なぞる指先
「さて。邪魔者もいなくなりましたし、ゆっくりお話を伺いましょうか」
ここに座りなさいと言わんばかりに椅子を引かれて、渋々そこへ座る。ディナートさんは廊下に繋がる扉を開け放ち、それから窓際の壁にもたれかかって私と距離を置いた。
扉を開け放ったのは、何もやましいことはないと言う意思表示なんだろう。
「どうして私以外の人間に話を持ちかけたのです? 私は貴女に『核を倒すその時まで一緒にいる』と誓ったはずです」
「あれは……」
本気だなんて思ってなかったんだもの。
「ついでに言えば、その時、副団長としての職務との折り合いもつけると申し上げましたが?」
けど、でも、だけど! そんなこと出来ると思わなかったし、ディナートさんに無理させたくないって思ったんだもん!!
「貴女は一体何を懸念しておられるのです?」
何を、と言われましても。もうディナートさんが言っちゃったじゃない。
彼の推測の通りですって正直に白状した。
「だって軍の要職にある人がそんなに身軽なわけないじゃないですか。私一人のために……なんてありえないじゃないですか。だから、あの時ディナートさんが言ってくれたのは、ただ単に私を勇気づけるためだったんだろうって」
言葉を重ねれば重ねるほど、だんだんディナートさんの顔が険しくなっていって、しまいには半径一メートルくらいの周囲を巻き込んで、氷の世界を築き上げそうになってた。
しんとなった室内に、廊下から喧騒が漏れてくる。ああ。ここから逃げ出して、あの喧騒の中へ入っていきたい。
私が話し終わってもディナートさんは無言を貫いている。その沈黙が怖くて、私は恐る恐る彼の名前を呼んだ。
窓の外に向かっていた彼の顔が、ゆっくりと私の方へ向きを変える。
振り向いた彼の瞳はぎらりと鋭い光を放っていた。その眼差しの強さに、肩が無意識に跳ねた。怖い、どころの話じゃない。
「貴女は……」
ぎり、と歯ぎしりをする音が聞こえた気がする。
壁から体を起こして、ゆっくりと私の方へ歩み寄る。私は逃げることもできずに、固唾をのんでその姿を見つめていた。
私の前で足を止めたディナートさんは無表情に私を見下ろしながら、椅子の背もたれを掴んだ。
がっ、と椅子が音を立てるくらいの凄い勢いで、私は反射的に目をつぶった。
「貴女は、私の言う事が」
恐る恐る目を開けて、ゆっくりと顔を上げる。触れそうなほど近くに、彫像のように整った、だけど何の感情も見えない顔があった。金色の目だけが、ギラギラと苛立たしげな光を放っている。
ディナートさんを本気で怒らせた。
私の顔からさぁっと血の気が引いた。彼の両手に囲い込まれた私には、その視線から逃げる場所もなくて、ただただ見つめ返すことしかできなかった。
「信用できないと。そうおっしゃるのですね」
冷ややかな笑みと共に、ゆっくりと紡がれる言葉。
「ごめんなさい。そう言うつもりじゃ……。ただ……」
やっと喉から絞り出した声は掠れていた。
「ただ?」
ディナートさんに先を促されて、私は言葉を選ぶことも忘れて本音を話していた。
「ディナートさんにこれ以上迷惑をかけたくなくて」
「迷惑?」
ひそめられた彼の眉に不機嫌を感じ取って、気持ちが萎縮していく。怖い。こんな風に怖いと思ったのは初めてだ。でも、伝えたいことがあるから。
「召喚されてからずっとディナートさんに迷惑かけっぱなしで。最後くらいちゃんと一人でやれるってところを見て貰いたかったんです。――私が一人前になれれば、ディナートさんは副団長のお仕事に専念できるじゃないですか。だから、だから……」
結局、気持ちを上手く言葉にできなかった。多分、言いたかった事の半分も伝わらなかったと思う。だとしても、これ以上私は何を言えばいい? 下手に言葉を重ねても嘘くさくなるだけだ。
「うまく説明できなくてごめんなさい。ディナートさんを信用してないんじゃないんです。あなたのお荷物になりたくなくて、無理をさせたくなくて、それしか考えてませんでした」
私はそう言って目を伏せた。本当は俯きたかったけど、あまりにもディナートさんの顔が近すぎて、それをしたら触れてしまいそうだったから。
