切り捨てる覚悟
「失礼します」
あまり目立たないくらいの声で言ったつもりだったんだけど、周囲の空気がざわりと揺れた。
扉に顔を向けられるくらいの元気がある人々がほぼ一斉に振り向いた。たくさんの視線が全身に突き刺さる。
「おい……」
「あれは?」
「赤い鎧って」
「勇者様か!?」
あちらこちらでそんなざわめきが起きていた。
どうしよう。私はどうしたらいいのかな。
戸惑う私の背中を、ディナートさんがそっと叩いた。
「落ち着いて、ヤエカ殿」
そうだ。ディナートさんの言う通りだ。落ち着こう。落ち着いて。えーと。なんて言えばいいのかな。いや、悠長に迷ってる場合じゃないでしょ。
「あの、お手伝いをさせてください!」
今度はざわめきじゃなくて、どよめきが起きた。みんな信じられないものを見るような目で私を見ている。
え? なに? なに? 手伝っちゃダメなの? もしかして、邪魔だから帰れとか言われちゃう?
「じゃ遠慮なく手伝ってもらって良いですか! こっちです、こっち!」
膠着した空気を全然気にしていないように明るい声が奥の方で上がった。魔導軍の黒い鎧を付けた青年が手を振っている。
「あ、はい!」
私は慌てて返事をして、ディナートさんを見上げた。彼は『行っておいで』と言うふうに小さく笑って頷いた。それに頷き返して、呼んでくれた騎士のもとへ急いだ。
「あれ? カロルさん?」
私を呼んでくれたのは、赤毛の青年騎士。昨日の視察で護衛を務めてくれた彼だ。
「その節はどーも。さっそく手伝っていただきますよ」
軽口を叩きながらも彼はてきぱきと怪我人の鎧を外していく。緩衝材の役割を果たすために中に着こんでいる綿入りの服が露わになる。肘のあたりから下がべっとりと赤く濡れている。
「まず、この服を何とかしなきゃいけませんね。肩から切りましょう」
カロルさんは小刀を取り出して肩から袖を引き裂いた。それだけでもかなりの衝撃だったんだろう、怪我をした兵士さんは真っ青な顔をさらに青くして呻く。
「これは……」
服を切り裂いたカロルさんが呻いた。つられて見た私は、くらりと眩暈がした。人の体って、こんなに変形するものなの?
「君、利き腕は?」
「右、です」
カロルさんの問いに答える兵士さんの声は、途切れ途切れだけど意外にしっかりしていた。
「悪いけど君の利き腕は、切り落とさないとダメだ」
「そう、ですか。覚悟はしておりました。よろしく……お願い、します」
あっさりと告げるカロルさんと、その重大な事実をあっさりと受け入れる負傷兵。ちょっと待ってそんなに簡単に決めちゃっていいものなの!? 何か……切り落とさないで済む方法ってないの?
すがるようにカロルさんを見るとなぜかにやりと人を喰ったような笑みを浮かべている。
「だけど、君は運が良いよ。なんて言ってもここに、力めちゃくちゃ有り余り過ぎの勇者様がいるからね。一か八かになっちゃうけど、切り落とさないで済む方法、試してみる?」
「そ、そんなことが、出来るの……です、か?」
「んー。まぁ、たぶん? 俺一人だったら絶対無理だけどさ。やったことないから成功する保証はない。まぁ最悪でも当初の予定通り切り落とすだけだからさ」
「お願い、します」
そんないい加減なんだか真剣なんだか分からないやり取りは、周囲にも聞こえていたらしい。気がつけば、注目の的になっていた。
「そういうわけで、勇者殿。さっさとやりますよ。俺の隣に来てください」
私は急いで彼の横に膝をついた。
「貴女が力を暴走させたら困りますからね。俺の体を媒介にして彼に力を送ります」
「はい! 今はアレティが一緒だから暴走はしないと思うけど……」
「『思う』じゃダメですよ。治癒の術を単独で使ったことは?」
私は首を横に振った。
「なら尚更。直接怪我人に力を注ぐのはやめましょう。――手を俺の肩に置いて。そうそう。そんな感じで。んじゃ、その手の先に力を集めておいてください。俺が貴女から必要なだけ引き出しますから、後は何もしなくていいですよ」
「はい!」
カロルさんは、兵士さんの潰れきって原型をとどめていない指先を握った。もう片方の手で怪我をしていない上腕部分をつかむ。ちょうど怪我のしている部分を両手で範囲指定してる感じだ。
