叶わぬ願い、守れぬ約束
カーン、カーン、カーン――……
高い鐘の音が三つ、抜けるような青空に吸い込まれていく。
砦は二重の城壁に囲まれている。その壁と壁の間には水を湛えた深い濠と、芝のような草に覆われた空き地がある。
瑞々しく光る草の上に、等間隔で白い布が置かれている。一昨日の襲撃の犠牲者たちだ。棺を用意する間もなく、遺体は白い布に包まれて埋葬される。
しんと静まり返った中、神官さんの祈りの声だけが朗々と流れる。
「使命を全うし御許に参りますこの者たちに、永久のやすらぎを――」
重傷を負っている神官さんは、椅子や杖を用意すると言う周りのすすめを全部断わって、自力で立っている。
せめて出血だけでも止めないと体力が消耗するからとカロルさんが説得して、大きな創傷だけは塞がせて貰ったけど……
神官さんの祈りが終わって、また三回鐘が鳴る。これで追悼式は終わりだそうだ。
骨折したはずの足を引きずりながら、それでも背筋をぴんと伸ばした姿勢で神官さんが去ると、列席者の列が崩れた。これからすぐに埋葬の準備に入るからだ。
酷いことを言うようだけど、人の体は生命活動をやめた直後から腐敗が進む。伝染病の温床になりかねないし、埋葬は急を要する。
本当に時間がなく切羽詰っているときは火葬するらしいけど、いまは地属性の術と相性の良い騎士団員が何人かいる。彼らに穴を掘って貰えば随分と手早く埋葬出来る。あらかじめ決められた手筈通り、騎士団員たちが地面に等間隔で穴をうがっていく。
私はディナートさんに断わってその場を離れた。
供をつけると言われたのを「遠くには行かないから」と断わって、私は皆に背を向けた。
式が始まる前に、マーガレットに似た花が群生している場所を見つけた。砦の人に話を聞いてみたら特に育ててるわけじゃなくて、勝手に生えたものらしいし、墓前にお供えしてまずい花でもないって聞いたので、摘み取って皆のお墓に献花しようと思って。
何となく簡単に手折れると思っていた花は予想外に固くてなかなか上手く摘めない。思いっきり引っ張れば根っこまでボコッと取れた。そっと手折ろうとすると今度は茎がぐちゃぐちゃになる。
これは困った。
折っていた腰を伸ばして、皆が作業してる方を眺める。忙しく動き回ってる人ばかりで、戻ってちょっと小刀貸してくださいなんて言えない雰囲気だ。
アレティで切ろうかな……と思ったら、不穏な気配を察したのか、鞘から出て来てくれません! ちょっとプライド高すぎない!? 柄を引っ張っても、うんともすんとも言わないので仕方ない。諦めた。
迷った末、最終手段。術を使ってみようかな。力加減には段々自信がついてきてる。いきなりドッカン! はさすがにもうしない。――と思う。
小っちゃいカマイタチ作れないかな?
私は花の茎を左手で掴んで、右手の人差し指をその少し下に添えた。この人差し指の爪の先から小っちゃい刃が飛び出すイメージ。力が足りなかったらやり直せばいいんだから、とにかく最初は最小限の力で。
「そーっと。そーっと。……えいっ! ――できた!」
指の先からでた刃は、茎だけスパッと切断して消えた。
やった! 私、もう少し頑張ったら攻撃もいけるんじゃない!?
