いったい何なの?
お腹空いた、甘いものが食べたいと言う私のわがままに、ディナートさんはどこからか赤い果実を持ってきてくれた。
スモモのような形にリンゴのような味。
名前を聞いてみたけれど、発音がよく聞き取れなかったので、どうやらこの世界独特の食べ物らしい。この世界に落っこちた時からなぜか頭の中に備わっていた自動翻訳機能はなかなか優秀で、会話に困ることはないけれど、でも地球に存在しないものの名前はどうも翻訳不可能らしくて、時々こんなことが起こる。
「美味しいです!」
頬がきゅんてなる甘酸っぱさが美味しい! で、噛んでるとそれが純粋な甘さに変わってさらに美味しい!!
あ、これ、リンゴ飴みたいにしたら物凄く美味しいんじゃないのかな。でも作り方わかんないしなー。
なんて考えつつ、スモリン(スモモとリンゴに似てるから勝手にこう呼ぶことにした)を次々と頬張る。これ一口サイズで食べやすいって言うところも曲者だね。次から次へと手が伸びちゃう。
「それは良かった。たくさん召し上がってくださいね」
ディナートさんはにこにこ笑いながら、傍に置いた大きな籠にちらりと視線をやった。中には山のようなスモリン。完全完璧に一人じゃ食べきれない量が入っている。
もしかして私、これくらいぺろりと平らげるくらい大食いって思われているんでしょうか。いや、確かに小食じゃないし、むしろ良く食べるほうだと思うけど、それにしてもこれは……
「ありがとうございます! でもこれって凄い量ですよね。どうしたんですか、こんなに?」
「テリオ殿から頂いたのですが、恐らく詫びの意味もあるんでしょう。ありがたくいただいておきました」
「そ、そうなんですか」
そんなあっけらかんとした答えが返ってきて拍子が抜けた。
「頂いておいてこんなことを言うのも失礼ですが、食べきれないですよね。どうしましょう?」
「この果実は日持ちが良いので、今日全て食べてしまう必要はありませんよ」
でもなぁ。一人で食べるのは勿体ないと言うか。
今頃、ディナートさんの部下や西方騎士団の人たちが、明日からの旅に備えて荷造りをしている。
みんなが汗だくになって働いているのに、私一人、こんなところでのんびり食べていていいのかなって、後ろめたい気持ちになる。
「これ、皆さんにもおすそ分けしちゃダメでしょうか?」
今まで遠くから聞こえてきていた怒声や、何かを伝達する声が不意に止んで、笑い声を含んだざわめきに変わったから、彼らはちょうど休憩に入ったようだ。
こんなにたくさんあるんだもん。みんなで食べた方が美味しいに決まってる。
「それもいいかもしれませんね。さっそく参りましょうか」
「はい!」
「ヤエカ殿、そのように重いものを持ってはいけません。私が持ちましょう」
ディナートさんは赤い実でずっしりと重い籠を持ち上げる。
その軽々とした仕草に、今さらながらディナートさんと自分の腕力の違いを思う。着やせするタイプなのか、こうしてみる分には細く見えるけど、鍛えてるんだろうなぁ。私のことだって片手で軽々と持ち上げちゃうしね。
「どうかしましたか?」
「あ、いえ。何でも」
私は慌てて彼の後を追った。
建物の裏手へ回ると、予想通り、あちこちに座り込んでみんな休憩を取っていた。
西方騎士団の方々には見慣れない顔が多いのは、ここで人員が交代になるからだ。西の砦から帰還した騎士たちはここに残り、核との戦いの時この街に残った騎士が、今度は聖都まで同行する。
報告するために都へ上がる西方騎士団長さんの護衛と、この国の地理に疎い魔導国軍の道案内や各地の住民との橋渡し役を担ってくれる。
みんなにスモリン(何度発音してみても上手くいかないので、やっぱりこの名前を貫く!)を渡し、私も適当な場所に座り込んだ。
ディナートさんと並んで座るのはちょっとドキドキだけれど、さっきみたいに抱き着くよりはマシ、抱き着くよりマシ! と思えば多少は落ち着く。
なんとなく車座になっておしゃべりをしているんだけれど、話はいつの間にか筋肉談義になっていていた。筋肉へのこだわりって国が違っても立場が違っても、騎士にとっては共通の関心事なんですね! 多分、ディナートさんの部下と、西方騎士団の新しい騎士たちは今日の朝に初顔合わせをしたはず。休憩が始まった時だって微妙にぎくしゃくした感じがあった。
