暗雲はまだ見えない
いがみ合ってる(?)わりに一度事務的な話に入れば話が合うようで、ディナートさんとテリオさんは短時間で一通りの確認を終わらせた。
おかげで私たちはすぐに旅装を解いて寛ぐことが出来た。
私とディナートさんが個室で、後の皆はそれぞれ二人で一部屋。
テリオさんの案内で通された部屋は豪華だけど、それを嫌味に見せないように品良くまとまっていた。淡いブルーで統一されていて、眺めているだけでも気持ちが落ち着く。
二部屋続きになっているようで、奥の部屋へ続く扉があった。空気を篭らせないためか扉は開け放たれている。奥は寝室らしい。開け放たれた扉の向こうに、天蓋つきの見るからにフカフカそうなベッドがある。
ああ、ベッドが私を呼んでいる。早くこの堅苦しい鎧を脱いで、テーブルにアレティをポイして(アレティごめん)、あのふっかふかにダイビングしたいんですよ! あ、でもその前にお風呂入ってこの砂埃にまみれた体を洗わないとお布団汚しちゃうよね。
お風呂! ほかほかのお風呂! 久々のお風呂!!
いっぱい泡立つ石鹸で全身を洗って、それからゆっくり湯船につかって……
――と、妄想を繰り広げる私の脇をすり抜けて、ディナートさんが部屋へ入る。
毎回恒例のお部屋チェックだ。
クローゼットの中やベッドの下、バルコニー――人が隠れられる場所、毒を持った生き物を仕込めるような隙間、思いつく限りの場所を探すディナートさんを、部屋の真ん中で腕組みをしたテリオさんが眺める。
彼がディナートさんの手伝いをしないのは、やましいところがないと言う意思表示だろう。
まぁ彼が手伝うと言い出したとしても、ディナートさんは断ると思うけどね。手伝うふりをして毒をどこかに仕込まれたらたまらないって考えてそうだもん。
私なんてただ核を倒すために呼ばれただけで、権力も何も持ってないわけだし、暗殺したいと思う人なんていないと思うんだけどね。以前、ディナートさんにそう言ったら、考えが甘いと叱られちゃった。
「世の中には様々な人間がいるのです。その中には貴女の持つ『勇者』と言う称号に、貴女が想像もつかないような価値を見出す人間もいるのです。いくら警戒しても、し過ぎると言うことはありません。そのあたり、もう少し自覚を持って頂きたい。良いですね?」
とうとうと流れるような説明の最後に念を押されて、私はそんなものかと思いつつ頷いた。
けど、ディナートさんは私がまだピンときてないのを悟ったらしく、今度は要人を暗殺する主な方法について、微に入り細に入り説明してくれた。
結果、暗殺方法とそれに伴う苦痛――特に毒殺系の壮絶な苦しみ方を知って、顔面からさーっと血の気が引いた。
「暗殺者たちはちょっとした隙をついて仕掛けてきます。そして確実に仕留められるのであれば手段は選びません。もちろん対象がどんなに壮絶に苦しむとしても、奴らにとっては取るに足らないことなのです。血反吐を吐いてのたうち回りながら後悔したって遅いんですよ?」
「は、はい……」
痛いのも苦しいのももう充分経験したし、死にかけるのも一回で間に合ってるし、とりあえず死ぬのはあと八十年くらい後にしたい。と言うわけで、脅しと取れなくもない彼の言葉に必死で頷いたのは今も記憶に新しい。
ディナートさんの形の良い唇から、血反吐だの何だのと物騒な単語がぽんぽん出てくるのはうすら寒い。
彼は騎士だし、そういう命のやり取りにも慣れているんだろう。普段の洗練された物腰からは想像できないけど、血なまぐさい状況に身を置いたことだってあると思う。
こんなふうに私の知らない彼の顔が垣間見える瞬間に遭遇するたび、焦りに似た不安が胸に広がる。私が見ている彼は、そして彼が私に見せている彼は、どこまでが本当の姿なんだろう。そんな考えが浮かんでなかなか消えなくなる。
「ヤエカ殿、お待たせいたしました。異常はありません」
ディナートさんの声で我に返った。物思いにふけってる間に部屋のチェックが終わったらしい。私にそう告げると彼はテリオさんへ向き直った。
「非礼な振舞いをいたしました。どうかお許しください」
「いえ、お気になさらず。私が貴殿の立場だったとしても同じ行動をとりますよ」
「お気遣い痛み入ります」
初対面のピリピリしたふたりの空気はだいぶ和らいでいる。まぁ和らいだってだけで完全になくなった訳じゃないんだけどね。とりあえずこれなら耐えられる。たぶん。
あー良かった。あのままだったらここを発つまでの間、ずっと胃の痛みに悩まされてたんじゃないかな。私だけじゃなくて他の皆も。
明日はこれからの旅に必要な食料や細々とした消耗品を補充したり、最新の情報を集めて旅程を打ち合わせしなおしたりするのに費やす予定で、出立は明後日の朝だ。
それまでどうか何事もありませんように! 心の中でそっと祈った。
「ディナート殿、そろそろ私たちは失礼しましょう。――ヤエカ様。近くに使用人が控えておりますので、何かありましたら遠慮なくお申し付けください」
「ヤエカ殿、後ほどまた参ります。それまでお休みになっていてください」
そう告げて二人は連れ立って部屋を出ていった。
残された私は帯剣を解き、鎧を脱いだ。汚れた体でベッドに飛び込む勇気は持てなかったので応接室のソファに勢いよく腰を下ろした。
まだ馬の背で揺られてるような感覚がある。ああ、疲れた!
