意地悪しないで
そうですねぇと言ったあと、ディナートさんは意地悪気な顔をしたまま暫く口を開かない。いったい何を言われるのか、戦々恐々とする私の額にじわじわ冷や汗が滲む。その汗をそよ風が冷やしていく。冷えの二乗でもはや寒い。
なのに、顔は火が出そうに熱い。彼の手が触れてる頬と唇から熱が広がってるみたい。熱い顔と冷たい額って、私の頭部は随分せわしない状況に陥ってるもんだね。
さぁ言いたいことがあるんだったら、ガツンと言っちゃってくださいよ! そんな気持ちを視線に込めて、彼の瞳をじっと見つめた。
「とりあえず、自分を卑下することからやめて頂きましょうか」
たっぷりの間のあと、おもむろにディナートさんが口を開いた。
「貴女はこの世で唯一、あの核に対抗できうる力を持ったお方だ。どうも貴女はその事実を軽んじておられる。自分を無能者扱いするのはおやめなさい。ああ、替えがいるなんて安易なことはおっしゃらないでくださいね。勇者候補は貴女より能力が落ちるらしいじゃないですか。論外です」
まさに立て板に水の勢い。
と言うか、とても容赦ないですね。辛辣ですね。
私の顔に張り付いた右手はちょっと……いや、だいぶ親しすぎるけど、言動はいつものお説教モードなディナートさんだ。
「とにかく、貴女は最大の切り札なんです。切り札は切り札らしくしていなさい」
切り札らしい振舞いってどんなよ! 『さぁ、皆の者、あたくしをお守りなさい、オホホホ~』なんてふんぞり返ってれば良いんですか、そうなんですか!
突っ込みたくてもまだまだ口は拘束中。もちろんちょっとでも動かそうなんて思わない。じっとしてますよ。ええ。唇を動かしたら余計に指の感触が……ああ。想像しただけでいたたまれない。
「分かりましたね?」
なんて念を押されたって、返事できないし、頷けない。――と焦ったところで気が付いた。私の両手、ノーマーク! つまり自由! そうだった。雰囲気に呑まれてすっかり忘れてた。ごめんよ、私の腕たち。
私は両手でディナートさんの右手首を掴んで、ぐぐぐっと押し戻した。
「これじゃ、返事、できませんってば!! もうっ!!」
照れ隠し半分、逆切れ半分。精一杯の怖い顔を作って睨みあげてみた。顔が真っ赤だから、あんまり迫力ないと思うけど。
ディナートさんは驚いたように目を見張って、それから我慢できないって様子で思いっきり吹き出した。軽く握った左手を口に当てて笑いを隠そうとするけど、全然隠れてない。
「切り札らしくって言うのがどんなのかは分かりませんけど! とりあえず他の件は鋭意努力してみますっ」
返事が喧嘩腰になっちゃったのは私のせいばっかりじゃないと思うんだ。
爆笑をニヤニヤ笑いに変えたディナートさんが、「どうでしょうかねぇ」なんて揶揄するから、つい唇を尖らせてそっぽを向いた。
なんで素直に返事できないんだろう、なんでいっつもこんな展開になっちゃうんだろうって、内心溜息をつきながら。
「そろそろ、手を離していただけませんか? 私は別にこのままでも構いませんが……」
と、のんびりした声に思い出した。彼の手首を握りっぱなしでした。
ぎゃあああ!!
熱いものを触った時のように物凄い勢いで手を離して、ついでに五十センチぐらい後ろに飛び退いた。その拍子に頭を壁にぶつけた。当たり前だけど痛い。
慌てふためく私の様子と急に放り出された自分の右手を、不思議そうな顔で交互に眺めていたディナートさんの顔に、何故か色っぽいとしか形容できない笑みが広がった。
それを間近で目撃しちゃって、脳内真っ白。打った頭の痛みなんて、はるか彼方へ吹き飛んだ。
心臓がどきどきばくばくし過ぎて、これは活動停止寸前なんじゃない? 危険だ。生命の危機だ。メデューサの顔は見ると石になるらしいけど、ディナートさんの艶っぽい笑みは見ると心肺停止だわ。同じぐらい危険じゃないの。
「ご、ごめ、ごめんなさいっ」
血が上って熱い頬を両手で抑えて隠して、視線を逸らした。まともに顔が見られない。
「何だ。離してしまうんですか。残念だな」
全然残念に思ってないどころか、私の狼狽を面白がってそうな声色なんですけど!?
思わせぶりなことをさらっと言わないでほしい。人の気も知らないで。なんだか段々ディナートさんが憎らしくなってきた。恋愛経験乏しい私は、どうしても彼の言動や行動を流すことが出来なくて、何でも真に受けちゃう。私が彼の特別なんじゃないかって錯覚しそうになって、慌てて思い直して。その繰り返しだ。
「私、そろそろ行かないと!」
苦し紛れにバレバレの嘘を吐く。だって、私のスケジュールを把握してるのはディナートさんだもん。これからの私にしばらく予定なんてないって知ってる。
なのに彼は何も突っ込んでこない。これは非常にいたたまれない。さっさと逃げるに限る。本日二度目の逃亡を企てるために、急いで立ち上がった。
「じゃあこれで!」と走り出そうとしたら、素早く立ち上がったディナートさんに道を塞がれた。
「私もご一緒します」
絶対これ分かってやってるよね。私が逃げたがってるの分かった上で、わざと言ってるんだよね。なんてドSなの!?
「いえ、ディナートさんはもう少し休憩したほうが……って! ど、どこ触ってんですか!?」
「突風が吹いて来たら危険でしょう?」
何か不都合でも? と不思議そうに聞いてくるけど、これだって絶対絶対分かっててやってるよね!!
ディナートさんの片腕が、ですね! 私の腰に! 回ってるんですよ! これって! これって! 私は一体どう解釈したらいいんでしょうか。誰か教えて。
何度も抱き上げて貰ってるから、今更って言われたらそうなのかもしれないけど、でもさ、この体勢って私が知る限り、親しい男女が並んで歩くときにとるんじゃないの?
だからもう! 本当にこういうのやめてくれないかな。誤解しちゃダメだって自分に言い聞かせるのにだって限界がある。――恥ずかしいやら苛立たしいやらで泣きたくなってきた。
「一人で歩けます! 突風が来たって落ちるほど体重軽くないし!」
苛立ちまぎれに、私の腰に回ってる彼の手をぺちりと叩いて、彼から飛び退いた。
ディナートさんが驚いて固まってる。絶好のチャンスを逃してたまるか。私は文字通り脱兎のごとく逃げ出した。
とにかく自室に逃げ帰って、籠城がてら部屋の掃除をしよう! 今日までお世話になった部屋だもん。思いきり丹精込めて掃除しよう。そのうち、この動揺だって収まるでしょう! 決まり!




