星空の下でふたり
大怪我をした人たちの治療は、夕暮れとともに終わった。
その頃にはやっぱり私もかなり消耗していて、頭は霞みがかったように朦朧としていて、鈍い痛みまでし始めていた。
私としては無理をしたつもりも、無茶をしたつもりもなかったんだけど、カロルさんに
「今日はもうこれでおしまいですよ。お疲れ様でした」
そう言われた途端に、体から力が抜けて座り込みそうになった。座り込まなかったのは、周りの人の視線があったからだ。
単にカロルさんの手伝いをしてただけだけど、いちおう勇者という称号を頂いてる身としては最後まで虚勢を張っていたい。
「お邪魔しました。ゆっくり休んで早く良くなってくださいね!」
入り口を背にして、室内の皆に声をかけた。
きっと私がいない方が気が休まるだろうからと思って、一礼した後すぐに部屋を出た。
中庭はもうずいぶんと暗くなっていて、あちこちに松明が焚かれていた。
片隅に置かれていた妖魔の死体ももうなくなっている。検分が済んでどこかに運ばれたらしい。
重い足を引きずりながら、私はあてがわれた部屋へと向かう。さっき一度行った軍議室の近くだから迷うことはない。聖女宮みたいに入り組んでないしね。
ああ、早く部屋に着かないかな。部屋に着いたらこの鎧脱いで爆睡してやる。んー、晩御飯どうしよう。食べる気力もないし、とりあえず一回寝てから考えようかな。でも一回寝たら起きれなそう。
「あー……晩御飯抜いたら、叱られるだろうなぁ」
ディナートさんに。でも、ばれなきゃ――
「当然です」
ぎくり、と不自然に肩が跳ねた。恐る恐る振り向けば……。やっぱりディナートさんだ。神出鬼没ってこういうことを言うんじゃないの。
私が救護室を出るずっと前にディナートさんの姿は消えていた。
治癒の術はあまり得意じゃないと言っていたし、たぶん彼の出来る範囲で治療を助けた後、妖魔の検分とか他のことに色々忙しかったんだろう。きらきらしい彼の美貌にやや陰りが見えるのは、松明の明かりが揺れるせいばかりじゃないと思う。
「無理するなと言っても、貴女のことですからどうせ加減を知らないだろうと思いましてね。軽くつまめるものを厨房から貰ってきましたよ。部屋で召し上がってください」
呆れ笑いを浮かべる彼の手にはバスケット。水の入った瓶が、埃よけの布からひょこりと顔を出している。
その場で受け取ろうとしたんだけど、部屋まで運ぶと言ってくれたディナートさんの好意に甘えさせてもらった。
ディナートさんと並んで、静かな廊下を歩く。
今朝ここに着いたときは、来たことを後悔してしまいそうなほど怖かった。
けど、治癒の術を手伝ううちに、怖いって思う気持ちはもっと複雑に変化した。慣れたのとは違う。新しい負傷者と向き合うたびに、痛そうで辛そうで、やり切れなくて、とにかく胸が痛かった。
負傷者たちが負傷した原因は妖魔だ。妖魔を殲滅しなきゃ、いつまでもこの悲劇は続くんだ。私が聖都で訓練をしていたあの時も、どこかで誰かが妖魔に襲われて大怪我したり命を落としたりしてたんだ。
知ってるつもりだった。だから、急いでるつもりだった。
けど、けど、けど!
