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再召喚!  作者: 時永めぐる
拾遺の章
38/92

愚かな男と哀れな女のおとぎ話

――それは彼女の見た夢

 私は熱に浮かされた体を持て余しながら、泥のようにぬかるんだ闇に意識を漂わせていた。五感は半分ぐらい生きているのに、気怠くて目が開けられないそんな感じだ。

 ただ、近くに人の気配や声を感じたり、急に気配を感じなくなったりしたから、記憶は連続しているわけじゃなくて、かなり途切れ途切れだったんだと思う。

 力を根こそぎ使ったからか、それとも顔に受けた傷がよほど深刻だったのか。


「……の痣は?……ろがって……」

「……が、今まで見たことも……の影響……か?……」

「何とも……ですが……」

「では……ヤエカ殿の……」


 見知っているような、知らないような、たくさんの声が聞こえた。枕元で誰かが話し合っているのかと、息苦しさに朦朧としながら考えていると、不意にすべてが消えた。


 まとわりつくような闇も、息苦しさも、熱くて寒かった体も。

 全部全部消えた。


 そして私の思考だけが、ぽっかり空いた重さのない闇の中を、真っ直ぐに落ちていった。


 ああ、これはもうダメなんだなぁ。

 唐突にそう思った。だって、体の感覚までなくなるなんていよいよ危険な証拠でしょう? 

 このままどこまでも落ちて、そのうちにこの意識だってなくなって、それで終わるのかな。もうちょっと長生きしたかったんだけど、ついてないなぁ。まぁ、こうなってからジタバタしても始まらない。疲れちゃったし、痛いのも苦しいのも嫌だし、とりあえずもう良いんじゃないかな――こんなふうにわりとあっさり諦めてしまった私は、落ちるに任せて目を閉じた。





 どのくらい落ちたんだろう?

 真っ直ぐに落ちると言っても、木の葉のようにふわりふわりと漂うような速度だ。

 

『来たか、当代勇者殿』


 不意に男の声が聞こえた。

 同時に緩やかな落下が止まっていて、私は不思議に思いながら体を起こした。まぁ夢の中の出来事に整合性を求めてはいけないってことか。


「あの、あなたは?」


 薄墨を流したような場所、だった。暗いわけではない。ただ薄闇のようにぼんやりとした色のない世界がそこにあった。

 咲き乱れる花も、その向こうに見える池も、その先の四阿(あずまや)も、庭園のすべて――いや、その向こうに見える峻険な山々や空までもが色を失っている。

 モノクロ写真の中に紛れ込んだみたいだ。

 その中心に、白いローブのような服を着た男がひとり、立っていた。彼だけがこの世界で唯一、色彩を持っていた。声の主はこの人だろう。


『私か。さぁて、私は一体なんであろうなぁ』


 人を食ったような言葉が返って来た。でも、その口調は、からかっているのでも、嫌味を言っているふうでもなかった。一番近いのは戸惑い、だろうか。


『――私は記憶の残滓のようなものだ。名などない。好きに呼んでくれ』

「好きにと言われましても、ですね」


 それが一番難しいんだよ!

 私はじっと彼を見た。砂色の髪、砂色の目。こう言っては失礼かもだけど、こちらの世界ではありふれた顔立ちをしている。穏やかな顔と、見ているこっちが不安になりそうなくらい深い色を揺らめかせる瞳が、彼を年齢不詳に見せている。顔に薄く皺が刻まれているから、そう若くはなさそうだけど。

 ゆったりとした白いローブの襟には、金糸で見事な刺繍が施されている。身分が高い人だと分かった。この世界のことはまだよく知らないけど、だいぶ古風な服装に見えた。

 じっと観察を続ける私を意に介したふうもなく、彼は虚空に向かって腕を軽く振った。途端に籐のようなもので編まれた、座り心地のよさそうな椅子がふたつ現れた。

 びっくりして目を見張る私に、彼は無言で椅子を勧めて、自身ももう片方の椅子に腰を下ろした。

 ――どうせ夢だし、警戒しても仕方ないか。

 私は彼の勧めにしたがって椅子に腰を下ろした。しっとりした感触が心地よく、見た目通りに座り心地の良い椅子だった。


「――あなたはここの主ですか?」

『いや。そうさなぁ、居候とでも言うべきか』


 居候、かぁ。


「居候さんって呼んだら怒ります? よねぇ……」

『面白い奴だな。それでも構わん。好きに呼べと言ったのは私だ』


 そう言って彼は心底可笑しそうに笑った。


『今、そなたの体どうなっているか、分かっているか?』

「えーと。たぶん、力を使い切った疲労や、顔の傷と戦ってるんじゃないかなーって思いますが」

『まぁ、あながち間違いではないな。端的に申せば、そなたの体はいま、あの核の毒に犯されておる』

「え!? 毒? 毒ですか!! うわーだからあんなに体がきつかったんだ……」


 いや、傷よりも体全体が痛くて苦しくて、何かおかしいと思ってたんだよねぇ。妙に納得しちゃった。胡散臭い男の言うことなんて真に受けちゃダメかもしれないけど、本能的に毒は間違いない事実だって感じた。


