アハディス団長の本音
ほんの僅かですが、残酷表現とも取れる表現がございます。
がきんと刃同士がぶつかる激しい音。重たい斬撃に私は文字通り吹っ飛んだ。
やばい!
私はとっさに自分が向かってる方向に風の壁を作った。木や地面にたたきつけられるよりは幾分ましだろう。予想よりふんわりと受け止められた私は、よろめくこともなく着地できた。
ちょっと! ちょっと! とっさにこんなこと出来るって私、凄くない!?
なんて慢心してたのがいけなかった。
「勇者殿、ちょーっと反応が遅いですよー?」
現在の対戦相手の赤毛の青年が、軽い口調で言った。
ん? 声が近い?
気が付いたときには、目の前に彼が迫っていて、真っ直ぐ私の首に剣が向けられていた。
動いたらスパッといきそうなほどすれすれに切っ先がある。
「油断はいけませんねぇ。油断は」
にこにこと笑う彼をねめつけながら、どうにかこの形勢を逆転できないか考えた。
いま作ったみたいな壁を作って彼に押し付けたらどうだろう? 上手くいけば彼が吹き飛んでくれるかもしれない。 でも気取られないように手を動かすのって難しいよね。お気楽そうに構えてるけど、それはうわべだけだ。ちょっと尻込みしたくなるような緊張感がひしひしと伝わってくる。
「そろそろ降参したらどうですー?」
私の必死な思考は、彼ののんびりした降伏勧告に遮られた。
「ちょっと黙って! 今、なにか良い方法ないか考えてるんだからっ」
彼の喉から、ぐぅって変な声が洩れた。次の瞬間、大爆笑。剣はそのままに、ひぃひぃ言いながらお腹を抱えてる。なんて器用な真似を。でも刃を突き付けられてるこっちは気が気じゃない。
「はい! そこまで」
凛と通るディナートさんの声が終了を告げた。
「ありがとうございましたっ!」
「こ、こちらこそ、ありがとう……ござい、ました……あははは」
そんなに笑わなくたっていいじゃない! 唇を尖らせた。それを見て、赤毛の青年は尚更笑う。
見た感じ私とそんなに歳が変わらないように見える。同年代に笑われると一段と腹が立つのは何故だろう。
「そんなに笑わないでってば! ちょっと待てって言って待ってくれる敵はいないって言いたいんでしょ?」
「なんだ。分かってらしたんですね」
「ま、まぁ私だってそのくらいは。でも、勝ちたかったんだもん。一回ぐらいみんなをあっと言わせたかったんだもん」
「その相手が俺ですかー? それはご免こうむりたいですね。あとでみんなにからかわれる」
青年はぼりぼりと髪をかきながら、困ったようにため息をつく。
「最後まで諦めねぇ心意気は買ってやるよ」
低い声が割り込んできた。
私の頭のてっぺんをがしっと掴む、大きくてごっつい手。こういうことをするのはアハディス団長しかいない。見なくても分かる。まぁ、この体勢じゃあ振り向けませんけどね!!
手、早くどけてくれないかな。首に負担が来るからっ!
「よし。その心意気に免じて次は俺が相手してやる。ありがたく思えよ!」
がはは、と豪快に笑う団長さん。その手の下で私は今の言葉をゆっくり反芻していた。
えーと。次の相手……俺……。ん? 俺!? 俺って!
「団長さんがですか!? ええええええーー!!」
「なんだ。そんな嬉しいのか? いやぁ、モテる男は辛れえな」
いやいやいやいやそう言うことじゃないから。
あ! そうだ。ディナートさんなら止めてくれるに違いない。彼の方を向くと『頑張って!』って感じでにこやかに手を振ってる。くっ。
じゃ、じゃあセラスさん。セラスさんなら。期待を込めて見たけど――ダメっぽい。なんか他の野次馬騎士と一緒になってこぶしを振り上げてる。目があうとキラキラした笑顔で親指をグッと立てた。異世界でもあの仕草あるんですね。それも地球と同じような意味合いなんですね。初めて知りました。
彼女の言いたいことはさしずめ「頑張れ、ヤエカ殿。いざとなったら私が骨を拾ってやる。つか、アハディス団長なんて、のしてしまえ」そんなところでしょうか。
いつになく好戦的なその姿に、私は『彼女もやっぱり戦う人なんだな』と当たり前のことをしみじみと思ってため息をついた。
「アハディス団長、よろしくお願いいたします」
ぺこりと頭を下げた。
「おう。んじゃ、さっそく剣、構えな」
「はい」
彼から適度に距離を取って、剣を真正面に構えた。
正攻法じゃ絶対敵わない。術を使わない聖軍の騎士にも全く勝てないんだから、術を使う魔導軍の……それも近衛騎士団のトップに勝つなんて無理だ。
せめて一矢ぐらい報いたいけど、立ちはだかる団長さん見てると、そんな気持ちもしぼんじゃう。とりあえず死なないように頑張らないと。
「行きます!」
「おう!」
真正面から切りかかるふりをして――。私はなけなしの脳みそをフル回転させて切りかかった。
結局何度切りかかっても、彼の体勢を崩すことはおろか、彼の眉を動かすことすらできない。何度もかわされているうちに、息が上がって集中力が途切れてきた。
私の欠点はとにかく持久力がないこと。分かってるけど、短時間でけりをつけられるほど強くない。
どんどん威圧感が高まっていくアハディス団長の雰囲気に呑まれて、焦りが焦りを生んで、なおさら体力が削れていく。これじゃあ墓穴掘ってるのも同じだ。頭では分かってるのに!
