出立の朝
視察の翌朝、と言うより、まだ夜も明けきらない頃。
ふと違和感を感じて目が覚めた。
隣の部屋から明かりが漏れていて、人が動き回る気配がする。足音はしないけれど、かすかに物音が聞こえる。
誰だろう? こんな時間に……。もしかして泥棒!? いや、聖女宮の奥にそうそう泥棒が来るわけないか。侍女さんの誰かかな?
私はベッドから降りてドアを開けた。――念のためいつでも防御壁を張れるように身構えながら。
手入れの行き届いているドアは軋むこともなく、すっと開く。
闇に慣れた目には明かりがまぶしくて、私は一瞬目を細めた。
「ヤエカ様!」
目が光に慣れる前に、聞きなれた侍女さんの声が聞こえてきた。
ああよかった、泥棒じゃなかった。
「おはようございます。――あれ? それって」
私の鎧?
侍女さんの手の中にあるそれは、すごくすごく見覚えのある赤い鎧。
「何かあったんですね?」
侍女さんが答えるよりも先に、私は用意された服と鎧に着替えはじめた。前回、一人旅したから自分で着方くらいは分かる。
そうだ。そうだ。朗報です!
今回は鎧の下のぴらぴらスカート、何とか取りやめて貰いました!! スカートの代わりは白いズボン。本当は黒や茶色みたいな暗い色の方が汚れが目立たなくていいんだけど。でも、鎧の赤とのバランスとか、そういう見た目の問題で却下されちゃった。まぁスカートじゃないだけまし。
着替えを終えて、侍女さんの案内でルルディの執務室へ向かった。
まだ夜が白んでもいないと言うのにどこもかしこも騒然としていて、すれ違う誰もが思い詰めた顔だ。たぶん予想していなかったこと、それも悪いことが起きたんだ。私は走り出したい衝動を、拳を握ることで紛らわせて侍女さんの後ろをついて歩いた。
執務室のドアを開けると、そこにはルルディとセラスさん、アハディス団長、ディナートさん、それから宰相さんと聖術部の長……神官長さんが集まっていた。
ソヴァロ様の姿が見えないのは、数日前に魔導国へ戻られたからだろう。数日前にディナートさんがそんなことを言ってたもん。
ルルディの隣に水鏡が置いてあるから、ソヴァロ様とはあれで繋がってるんだろうね。テレビ会議とかウェブ会議とか言われるやつみたい。
私が着いたときにはもうある程度色んなことが決まってて、私はみんなから状況とかこれからすることとかを教えて貰った。
実はね、核の場所は少し前に見当がついてて、出陣の準備は最終段階に入っていたらしい。私の訓練が成果を結んでいようが、未熟なままだろうが、今日には出陣が知らされる予定だったんだって。
ああ。そうか。アハディス団長は焦ってたんだね。それであんな強硬策に出たのかって納得がいった。
本来なら、出陣の前に兵士や騎士を集めてルルディが演説、そのあと町の人々に見送られながら出るはずだったらしい。
なんて悠長なことをするんだろうと思ったけど、討伐に出る人の士気とか、民衆に希望を持ってもらうとかいろんな理由があるんだろう。
けど。その予定は狂った。
昨夜、西の三の砦から急な伝令が飛んできた。
昨日の日中そこが妖魔の襲撃を受けた。
その砦より西の村々の住民はすでに聖都に避難しているから、西の三の砦が最前線と言える。
けど、エオニオから馬を走らせて約半日弱の距離にあるから、そうそう妖魔も襲ってこないだろう……そう考えていたのに、最悪の事態が起こった。
かろうじてその襲撃は退けたものの、砦よりすぐ東の村二つから連絡が途絶えた。自主的に避難した村人が多かったが、それでもやむを得ぬ事情で幾人かの村人が残っている。手の空いた者が駆け付けてみれば……。その先は言いたくない。
エオニオの妖魔は動きが鈍い。
そして、砦の者たちが警戒を怠っていたわけではない。魔導国の騎士や兵士のうち、羽根を持つものも何名か派遣されていて、空からも哨戒していた。
鈍足な妖魔は砦にたどり着く前に発見されるはずだ。
なら、どうして? 何が起こったの?
「奴ら、羽根を生やしやがったらしい」
アハディス団長が忌々しげに吐き捨てた。
羽根が生えた?