コツを掴んだので次々と花を摘んだら、あっという間に片手で抱えるにはギリギリの量になっていた。
これならきっと十分な量だと思う。私は皆の元へ走って戻った。
埋葬が終わったばかりの真新しいお墓の上へ、今摘んだ花をそっと置いていく。
盛られた土饅頭の上には、木を十字に組んで縄でくくった簡素な墓碑。この世界にも十字架が存在するのかなと思ったけど、これは光をかたどったもので、本来はひし形の、四辺が少し内側に凹んだ形なんだそうだ。よく漫画なんかでキラキラを表す時に使うあの形。あれです。あれ。本当は木や石を削ったりしてその形を作り上げるらしいんだけど、手配してる暇もない。
「家族の眠る墓地に埋葬してやりたいのですが……」
と大隊長さんが悔しそうにしていた。
砦の兵士たちはほとんどが近隣の町や村の出身者だ。遺族たちも避難中で、連絡のつけようも、引き渡しのしようもない。
あとで遺族たちを案内できるように埋葬した場所を記録し、遺品を渡せるようにとタグを付けて保管する。
花を捧げ終えた私は、その作業を手伝った。ひとつの袋にひとり分の遺品。それを持てるだけ持って、遺品の保管に割り当てられた部屋に運ぶ。
案内してくれた兵士さんと一緒に、帳簿をつける担当の兵士さんの指示通り、机の上に遺品の入った袋を置いた。
「あれ?」
部屋の反対側の机にも、似たような袋がいくつか置いてあるのに気がついた。けど、袋の大きさが今運んできたものより何倍か大きい。
「どうなさいました?」
私の独り言に、帳簿担当の兵士さんが反応を返してくれた。
「あっちの袋は?」
「ああ。あれですか」
兵士さんの顔が痛ましげに歪む。
「あれはですね。近隣の村の見回りの時に回収した、村人たちの遺品なんですよ。村ごとに袋を分けています。遺品にはひとつひとつ番号をふって、どこで回収したものかとか、どんな方が身に着けていたのか、可能な限りその特徴を帳簿に記載しています」
その話を聞いているうちに、ふと嫌な予感がした。
たぶん、これ以上首を突っ込まない方がいい。本能的にそう感じる一方、確かめなきゃだめだと言う心の声も聞こえた。
聖都であった少女の顔が、脳裏をよぎる。
「あの……シオーピ村と言うのはこの辺に?」
問う声が少し震えた。
「ああ。ありますよ。エオニオにかなり近い村で、ここからはちょうど北西方向になりますね」
北西……核のある方向。
これ以上聞かない方がいい。そう思うのに、意志に反して唇が震えながら言葉を紡ぐ。
「シオーピ村の……袋って、ありますか?」
ないと言って。犠牲者は誰もいないから、そんな物はないと言って。
私の願いをよそに、帳簿担当の兵士さんはひとつの袋を取り上げた。
「これですよ。ご覧になりますか?」
見ない方がいい。いいえって答えろ、自分。
「は、はい……」
ああ。私は何を答えてるんだ!
「では、どうぞ。――取り扱いは丁寧にお願いします。大事なものですから」
促されて、私は恐る恐る袋の中を覗き込んだ。
********
「こんなところにいらしたんですか」
膝を抱えてうずくまる私の頭上から、よく知った穏やかな声が降って来た。
誰とも顔を合わせたくなくて、わざわざ見つからなそうなところに逃げてきたのに。どうしてわざわざ探し出すの。ちゃんと夜までには復活するから。緊急事態でも復活するから。だから、今だけは放っておいて欲しいのに。
私は声を無視して膝の上にひたいをさらに押し付けた。
ディナートさんの声を無視したのはこれが初めてかも知れない。
「今日は風が強い。いつまでもここに居たら風邪を引きますよ」
かちゃり、と金属音がして、不意に風が止んだ。すぐ近くに人の気配。彼が私のそばにしゃがみ込んだんだろう。見なくてもそれは分かった。
「ヤエカ殿」
重ねて問われても、私は沈黙を続けた。ディナートさんは今一番会いたくない人。私のことなんて放っておいてほしい。
「だんまりですか。仕方ありませんね」
そうそう。私、どうしようもない馬鹿ですから。早く呆れ果てて、捨て置いてください。
「では私の好きにさせて頂きます。そうですねぇ。ではまず、ここにいたのでは貴女の体に障りますから、謹んでお部屋までお運びしましょう。ああ、暴れても無駄ですよ。貴女の抵抗ぐらい簡単に封じられますから」