暫くソファでぐったりしてると、侍女さんがお茶とお菓子を持ってきてくれた。
お風呂を使いたいとお願いしたら、既に用意は出来ているからいつでも入れると言う。
私はお茶をそそくさと終わらせて、お風呂へ案内してもらうことにした。
途中でディナートさんの部屋によると、彼はカロルさんと何か打ち合わせ中だった。
「ディナートさん。お風呂に入って来ちゃいたいんですけど良いですか?」
お仕事の邪魔になるのは申し訳ないんだけど、でも黙って部屋を空けるわけにも行かないので、そーっと声をかけた。
「ええ、構いませんよ。後ほど伺うと言いながら、お伺いできず申し訳ありません。もう少しでこちらは片が付くんですが……」
「あ、じゃあ急いで戻ってきますね! 失礼します!」
「ヤエカ殿」
退出しようと踵を返した私の背に、ディナートさんから制止の声が掛かった。
「なんですか?」
「折角ですから、ごゆっくり」
振り返った私に、微妙に強制するような口調でディナートさんが言った。向かいの椅子に座って頬杖をついているカロルさんも彼の言葉に頷いている。
けど私は言葉に含まれた意図が分からなくて首をひねった。その様子を見て、ディナートさんが顔に苦笑いを浮かべる。
「ここから聖都までは七日程度かかります。その間ゆっくり沐浴出来る環境をご用意できるかどうか。努力はいたしますが、確とは保証いたしかねます」
「七日……。――ゆっくり入ってきます!!」
「それがよろしいでしょう」
「ごゆっくりー!」
いつも通りの柔和な笑みのディナートさんと、軽いノリで手をヒラヒラ振るカロルさんに見送られて今度こそお風呂に向かっ……
「とは言え、湯あたりしない程度ですませてくださいね」
「分かってますっ」
子どもじゃないんだから!
案内してもらったお風呂は、一言で言えば豪華だった。聖女宮のお風呂よりはこじんまりしているけれど、それでも十分な広さがあった。
上の方に設けられた明かり取り兼換気用の窓から、夕焼けの光が入ってくる。その光で白い大理石で作られた部屋は静かに赤く染まっていた。
お世話をと言う侍女さんの申し出を断って、退出して貰った。
広い浴室には私ひとり。誰に憚ることなく伸び伸びと入浴できる。洗い場で汚れた体をよく洗って、広い湯船に浸かった。少しぬるめのお湯が疲れた体に気持ちいい。
凝りがじわじわとほぐれる心地よさに、いつの間にかうとうとしていた。力が抜けてずるっと体が滑り、盛大に溺れかけて目が覚めた。日本にいた時は時々やらかしてた懐かしい感覚なんだけど、家のお風呂と違ってプールみたいに広いここじゃ冗談じゃなく溺れる。
あ、危なかった!
びっくりしたおかげで眠気は完全に覚めたし、頭もスッキリした。
見上げた窓の外は、もう真っ暗だった。そんなに長く寝てた気はしないんだけど、私は慌てて湯船から上がった。
「あ、あれ?」
小さく眩暈がした。――もしかして湯あたり?
うわぁ。ディナートさんに啖呵切って出てきたのに、これは情けない。ディナートさんには絶対内緒だ。
浴室を出ると、さっき案内してくれた侍女さんが控えていてくれて、着替えを渡してくれた。
下着は自分の荷物の中から引っ張り出してきたものだ。間違いない。けど……
「これは?」
明らかに私の服と違う!
鎧の下に着るキルティングのベストは部屋に脱いで来たから、無くてもおかしくない。
けど、その下に着ていたシャツとそれからパンツは!? ヒラヒラスカートが嫌で議論の末に勝ち取ったあの白いパンツは!? どこ!?
とりあえず裸でいるのもアレなんで下着だけはつけた。で、残った洋服を広げてみる。
えーと。これドレスじゃん!!
「あの、これ、どなたかの着替えと間違ってます」
後ろに静かに控えている侍女さんを振り返ったら、彼女は自信満々に首を横に振った。
「それで間違いございません。失礼ながらヤエカ様のお召し物は洗濯に出させていただきました」
つまり、これを着るしかないと。
ただ広げただけでも分かるくらい胸元と背中が空いてるんですががが!
「え、えーと」
「ヤエカ様。ドレスの前に、コルセットを締めさせていただきます」
困惑する私をよそに、侍女さんは「失礼します」と一言言うや否や、私のウエストをにコルセットを回して締め始めた。
蘇る昔の悪夢。コルセットのきつさは正直トラウマだ。目の前にどんな美味しそうな料理やデザートが並んでも食べられないんだよ!?
「あまりきつくしないで頂けると嬉しいんですが」
「心得ております。食事の妨げにならないようにいたしますからご安心ください」
それまできりっとした顔を崩さなかった侍女さんが、初めて小さく笑った。
「これからも旅をなさる大事な御身を損なうような真似はいたしません。どうぞ心おきなく夕食を召し上がってくださいませ。料理長が腕によりをかけてご用意しておりますよ」
悪戯っぽい顔をした彼女は私と同じぐらいの年頃に見えた。それをきっかけにして話が弾んだ。短い間だったけれど彼女とのおしゃべりはとても楽しかった。どうしてこんなに楽しんだろうって不思議に思うくらい。
――そう言えば、最近はずっと男の中に女がひとり状態だったっけ。
どうやら私はガールズトークに飢えていたらしい。




