錯覚。あるいは……
結局夕方まで爆睡してました。
やけにしつこいノックの音で目が覚めたら、部屋の中が暗くなっててびっくり。窓から見える空はしっかり茜色をしていた。
慌ててベットから飛び降りた。鎧つけたまま寝てたんで、ちょっと肩が凝ってる。肩や首を軽く回して解しながら、ノックの音に返事を返す。
「良かった。食事の時間ですよ」
扉の向こうからくぐもった声が聞こえてきた。ディナートさんの声だ。
一眠りして、随分すっきりした頭に、さっきの記憶がぼん! っと一気に蘇ってくる。
わ、わた、わた、私、どんな顔して会えばいい!?
火が出そうに熱い頬を押さえて狼狽えた。
いや、会いたくないけど、会わないわけにはいかないよね。ご飯食べた後、会議だって言ってたし、もたもたしてる暇なんてないよね。うえええええ!!
「ヤエカ殿?」
訝しそうな声が聞こえてきた。
「い、いま行きます」
心の準備は出来てないけど、とりあえず扉を開けた。
いつも通り、優しげな微笑を浮かべてるディナートさんがいて、それがほんっとうにいつも通り過ぎて、ひとりで狼狽えてる自分が情けなかったり、もしかしてあれは全部私の夢か妄想で、実際は何もなかったのかもしれないなんて思ったり。
「顔を上げていただけますか?――ああ、良かった。もう元通りになりましたね」
ディナートさんは私の両頬に手を添えて、問答無用で顔をあおのかせる。両頬を手で挟まれてたら顔を背けることも出来ない。私をじっと見下ろす彼の顔をまともに見つめる羽目になって、ますます顔がほてる。
「まじないが効きましたかね」
なんて言いながらディナートさんがくすりと笑った。両頬を掴んでた手が離れたので、すかさず飛び退く。
まじない……? まじない……? まじないって何?
……。
…………。
――ん? あれか! あれなのか!!
脳裏に浮かぶのはさっきのアレ。そう。まぶたへのキス。
「やっぱり夢じゃなかったんだ……」って呟いた私に、彼のくすくす笑いは更に激化した。口元を抑えて横を向いてる。肩が震えてますけど。
えーと。さっきのあれは、ただ単にビックリさせて泣き止ませようとか、落ち込んだ気持ちを忘れさせようって魂胆だったって事で良いですかね。んじゃなきゃ、この『イタズラ成功!』って言わんばかりの愉快そうな笑い方って出てこないよね!?
って言うことは、だ。あらぬ方向に誤解して、ドキドキした私ってバカみたいじゃない。
そりゃあ、冷静に考えれば? ディナートさんみたいな大人で格好いい人が? 私みたいな良くも悪くも普通な子を相手にするわけないって分かりますよ?
でもね。それならそれでもっと別のやり方があったんじゃないの? よりにもよって、あんなことしなくたっていいじゃないの!! 人の純情踏みにじりやがってー!
「ディナートさんのバカ!!」
きょとんとするディナートさんを置いて、私はひとりでさっさと食堂に向かった。
食堂に着くまでの間に『やっぱり怒るのは大人げなかったかな』と反省したので、ちゃんと謝って、それからディナートさんからも謝られて、水に流すことになりました。
本音を言えば、いくら何でもキスはないだろって思うけど、もしかしたらこっちの世界は、むこうの世界の欧米に近い感覚でキスしたりするのかもしれないものね。あんまり気にしないことにする!
