に避難しているわ」
「それはつまり、生活が出来ないくらい妖魔の襲撃が激しいってこと?」
確認の意味で問うと二人は同時に頷いた。
私が単身魔導国に乗り込んだ頃、妖魔の襲撃の噂なんて殆ど聞かなかった。というか村や街を襲う妖魔の話なんて半ばおとぎ話のように語られていたくらいだ。
実際、エオニオ通過に丸二日かかったけど、襲撃をうけたのはたったの一度きりだ。その時は魔族の攻撃だと思ってたわけなんだけど。
「なんで急に……」
「エオニオが覚醒期を迎えたのだ」
私の声を遮るようにソヴァロ様が言う。
「覚醒?」
「そうだ。エオニオという森ではふとした隙間から妖魔が生まれるのだ。その数は大したものではない。森には果実も獣もいる。妖魔はそうしたものを糧として生きるから、そうそう森の外へは出ぬ。だがな、覚醒期は別なのだ」
前にルルディが言ってたけど聖司国に五百年以上前の書物は殆ど残っていない。魔導国に残っている文献から覚醒期について調べるしかなかったようだ。研究の陣頭指揮を執ったのはソヴァロ様。彼が話してくれた内容はこうだ。
妖魔が生まれるメカニズムはあまり解明されていない。自然発生するのか、界を渡ってやって来るのかも不明だ。だけど、妖魔はエオニオに姿を現す。爆発的に発生する時期があって、それを覚醒期と呼ぶらしい。
まず妖魔が生じる『核』が森のどこかに発生する。そこからおびただしい数の妖魔が生まれ、聖司国と魔導国を蹂躙する。それが五百年から七百年に一度くらいの周期で起きるんだという。
「では五百年前に聖司国が滅びかけたのって……?」
「そうだ。きっかけはエオニオの覚醒期だ。その後、色々あったのだが……。その話は今は関係がない。ひとまず置いておこう」
何となく引っかかったけど、関係ないというのなら関係ないのだろう。私はそのことを頭の隅に押しやった。
「もしかして、その〝核〟を破壊できるのは聖剣アレティだけ……ってオチですか?」
回りくどいこと言い合ってても時間の無駄だし、一応ソヴァロ様の説明で状況はつかめてきた。エオニオは初めて行く所じゃないし、なんとなく話のイメージも湧く。
だから単刀直入に聞いてみたんだけど、まあ図星だよね。この話の流れで違いますって言われたらそっちのほうがビックリだわ。
「さすがエーカ!」
なんて褒められても嬉しくないです。私そんな鈍くない!
「一度に色々な話をしても頭に入らぬであろう? 今日のところはこのあたりでやめておこう」
ソヴァロ様のその一言でティータイムに突入。侍女さんが冷めた茶を下げて、新しく熱いお茶を淹れてくれた。
ルルディとお菓子の品評会を繰り広げ、ソヴァロ様はそれを傍で静かに聞いている。そんなゆったりした時間が過ぎた。
ようやくお腹が満足を覚える頃、ふと疑問に思ったことがあったので、ソヴァロ様に聞いてみることにした。
「ソヴァロ様。〝核〟ってどんな形をしているんですか?」
「それが定まっておらぬのだ」
その時によって違うらしい。大きな岩の亀裂だったり、大樹のうろだったり、酷い時には何もない空間からぽろぽろと妖魔が生まれてたって言うんだから、フリーダムすぎる。
「今回の核は?」
「まだ場所は特定できておらぬが大まかには分かっておる。特定も時間の問題だ」
どうやって特定しているんだろう。もしかして探知機みたいなのがあるのかな? と思ったら。
「なに。簡単なことよ。妖魔が多いほうへ向かえばよいのだ」
カラカラと笑う。なんとも原始的で単純明快な方法でございますね。
「ところで勇者殿。そなた、だいぶ強大な力を持っているようだが……。制御は出来ておるのか?」
「へ? 制御?」
「では、これまで術を使う方法を誰かに習ったことは?」
ないないない! 私は首を横に振った。
だって、アレティが全部やってくれるもん。ぶんって振ったらドガーン! だし、薙いだらズガーン! だし?
大体、詠唱? 呪文? 唱えて火球飛ばしたり、雷球飛ばすより、断然早いもん。
「では、ルルの申しておった通り、そなたは一切の術を使えぬのだな」
はいはいはい! 全くもってその通りです。今度は首を縦にぶんぶん振る。
「よし。分かった。では予定通り、そなたには魔導軍にて術の訓練をして貰う」
はい!? 訓練ですと!? 何でそれも魔導軍で!?
驚いて固まる私の耳に、コンコンとノックの音が聞こえた。
「――入れ」
ソヴァロ様の声が応えると、扉が静かに開いた。
「失礼いたします。お呼びによりまかり越しました」
「忙しいところをすまないな、ディナート」
「いえ」
あれ? この声、聞き覚えが?