なのに、今では和やかかつ暑苦しく談笑しているじゃありませんか。恐るべし筋肉。
みんなの筋肉への情熱にちょっと引きつつ、どうか誰も服を脱ぎだしませんようにと密かに祈った。
「ヤエカ様! ここにいらしたんですか」
背後からいきなり聞こえた声に、ぎくりとした。隣のディナートさんも微笑を引っ込めて、ちょっと険しい顔になっている。
私の耳が間違ってなければ、今はあまり聞きたくない人の声だぞ、これ。
振り向けば……やっぱり。
「テリオさん……」
「先ほどはどうも。ご歓談中申し訳ないのですが、少しばかりご同行願えますか?」
「え? えと……?」
「それは、どういうことですか」
私の疑問符に、冷たい声が重なった。
ひぃ! 怖いっ。ディナートさん、怖い! 明らかに取って付けました的な笑顔で言うからなおさら怖い。ほ、ほら、今まで筋肉談義してたおにーさん達までつられて雰囲気悪くなってるじゃない!
「あ、やだなぁ。そんなに邪険にしなくたっていいじゃないですか。私はただの伝達係ですよ、ディナート殿」
ピリピリ張りつめた空気の中、のほほんと手を振ってるテリオさんはやっぱり大物かもしれない。だけどこれ以上険悪なムードになっても辛い。頼みの綱のディナートさんは一番機嫌悪いし、ここは私が何とかしないと!
「あの! 私に用って何ですか?」
「ええ、実は今、聖都から水鏡の術で連絡が入りましてね。ルル……失礼。聖女様が至急、貴女と話したいとおっしゃっておられるのです。申し訳ありませんが、ご足労願えますか?」
「ルルディが? 分かりました。ご一緒します」
「ヤエカ殿!」
眉を吊り上げるディナートさんを制止して、テリオさんに向かって続ける。
「ディナートさんと一緒でも構いませんよね?」
「もちろんです」
「分かりました。じゃあ行きましょう」
水鏡をつなぎっぱなしなら、術者に負担がかかる。人並み外れた力の持ち主なルルディのことは心配してないけど、こっちの術者さんが可哀想だ。少しでも早く行かないと。
振り返るとディナートさんは無言で頷き、私の背後に控えてくれる。
いつも通りやや左側に。
それが左目の見えない私にとってどれほど心強いか。ディナートさんはきっと知らない。
テリオさんに案内された部屋は薄暗く、中央に大きな水鏡が置かれていた。
それを囲むように術者と、テリオさんのお父さんでこの館の主であるペルノさんが立っていた。
「ヤエカ様、お呼びたてして申し訳ございません。さ、こちらへ」
ペルノさんに促されて、私たちは水鏡のそばへ寄った。
明るく光る水面をのぞき込んだ途端、ルルディの鈴のなるような声が聞こえてきた。
「あ、エーカ! 久しぶり。ちょっと聞きたいことがあるの。いいかしら?」
「う、うん。久しぶり。この前は砦まで来てくれてありがとう」
水鏡の向こうでは相変わらず美しいルルディが、こちらへ向かって身を乗り出している。彼女がこんなに気を逸らせてるなんて珍しい。何か重大な事件でも起こったのかなと身構える私に、ルルディはビシッと人差し指を突きつけた。
「ねぇ、エーカ。聞きたいことがあるの。いいかしら」
「良いけど……」
軽い挨拶もすっ飛ばすなんて、何でそんなに焦っているんだろうと思いつつ、勢いに飲まれた。
「あなたのお母様の名前は?」
「岡田恵梨香」
「オカダ、エリカ……。そう。エリカ、ね。──じゃあ、次の質問。お父様のお名前は?」
「岡田篤郎」
「アツロウ……」
父の名前を呟いた後、ルルディは何かぼそぼそと独り言を呟いたけど、うまく聞き取れなかった。「ここまでは合ってるわね」とか何とか言ってたように聞こえたけど、意味不明だ。
「エーカに兄弟は?」
「……弟がひとり」
「名前は?」
「……晴章」
「歳は?」
「十八歳。ねぇ、ルルディ、いきなりどうしたの? 何でそんな質問──」
「エーカの初恋はいくつの時? 相手の名前は?」
「えええっ!? な、な、な」
なぜ、今それを聞くの!?
