姉妹
「ヤエカ殿。ヤエカ殿、風邪をひくぞ」
そんな声に目を覚ましたのは、眠り込んでからどの経ってからだろう?
重いまぶたを無理矢理開けると、青い空が目に入った。空の色に夕暮れの色が混じっていないから、まだそんなに経っていないはずだけど。
「ずいぶん疲れているようだな」
声の主は私の隣に座りこんでいるようだ。青い服と白いズボンが目の端に見えた。誰だろう? 私はぼんやりした頭のまま、ゆるゆると声のした方に顔を向けた。
「セラス……さん?」
私はのそりと体を起こした。
寝起きが悪いわけじゃないんだけど、午前中に力を使って疲れてるからか、いまいちすっきりしない。
「どうしたヤエカ殿。ほら、髪に草がついているぞ? しゃきっとしないか」
セラスさんの優しい声を聞いていたら、不覚にも涙がひとつポロって落ちた。
「あ、あれ? おかしいな……勝手に出てきちゃって……」
鼻水をすすりながら、そんな言い訳をしてみる。「泣くな、軟弱者!」ぐらいの叱責が返って来るかと思ったのに、実際返ってきたのは。
「私でよければ話を聞くぞ?」
そんな言葉だった。彼女は困ったような顔をしながら、私の頭を撫でる。そんな風に優しくされたら、涙止まらなくなるじゃない。
ポタリポタリと落ちた雫が、私のこぶしを濡らした。
「私、全然上手くできなくて……悔、しい……」
「――そうか? そなたはこの短期間でよくやっている」
「それじゃ、ダメなんです。完璧に出来なきゃ意味がない……」
もう時間もないのに。このままじゃ使えない。使えないどころか皆に迷惑をかけちゃうよ。
「全部できる必要などなかろう。一つに決めて、それを極めてみたらどうだ? ふむ。そうだな……例えば、防御はどうだ」
「防御……」
「そうだ。アレティは勝手にそなたの力を引き出して使うのだろう? なら攻撃はアレティに任せればよい。術を使うのは防御にのみ。防御壁をつくるのなら、このような惨状を生み出すことも無かろう?」
セラスさんは、周りをざっと見渡し、そのあと私に向かってにやりと笑った。
この惨状って……。さらりと心をえぐるようなことを!
「あ、あは、は……。やっぱりこれは壊し過ぎですよね」
「まぁそう気落ちするな。周りに味方がおらず敵ばかりなら、存分に攻撃すればよい」
「そんな物騒な! そろーっと力を出して竜巻起こしたんですよ?」
だから存分に、なんて無理ですって! というと、セラスさんはからからと陽気に笑った。
「良いではないか! 頼もしい限りだ」
「頼もしくありませんって、もう!」
セラスさんって生真面目な印象強かったけど、意外と豪快なのね。
涙はいつの間にかすっかり止まってた。一人で勝手に煮詰まって、凹んで、泣き出した自分が恥ずかしい。
「――愚痴、聞いてくれてありがとうございました。セラスさんのおっしゃる通り、防御の練習に集中しようかと思います。あとでディナートさんと相談しなきゃ!」
「力になれたのなら良かった。あとはディナート殿とよく相談されよ」
ぺこりと頭を下げると、また頭をくしゃりと撫でられた。
「まぁ、あれだ。そなたは無理矢理ここに連れてこられたようなものだからな。『できなくて何が悪い。勝手につれて来たくせに!』ぐらい思っていてもばちは当たらぬぞ。――すまぬ。これは私のような立場の者が言ってはならぬことだな。忘れてくれるとありがたい」
いたずらっぽく、だけど優しく微笑みかけられて、つい……
「セラスさんって、お姉さんみたい……」
いや、私、長女だし、お姉ちゃんなんていないんだけどね。セラスさんみたいなお姉ちゃんいたらいいなぁって。
彼女は私の話を聞きながら、何だか難しい顔をしてる。私、変なこと言った? いや、言ってるよな。うん。言ってる。と言うより迷惑だったんだよね!?
「あ、や、やっぱり何でもないです。変なこと言ってごめ……」
「姉上……ふむ。良い響きだな」
へ?
「よし。良いことを思いついた。ヤエカ殿、ここにいる間は私を姉だと思って頼ってくれ」
「はいっ?」
「遠慮はいらぬ」
呆然とする私をよそに上機嫌で笑うセラスさん。
「さて。私はそろそろ戻るとしよう。ヤエカ殿、邪魔したな」
セラスさんは服についた土や草を払って立ち上がった。私もつられて立ち上がる。
「ところでヤエカ殿は、もう昼食は済ませたのか?」
疲れ切って爆睡していたんでまだだ。首を横に振ると、彼女は眉を怒らせた。
「それはいかんな! 食事は取れるときに取っておく。基本だぞ」
そう言いながら、セラスさんは服のポケットをあちこち探る。何を探しているんだろう?