私は何も知ってなかった。
きっと皆はこういう惨状を正確に把握していて、それでも待ってくれていたんだろう。
鬱々と考えているうちに、私に割り当てられた部屋に着いた。
念のためにディナートさんが先に部屋へ入り、危険がないかざっと点検してくれる。私物もおいてないので特に慌てることもなく、私はぼんやりと彼の動きを目で追った。
部屋を出て、異常はなかったと告げる彼にお礼を言ったけど、上の空がばればれだったようだ。頭の上から大きなため息が落ちてきた。
「ヤエカ殿。また何か良からぬことを考えていますね?」
「私は……」
「まさか、全部自分のせいだなんて、偉そうなことは考えてませんよね?」
「へ?」
弾かれたように見上げた先で、ディナートさんはにっこり笑っていた。でも、その笑顔の迫力に周囲の温度が数度下がった。
「そんな馬鹿馬鹿しいことを考えてる暇があるなら、とっとと夕食を食べて、ぐっすり寝てください。明日は犠牲になった者たちの追悼もあるんですからね。寝不足のむくんだ顔で列席するなんて許しません」
立て板に水の勢いでまくしたてられて、私は一歩後ずさった。
「良いですね?」
ずいと身を乗り出されて、鼻と鼻がくっつきそうなほど近づいた。彼の肩から落ちた銀の髪が視界の端でさらさらと動く。
「ひゃ、ひゃい!」
噛んだ。思いっきり噛んだ。
「本当に分かりましたか?」
あれだけ見事に噛んだんだから、少しは突っ込んでよ! と思うけど、真面目なディナートさんは完全無視の方向らしい。
「本当の、本当に分かったんですね?」
く、くどい!!
「本当です! そんなに疑うなら、ディナートさんも一緒に食べればいいじゃないですかっ」
「分かりました。そうさせていただきます。私の分も調達してきますので、貴女は先に部屋で休んでいらしてください」
やけっぱちの提案はあっさりと了承されてしまって、言った私もびっくり。
えーと。私、墓穴掘った、ね?
ディナートさんと二人っきりでご飯。二人っきり。侍女もいない部屋で。って!!――本当に二人っきりじゃん!! え、仮にも女の子の部屋でそれってどうなの、倫理的にまずいでしょ!!
――と言う私の絶叫は、結局杞憂に終わった。
厨房から戻ったディナートさんは何故かバスケット以外にも、大きな布みたいなものを持っていて。
「良い場所教えて貰いましたから、行きませんか?」
と悪戯っぽく笑った。
すぐそこだと言うので、重い足を引きずりながらついて行く。ついた先は少し広めのバルコニーのような場所。きっと眺望を楽しむためのものじゃなくて、見張り用のものなんだろう。
「確かに良い眺めだ」
ディナートさんは眼下に広がる景色を、目を細めて眺めた。暮れかけた大地は半分以上闇に沈んでいるけれど、月光にきらきら光りながら流れる川が見えた。空には沢山の星。明るい十六夜の月が上りかけていた。あの月の下あたりに聖都があるのかな?
「寒くはありませんか?」
「大丈夫です。布敷くのお手伝いします!」
広げた布は厚手で、上に座っても岩の冷たさは滲んでこない。ディナートさん、いったいどこから調達してきたんだろう? あまり詮索するのも無粋ってもんよね。考えるのやめよう。
私たちは銘々のバスケットからパンやハム、果物を引っ張り出して頬張った。
他愛もないことを沢山喋って、星空を眺めながら食べる夕食は、体に染み入るように美味しかった。
満腹になった途端、眠気が襲ってくる。涼しい夜風も眠気に火照った体に心地よくて、気を抜いた途端寝落ちしそう。危険だ。
「それだけ眠そうなら、余計なこと考えずにぐっすり眠れそうですね。良かった」
意地悪なディナートさんに反論する気力もないくらい眠い。
不本意ながら彼に部屋まで付き添われた私は、部屋に戻った途端、ベッドに倒れこんで眠りに落ちた。
先に鎧脱いでおいて良かったとか、片づけ全部ディナートさんに押し付ける形になっちゃって申し訳なかったなとか、色々思うことはあったけど、頭を上げることさえできなくて、私の意識はそのままブラックアウト。
次に目が覚めたのは、案の定、翌日の朝でした。
陽が落ちて間もない時間から朝まで寝れば、さすがに体力も気力も回復していた。
うん。大丈夫。今日も頑張れる。
私はベッドから飛び起きて、そばに置いておいた鎧を付け始めた。