「もう終いか? 随分と呆気ねえなぁ。もう少し骨があるやつかと思ったが……」
見たものが凍りそうな微笑みを唇に浮かべて、団長さんが言う。
気圧されるな、私。こうやって相手を怖がらせるのも、挑発みたいなものだ。怖がったら思う壺だ。
「やーーっ!!」
もう一度切りかかった。受け止められることは承知の上だ。
禁じ手を使ってみようか、と言う誘惑が頭をよぎる。力の制御が上手くできないから、防御に特化して訓練してきた。でも、訓練を重ねるうち、感覚が鋭くなったのか、自然と分かってきたことがある。だから。前みたいにとんでもない暴走はしないはずだ。
私の剣を受け止めるその瞬間、彼にも少しだけ隙が出来るんじゃないか? それを狙えれば!
心の片隅にはやっちゃダメだと叫ぶ自分がいたけれど、頭に血が上っていた私はそれを思い切り無視した。
正面から切りかかった私の刃は、彼になんなく止められた。ここまでは予想の範囲内。脇腹あたりに風をぶつけられれば――――!!
剣から片手を外そうとした瞬間。私の剣は彼のそれに絡められて、上に跳ね上げられた。その勢いで両手が剣から離れる。
しまった!!
そう思ったときにはもう遅かった。跳ね上げられた剣は日光を反射しながらくるくると数度回転して、はるか遠くに突き刺さる。
「まぁ考え方は悪くねえんだが、そんな小細工は俺には効かねえよ。お前の動きは分かりやすすぎる」
慌てて飛び退いて、彼から距離を取る。丸腰で対峙する不安感にじりじり胸が焼ける。
「確かに上達はしたな。だが、そんなんじゃ足りない。足りない奴を戦場に連れてったらどうなる? 足手まといだ。味方を死に追いやる害悪だ。そうだろう?」
この位置からあの剣を取りに向かっても、きっと次の一振りに間に合わない。
「俺はな、可愛い部下を誰ひとり無駄死にさせたくねぇんだよ。剣の稽古なんかやめてお飾りの勇者様でもやってたらどうだ? 妖魔討伐は俺たちだけで充分。素人が邪魔すんじゃねぇよ。目障りだ」
彼の言葉に耳を貸しちゃいけないと思うのに、いつの間にか彼の声に、彼の話に意識を向けていた。
「……嫌です」
「どうしても嫌か」
「嫌です」
気迫に呑まれながら、それでも首を縦に振るわけにいかなかった。
これは私の意地だ。ここまで来て『はい、やっぱりやめます』なんて言えるか。少しでも戦力が欲しいと言ったルルディと、その隣で顔には何の感情も出さなかったけれど、そっと拳を握ったソヴァロ様の気持ちを、こんな脅しで投げ捨てられるか。
凡人の意地をなめるな。
精一杯の虚勢を張って、自分なりに一番怖いと思う顔を作って睨んだ。
「そうか」
彼がニヤリと笑った次の瞬間、私の目の前に岩みたいな彼が立ちはだかっていた。いつの間に移動したのか見えないくらい、その動きは早かった。
本能でやばいと思った私は、とっさに防護壁を張った。間一髪で間に合ったものの、防護壁ごと私は後ろに吹き飛んだ。さっき赤毛の騎士と対戦した時みたいな余裕はなかったから、そのままの勢いで地面に叩きつけられた。何度かゴロゴロ転がってようやく止まった。
背中を打った衝撃で息が詰まって、なかなか体を起こせない。ついでに目の前に星が飛んでて視界は悪いし、頭はくらくらするし、体のあちこちがヒリヒリ痛い。
地面に肘をついて、のろのろと上半身を起こす。『これは相当擦りむいたかなぁ』なんてぼんやり思っていると、影が差した。
見上げれば、アハディス団長のごつい影。逆光で顔が見えないけど、きっと凶悪とも言えるくらい怖い顔をしているんだろう。
「じゃあ、仕方ねぇなぁ。少し痛い目に遭ってもらうか」
野次に負けない低く通る声が、私にだけ聞こえるくらいの音量で物騒な宣告をした。
「なっ……?」
「戦えないほど大怪我したら、誰も戦場に出ろとは言わねぇだろ? あんたは安全なところで大人しくしていればいいし、俺らは戦いやすくて万々歳だ」
この人は何を言っているんだろう?