なんだかやけに人が多いなと思ったら、私が爆睡してる間に、聖都からの援軍の第一陣にあたる騎馬隊が到着したんだって。銀の鎧が土埃でくすんでる人がいるので、それが今日到着した人たちなんだろう。
到着は明日か明後日って聞いてたのに、びっくりだ。どれだけ急いで来たの!? おまけに疲れた様子がないの、二度びっくり。
歩兵部隊や補給部隊は、当然のことだけど騎馬隊より足が遅い。いくら急いでるからと言っても、やっぱり限界がある。そちらの到着は予定通り明日の夕方か、明後日になりそうだとか。
この砦の食堂は、騎士用と一般兵士用のふたつに別れている。私は騎士用の食堂で食事をとることになってる。ディナートさんに続いて食堂に入ると、奥のテーブルに大隊長さんと、アハディス団長、それから銀の鎧を着た見慣れない男の人がふたり座っていた。たぶん、今日の援軍を率いてきた方々だろう。
ディナートさんと一緒にそのテーブルにつかせてもらった。給仕担当の騎士見習いの子が、ディナートさんと私の分の食事を持ってきてくれる。見慣れないふたりを大隊長さんが紹介してくれて、予想通り援軍を指揮してきた方だと分かった。
食べ終わったらすぐに会議だ。男性陣は会話を続けながら恐ろしい速さで、恐ろしい量の食事を平らげていく。結局私の倍以上食べたはずなのに、みんな私より早く食べ終わってた。騎士って早飯食いスキル必須なんでしょうか。
お腹も膨れたところで、軍議室へ。
魔導城と聖女宮、それぞれを繋ぐ水鏡のそばには見慣れない神官さんと魔導士さん。この二人が前の神官さんの代わりに来た方たちだろう。二人派遣されてきたのは、いざという時、ひとりでは前回の二の舞になるからに違いない。
前回の襲撃の時、水鏡を使える神官さんは運悪く襲撃の早い段階で妖魔に遭遇して、自力で逃げたものの、しばらく意識を失っていたんだそうだ。だから、水鏡で状況を知らせたくてもできなくて、たまたまこの砦に立ち寄っていた魔導軍の騎士が急を知らせるために、聖女宮まで飛んだんだって。二人いれば最悪、片方が倒れても、もう一人が対処できる。そう言う思惑での増員だと思う。
「さて。みな、揃いましたね。遅い時間にごめんなさいね。そろそろ始めましょうか」
水鏡の中でルルディが告げた。作戦会議開始だ。
まず初めに、増援とか、補給物資とか、怪我人の搬送に関する話し合い。これは先にある程度取りまとめてあったのでスムーズに終わった。が。問題はその後。
どうやって妖魔討伐を遂行するか。
羽を持った妖魔の出現で、以前立てた討伐計画はほぼ白紙に戻っちゃった。いや、遂行しようとすれば出来るかもしれないけど、犠牲が大きくなる可能性が高い。
色々な話が出るのを私は黙って聞いていた。皆が出す案は、私をいかに安全に核に近づけるか、それを重点に置いていた。そのせいでルルディもソヴァロ様も他の皆も、おそらく両軍の犠牲者が多くなるのを覚悟している。それを分かった上で、私の安全を最優先にした案を出してる。
確かに私が核に行き着く前に動けなくなったり、死んだりしたら最悪だ。だけど、いたずらに犠牲を出すのもどうかと思う。ここに来て、妖魔に襲われて亡くなった人、怪我をした人を沢山見た。それは犠牲者のほんの一部だけど。偽善と言われても構わない。私は出来るだけ被害を最小限にとどめたい。
核を倒す。生きて帰る。日本へ戻る。それだけを考えるなら、皆の提案に口を出さないでいればいい。会議は紛糾してるけど、いずれにせよ私が死ぬリスクが一番低い案が採用されるだろう。
けど、それでは――。
その案が決まった時、私は素直に喜べる? 後悔しない?
「ねえ、ルルディ。ちょっと聞きたいんだけどいい? 前にさ、私以上にアレティと相性がいい人間はいないって言ったことあったよね? じゃあさ、私よりはちょっと劣ってても、アレティと相性がいい人っているんだね?」
「エーカ! 急に何を言い出すの!? そんなこと――」
「良いから答えて!」
ルルディと私のやり取りに、周りがしんと静まり返った。ルルディはしばらく沈黙した後、「いるわ」と答えた。
「その人はもう、ルルディの保護下にいるの?」
悔しそうに唇を噛みながら、彼女は頷いた。
そうか。もう代わりの人はいるんだ。ならちょっとは安心だ。
「次の質問! 核を倒したら妖魔全部が消えるとか、灰になって消えるとか、そういう事ってあるの?」
「いや、そんな話は聞いたことがないな。城に残る文献には、核を破壊したのち、数年は残党狩りに人員を割いたとある」
私の質問に答えてくれたのはソヴァロ様だった。やっぱり古い記録が残ってるのは強みだね。
核を倒しても妖魔は消えない。まぁ、核を倒した途端、妖魔も……なんてご都合主義的な展開はさすがにないよね。仕方ないか。
と言う事は、第一案は使えない。必然的に第二案に移行。
「あの、ですね。ちょっと私の危険度は増すんですけど、こういう作戦って駄目ですか?」
「ダメ!」
即答したのは、ルルディ。ちょっと、ちょっと、ちょっと。私まだ何も言ってないんだけど。何の提案もしてないのに、どうして駄目出しするの!