「進化してる、の?」
「そう見てよろしいかと」
掠れた声で尋ねると、神官長さんが深い溜息と共にそう答えてくれた。眉間に刻まれたしわが深い。
「これから、アハディス団長以下、飛べる者にはすぐ砦に向けて出立してもらいます。聖軍および空を飛べぬ者も出立の準備ができ次第、出陣。よろしいですね」
「御意」
ルルディの指令にアハディス団長とディナートさんが短く答え、軽く礼をした。すぐに体を起こし、部屋を出ていく。
「ルルディ、私は……?」
「エーカにはセラスたちと一緒に立ってもらう予定よ」
「でも!」
それじゃあ私が到着するまで核は倒せない。もし私がいない間に絶好のチャンスがあったら?
もしくは私が到着する頃には襲撃が激化してて、二度とチャンスが無かったら?
私は一刻も早く前線に行くべきなんじゃないの?
本当は凄く怖いよ。怖いけど。
でも、私が核を倒さなきゃみんな死んじゃうかもしれないんだよね? そして倒すまで私は日本に帰れないんだよね?
どんなにルルディが私の友達だって、彼女は聖女だもん。私を帰すためにこの世界を破滅させるわけない。
なら。少しぐらい無謀だって、少しぐらい怖くたって。私は行かなきゃいけない。
大丈夫。一人じゃない。みんな一緒に戦うんだから。ディナートさんだって、アハディス団長だって……それにちょっと待ったらセラスさんたちもいてくれる。
「ルルディ。私はアハディス団長やディナートさんたちと一緒に行くべきだと思うの」
「エーカ!」
「もう最初に立てていた作戦なんて通用しない段階なんでしょ? だったら、アレティの使い手は前に出なきゃ」
当初の予定では、聖軍と魔導軍混合の討伐隊に核の近くまで道を切り開いてもらって、私は一気に核を倒しに行くことになっていた。
それは妖魔の足が鈍くて、あまり拡散していないということが前提だった。
空を飛ぶ妖魔が出現したんじゃそんな悠長な作戦はもう通用しないよね。核近くまで進軍したとしても、空を飛べる妖魔に背後を取られたら厳しいと思う。
「でも!」
「ルルディだって分かってるでしょ。私、ディナートさんたちと一緒に行くから。止めないで」
ルルディは唇を噛んで一瞬俯いた。すぐに顔を上げてじっと私を見る。その表情はもう凪いでいていて、私には彼女が何を思っているのか見えなかった。
彼女の無言を肯定と受け取った私は、大丈夫だと言う気持ちを込めて笑いながら頷いた。 そして宙に向かって話しかける。本当は心の中で話しかけても良いんだけど、なんとなく声を出した方が良い気がして。
「アレティ、行くよ。おいで」
――御意
頭の中に声が響くと同時に、手の中にアレティが現れた。
「よろしくね。相棒」
――是
腰に下げていた鞘にアレティを収めて、私は柄の部分をぽんとひとつ叩いた。
「じゃ、みなさん、行ってきます! セラスさん、あっちで待ってますから!」
それだけ言って一礼して、私は部屋を飛び出した。早くしなきゃディナートさんたちが出発しちゃう。
全速力で廊下を走った。廊下を走るのははしたない事だけど、今日だけは許して貰おう!
廊下で会う人たちは私を咎めるどころか、道を開けてくれる。
「ヤエカ殿、ご武運を!」
「神のご加護を貴女に!」
そんな風に声をかけてくれる。私はそれに「ありがとう」と返しつつ、振り返らない。こんな慌ただしいお礼でごめんね、と心の中で謝りながら、アハディス団長の執務室へと向かう。
途中の窓から白み始めた外を見たら、訓練場に影のように黒い一団が見えた。
あ! まずい!
あの銀色の短髪と長髪のコンビはどう見てもアハディス団長とディナートさんだ。
みんなもう支度を終えていて、アハディス団長が騎士を前に何かを話している。たぶん彼の話が終わったら出発なんだろう。いま私がいるのは二階の廊下だ。飛び降りるわけにも行かないし、走ってもたぶん間に合わない。そんな気がした。
だから私は手近な窓を思いっきり開けて叫んだ。恥とか外聞なんて知るか!