『なぁに、心配はいらぬ。アレティが治し方を知っておるからな。あやつがそなたの体内の毒を消しつくすまでしばし待つがよい』

「アレティ? なんでそんなことが?」

『あれは核を壊すもの。その核に属すものも壊せる。そう言うことだ』


はあ。そう言うものなんですか。分かるような分からないような。


『ここでじっと待つのも退屈だろう? おとぎ話をひとつ、してやろう。どうだ?』

「じゃあ、お願いします」


 ぺこりと頭を下げると、彼は寂しげな微笑を口の端に漂わせた。


『遠い昔のことだ』


 彼のおとぎ話は、そんな言葉から始まった。




***********************


 聖王がいた。彼は若くしてその座につき、長いこと国をよく総べた。その頃はもう三十も半ばを過ぎており、いつ力が衰え次代と交代することになってもおかしくない歳に達していた。しかし、彼の力はいまだ衰えず在位していた。

 彼は聖王であると同時に、またアレティの使い手でもあった。


 隣国の魔導国では、数年前に年若い女王が立った。

 少々苛烈な性分であったが、人の話をよく聞き、努力を惜しまない。賢王としての素質を充分に兼ね備えた女王であった。


 二つの国はエオニオと言う深い森に隔たれていたが、その森の中にひとつだけ開かれた道を使い、盛んに交流を図っていた。

 国同士の仲も、民同士の仲も悪くはなかった。



 かの聖王がその座に就いた、その就任の儀に招かれた魔王は、当時は魔王候補であった女王を伴って式典に参列した。

 いずれ新聖王と女王が並び立つ時代が来る。その時を見越して、面識を持たせておこうという心づもりだった。

 その折のことだ。

 緊張する新聖王に向かって、まだ幼かった女王は人差し指を突き付け、もう片方の手を腰にあて、尊大な口調でこう言った。


『我が盟友となれ!』


 魔王候補は小さな体をそびやかして、聖王をねめつけた。それはまるで宣戦布告のような勢いだ。


『我は互いを信頼し合い、背を預け合える友が欲しい。だから、聖王よ、友になれ。我はいずれ魔導国の女王となる身だ。悪くない申し出だろう?』

『それは、国と国として同盟を結ぶ、と言うことでしょうか?』


 それまで呆然としていた聖王が、ぽつりと聞いた。


『そなたは阿呆か! 我はまだ一介の魔王候補に過ぎぬ。我にその権限はない。我個人がそなたと友達になりたい――そう申しておる!』


 そんなことも分からないのかと言ったきつい口調で返事が返って来た。それを聞いた聖王は目を真ん丸に見開いて、それからゆっくりと破顔した。


『そう、ですか。では、私は今日より貴女の友人ですね?』


 聖王は、彼女の目線に合うように腰をかがめ、その小さな手を握った。

 それは、聖王候補として幼い頃両親から引き離され、同世代の友人もなく聖王になるための教育に明け暮れて育った孤独な男と、魔王候補として生まれ育ち、その稀有な才能に期待され、同時に疎まれもした孤独な女、ふたりが友となった瞬間だった。




 その日より長き時が流れた。

 力の衰えを感じ始めた魔王が退位し、件の女王が即位した。それよりわずか数年。エオニオが六百年ぶりの覚醒期を迎えた。

 核を屠るアレティの使い手は時の聖王。そして魔導国で一番強い力を持った女王がその補佐として核を倒した。

 それぞれに傷を負ったものの、核は小さいうちに破壊でき、被害も最小限であった。

 その時の核の形はまるで蜘蛛の巣のような形状をしていた。その中心の赤い心臓部は成人の身長ほどの大きさで、造作もなく倒せた。聖王も、魔王も、そう思っていた。

 ただ、それを破壊した際、聖王は右腕に小さく、そして魔王はその背中に赤い体液とも呼ぶべきものを受けて、火傷を負った。

 大したことがないとたかを括っていたふたりは、ただの火傷として傷を手当てし、それぞれの国へと戻った。

 聖王の体に異変が起こったのはその後のことだ。豆粒ほどの火傷の傷から、紫色の根のような痣が広まりだしたのだ。

 核の中心部にある赤い液は、人にとって毒だと、聖剣アレティは聖王に囁いた。その毒は人の精神をも蝕む、と。

 核を滅ぼすための剣であるアレティは、その毒も解毒することが出来たため、大事には至らなかった。

 が。

 アレティを持たない女王は――?