しばらく押し問答したけど、しびれを切らしたソヴァロ様の「まずは話を聞こう。可否はそれから論じれば良い」の一言で収束した。
不本意だと言わんばかりのふて顔で黙り込んだルルディに心の中で謝りながら、私は思いついた計画を話した。
結果的にそれはいくつかの修正を加えたあと、採用された。
ルルディもソヴァロ様も、アハディス団長もディナートさんも、大隊長さんも、援軍の指揮官さんも副官さんも、みんなみんな渋い顔をしてた。
あまり気は進まないけど、もっとも効率がよさそうだから仕方なく承認した。そんな感じ。
それでも私は自分の提案を受け入れてもらえたことが嬉しかった。
もちろん、戦うのはまだ怖いし、傷つくのも嫌だけど。でも、どんな方法であれ最終的に私は核を壊さなきゃいけないんだし、危険はついて回る。なら後悔のないように戦いたいもの。
一番激怒しそうだなと予想したディナートさんは私の話に激怒するどころか、一番最初に理解を示してくれた。
意外で驚いたけれど、彼に認めて貰えるような提案が出来た、それだけで一人前と認められた気がして、ちょっと誇らしかった。
一度方向が決まれば、後はどんどんと話が進んだ。やるべきこと、準備すべきことを確認して、日付が変わる前に私たちは各々の部屋へ戻った。全軍への指示は明日の朝。今日はもうすることもないので、明日に備えてぐっすり眠るだけ。
私は薄暗い廊下をディナートさんに付き添われて歩く。彼の手には手燭が一つ。その明かりだけで歩く石造りの廊下は、何かのゲームのダンジョンのようだ。
揺らめく炎のせいで影が生き物のように蠢く。時折窓から吹き込む風で手燭の炎がジジジと音を立てる。そのたびに炎が消えるんじゃないかと、ちょっとひやひやする。
私もディナートさんも何も語る言葉を持たなくて、ただ足音だけがかつんかつんと高く響く。
軍議室と私の部屋はそう遠くない。あっと言う間に部屋の前へ着いた。
「さっきはありがとうございました」
「何のことです?」
ディナートさんはいつも通りの微笑を浮かべている。分かっててとぼけてる、そんな気がした。
「私の提案に、一番最初に賛成してくれたでしょう?」
「効率の面から言って、最善でしたからね。反対する理由がありません」
私があの時、心を決められたのは、昼間、ディナートさんと色々話せたおかげだ。だから、自分の良心に従おうって思えた。
惨状を目の当たりにして感情的になったからでも、自棄になったからでもない。自分の命と、皆の命、両方大事だと思ったから。だから一番どっちも取れそうなやり方を考えた。
ここの人はみんな私を召喚したことに負い目を感じてて、何とか無事に帰そうとしてるのが言葉の端々から分かった。だから、あれは私が言い出さなきゃいけなかったこと。間違ったことはしてない。この先、どんなことが起きてもさっきの選択は後悔しない。絶対に。
「さぁ、もう休んでください。明日も早いですからね」
促されて私は扉を開けて部屋に入った。
「おやすみなさい、ディナートさん」
彼の顔を真っ直ぐ見上げながら、おやすみの挨拶をする。
手燭の明かりのせいなのか、彼の瞳はいつもに増して金色に輝いていて、なのに不思議と深い色で。私は吸い込まれるように見惚れた。
「おやすみなさい、ヤエカ殿」
ゆっくりと動く唇に、昼間のことを思い出してしまって、また顔が熱くなった。いや、あれが甘い感情から来たものじゃないって、分かってるはずなのに! 動揺しちゃ駄目。動揺したら負け。どうか手燭の炎の色で顔の赤さを誤魔化せてますように!
赤い顔がばれないうちにと、失礼にならない程度の素早さで扉を閉めた。そのまま扉に背を預けたままじっとしてると、かつんかつんと規則正しい足音が遠ざかった。
足跡が聞こえなくなったのを確認して、ずるずると座り込んだ。
変に意識しちゃってダメだ……。前みたいに自然な態度が取れない。どうしよう。
ディナートさんのことが好き。たぶんそう。
けど、私のこの気持ちって本当にそうなのかな?
いつも一緒にいてくれて、時には厳しかったけど絶対に見捨てないで指導してくれて、守ってくれた人だから。庇護者への信頼と恋をはき違えてない?
そのうち私は日本に帰る人間だ。こっちの人とはそう遠くないうちに別れなきゃいけない。恋愛したって絶対に結ばれない運命だ。そう言う悲恋に憧れて、たまたま近くにいて、見目がよくて優しいディナートさんを好きになったつもりでいるのかもしれない。
それにね。こんな風に命をかけなきゃいけない危機的状況に置かれて、気分が高ぶってるから好きだと錯覚してるだけかもしれない。
否定的な要因ばっかり次々と頭に浮かぶ。
自分の気持ちが分からないって、なんて厄介なんだろう。
明日からもちゃんと今まで通りに振る舞えるといいんだけど。
「こんなこと、考えてる場合じゃないのに」
ぽつりと口にした言葉は誰に聞かれることもなく、部屋の暗がりに消えた。




