太陽のような男
西都は北に向かって緩やかに傾斜する丘を利用して作られた街だ。
城壁に囲まれた四角い街のいちばん北側、つまり一番高い場所に領主の館があって、その手前に貴族や身分の高い人たちの屋敷、裁判所や、行政機関を集めた建物がある。
西方騎士団の詰所は街の東側で、残りの南側と西側は店や民家が密集している。
道は聖都とよく似ている。
大きな石畳の道路が十字に走っていて、十字の中心には広場があった。
私たちは西の城門から街へ入り、街の中央の広場で北へ折れる。そのまま真っ直ぐ北端まで向かい、領主の館で帰還の報告を行うことになっている。
西方騎士団の面々は挨拶が済めば詰所へ戻り、私たち聖都から来た者はそのまま領主の館に滞在させてもらうんだそうだ。
広場を折れてしばらくすると、道のわきに並ぶ人たちがかなり少なくなった。その代わり、人々の身なりは私の目にも分かるくらい上質なものに変わっていた。
行く手には、館と言うよりも城と言ったほうがしっくりくるような建物がそびえている。その館の正門の前に、いくつかの人影が見えてきた。
その人々の顔が判別できるような距離まで近づいたとき、団長さんが前を向いたまま左手を上げた。止まれの合図だ。小さないななきがあちこちで起こり、単調に響いていた蹄の音が徐々に消え、隊列が停止した。
それを見計らったかのように、団長さんが馬から降りた。
私たちもそれに習う。
皆が颯爽と馬から降りる中、私だけがあたふたする。結局いつものようにディナートさんに抱き下ろして貰った。
「いつもすみません」
恥ずかしさに身を竦めながら謝ると、ディナートさんはいつもより少し形式ばったような笑みを浮かべた。
「堂々としてください。当然という顔をしていれば良いのですよ」
むずかしい注文ですね。とりあえずディナートさんを見習って、余所行きの笑顔を絶やさないようにしよ!
「……努力します」
「努力だけじゃなくて結果も出してくださいね」
お、鬼!
「……善処します」
「――なかなか逃げますね」
ええ。言質を取られるのが怖いので。
そんなやり取りをしながら、団長さんの後に続いて歩く。
おそらく周りからは、穏やかながら堂々としているように見えているはず。少なくとも私以外の皆は。
「よくぞ無事に戻られました!」
出迎えの人々の真ん中に立っていた背の高い男性が前へ進み出て、団長さんに声をかけた。
ダークブロンドの髪を綺麗になでつけた、穏やかな容貌の男性だ。切れ長の目が見る者に少しだけきつい印象を与えるけれど、物静かさを損なっているわけではない。
明らかに初めて見る顔だ。なのに誰かに似ている。そんな気がした。
声をかけられた団長さんは「はっ」と短く返事をして、右手を胸にあてて軽く頭を下げた。
「お疲れでしょう。堅苦しい挨拶はよしましょう」
男性は紫色の目を細めて、団長さんに声をかけた。
「は。では……」
と答えながら、団長さんが私を振り返った。私と目が合うと小さく頷く。進み出るようにってことだろう。私も無言で頷き返し、彼の横に並んだ。
「領主殿。こちらが……」
紹介しようとした団長さんの言葉を、領主と呼ばれた男性が手で遮った。私の方に向き直ると、彼は眼差しを和らげた。見た人が無条件で安心するような大らかな笑顔に、気持ちが少しほぐれる。
「オカダヤエカ様、ですね。お初にお目にかかります。この西都を預かっております、ペルノ・リコロフォスと申します――こちらは息子のテリオ……」
「テリオ・リコロフォスと申します、ヤエカ様。西都にようこそおいでくださいました」
彼の言葉を、隣に控えていた男性が引き取った。ペルノさんもかなり背が高いけれど、その彼も背が高い。
「初めまして。岡田八重香と言いま――……」
視線を上げて絶句した。
しなやかでスラリとした肢体の上に、とんでもなく端正な顔が乗っていた。太陽の光のような金の髪に、憂いを帯びたような紫の瞳。綺麗に整った容貌は決して女々しいわけじゃなくて、むしろ男性的だ。
けど、驚いたのはそんなことでじゃない。だいたいこっちに来てから、美形は見慣れてるから、かなり耐性ついてるもん。
私が驚いたのは、彼がそっくりだったから。つい失礼も顧みず、呟いてしまった。
「ルルディ!?」
「――の兄です」
言われ慣れているのか、テリオさんは気にした様子もない。にこりと鮮やかに笑って、優雅に一礼する。
正直に言おう。見惚れた。非の打ちどころなく格好いい。呆けたところに、手榴弾のような台詞が落ちてきた。
「ヤエカ様のことは、あの子からかねがね伺っております」
「え!? かねがねって!」
「ええ。努力家で、とても可愛らしい友人だと」
努力家!? 可愛い!? ルルディ、いったいお兄さんに何て話してるの!!