振り返ってみると、やっぱり! さ、さっきはお世話になりました。
なんて思ってるとしっかり目が合って、にっこり笑われてしまった。何となく恥ずかしくなって目を逸らしちゃったけど、逸らさなきゃいけない理由なんてないじゃない。しっかりしろ、私。
「以前話したとおり、わが軍で勇者殿を預かることになった。すまぬが、そなたに世話役を頼みたい」
「はっ」
短く返事をして、ディナートと呼ばれた彼は軽く礼をする。その拍子に左の肩のあたりで緩くまとめられた銀の髪がさらりと流れた。ルルディの金髪も見事だけど、同じぐらい綺麗だなぁ。
「というわけで、勇者殿。そなたはこのディナートの預かりとする。残された時間は少ないが、励んでくれ」
「え?」
「核の場所が分かり次第、聖司国魔導国連合軍が総攻撃を開始します。ごめんね、エーカ。その時までしか時間を上げることは出来ないの」
「ちょ、ちょっと待って! その訓練って受けなきゃダメ?」
「エーカ、あなたには膨大な力がある。それはアレティを使役するだけじゃなくて、色々な使い方が出来るのよ? 結界を張って身を守ることも、ね。 今までの妖魔の数とは全然違うの。持てる力は全て有効に使って……万全の態勢で攻めたいの」
ルルディに諭されて私は自分が恥ずかしくなった。訓練したくないから、それだけで不満の声を上げた私は、ただの子供だ。
「……ごめん、ルルディ。出来るだけたくさんの術が使えるように頑張る」
「謝るのはこっちだわ。また巻きこんでごめんなさい……。それでも私は召喚せずにはいられなかったの。この世界を救うことが出来るならって。それもごめんなさい」
立ち上がりかけた私の手をとってルルディが俯いた。握られた手の上に、小さな雫が一つ落ちた。
「謝らないで、ルルディ。友達が困ってるんだから手伝わなきゃって思って再召喚に応えたんだよ? 私はちゃんと私の意思でここにいるんだから、そんな風に自分を責めないで。ね?」
虚勢を張って、元気なふりして。まったくルルディってば水くさいんだから!
私はソヴァロ様に視線を向けた。彼は頷くと立ち上がって彼女の肩を抱く。私はそっとルルディの手を外して、ソヴァロ様に預けた。
ルルディにはソヴァロ様がいるから大丈夫。私は傍らに立つ銀髪の騎士に向き直った。
「先ほどはどうも。岡田八重香です。これからよろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げると、彼がくすりと笑った。何でこの人はいちいち笑うかな! 私、そんなに不格好なことした?
「ああ、申し訳ありません。あまりにあなたがお可愛らしいので」
さっきもそんなこと言って誤魔化したでしょ! ますます面白くないっ。
そんな憮然とした私に向かって、彼はにこやかに自己紹介をする。
「私は、魔導軍で近衛騎士団副団長を務めております、ディナートと申します。ヤエカ殿、こちらこそよろしくお願いいたします」
流れるような声でそう言うと、優雅に一礼した。悔しいけど、見惚れるくらいには格好いい。
って! え? やだ、もしかしてすごく偉い人じゃないの!! 私、そんな偉い人に空飛ぶタクシーみたいなことをさせたんですか! それも二回も。
今更ながら冷や汗出てきた。
「早速ですが、ヤエカ殿をわが軍の待機所へご案内したいのですが、よろしいでしょうか? 我らが団長も紹介させていただきたいですし、今後のことも打ち合わせたいのです」
言われて、ちょっと迷った。
さっきルルディから、以前使っていた部屋をまた使って良いって言われたし、服も用意してあるって聞いたから、一度私室に戻りたい気はする。
完全に場違いなこの服より、前に支給されたひらひらワンピースと赤い鎧一式のほうが浮かないし、まだましだ。
でも、一刻を争うらしいし……。仕方ない。ちょっと恥ずかしいけど、このままで待機所まで行こう。
「分かりました。では案内をお願いします。――あの、この格好のままでも失礼になりませんか? ならないようでしたらこのままの恰好でお伺いしたいのですが」
ふだん使い慣れない敬語なんて喋ったから、うっかり舌を噛みそうになった。
「ご案内させていただきます。ヤエカ殿のお姿、少々変わっているなとは思いますが、とても愛らしくていらっしゃいます。そのままで大丈夫ですよ」
だからそんな風に甘く笑いかけないで下さい。イケメンに見つめられる体験なんて生まれてこのかた数えたほどしかないんです。緊張するからこっち見ないで!
「そ、そうです、か……えっと、あの、その! ――ディナートさん、そろそろ行きませんか?」
しどろもどろになりながら言うと、彼は小さく頷いた。
「そうですね。そろそろ参りましょう。――ところでヤエカ殿」
何?
「先ほどまでは親しくお話して下さいましたのに、なぜそのようによそよそしい喋り方をなさるのですか?」
びっくりするぐらい綺麗な憂い顔を向けられて、うっかり転びそうになった。
いや、何でって言われても。あなた、偉い人じゃん! 偉い人には敬語でしょ? あ。ルルディは身分越えて友達だからタメ語だし、ソヴァロ様は友達の恋人で、出会い方が出会い方だったから何となく軽い敬語どまりだけどさ。
それ以外の偉い人と話すのは緊張するのよ。ボキャブラリーが許す限り最上級の敬語で話さなきゃいけない気がするのよ!!
「いや、あの、ですね。近衛騎士団の副団長ってすごく偉い方でいらっしゃいますよね? そのような方に対して失礼な話し方はちょっと……」
「何をおっしゃっているのです? あなたはこの世に遣わされた聖剣アレティの使い手。この世を救う伝説の方ではありませんか。そのような尊いお方が一体何を……」
えええ!? 尊いとかそういうの、私に一番似合わない単語!! ――ねえ。今まで気にしたことなかったけど、勇者ってどのくらいの地位になるんだろう? ディナートさんの口ぶりからして嫌な予感しかしないんですけど。
「や、私、伝説だとか尊いだなんてことありませんから! そういうのなしでお願いします!」
念を押してみたけれど、にこにこ笑う彼の顔を見る限り全然分かってくれていない気がする。
「ヤエカ殿は奥ゆかしくていらっしゃるのですね。それに、そのように気さくで優しい方だ」
そう言って、再びにこにこにこにこ。――ダメだ。通じてない。広い廊下を歩きながら、私は大きなため息をついて肩を落とした。