花びらの舞う中を
見上げた首が痛くなるくらい、高い城壁があった。
私たちは薄く黄色味を帯びた西日を背にして、その門が空くのを待っている。時折、馬が小さくいななくのを除いては、しんと静まり返っている。
固く閉ざされた門の向こう側で、ごとりと鈍い音がした。続いて重いものを引きずるような音、そしてじゃらりと鉄鎖の音が聞こえてくる。
「いよいよですよ、ヤエカ殿。心の準備は?」
背をかがめたディナートさんが私の耳元で囁いた。がちがちに緊張してる私はそのことに狼狽える余裕すらない。
「た、たぶん。――待ってって言っても、待ってくれないでしょう?」
「冗談が言えるなら上出来です」
冗談を言ったつもりはないんだけどな。
私は小さく乾いた笑い声を上げた。
「もう一度お伺いしますが、眼帯は要らないのですね?」
「――はい」
私の答えを聞くと、彼は私の耳元から顔を離し、背筋を伸ばした。
銀の瞳を眼帯で隠すか、隠さないか。どちらを選んでも私が負傷したのは分かってしまうわけだよね。なら隠す必要はない。
私の顔を知らない人なら『色が違う目は珍しいね』って思うだけだろうけど、この西都には砦から移送されて来た負傷兵たちがいる。彼らは私のもとの目の色を知ってるから絶対ばれる。そして眼帯をしたらしたで、如何にも『怪我しました~!』って言ってるようなものだし。
と、そこまで考えて、ふと思いついてしまった。
もしかしたら、隠さないとまずい理由があって、私に眼帯をするように勧めてたんじゃないか、ってことに。
こっちの世界の人は、銀の瞳を不吉だって思ったりするのかな?
ほら、ファンタジーでよくあるじゃない? 瞳の色のせいで迫害されるとか何とか。今まで誰にも言われてないからたぶん大丈夫だと思うんだけど……。
いや、みんな優しいから私に気を使って言わなかっただけなんじゃないの!? 眼帯付けたほうが~って、遠回しにそれとなーく教えてくれてたってこと?
でもディナートさんならはっきり言ってくれるはずだよね!?
魔導国では大丈夫だけど、こっちではNGでそれをディナートさんが知らないとかそんなことは?
ヤバい。急に心配になって来た。
「ディナートさん。私の瞳、変ですか?」
急に振り返った私に、彼はやや驚いたような顔をした。けれどすぐに穏やかで優しい笑みが返って来た。
「いえ? 綺麗な色だと思いますよ。銀の瞳も、濃茶の瞳も」
「気持ち悪くないですか?」
「気持ち悪い? 一体なにをどう考えたらそんな結論に達するんですか。――……綺麗ですよ、この上もなく。月の光のようだ」
尋ねといてこう言うこと言うのはあれだけど、それ褒めすぎ!!
真っ赤になる頬と、どもりそうになる舌を叱咤して、重ねて訊く。
「ええっと。銀の瞳が不吉だとかそう言う言い伝え、この世界、もしくは聖司国にはないですか?」
「そんな話は聞いたことありません。気を回し過ぎですよ」
「でも……」
「ディナート殿の言う通りです」
野太い声が割って入ってきた。
私たちの前で城門が開くのを待っていた西方騎士団長さんが、いつの間にかこっちを振り返って苦笑いを浮かべている。
「団長さん!」
「貴女が懸念しておられるようなことは、我が国にはございません。安心してください」
「は、はぁ……」
「何事も深く考えるのは良いことですが、考え過ぎは疲れますぞ」
豪快に笑い飛ばされた。そうやって笑われると、焦ってたのが馬鹿みたいに思えてくる。
「ねぇ、勇者殿。そんなふうに思うってことは、勇者殿の世界では瞳の色によって迫害されるんですか?」
今度は隣に並んでいたカロルさんから質問が飛んできた。
「え? えっと。世界は広いので全部を知ってるわけじゃないんですけど、とりあえず私の住んでいる国では、そう言う迫害はないです。ただ、ほとんどの人が黒いや茶色の目をしてるので、他の色……あっ……」
カロルさんがわずかに顔を顰めた。
それで私は自分の失言を悟った。しまった。喋り過ぎた。
『日本に帰ったらこの目は目立っちゃうから、困るんです』そう言ったも同然だ。私が怪我をしたことに対して後ろめたさを感じているこの人たちには、知られたくないことだったのに。なのに、うっかり自分から暴露しちゃうなんて馬鹿すぎる。
どうしよう。やっぱりフォロー入れといた方が良いよね。でも何て説明したらいいかな。――迷っているうちに時間が切れた。