「ちょっと待ったあああああああああああっ」
アハディス団長とディナートさんが、ぎょっとした様子でこっちを見る。こんな緊急時にあれだけど、二人の驚いた顔なんて貴重だわ。つい小さく吹き出しちゃった。
二人につられて、近衛騎士団のみんなも私の方を見る。
「一緒に行くことになりました! ってわけでちょっと待っててください!」
私は急いで窓を閉めて、訓練場へ向かった。
最後に見えたディナートさんの顔が、めちゃくちゃ険しかったからきっと怒られるんだろうなぁ。
怖いなぁ。でも彼を説得しなきゃ連れてってもらえないんだし、頑張ろ。
「お、お待たせ、しま、した……」
みんなのもとに辿りついた時には完全に息が上がってた。やっぱり体力不足だな。頭の隅でちらりと思いながら皆に頭を下げた。
「おい、どういうことだ、ヤエカ殿」
アハディス団長の質問に、私は今しがた、彼らが出ていった後にルルディたちとの間でしたやり取りを話した。
話を聞き終わったアハディス団長とディナートさんは、聞く前よりさらに苦虫をかみつぶしたような顔になっている。
もともと迫力ある顔のアハディス団長も、美形すぎなディナートさんも、そういう怖い顔すると、ほんっとにめっちゃくちゃ必要以上に怖い。
「感心せんな」
「私も団長に賛成です。危険すぎます。貴女をお連れするわけには」
二人がかりで反対された。
でも反対されたからって、私だって引き下がれない。
「危険は承知の上です。後手に回ってどうしようもなくなるよりはマシです」
「ですが!」
「だって、遅れたせいで手に負えなくなったらどうするんですか?」
「焦ったって良いことはねえぞ」
そうだよね。このぐらいじゃ折れてくれないよね。なら、必殺・異世界人のわがまま発動するしかないかな。本当はこんな意地の悪いこと言いたくない。けれど、言わないときっと納得してもらえない。
「私、早く自分のいた世界に戻りたいんです。核を倒さなきゃ戻れないでしょう? チャンスを逃したくないんです」
二人の顔が今までとは違った風に歪んだ。
ごめんなさい。卑怯なことを言ってるって自覚はあります。落ち着いたらちゃんと謝ります。だから、今は。今だけは。どんなに嫌な奴だって思われても譲りたくないし、譲れない。
「お願いします。連れて行ってください」
「我々と共に行くその危険性を貴女は分かっておられない」
「分かってないかもしれません。でも、それでも行かなきゃいけないと思うんです」
「貴女をお守りする余裕がなくなるかもしれないのですよ?」
「承知の上です。自分の身は自分で守ります。その方法はディナートさんが教えてくれたじゃないですか!」
「まだ貴女の術は未熟です!」
「だああああああ! 二人ともいい加減にしろ! 時間がねえって言ってんだろうが」
一瞬、ライオンか何か猛獣が吠えたのかと思った。その獰猛な声の主はいわずと知れたアハディス団長だ。
「ご、ごめんなさい」
「申し訳ありません」
私とディナートさんはアハディス団長に叱られて、同時に謝った。
「もういい。聖女殿も許可を出したのだろう? ならヤエカ殿の同行を拒むことは出来んな。行くぞ、ディナート。ヤエカ殿はお前がお連れしろ」
さらに言いつのろうとするディナートさんをひと睨みで黙らせたアハディス団長は、騎士たちに向かって次々と指示を出している。
もう私たちの方には見向きもしない。
「――すみません、ディナートさん。またお世話になります」
恐る恐る見上げると、ディナートさんは仕方ないと言った風にため息をついて、小さく笑った。
「仕方ありませんね。貴女には負けました。どんな状況になるか分かりませんが……。私の力の及ぶ限り、貴女をお守りいたします」
「ありがとうございます」
『絶対に守る』だなんて気休めを言わないところがディナートさんらしいよね。彼のそういうところが良いなって思う。
「ほら。いつまでも喋ってんじゃねえ、ディナート! 行くぞ!」
遠くからアハディス団長の叱責が聞こえた。
「では我々も参りましょう」
「はい!」
少し前かがみになったディナートさんの首に、両腕を巻き付けると、彼はそっと私のことを抱えて体を起こした。
再召喚された時と同じ格好。少しどころじゃなく恥ずかしいけれど、今日は私も彼も鎧を着ている。動くたびに金属がぶつかる音がする。
「初めて運んでもらった時と同じですね」
あの時は色々と緊張してたし、あまり覚えてないんだけどね。この“カチン”って甲高い音はなんとなく耳に残ってる。
「そうですか? 実は私は緊張していたのであまり覚えていないんです」
ディナートさんが悪戯っぽく笑った。
絶対嘘だ。
だって目が笑ってるもん。きっと私以上に色々覚えてるに違いない。
「しっかり掴まっていてくださいね」
彼がそう言うと同時に、耳のそばで風が唸った。
「わっ!?」
「驚き方も変わってませんね」
やっぱりちゃんと覚えてるんじゃないの! もう。ディナートさんは私をからかってばっかり!
なんてムッとしている間に私たちは、空を飛んでいて。
予想以上にドタバタしたけれど、私はこうして何とか妖魔討伐に出ることになりました。