「よさないか、テリオ。ヤエカ様に失礼だろう」
狼狽える私を可笑しそうに見下ろしていたテリオさんは、隣でやり取りを見守っていたペルノさんにそう窘められて、肩を竦めた。
「場を弁えず大変失礼いたしました。申し訳ありません」
「いえ……」
こういう時どう執り成したら良いのか分からなくて、うまい言葉が出てこない。曖昧に返事をするしかない、そんな自分にがっかりだ。
申し訳ない気持ちでテリオさんを見ると相変わらず楽しそうに笑っていて、そのことに少し救われた。
「もしヤエカ様さえよろしかったら、また後ほどゆっくりと」
「申し訳ございませんが、ヤエカ殿は長旅で疲れていらっしゃる。そのようなお誘いはお控えいただきたいのですが」
冷たい声が割って入った。と同時に私の視界が遮られた。まるで私の姿をテリオさんから隠すようだ。
「ディナートさん!?」
いつもの彼からは想像つかないくらい冷たくてストレートな物言いにびっくりした。
彼を止めようとマントの裾を軽く引っ張ると、彼はゆっくりと私に振り返った。
その顔があまりにもにこやかで、それなのに目が氷のように冷たく光ってて、目が合った瞬間、鳥肌が立った。
こ、怖い! もしかして凄く怒ってる?
「ここは私にお任せを」
冷たい言葉が落ちてきた。これはつまり『黙ってろ』ってことだよね? 出かかっていた次の言葉が喉の奥に引っかかって消えた。
ぶんぶんと首を縦に振ると、彼は刃のような視線を私から逸らして、前に向き直った。
「貴殿は?」
さすがルルディのお兄さん。ディナートさんの凍てつく視線をものともしていない。
「これは失礼いたしました。魔導軍近衛騎士団副団長、ディナートと申します」
「ああ。あなたが。ヤエカ様に戦闘の指南をなされたとか」
「ええ。ヤエカ殿が雑事に心を惑わされることなく、無事使命を果たせるよう計らえと命を受けております」
「雑事、ですか」
意味深な口調でそう言ってテリオさんが楽しそうに笑う。
「いかにも」
これまた意味深な口調で答えたディナートさんが、冷たく笑う。
こー! わー! いー!
表面上『は』穏やかに進む会話。怖いです。恐ろしいです。下手な怪談話よりよっぽど恐怖体験です。
ペルノさんでも団長さんでも、いいえ、誰でもいいから! このよくわからない緊張状態を何とかしてくださいませんか!
ちらりと横を見たけど、ペルノさんと団長さんは何事かを忙しそうに話し合っていて、こっちの一触即発、吹雪まで秒読み段階な様子には全く気付いてない。
と言うか、そろそろ解散って感じの話運びのようですね?
団長さんは後ろを振り返って何か、部下たちに指示を始めてて、ペルノさんも後ろに控えていた部下らしき方々に何ごとかを言いつけている。
えーと。
これは……私が止めるしかない、と。
そう言う?
いや、そんな役目嫌なんですけど。
そ、そうだ!
カロルさん。カロルさん!
カロルさんの立っている方を振り返ったら、とっさにあらぬ方向を向きやがりましたよ。おまけにさも何かに気が付いたかのように歩き出し、近くの騎士に「それ手伝います」なんて言って歩いて行っちゃったし!
恨んでやるー!
心の中で毒づきながらとりあえず覚悟を決めた。
ここでじっとしててもらちが明かない。
早くこの鎧を脱いでゆっくりしたり、お風呂使わせてもらいたい。ここ数日の野営ではお風呂になんて入れなかったんだから、こんなところで無駄に時間を食っているわけには!!
あったかいお風呂、ふかふかベッドを呪文のように三回唱えて、ふたりの間に割って入るための気合を溜めた。
よし!
「あ、あの、そろそろ……」
瞬間、ふたりの視線が私に向けられる。
ああ、視線が痛い。
いや、テリオさんの視線はにこにこお日様系なんだけど、ディナートさんがいまだにブリザードで。っていうか、いまディナートさん、小さく舌打ちしませんでした?
ああもう! 何でこんなに不機嫌なの!?
「あの、皆さんそろそろ解散されるみたいですが……」
「ああ、本当だ。ヤエカ様、教えてくださってありがとうございます。つい話に夢中になってしまいました」
「お疲れのところ、申し訳ございませんでした、ヤエカ殿。彼との会話があまりにも楽しかったもので、つい過ぎてしまいました」
ひええええええ!
『話に夢中』ですか。『楽しい』ですか。
そうですか、そうなんですか。私には分からない世界ですし、分かりたくもないですね!
私たち、凱旋してきたんだよね。それっておめでたい出来事だよね?
っていうかさっきまで晴れがましい気分だったのに。
何で私は今、こんな素敵な館の前で、戦慄してなきゃいけないんだろうか。
聞いている者の胃と心臓に悪い会話から、普通の事務的な会話に移ったテリオさんとディナートさんを眺めながら、私は大きなため息をついた。
なんだか、すごく、疲れた。