軋む城門を背にした団長さんが、私たちに向かって、にっと男臭く笑った。
「さぁ、そろそろ参ります」
彼の言う通り、城門はもう開ききるところだった。
私はおしゃべりをやめて開く門の向こうを見た。昔見たことのある街並みが変わらずにあった。
私がこの西都を訪れるのは二度目だ。一度目は最初の召喚の時。気ままな一人旅だったので、あの時は他の旅人に混じって普通に立ち寄って、普通に立ち去った。今回はその『普通に』が出来ないんだよね。
ここは腹をくくって、出来る限り凱旋の勇者らしく振る舞おうと思います! ぼろが出そうになったら、ディナートさんに助けて貰おう。ついでに前を歩く団長さんの大らかさと、隣で馬を並べてるカロルさんの機転も心強い。
前に向き直っていた団長さんの左手が、すっと挙がった。そして一呼吸の後、その手が前に振られた。進めの合図だ。
それに合わせて、隊列が動く。
先頭が城門を潜った途端、周囲からワッと歓声が上がった。今までの静寂が嘘のような大きな歓声で、これでは耳元に口を寄せないとディナートさんとでさえ会話が出来なそうだ。
今までの半分ぐらいのゆっくりとした速度で隊列が動く。順番に従って私たちも城門を潜った。
「うわぁ!」
私はさっきの気負いも忘れて、ついぽかんと口を開けてしまった。
歓迎は受けるんだろうなって思ってたけど、正直ここまでとは思わなかった。
道の両脇を埋め尽くすほどの人、人、人。
私の目の前では、色鮮やかな花びらが舞っている。どこから降って来るんだろうと疑問に思って上を見れば、城壁の上から花びらを降らせている人影が見えた。
「……エカ殿。ヤエカ殿」
この耳が痛くなるような歓声の中、たしなめる声が耳に届いた。
そうだった。ぼーっとしてる場合じゃない。
観衆に向かって手を降るだなんて初めてのことだし、心の片隅では『何様のつもりよ、八重香。えらそーに』って思ったりもするから、尚更、自分に自信が持てない。
恐る恐る手を胸のあたりまで上げて、左右に振ってみた。ついでに頑張って笑顔も作ってみる。
でも全然自然に振る舞えない。動作はぎこちないし、笑顔は引き攣っている。
こんなんで大丈夫かな……?
不安に思っていると、途端にあたりがしんと静まり返った。
「え?」
思わず声が漏れた。何か私、悪いことした? どうしよう!?
顔から血の気が引いた。また、自分の無知でとんでもないことをしでかしたんじゃないかと不安になる。
ディナートさんに助けを求めるために体をひねろうとしたその瞬間、辺りから大きな歓声が沸き上がった。
「勇者様だ!」
「勇者様万歳!!」
「おかえりなさい!」
歓声の中からそんな声が聞こえてくる。
……嫌われたわけじゃ、ない、みたい。……だよね?
私はホッとため息をついて肩の力を抜いた。
彼らの声に応えるように笑顔で手を振りながら、道を進んだ。
城壁からだいぶ遠ざかったのにいまだに花が降り注いでくるのは、民家の二階の窓からも花を降らせてくれる人がいるからだ。
花びらが舞えば、甘い香りが鼻をくすぐる。少し前まで戦場に身を置いていた自分が、こんな綺麗な場所でたくさんの人から歓迎を受けているなんて、何だか信じられない。
「夢みたい」
呟いた私の声は、歓声にかき消えたはず。
なのに、
「夢じゃありませんよ」
ディナートさんからそう返って来た。
私の耳元ぎりぎりに口を寄せて喋るんじゃなくて、すこし体を屈めるだけだったけど、彼の声は充分私の耳に届いた。
馬上で会話する時はいつも私の耳元に顔を寄せてたけど、もしかしなくてもあんなに近づく必要ってなかったんじゃない? これだけ騒々しいところでも声が届くんだもんね。
こ、これは……今までずっとからかわれてたってことか!? 今更気付いた。
悔しさに内心ギリギリしている私に、すっかりお師匠様モードになっていたディナートさんから厳しい言葉が降って来た。
「ぼーっとしてないで、みなにちゃんと応えてください。夢なら寝た後にいくらでも見られるでしょう? ほら! 猫背になってますよ。背筋を伸ばして!」
「は、はいぃ!」
背筋を伸ばしつつ、私は慌てて返事をした。
ここのところずっと甘やかされっぱなしだったから、お師匠様モードの彼が懐かしい。悔しさも忘れて、つい頬が緩んだ。おかげで引き攣った笑いが、少し自然になった……ような気がする。




