月の裏側
ペルノさんとテリオさん、そしてディナートさんと私。四人の夕食は和やかに始まった。
私の目の前にペルノさん。その隣にはテリオさんが、私の隣にはディナートさんが座っている。因縁の二人が真向かい!? って最初は心配したけど今のところ大過なく過ごせている。
『料理長が腕によりをかけて~』と言っていた侍女さんの言葉通り、疲れが吹き飛ぶくらい美味しいお料理がたくさん並んだ。みずみずしい野菜と、川でとれる魚がふんだんに使われた料理の数々は目にも美味しい。
行軍中の食糧は保存がきくように加工された食品がほとんどで、新鮮な素材を使って作られたお料理は砦を出て以来初めてだ。
この西都周辺は天候が安定していて、大河はないけど小さな川が何本か流れているので、農耕が盛んなんだそうだ。そう説明してくれるペルノさんに相槌を打ちながら、私はせっせとお料理を口に運ぶ。
聖都にいた頃、料理のマナーについては周りの人から教えて貰ったからある程度はこなせる。覚えておいて損はないと言って、ビシビシしごいてくれた聖女宮のみんなに感謝しなきゃね。
ナイフで一口大に切り分けた鶏肉からじわりと透明な肉汁がにじみ出て、お皿に零れていく。持ち上げた時肉汁が滴って服やテーブルを汚さないように気を付けて口に運んだ。
――美味しい。すっごく美味しい。
塩と香辛料のシンプルな味付けだけど、皮がカリッと焼けてて香ばしいし、肉も柔らかくてよく味がしみている。
頬がじんとするくらい美味しくて、顔がゆるんじゃう。
ああ、幸せー!
ゆっくり噛みしめて、味わって、飲み込んで。続けてもう一口食べようとお皿に向き直る途中で、はす向かいのテリオさんと目が合った。合って、しまった。
気付かなかったふりで無視しようかと思ったのに、絶妙なタイミングで彼が口を開いた。
「お気に召しましたか?」
「――ええ。とても」
少しよそよそしかったかな? でもまぁ通常の範囲内でしょう。大丈夫大丈夫。ちらりと横目でみたディナートさんは、穏やかな微笑を浮かべてテリオさんと私のやり取りを眺めている。
「それは良かった。――そちらにある……ああ、それです、それに野菜と共に挟んで食べても美味しいですよ」
「……ありがとうございます」
テリオさんの言うとおりにするのはちょっと癪に障ったけど、確かに美味しそう。
彼が指したのはトルティーヤの皮みたいなパン(?)だ。それに肉と野菜を乗せて、くるくるっと巻いた。
いただきまーす!
「美味しい!」
「そうでしょう?」
思わず漏らした私に、テリオさんが嬉しそうに笑った。その笑顔に、つい『そんなに悪い人じゃないのかな』なんて思いそうになってしまって慌てて気を引き締める。
あんなこと言う人が良い人なわけないじゃない。騙されちゃダメだ。
「え、ええ」
曖昧に返事をして、失礼にならないように視線を逸らした。
「ヤエカ殿」
隣のディナートさんが小さく私を呼んだ。
「手首、どうかなさったんですか?」
「え?」
「先ほどから時折、手首を抑えているでしょう? 痛みでも?」
小声で尋ねてくるディナートさんの言葉で、私は初めて自分が手首をさすっていることに気が付いた。
――さっきテリオさんに掴まれた手首だ。
痛みはない。痕も残っていない。どうやら私はテリオさんと話をするたびにその手首に触れていたみたいだ。
元凶であるテリオさんをちらりと盗み見たら、彼は私の視線に気付いて、してやったりって顔で笑った。
悔しい。
彼の言ったこと、やったことが確実に私を揺さぶっている、と。教えてしまったようなものだ。
私は彼の鼻持ちならない笑顔を無視し、ディナートさんに「何でもない」と告げて、食事の続きに戻った。
夕食の後、少し歓談をしたので解散になったのはだいぶ時間が過ぎてからだった。
静まり返った離れの廊下をディナートさんとふたり連れ立って歩く。かつんかつんと二つの足音が絡まって、驚くほど高く響く。
ディナートさんの後をついて行きながら、ヒールの歩きにくさに懐かしさを感じていた。
日本にいる頃は普通にヒール履いていたけど、こっちに来てからはずっとブーツだったから。ヒールを履いていない時間が長いってことは、それだけこっちに来てから長いってことだ。
時間的にはそんなに経ってない。むしろ一度目の召喚の方が時間が長かった。でも、今回は色々あったから、日本にいたことが遠い過去みたいに思える。
早く、日本に帰りたい。皆に会いたい。
けど、帰ったらディナートさんとはもう会えないんだろうな。会えたとしても水鏡越しでしか……。こっちに残れば、たとえ住む国が違っても会える可能性があるんじゃない?