目を伏せていても、ディナートさんが私をじっと見ているのが感じられた。居心地の悪い沈黙が続く。
しばらくしてディナートさんは大きく息を吐きながら、少し体を離した。驚いて目を上げると、彼はそっと目を閉じて、左右に頭を振った。次に目を開けた時にはもうあのギラギラした光は見えなかった。
「まったく貴女って人は。要らぬ方向に気をまわし過ぎる」
呆れたように言いながら、彼は背もたれに置いていた手をどけた。次いで、私にのしかかるように曲げていた体を起こして、椅子から離れる。
「ディナートさん?」
「貴女の言い分はよくわかりました。この話はもうこれで終わりにしましょう」
いつもの穏やかな口調に変わっていた。けど、さっきの冷たくて低い声がまだ耳の奥に残っていいる。
がらりと変わった口調が、私に失望したと言っているようで、胸が痛んだ。
「本当にごめんなさい。――失礼します!」
それ以上、同じ部屋にいるのがいたたまれなくて、私は開け放たれたままのドアから飛び出した。
そして今に至る。
おしまいにしようと言われたことを蒸し返すのはスマートじゃない。分かってたけど、嘘でもなんでもいいから「怒ってない」って返事を聞きたくて、つい尋ねてしまった。
ああ、私は本当に馬鹿だ。
希望通り、怒ってないって返事を貰ったと言うのに、結局またうじうじ悩んでる。本当に怒ってないのかなって、また彼を疑ってる。スパッと信じ切ることが出来ないのはどうしてなの。
「今朝は本当にごめんなさい。私、ディナートさんにとても失礼なことをしてしまいました」
謝っても謝り足りないけど。
「聖都にいる時、私が貴女に約したことを覚えていらっしゃいますか?」
――ともにこの世の災厄に立ち向かう一騎士として、同志として、私は貴女に約しましょう。何があっても貴女を信じ、最後まで貴女と共にあることを。この約定に私は私の名と名誉を賭します――
土と汗にまみれてボロボロだった私の前に膝をつき、傷だらけの手を取って誓ってくれた彼の姿が頭に浮かぶ。
ああ。そうだ。そうだった。
「騎士の誓いは絶対です。それまで疑われてしまったら、立つ瀬がありません」
ディナートさんは寂しそうな苦笑を口の端に浮かべた。
そんな切ない顔を彼にさせてしまったのは、無知で馬鹿で自己中な私だ。
傷つけてしまった。どうやって償えばいいんだろう。
「ごめんなさい」
「まぁ、あれで貴女の信頼を頂けるのなら、安いものです」
私の気持ちが重くならないように、軽く返してくれたんだろうけど、それが逆につらい。
どうしていいか分からなくて、膝に置いた手をぎゅっと握って唇を噛んだ。何か言えば言うほど彼を傷つけてしまうんじゃないか。そんな気すらしてくる。
「また良からぬことを考えていますね? ――って言うのは三度目ですね」
少しは学習してください、と言いながら、少しごつくて長い指が私の髪をくしゃりと撫でた。
「だ、だって! 私、とても酷いことを……むぐ!?」
後ろ向きな反論をしようとしたら、いきなり彼の右手が頬にかかった。それだけじゃなくて、親指が私の唇をそっと押さえて、強制的に口をふさがれた。
唇に感じる指の感触に、私の頭は沸騰した。いきなりこんな展開って! あり得ないよ! 思考がついて行かない。
目を白黒させて慌てふためく私をよそに、ディナートさんは涼しげな顔だ。
今更感満載だけど、ほんっとうに表情が読みにくい。なに考えてるのか、全然全くこれっぽっちも分からない。いや、私ごときにバレバレだったら、近衛騎士団の副団長なんて務められないんだろうけど。
パニック過ぎて、逆に思考が冷静になる。と言っても、明後日の方向に冷静なんだから脳内大混乱中なのはまず違いない。
私の口を封じていた指が、形を確かめでもするかのように、ゆっくりと唇をなぞった。
「……っ!!」
ぞくり、とした感覚が背筋を駆け抜ける。その感覚をやり過ごそうと、無意識のうちに体が強張った。
「私がもう良いと言っているのですから、もう良いんですよ。それでも気が済まないと言うのでしたら……そうですねぇ……」
艶を含んだ微笑を向けられて、私はごくりと息を飲んだ。




