異世界よ、こんにちは
「勇者殿。どうぞ」
「は、はい。失礼しま、す……」
彼の首筋に両腕を回して抱きつく。
男の人とこんなふうにぴったりくっつくなんて! って頭の隅で思うけど、考えてみれば二度目だし、それに彼は硬そうな鎧着てるし、何の問題もない! よ! ね!
「しっかりお掴まりになられましたね?」
彼は優しい声で念を押した。私が無言で頷くのを確認して、私の腰に手を回した。そしてもう片方の手を私のお尻の下に回して、座らせるように抱きあげる。
「ごめんなさい。重いですよね……」
一応標準体重内だけど、でも乙女としては気になる。
「いえ、全く。むしろ貴女は少し軽すぎる」
くすりと笑われて、私は真っ赤になった。
この格好で! 至近距離で! そんなに甘く笑うな! 腰が抜けるわこんちくしょう。
いえ、その、あの、でも、なんて言葉にならない言葉をもごもごしていると、不意に重力が消えた。
「いっやあああああああああああああ!!」
そう言えばルルディがさっき、環境改善したって言ってたっけ。真っ暗闇じゃなくてほの暗い闇だ。うん。一応、真っ暗よりは怖くない。
けどさ。けどさ。
やっぱり慣れないよ、この無重力!!
絶叫マシン嫌いじゃないんだけど! むしろ大好きなんだけど! これは別。これだけは本当に無理。
私は思いっきり彼の首筋にしがみついた。しがみついて、しがみついて、しばらくしてからふと思い至る。
――私、思いっきり彼の首絞めてるんじゃないか? ってことに。
慌てて顔を上げれば彼の平然とした顔があった。私の視線に気付いてこちらに顔を向けてくる。
「どうしました?」
「首、締めてごめんなさい」
素直に謝ったら、爆笑された。
「あはは! もっと力を入れて頂かないと私の首は締まりませんよ? ――このように細くか弱い腕で貴女は聖剣アレティを使役するのですね。不思議な御方だ」
なんか妙に感心してくれてるけど、だって私がアレティを使えるのは、あいつのチート能力のお陰だし。鞘から抜いて、『こいつと、こいつと、こいつ倒す』って心の中で思えば、あとはアレティと体が勝手に動いて戦ってくれるし。はっきり言って私は何の努力もしていない。
けれど、そんな内情をばらして良いものかどうか判断付かなかった私は、適当に笑って誤魔化した。魔族と人間は和解したけど、何でもオープンにするのは良くないよね?
あとでルルディに確認しよう。
そんな事を考えていたら、不意に落下速度が緩んだ。
あれ? と思ったら、青年が背中の翼を優雅に動かしている。
私、すごく不思議そうな顔をしてたんだろうか? 彼は、私の腰から片手を外して、足元の方向を指差した。うっすらとした闇の中に、一条の光が見える。あれは……
「出口?」
「ええ。間もなく落下が終わって、体に重みが戻るでしょう。お気を付け下さい」
言われて私は、彼の首にしがみつき直した。
「……お手数をおかけします」
そう言うと、また笑われた。なによ、真面目に謝ってるのに!
「ちょっと! あなた笑いすぎっ」
「申し訳ありません。貴女が可愛らしくて、つい」
つい……じゃないっつの! なに言いだすのこの人はっ。
「そういう冗談はやめていただけますか?」
殊更冷たい口調で言ってみたけど、彼には通じなかったらしい。平然としたまま面白そうなものを見る目で私を見ている。
なんか、ムカつく! 私は彼の視線を無視して、足元を見た。光はどんどん大きくなってきてる。
「――絶対に落としませんから」
耳元で、今までは違った真摯な声がした。
「貴女は安心して私の腕の中にいて下さればいい」
腰にまわされていた手が動いて、私の背中に沿う。今までよりも、もっと彼に抱え込まれるような姿勢で……まるで親に抱っこされてる子供みたい。
恥ずかしくていたたまれないけれど、それと同時に妙な安心感もあって、パニック通り越して思考停止しそう!!
足下の光が耐えられないくらい眩しくなってきたのをいいことに、私は彼の声に答えないで、ぎゅっと目をつぶった。心臓がパンクしたらこいつのせいだ。そんな悪態をつきながら。
目をつぶっていても瞼の裏がものすごく明るくなって、光に飛び込んだんだって分かった。きーんと不快な耳鳴りがする。うう。軽い頭痛がする。けど、この状況じゃこめかみすら揉めないよ。
なんて眉を寄せながらそろそろと目を開ければ、私達は召喚陣が放つ光の柱のほぼ真ん中に浮かんでいた。
召喚陣は、例の一回目の召喚の時と同じ場所――正式には清奥殿っていう名前がついてるらしいよーーに作られていた。
まぁここって大がかりな術をするところらしいから、召喚されるならここに出るだろうなって思ってたけど、予想通り。宙に浮かんでるのは予想外だけど。
陣の傍には、髪を綺麗に結いあげて淡いピンクのドレスをまとったルルディ、その隣に黒い軍服みたいなかっちりした服に長いマントのソヴァロ様が立っていた。
そして階段の下には白い服の神官さんと銀の鎧をつけた聖軍の騎士達。その隣に、黒い服の……多分、魔界の魔導士さん達かな? それと私を抱えている青年と同じ黒い鎧をつけた騎士達が片膝をつきながら頭を垂れている。
上から見ると圧巻だけど、あの人たちのところに降り立たなきゃいけないわけよね。すごく威圧感ありそうな方々の集団で……。ものすごく緊張するんですけど。
そんな事を考えてるうちに、私は青年に抱かれたまま召喚陣の上へ降り立った。どうやら、あのかったーい水晶の寝台を取っ払って召喚陣作ったっぽい。
ぱさり、と最後の羽ばたきを終えて、青年の翼は姿を消した。ああ、消えちゃうなんて勿体ない。あんなに綺麗なのに。
「消えちゃった……」
つい零した私の耳元で、青年がふっと小さく笑った。
「ご所望ならまた今度」
私にしか聞こえないぐらい小さな声で囁くと、何事もなかったように私を腕から降ろして立たせる。
私が一人でちゃんと立てることを確認すると、彼は私から体を離して優雅に一礼した。そのまま黒い集団の脇まで下がって、みんなみたいに片膝をついて頭を垂れる。
何となく心細さを感じたけど、それはすぐに頭中から吹っ飛んだ。
だって! ルルディが! タックルの勢いで抱きついてきたんだもの!!
受け止めきれずに後ろに倒れる私。
そんなこと気にしないできゃあきゃあとはしゃぐルルディ。
一気に氷点下な空気を醸し出すソヴァロ様。
見えないけど、階段下からは戸惑いやら呆れの雰囲気がひしひしと感じられて。
そんなこんなですが。とりあえず、まぁ……。
こうして私は再び異世界に召喚されました。