――ダメ。それ以上考えちゃダメだ。
ディナートさんは私の先生で、後見人で、一緒に戦ってくれた仲間。それ以上でも、それ以下でもない。なのに、私は今、いったい何を考えた?
役目が終わったらディナートさんは魔導国に帰る人だ。私との関係はそれで終わる。分かってるはずのその事実をもう一度自分に言い聞かせる。
彼が私と一緒にいてくれるのはそれが任務だからだ。優しいのは彼の性格がそうだからだ。勘違いしちゃいけない。
均整の取れた彼の背中をじっと見つめながら、ぐちゃぐちゃに絡まった気持ちを持て余して、全部なかったことに出来たらいいのにと願った。ディナートさんがもっと冷たい人だったら良かったのに。そんな恨み言まで心に浮かぶ。
物思いにふけってたのがいけなかったのか、毛足の長い絨毯に足をとられた。
「あっ!?」
まずいと思った時にはもう手遅れで、体が傾いでいた。
「ヤエカ殿!」
異変に振り返ったディナートさんがとっさに私の体を支えてくれた。差し出された彼の腕にしがみつきながらホッと胸をなで下ろした。
「ご、ごめんなさい!」
「大丈夫ですか?」
「あ、はい」
「それは良かった。では、参りましょう」
私の答えに頷いた彼は腕を解いて、またさっきみたいに少し前を歩く。
彼の態度に違和感を感じたけれど、その違和感の正体は全く分からなかった。何がおかしいのか分からないまま、私は彼の後を追った。
私に宛がわれた部屋がある階は、私の部屋以外は空き部屋で、二つある階段の下では兵士が二人ずつ見張りについてくれている。
ディナートさんと私の姿を見て道を開けてくれる二人に、軽く一礼して階段を上がった。
他人に身の回りの世話をして貰うことに慣れていないので、ペルノさんへお願いして侍女さんたちには下がって貰っている。
だから、階段を上がりきって到着したフロアは不気味なほど人の気配がなかった。ちょっとまずったかな、別の部屋に一晩お泊りして貰えば良かったかななんて思っちゃった。
い、いや、そんな我がまま言うわけにはいかないよね。
階段の下には合計四人の見張りがいるし、それにディナートさんの部屋だってある。
何かあっても何とかなるよね。うん。
「ディナートさん、ありがとうございました。おやすみな――」
「少しお話があるのですが、これから時間をいただけますか?」
「え? 話?」
声を遮るなんてディナートさんにしては強引な話の進め方だ。ちょっと『あれ?』って思ったけど、何か急ぎの用事なのかもしれないと考え直した。
時間が欲しいとわざわざ言うからには、込み入った話なんだろう。
疲れてて立ち話をする気力もないし、もしかしたら下の見張りに聞かれたくない話かもしれない。
「――どうぞ」
砦にいる頃だって何度も部屋に入って貰ってたし、私は躊躇することなくディナートさんを部屋に招き入れた。
「失礼いたします」
背後でぱたんと扉が閉まる音がした。ぎくりと体が強張る。
「え?」
おかしい。どうして扉が閉まる音がするの?