私の頬を汗と、それよりもう少し温いものが滑り落ちる。ひたい辺りに切り傷でも作ったのかもしれない。目に入らなくて幸運だった。
「訓練中の大怪我っーのは割とよくあるもんだ。まぁ、手足の一本ぐらい失っても日常生活にはさほど困らんさ。心配すんな。死ぬよりましだろ? お嬢ちゃん」
待て待て待て! 困るだろう!? なくなったらすごく困るに決まってるじゃないですか!!
頭から血が引くのが自分でもありありと分かった。指先からも血の気がひく。引き過ぎてピリピリする。
彼は本気だ。得体のしれない厄介者の私を彼は最初から嫌っている。私を排除するのにこんな絶好のチャンスはない。
彼がゆっくりと剣を振りかぶった。あれが振り下ろされたら、私の腕か足が一本なくなってるんだ。いくら治癒の術があったって、完全に切断された手足は付かない。もちろん新しく生えさせることもできない。
焦れば焦るほど集中できなくて、力も使えない。
こんな時に! こんな肝心な時に使えないなんて、なんて役立たずなんだろ!? あんなに、あんなに練習したのに。みんなに手伝ってもらって、応援してもらって、それなのに今、なにもできないで、呆然と彼の剣を見上げてる。
悔しさと恐怖で目に涙がにじんだ。
力が欲しい。
あの剣を跳ね返すだけの力。
自分の意地を張り通すだけの力。
考えろ。諦めるな。まだ終わってない。力はどこにある? どうすれば力を使える?
今までこんなに力を欲しいと思ったことはない。
――ベ
不意に頭の中に誰かの声が響き渡った。それは声というより思念と言ったほうがいいのかもしれない。不思議な感覚だった。
――我ヲ呼ベ!
我って誰よ!?
普段だったら自分の正気を疑う状況だけど、不審に思う余裕なんてなかった。
頭に直接語り掛けられることをすんなり受け入れた私は、声の主が敵か味方かで悩んでいた。力は欲しい。けど、こんな得体のしれないものに返事して良いんだろうか?
――疾クセヨ、我ガ主
主!? まさか!?
主と呼ばれてアレが頭に浮かんだけど、そんな荒唐無稽なことがあるのか!?
にわかには信じられなかったけれど、背に腹は代えられない。手足を失うくらいならこの声に賭けてやる!
「アレティ! おいでっ」
今にも振り下ろされそうな剣を凝視しながら叫んだ。
――承知
次の瞬間、顔をかばうようにかざしていた右手に金属の感触が現れた。手から滑り落ちないようにとっさにそれを握る。
と同時に、まばゆい光と、息が止まるくらい強い風がはじけた。
「うおっ!?」
アハディス団長の焦った声が聞こえた。
私の手の中に出現したアレティは、彼の剣を軽々と弾いていた。予想以上の勢いで跳ね返った剣を持て余して、彼の体が少し崩れた。それに追い打ちをかけるように、アレティは彼の腹部あたりを横に薙いだ。
「あっぶねぇ!」
間一髪でアレティを避けた団長さんは、そのまま大きく後ろにはねて距離を取った。
ふらふらな私の体はアレティに半ば引っ張られていて、体中の関節が悲鳴を上げるし、傷は痛いし、散々な有様だ。けれど、一応危機は脱した。
「アレティありがと」
切れ切れに礼を言うと
――喜
と短い思念が返って来た。まさか剣と会話が出来るとは思わなかった。この世界って本当にどこまでもファンタジックだ。
けど、悠長にそんな感慨にふけってる場合じゃない。目の前にはまだ団長がいる。彼を打ち負かさない限り、私は認めて貰えない。
アレティを構えなおして、私は彼を睨んだ。
「アハディス団長。私があなたに勝ったら認めて頂けますか?」