「なっ!!」
思わず顔を上げていた。驚いてのけぞりたくなるくらい近くに彼の顔がある。
してやったりと言った風に笑うその顔が、不意に滲んだ。
「ヤエカ殿!?」
風に冷えた頬を熱いものがぽろりと落ちた。それはぽたぽたと顎から膝に染みを作っていく。
せっかく我慢してたのに。
一度落ち始めた涙は後から後から溢れて止まらない。溢れるたびに、気持ちまで萎れていく。
もうだめだ。限界。
砦に来てから見た光景が頭を巡る。血塗れの腕。赤茶けた石畳に残る血痕と体液の痕。目を背けたくなるくらい酷い怪我の数々。白い布に包まれた遺体が並ぶ草原。術で穴を掘る騎士団員の、日光を反射する黒い鎧。風に揺れる白い花。そして青い首飾り。あの子と同じ――
「……なさい。ごめんなさい……! 私、私……」
「落ち着いて」
「落ち着いてなんかいられないよ! 何で? どうして? どうして、こんな……こんな……」
『父様、後から絶対追いつくって言ったの』頭の中に少女の声が響く。
『聖都で君が待ってるから早く行ってあげてって伝える。絶対に伝えるから』自分の答えも蘇える。
伝える。彼女の父親に。それは、もう――
「う、うわああああああああああああああ!!!」
「ヤエカ殿!」
頭を抱えてうずくまる私を、ディナートさんが抱きしめる。
「念のための人払いを」
「はっ!」
私の頭の上で、ディナートさんと誰かが短く会話をしたのが、うっすらと聞こえた。鎧を鳴らして誰かが歩み去っていくのも分かった。ディナートさんが小さな結界を張る気配もした。
けれどそれは遠い夢の世界の出来事のようだった。
口からはずっと獣みたいな絶叫がほとばしってて。自分の声だし、自分が叫んでいるのに、それすらも、どこか現実味がない。
もう叶わない願い。守られない約束。私は彼女に一番残酷な仕打ちを、した。
私はやっと理解した。あの時、皆が厳しい顔をした意味を。
『絶対』なんて初めから存在しないんだ――。本当はあんな風にあの子と『絶対』を約束しちゃいけなかったんだ。私がしたことはただいたずらに彼女に期待を持たせただけ。最悪の事態だと分かった時、あの子はきっと深く絶望する。
何で私が勇者なんだろう?
どんなに頑張っても、未熟なのに。努力したつもりになってる、ただの無知な人間なのに。
例えば、セラスさんや、ルーペスさんが選ばれてたら? そしたらもうとっくに核なんて破壊されてて、犠牲になる人ももっともっと少なくて済んだんじゃない?
何で? 何で? 何で私なの!! 何で! 何で! 何で! 答えてよ、アレティ!!
問いかけても、アレティは答えない。
私だから。私が勇者だから。皆、皆、死んでいく。あの子のお父さんみたいに。この砦の兵士たちみたいに。
「皆、死んじゃう……」
ディナートさんが何度も私の名前を呼ぶ。けれど、それは私には届かない。息苦しくなるくらい強く抱きしめられてるのに、痛みも苦しさも感じない。
「私が……。私のせいで……。――行か、なきゃ。早く……」
核がある限り、犠牲は止まない。だから、急がなきゃ。
「ヤエカ!!」
怒鳴られると同時に、頬に熱い衝撃が走った。開いてるのに何も見てなかった目が、だんだんと焦点を結んで、目の前の光景が見えてくる。
頬を叩かれたのだと気が付いたのは、それからだった。
「あ……」
「何があったか知りませんが、ひとりで抱え込むのはやめなさい。貴女が耐えきれないなら、私が支えます。だから、もっと頼ってくれていい」
「ディナート、さん?」
「それとも私では頼りないですか?」
切なげな声が耳元で囁く。
違う。その逆だ。頼もしいから、どこまでも頼ってしまいそうで怖かった。甘えて、甘えて、ひとりで立てなくなりそうで心配だった。だから、訓練が終了した時点で、もうこの人に甘えるのは止そうって思ったのに!
「私を甘やかさないで!」
「甘やかしてるつもりはありませんが? むしろもう少し甘えていただきたいくらいですね。特に今は」
髪を撫でる彼の指があまりに優しいから、喉の奥で止めることが出来ず、嗚咽が漏れた。
「大丈夫。ここには貴女と私しかいません。思い切り泣いていいんですよ」
その声に誘われるように、私は小さな子どもみたいに大声を上げて泣いた。涙が枯れるまで。