やましいことはないけれど、でも、ディナートさんに答え聞かれちゃうのはちょっと気恥ずかしいと言うかなんというか、恥ずかしいじゃないの!!
「え、そ、それは!? い、いま答えなきゃいけないことなの!?」
「いけないことなの! いいから答えて。初恋がダメなら、エーカがいつまでおねしょしてたかでもいいわよ!」
「お、おねっ!?」
おねしょ!? そっちのほうが嫌だあああ!! だいたいその綺麗な顔でおねしょとか言うな。同性の私でもなんかドキドキするじゃない。周りにいるみんなだってきっと居心地の悪さに顔を赤らめているは……ず……って、あれ?
なんだかすごく真剣な顔でじっと見られてる?
とても冗談なんて言えない雰囲気だ。事情が呑み込めない不安から、ディナートさんを見上げると彼は小さく頷いて視線を水鏡へと移した。恥ずかしがってないで、答えた方がいいってことかな。
「う……分かった。答える。初恋は四歳の時。相手はひまわり組のさいとうしんじ君……」
「全部合ってるわ。どうやら本当のようね。道理でおかしいと思ったのよ!」
一人で納得している様子のルルディに反して、私の方は何が何だかさっぱり分からない。
「ルルディ! 一人で納得してないで、いったい何なのか教えてよ!」
「説明長くなっちゃうから術者の力が持たないわ。こっちへ帰ってきたら話すから、なるべく早く帰ってきてね。でも、凱旋なんだから街や村に寄るのは省略しちゃダメよ。じゃあね!」
無茶ぶりを置き土産に通信はぷつんと切れた。
あとに残るのは天井の模様を映す暗い水面だけ。
「ねぇ、ディナートさん。今のあれは何だったんでしょう?」
「さぁ……。私にもさっぱり」
「ですよねぇ」
「とりあえず、今から旅程を見直しましょう。途中の街や村に寄るのを変更せずに急ぐのであれば、それ以外のところで時間を短縮しなければなりません。ある程度の強行軍は覚悟してください。よろしいですね?」
「はい!」
ディナートさんは明日からのスケジュールを変更するために、ペルノさんやテリオさんとの打ち合わせをはじめ、私はそばにあった椅子に座って、彼らの姿をぼんやりと見つめていた。
頭の中では、何で? どうして? という疑問と、早く理由を知りたいと言う焦りがせめぎ合っていた。
打ち合わせは短時間で終わり、ペルノさんとテリオさんは慌ただしく部屋を出て行った。ディナートさんもカロルさんたちに指示を出さなきゃいけないし、そうのんびりしてもいられない。
「明日から忙しくなりますから、今日はゆっくり休んでくださいね」
「はーい! でも、早起きしなくて済んで助かりました」
正直に答えたら、彼は小さく肩を竦めた。
「だからと言って気を抜いていると寝坊しますよ?」
なんて小言を頂戴したけれど、でも実際に寝坊しそうになったらディナートさんが起こしてくれると思うけどね。
翌日、私は当初の予定通りの時刻に起きて、身支度を整えた。
とりあえずディナートさんに叩き起こされる事態だけは避けられたのでほっと一安心。出来ることなら寝起きの姿は見られたくないしね!