彼の肩に置いた右手が、ぐっと引っ張られる感じがした。本当は手が引っ張られてるんじゃなくて、力が吸い出されてるだけなんだけど。
その力が意外と強かったので私は慌てて右手に集中した。体中をめぐる力を捕まえて、手のひらのあたりに溜める。
カロルさんが腕で囲った部分に、虹色の光る球体が出現した。それに包まれた患部は明るすぎて全く見えない。
「出来た!……と思う。たぶん」
どれくらい経ったのか。カロルさんの声と共に、光球は徐々に光を失って消えた。後に残された腕は……
「治ってる!?」
「安心するのはまだ早いですよ、勇者殿。――ねぇ、君。いちおう修復はしたんだけどね、まだ不安定なんだ。添え木で固定してしばらく様子を見てくれないか。骨折と同じ扱いで良いと思う。もし明日になって皮膚の色がおかしいとか、何か異変があったら言って。その時は切り落とすことになる」
彼の声は、わっと湧いた周りの声で掻き消え気味だった。
当の本人は、呆然として自分の右腕を見ている。
カロルさんの指示を受けた衛生兵がやって来て、手早く添え木をして包帯を巻く。それを見て安心したのか、兵士さんは意識を手放した。きっとしばらくこんこんと眠ることになるだろう。大きな治癒は、怪我をした本人の体力をかなり消耗すると言っていたから。
井戸で手を洗ってきたカロルさんが、中に入らないで扉の外からちょいちょいと私を手招きしてる。
何だろう? と訝しみながらも彼のもとへ急いだ。
どうしたのか訊こうと口を開きかけたところで、髪をわしゃわしゃっとかきまぜられた。ちょっと、なに!?
「お疲れ様、勇者殿。貴女がいてくださって本当に助かりました。貴女がいなかったら、俺も力を使い果たしたし、彼の体力も治癒に耐えられなかったでしょう」
よくやったと頭をポンポンと撫でられて、泣きたくなった。初めて役に立てた、私は足手まといじゃない、少しだけそう思えたから。
「ほら。ぼさっとしてないで。次行きますよ、次!」
髪をわしゃわしゃするだけして満足したのか、カロルさんはさっさと部屋の中に消えていた。ちょっとあの人、いったい何なの! と心の中で毒づく。半分照れ隠しで。
泣くのをこらえて顔を上げたら、ちょうど扉から出てきたディナートさんと目が合った。口の端を小さく上げて微笑む彼の顔は『よくできました』と言ってくれてるように見えた。
泣きそうになってたことを悟られたくなくて、私は急いでその場を離れようとしたけれど、不意に手首をつかまれて固まった。
「え?」
驚いて振り返ると、不思議な表情を浮かべたディナートさんが私の手を握っている。
「ディナートさん?」
どうしたんですか? と問う私には答えないで、彼は空いた手で私の髪を撫でて整える。
「ぼさぼさの頭のままじゃ情けないでしょう? 身だしなみも大事です。全くカロルにも困ったものです。まぁ気持ちも分からないではありませんけどね」
そうだった! あれだけぐしゃぐしゃされたら髪の毛はぼさぼさよね。――ちょっと待って。そのぼさぼさ頭、ばっちりディナートさんに目撃されたってことじゃない。うわ。恥ずかしい。
と言っても、師匠な彼にはこれまでも数々の醜態を晒しているので、今更なんだけどね。
何度か髪を撫でて納得がいくおさまりになったのか、ディナートさんが髪から手を離した。
「――さぁできましたよ。頑張って。無理はしないように」
「はい」
答えは少し歯切れが悪くなった。
だって。この惨状を見たら出来る限りのことはしたいと思うのが、人情じゃない? 無茶はしないけど、ちょっとぐらいなら無理は……――
「いだっ!!」
びしりとデコピンが飛んできた。額を抑える私に、冷え冷えとした視線が落ちてくる。
「今、良からぬことを考えていたでしょう。いつ何が起こるか分からないんです。こんな状況下で無理するのは自殺行為に等しい。無理はしない。良いですね」
氷点下の眼差しが肌に痛い。私はひたいの痛みも忘れて、ぶんぶんと首を縦に振った。
「分かれば良いのです。さぁ、カロルが待っています。彼を手伝ってやってください」
「はい!」
今度ははっきりと返事をして、踵を返した。