ディナートさんが私と同じ部屋にふたりっきりになる時は、部屋の扉を閉めない。
私が怪我をして寝込んでいた時は、室外の騒音が体に障るかもしれないという配慮で、例外的に閉めていたみたいだけど……それは本当に例外中の例外だったはず。
「ディナートさん?」
恐る恐る振り返ろうとしたら、片手を取られた。骨が軋むんじゃないかと思うくらいきつく握られて、うめき声が漏れた。
「いたっ! ――離し……」
「あの男に何をされたんですか?」
総毛立つほど低い声が尋ねる。
「な、何を」
「とぼけなくていい。あの男に何かされたんでしょう? ――例えばこの手」
捕えられたままの手がぐっと上に引っ張られる。彼の顔の前まで引き上げられた。振りほどきたかったけど、彼の力に敵うわけもなくて。
彼の考え次第では、片手で体を吊り上げられることにもなりかねない。そうしたらほぼ確実に腕か肩かもしくは両方が抜けるだろう。
まさかそんなことしない、よね? ……とは思うけど、やりかねないって思っちゃうくらい彼の目は冷たく光っている。
「やっ! 離して!」
「あの男が話すたび、貴女はここをさすっていましたね? 私が気が付かないと思いましたか?」
――バレてた。
背中を冷たい汗が滑り落ちた。
ディナートさんの顔には暗い笑みが浮かんでいる。口の端が酷薄に吊り上がって、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「先ほど貴女は言いましたよね。隠し事はない、と」
一語一語区切るように語られるそれに対して、私には答えるべき答えがない。彼から逃げるように目線を逸らしていると、さらにグッと腕を引かれた。
怖くて反射的に彼を見上げる。
私を見つめ返す彼の目に得体のしれない暗い陰りが見えて、ぞっとした。緊張で指先やつま先がピリピリと冷えていく。
「これは隠し事ではないんですか?」
彼の形の良い唇が、私の手首に触れた。夜の気温に冷えた手首に彼の熱が移って、一瞬火傷するんじゃないかと思うくらい熱く感じた。
「っ!?」
驚きで目を見開く私を、彼は冷たくてどこか艶めかしい顔で見下ろす。
反射的に振りほどこうと手に力を込めたけれど、当然びくともしなくて。抵抗するなと言うことなのか、それまで触れるだけだった唇が開いて、軽く歯を立てられた。
「ひっ!?」
どうしてこんなことするの!?
隠し事をしたことやそれを問い質したいって言うのは分かる。
けど、でも! それならこんなことしなくたっていいじゃない。いつも通り、理路整然と問い詰めてくればいいじゃない。
なのに、何で? 酷い。
「は、離して! 離してください! 嫌っ!!!」
「なら、言いなさい。あの男に何を言われたのかを」
「そ、それは……」
さっきは話さないでおこうと決めたけど、こうなったからには話した方が良いのかな。でもどこからどう話したら良いの?
そんなふうに迷っていたのを、ディナートさんがどう解釈したのか。彼は大きなため息をひとつ吐いた。
「嘘をついたり、隠し事をしたり。貴女は悪い人だ。――言いたくないならそれでも構いませんよ。おおかたの見当はついていますからね」
嘲るように笑ったディナートさんが、不意に掴んでいた手を離した。拘束が解かれた、と頭が理解するより先に、体がふわりと浮いて世界がぐらりと揺れた。
耳元でどさりと言う音がして、揺れが止まる。
「あ……」
目の前に私を見下ろすディナートさんがいる。そしてその向こうに見えるのは、壁じゃなくて……天井!?
彷徨わせた視線と、体に感じる感触から、ようやく事態を理解した。私はソファに寝転がってる。そしてその上にディナートさんが覆い被さるようにして私を押さえつけている。
「ディ……ディナートさん!? 退いてくださ――」
「それは出来ない相談ですね。師の言い付けも守れない不出来な弟子には再教育が必要だ。――そうでしょう?」
そんな残酷な言葉が彼の口から漏れた。
「っ!」
彼の下から抜け出そうと足掻いたけれどびくともしない。それどころか足掻くほどに拘束がきつくなっていく。
逃げられない。
それの事実をまざまざと突きつけられて、顔から血の気が引いた。震えてしまいそうで、私は奥歯をぎゅっと噛みしめた。
「そろそろ諦めがつきましたか? 馬鹿ですねぇ。そんなに細い体で私から逃げられるわけないでしょう?」
楽しげな忍び笑いが彼の口から漏れる。
私はそれを信じられない思いで見つめた。




