お伽話の勇者様
それは、ひとつの、お伽話。
国を治める聖女は、陽光の髪と夕暮れ色の瞳。
民を愛する優しい心の持ち主でした。
聖女が治める国の平和はある日突然破られました。
深い深い森の西、人々が魔界と呼ぶそこに住まう魔物が、森を越えて襲ってきたのです。
聖女は国を守るため、悪しきものを払うと言い伝えられる聖剣『アレティ』を目覚めさせ、その使い手、つまり勇者を異世界から召喚しました。
召喚されたのは、こげ茶色の髪に同色の瞳を持つ一人の娘。
勇者となった娘は聖女の願いを聞き入れ、森の向こうへと旅立ちました。
長い旅の末、魔界に辿り着いた彼女は、聖司国を襲っていた異形が魔界に住む魔族ではないと知りました。
勇者は人々の誤解を解き、聖司国と魔界──本当の名前は魔導国と言いました──の仲を取り持つことにしました。
聖女の尽力もあって両国の誤解は解け、聖司国に再び平和が訪れたのです。
めでたし、めでたし。
ありふれた勇者の伝説。
どこの国の昔話であってもおかしくない。
けど。
けど。
私にとって問題なのは。
その『召喚された使い手』、つまり『勇者』と言うのが、私だってことだ。
「それに、全然めでたしめでたしじゃなかったしね」
昨日の夜、侍女さんから聞いた、巷で流行りのお伽話を思い出しながら、私は天井を仰いだ。
侵略してきたのは魔族でなかった。
なら、侵略してきたのは一体、だれ?
お伽話に答えなんてない。
なぜなら、お伽話は終わっていないから、だ。
自分の役目は終わったはずで、一度日本に帰ったけれど。でも実は全然なにも解決していなくて。
私は再召喚されて、ここにいる。
真の敵と戦うために。
痛む体をソファに投げ出してぼんやりしていると、自嘲の笑みが浮かんでくる。
召喚された勇者はただの非力な小娘で、現在、戦闘訓練でボロボロになっています。
頼もしい勇者なんて、どこにも存在しない。
一度目の召喚で、自分がもっとちゃんと奴らの正体に気づいていたら……。今さらそんなことを言っても仕方ないけれど、でも胸の底がジリジリと焼ける。
早く、早く。
もっとたくさん強くなって、今度こそ──
「ヤエカ殿」
ぼんやりとしていたので、人の気配に気付かなかった。
振り返れば、静かな微笑を湛えた男性がたたずんでいた。
「お待たせしました」
人を和ませるはずの微笑は仮面に似て、彼の感情を隠す。少なくとも私にはそう見えている。
もしかしたら飲み込みの悪い私に苛立っているかもしれない。要領の悪い私を嫌っているかもしれない。それが怖い。
けれど、彼はこの世界で一番近くにいてくれる人で、時には厳しく指導し、時には優しく励ましてくれる。例えその優しさが表面だけのものだとしても、それでも私は彼の姿を見るとホッとする。
相反するふたつの気持ちが、矛盾なく私の中に居座っていた。
「傷の手当てをいたします」
私の正面へ回り込んだ彼は片膝をつくと、私の手を取った。
途端、擦過傷や切り傷でいっぱいの指先に痛みが走って、思わず顔をしかめてしまった。
まずい。
そんな顔をしたら彼が困るかもしれない。だから何でもない風を装いたかったんだけれど見事に失敗。
恐る恐る彼のほうを見ると、案の定、気づかわしげな目で私を見ていた。
「盛大にやっちゃいました」
誤魔化すように笑ったけれど、彼は眉根を寄せて困ったような顔をした。
「そうですね。ひどい傷だ」
指先がボロボロになるのは毎日のことだけれど、それに加えて今日は膝も肘も盛大に擦りむいていて、傷口はまだ鮮やかだ。
白かったはずの細身のパンツはもう元が何色だったのか分からないぐらい汚れて、膝以外もあちこち敗れている。
まだ、足りない。
まだまだ私の力が足りないから、怪我をする。
強ければ。もっと強ければ……
そう。私が、もっと強ければ。
「何を考えておいでです、ヤエカ殿」
冷静な声に弾かれて顔を上げた。
間近で金の瞳が煌めく。
「焦ってはいけない。焦燥は今までの努力を全て無にする」
「……はい」
俯いて答えた。焦る気持ちは残るけれど、理性は彼の言うことに納得している。
彼は私の頭をポンポンと撫でて、立ち上がった。
「この短い間に貴女はとても強くなりましたね。戦う技術だけでなく、心も」
「そう……でしょうか……」
「ええ。私が言うのだから間違いありません。もっと自信を持って」
にっこりと笑う彼につられて、私も小さく笑う。
彼が言うと本当にその通りだと思えてくるから不思議だ。落ち込んでいた気持ちがあっという間に浮上する。
そうだよね。
落ち込んで後悔する暇なんてない。
私にはやらなきゃいけないことがいっぱいあるんだから。
「また明日も頑張りましょうね」
「はい!」