「あった。ーーヤエカ殿、口を開けられよ」
え? 何? 疑問に思う間もなく、丸い何かが口の中に放り込まれた。
「甘い……。――飴?」
「そうだ。今はこれしか持ち合わせがないのでしばし我慢してくれ。なにか昼食になるものを取って来よう。――ちょっと待っていろ」
そんな使いっ走りみたいなことを、団長さんにしてもらうのは気が引ける。慌てて止めようとしたけど、セラスさんは取り合ってくれない。
押し問答をしてる間に、ふと疑問がわいた。
「セラスさん、ここにどうやって入ったんですか?」
私が周りの建物を壊さないように結界が張られていたはずだ。それとも人の出入りは自由にできるとか? いや、でも出入りできちゃったら危ないでしょ。
「ん? ああ。結界か。壊した」
「壊したぁ!?」
「いや、そなたが寝転んでいるのが見えてな。ディナート殿の姿も見えぬし、あのままでは風邪をひくだろうと心配だったのだ」
そうか。この人は、人間にしては珍しく術が使えるんだった。
「あのように初歩中の初歩な結界を張るなど、ディナート殿には造作もないことであろう? なら破っても問題あるまい?」
あの結界そんな簡単なものなんですか……。結界の存在すら気づかなかった私は一体どうしたら?
突っ込みどころはそこじゃなくて、あっさり壊すなってところだと思うんだけど、地味に抉られたので、突っ込む気も起きない。
「どうした? そのように暗い顔をして。腹が減ってきたのか?」
違うって! って反論しようかと思ったら、お腹がくぅと鳴いた。貰った飴が呼び水になったのかな? 一度空腹を自覚したら、それはどんどん大きくなる。
「お腹、空いた……」
ポツリとつぶやいたら、彼女は我が意を得たりといった風ににこりと笑った。
「よし、では可愛い妹のために、美味いものを調達してくるとするか」
「妹……」
恥ずかしいけど、何だかそれも良いなって気分になってきた。
子供のころ、『お姉ちゃん欲しい!』って駄々こねてお母さんを困らせたっけ。予想外なところでお姉ちゃんが出来ちゃったなぁ。
厨房に向かうセラスさんの、騎士らしいぴんとした後姿を眺めながら、私は嬉しくて顔がゆるむのを止められなかった。
――――――――――――
【閑話】
厨房に向って廊下を歩くセラスの足がふと止まった。
「私にものを頼むなら、結界ぐらい解いておけ。面倒だろうが」
誰に向かうでもなくそう声を投げかけると、一人の男が柱の陰から現れた。
「貴女様だから、そのままにしたのです。壊すのぐらい造作もないでしょう? それにあの方が結界が破れた事に気付くかどうかも試したかったのです。残念ながら全然気が付かなかったようですが」
八重香の師であるディナートだ。
「なぜ、貴殿が慰めてやらぬのだ?」
「それでは彼女のためになりませんから」
セラスの問いに、彼は涼しい顔で答える。
(全く食えないな、この男は)
穏やかな表情を崩さないディナートをそう評して、セラスはふん、と鼻をならした。
「ずいぶんと落ち込んでいたぞ? 時間がないのも分かるが、少し優しくしたらどうだ」
「それこそ更に彼女のためになりません」
「ふむ。それももっともだ……。まぁいい。可愛い妹が落ち込んでいたら、慰めるのが姉の役目だからな」
「――妹?」
ふふ、と笑うセラスを、ディナートは眉をひそめて訝しんだ。
「貴殿が憎まれ役、私が慰め役だな」
「あの?」
「私の兄弟は男ばかりでな。――特に妹という存在に憧れていたのだ」
「は、はぁ」
彼の問いが聞こえているのか、いないのか。恐らく、聞こえていても聞く気がない、そんなところなのだろう。そんなセラスにディナートが曖昧に相槌を打った。
「そういうわけで、我々はこれから昼食を取る。そう時間はかけん。申し訳ないのだが、終わるまで貴殿は他の仕事にあたってくれぬか?」
「それは構いませんが……」
何がそういうわけなのかさっぱり分からなかったが、ディナートとて暇ではない。片づけてしまいたい仕事は山ほどある。彼女の言に素直に甘えることにした。
上機嫌で厨房へと去っていくセラスの後姿を、ディナートはどこか釈然としない気持ちで見送った。
八重香が落ち込んでいることは、彼にもよく分かっていた。だが、師である自分が慰めに回るわけにはいかない。だから、八重香とも親しいセラスにその役を頼んだのだ。
だが……
「私としたことが人選を間違えましたかね……」
ディナートは、ぽつりとつぶやいた。