 聖王がそのことに気付いた時にはすべてが遅かった。彼よりも広範囲に傷を負っているうえ、見えにくい背中にあったがために、誰にも気づかれることなく彼女を侵食しつくしたのだ。


 聖王の送った急使は、最悪の知らせを携えて戻って来た。


 ――魔導国女王、乱心。魔導城にて、配下を多数惨殺。その後の消息は不明。


 彼女がどこに向かっているのか、彼は正確に予測していた。

 友である聖王の――彼のもとへ向かっている、そう確信した。


 乱心した友を迎えるため、聖王宮に住まう者、勤務する者すべてに退避命令を出した。避難の命を容れず最後までそばにいることを誓った側近数名とともに、聖王は女王を待った。

 ほどなく、女王は炎を纏って現れた。全身の肌を紫色に染め、口から洩れるのは聞くに堪えない怨嗟ばかり。そこにいたのはもう聖王が知る彼女ではなかった。

 彼女が得意とする炎の術は、物凄い勢いで聖王宮のあちこちを燃え上がらせた。

 迎え撃つ聖王は、水の術で次々と炎を消していく。炎と、煙と、熱と、水と、水蒸気とが荒れ狂う。

 その中、手にアレティを出現させた聖王は、それで女王の胸を深々と貫いた。アレティから放たれる銀色の光がふたりを覆い、そして唐突にすべてが止んだ。

 後には、呆然とした顔で己が手を見つめる男がひとり。そして深々と胸に剣を突き立てて息絶えた女がひとり。

 焼け落ちた廃墟に、ふたりだけが残った。



 そうして、歴史に残る。聖王その人の望んだとおりに。


――聖王が、朋友であった魔王を弑した、と。




***********************



 彼の語ったおとぎ話。

 それはおそらく五百年前のこと。


「なぜ聖王はそんなことを? 魔王が乱心したからって言えば良かったじゃないですか!」

『彼は裁かれたかったのだ。無二の親友をその手にかけたその罪を誰かに糾弾され、憎まれ……』

「そんな! そんな我がままに国が、みんなが、振り回されて来たって言うんですか」

 ひどい、と呟いた私に、男は『すまぬ』と言った。


『だが、後悔はしておらぬのだ。今だからこそ分かるのだが……私は聖司国も、己も、みな嫌いだったのだ。聖王ゆえ彼女を殺さねばならないことも、そう仕向ける世界も憎かった。なのに、私は聖王としての生しか知らぬ。だから、彼女を殺すなら、国も壊そうと思った。いや、優秀な側近もいたし、次代も生まれていた。だから、滅ぼすなどとは思っておらず、多少国が荒れればそれでいいと思ったのだ。それがよもやこんなに引きずろうとは……』


 愚かだと思う。

 なのに、私は憎み切れないでいた。

 

『毒に犯されきった女王の魂は、アレティの浄化の炎で焼き尽くされて消滅した。もう未来永劫、転生することも叶わない。だから私はここにいるのだ』

「どういうこと、ですか?」

『私が転生したら、私の中にある彼女の記憶も消える。それはこの世から完全に彼女を消すと言うことだ。そんなことは誰にもさせない。だから、この記憶を抱えて、彼女がいない世界を、魂が擦り切れるまで生きる。それが贖罪であり、また私の幸せでもある』

「幸せ? 本当にそれは幸せ、なんですか?」

『ああ、幸せだとも。私の魂が消える時、彼女も共にこの世から消える。彼女に殺されてやることも、後を追うこともできなかった私には、これ以上の幸せはない』


 私には分からない、そんな気持ちは。分かりたくもなかった。

 

『私の体は一度、核の毒に犯されている。故に、私の魂は血清の役割を果たすのだ。そなたの治療も、私の時よりはだいぶ楽なはずだ。――そろそろ、アレティの浄化も終わる時間だろう。行くが良い』

「あなたの話、戻ったらみんなに話しても良いですか?」

『そなたの裁量に任せる。ただし、この記憶を持って行けたら、だが』

「私、忘れません。あなたのことを。たとえ一時忘れたとしても、必ず思い出して、みんなに言いふらしますから」


 そうきつい口調で言いながら、私はボロボロと泣いていた。涙で声が詰まって途切れ途切れになったけど、それでも言いたいことがたくさんあるから、言葉を止めたりはしない。


「そうしたら、みんながあなたと女王のことを知ります。あなたが消滅した後も、あなたと女王の話が残るかもしれません。ふたり仲良く消滅して幸せだなんて。あなたの思い通りになんて絶対にさせないんだから!覚悟してください」


 彼は驚いて目を見開いた後、とても幸せそうな笑みを浮かべた。それが私の見た彼の最後の姿だった。


『そなたは怖い女だな。――さぁ、行け。そなたは生きろ。真っ直ぐに』


 それが私の聞いた彼の最後の声だった。


 見えない手に無理矢理引っ張り上げられるような感覚だった。すごい勢いで上昇しながら、私は泣いた。

 悔しくて、悲しくて、泣いて、泣いた。



 ――銀の髪と金の瞳のあの人がたまらなく恋しかった。

 



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