旅装に身を包んで、アレティを腰に佩き、前庭に下りれば、すでにみんな揃っていた。 厳しい顔でカロルさんに指示を出すディナートさんを遠くから眺める。
いつもながら格好いいなぁ。
なーんて思って柱の陰から覗いていたんだけれど、すぐに見つかってしまった。
「おはようございます、ヤエカ殿」
「お、おはようございます。え、と。その……いい天気ですね!」
朝陽より綺麗で眩しい笑顔を向けられて、ドキドキする胸を抑えるのが精いっぱい。返事がちょっとどもっちゃったのは仕方がない。
「ええ、本当にいい天気ですね。出発に相応しい」
更なる笑顔に、頬が火を噴きそうです。笑顔の暴力はやめてください! ……って面と向かって言ってみたい。いや、絶対出来ないけど。
「そろそろ時間ですよ。道にはもうたくさんの住民が出ているようです。一昨日と同じように背筋を伸ばして堂々としていてください。いいですね」
「はいっ!」
背筋を伸ばして、元気よく答えたら、ディナートさんはよくできましたと言うように目を細めて頷いた。そして、私に向かって右手が差し出されたけれど、それは宙で止まり、数瞬の後、静かに下ろされた。
ディナートさんの顔には、自分の行動が信じられないと言うような驚きの色が見えたけれど、それはすぐに無表情の仮面の板に隠れてしまった。
「さ、そろそろ行きましょう」
そう告げて踵を返した彼の後姿を、私は悲しいような、ホッとするような気持ちで見つめた。
差し出されたあの右手。それはきっと今まで何回もそうしてくれたように、私の頭を撫でるために差し出されたものだと思う。
ああ、そうか。もうあの大きな手で頭を撫でてもらうことはないんだな、と思えば胸にずきんと痛みが走る。
けど、もうすぐ彼とは別れなきゃいけないんだし、こうやって少しずつ距離を置いて、さようならする時の寂しさを少しでも軽くしたいとも思う。
「ヤエカ殿、どうしました?」
「ごめんなさい! すぐ行きますっ」
慌ててディナートさんに駆け寄り、見送りに出てくれたペルノさん達と別れの挨拶を交わす。
テリオさんはいつも通り柔和そうに見えるのに、どこか胡散臭い微笑みを浮かべながら、ペルノさんの後ろに待機していた。
お世話になった方々一人ひとりに挨拶をしたのだけれど、その最後の一人がテリオさんだった。
「この三日間、色々とお世話になりました」
「短い間でしたがお会いできて良かった。機会がありましたらまたお立ち寄りください」
嫌味を込めて『色々』を強調してみたんだけど、テリオさんはしれっと笑顔を返してくる。
残念ながらもうすぐ日本に帰るもんね! もうテリオさんとは会わないもんね! 心の中で舌を出しつつ握手を交わした。
手を離そうとした途端、もう一度強く握られ、軽く手を引っぱられた。
「道中も、聖都に着かれてからも、どうかお気を付けて。出来ればこれからもあの子の友人でいてやってください」
バランスを崩して少し前のめりになった私の耳にそんな言葉が囁かれた。その口調には今までにないほど真剣な響きがあって、私はまじまじと彼の顔を見つめた。
真剣な瞳で小さく頷く彼に、私も無言で頷き返す。物凄く喰えない人だけど、彼の今の言葉は本心だと信じられる気がしたから。
「ヤエカ殿」
背後からディナートさんに声をかけられて、我に返った。
そうだ、ぼんやりしてる時間はない。
私はもう一度、見送りに出てくれている館の皆さんにお礼と別れの挨拶をして、ディナートさんの馬へ引き上げてもらった。
来た時と同じように、隊列の前のほうへ進む。
高くなった視界と単調な揺れが、なんだか久々に思える。馬に乗らなかったのは昨日一日だけなのにね。
ディナートさんは西方騎士団長さんの隣に並ぶと、馬を止めた。すかさず投げかけられた「参りましょうか」と言う騎士団長さんの問いに、ディナートさんと私はは無言で頷く。
「では、出発!」
騎士団長さんの野太い声があたりに響き渡り、それと同時に館の門が開けられた。
館から真っ直ぐ続く道には、まだ朝だと言うのに沢山の人が待ってくれていた。
本当は少しでも早く出発したかったけれど、例えば夜も明けきらないうちからそそくさと出て行ったら、やっぱり格好がつかない。だから、出発時間は当初の予定から変えることはせず、街の城門を出たら、行軍の速度を上げることになっている。
さようなら、と手を振ってくれるみんなの姿を見れば、急いで出立しなくて良かったと言う気持ちがこみ上げてきた。
予想以上にたくさんの人から見送られながら、私たちは堅牢な城門をくぐり西都を後にした。
目の前に広がるのは広大な緑の平野。そしてその中を突っ切る一本の街道。聖都へ続く道だ。
さぁ、帰ろう。聖都へ。そして日本へ。




