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ページを、捲る。
図書館は閉館時間に達してしまい、時間もなかったので、しかたなく俺が読んでいた本は借りることにした。美鈴さんに礼を言ってから帰宅すると、香苗は既に夕食の準備を終えてくれていた。そのため、なし崩し的に食事を行なうことになった。
香苗は、何もいっては来なかった。俺が本の虫であることを香苗は重々承知であるし、家の本に飽きて図書館に通っていた頃もあったため、遅れても特に何も言われないようになった。放任主義バンザイ。
そのため、食事の席は、他愛のない話で終わりを告げ、現時刻7時10分。俺は雑誌を読みふけっているというわけだ。
が、
「特に情報は無いな……」
図書館で読んだ雑誌に、最終的には戻った。やはり、その本が一番鮮明かつ、明確に記してあったからだ。……何度読んでも胸糞悪くなる物だが。
やはり代表者の演説の文章を記してあるところで、嫌になって机の上に雑誌を投げ出した。図書館の物であるが、それを気にしていられるほど今の俺の精神は寛容ではなかった。不快極りない。
椅子にもたれかかり、何か憂さ晴らしになる物は無いかと物色した。部屋を一望した後、椅子の支えの部分に取り付けられているローラーを使い、部屋の端においてある本棚の場所へと向かった。すると、昨日の古書が、本棚の端においてあるのが目に入った。……自分で置いた記憶がないのに、だ。
違和感を感じながらも、その古書を手に取ると、再び椅子のローラーを使って机の前に陣取り、雑誌を引き出しの中にしまいこみ、古書を机の上に開いた。
頬杖をつき、何か気晴らしになれば良いな、と思いつつページを捲った。鬱憤がたまる原因で鬱憤を晴らそうとするのも変な話ではあるが。
そのまま暫く捲り続けていると、ある違和感に気づいた。
「……あれ?」
読める部分が、増えていた。
昨日までは最初の注意書きと世界の滅び、という極端すぎる運命しか記されていなかったそれに、新たな文章が浮かんでいたのだ。
以下が、その記されていた文章。
【2013、9月13日、13時49分『蒲原 巧』の所属する嶋澤高等学校にて事件が起こり、学校の指揮系統が崩壊。事実上の崩壊を迎える】
これが、新たに読めるようになったものである。ちなみに、現在の日時は9月12日の7時40分だ。
ほうけたような間抜けな表情になると、ただその文章を見つめていた。
「……明日じゃないか」
生唾をゴクリ、と緊張から飲み込むと、俺はそういった。言葉にする、というのは大事な物で、言葉にすることによって決意表明をし、自分を追い詰めることや、冷静になり、現在の状況を再認識することができる。今は、言葉にすることによって後者の効果を得ることが出来た。
一言にまとめるとすれば、こうなる。
明日、学校で何かが起きて、尚且つ崩壊するというわけだ。
一笑に伏せたら、どんなに幸せだろうか。今現在の状況でも笑い飛ばせることは可能といえば可能であるが、そこまで俺の頭は幸せではなかった。俺の今日の行動によって得られた情報が、この古書の存在を理解し、また認めるに足る物だったからだ。
なぜならば、世界を滅ぶという情報が載っていて、かつ、調べた物とも同様のものがあったからだ。このままでは噂に便乗した悪戯の線もあるが、物理的にも、この本に新たな文字が書かれたという可能性は低い。家の者がこの本に書いたという可能性もあるが、両方とも女であり、また、蒲原 巧などという名前ではない。手下となっている可能性も捨てきれぬが、俺は、彼女らを信じたいという、己の欲求に身を任せる。あえて、ありえないと断言しておこう。故に、この本に新たな文があるということは、この本から文が浮かび上がってきたということ……にわかには信じがたいことであるが。
一応可能性としては、『ラグナロク』とやらの裏切り者がこの本を作り、ポイ捨てした可能性も無きにしも非ずである。が、それならば、あのような注意書きはせず、今の状況、異常さを滔々と語るものだろう。というより、裏切り者は出ないだろう。狂ったところに自分から入って、良心に気づく人間など、その狂った環境が許さないと思われる。何か人が得る場合は、外からの刺激が必要不可欠だからだ。
この本は、本物である。
理性で拒みつつも、理性で認識していた。激しい二律背反が、俺の精神の中で巻き起こった。
精神の乱れが肉体にも作用した。動悸が激しくなり、心臓の鼓動が直接聞こえてきそうだった。
胸に手をあて、瞳を閉じた。ゆっくりと深呼吸をして、落ち着け、と呪文のように自分に言い聞かせた。
この本が本当に本物かは分からない。なら、学校の滅び。それが本当かどうか観測すれば、その真贋を認識できる。しかし――。
本物だった場合は……?
本物であった場合を考慮したとき、寒気が走った。俺に、何が出来る……?
『なにもできない』
ただ、指を咥えて、学校の崩壊を待つだけだった。何より、足りない物が多すぎる。情報、時間、方法、範囲。崩壊と一言にいっても、さまざまなものがある。対処の仕様がなかった。いや、あったとしても一学生に何が出来る?という話である。
どちらにしても、俺は傍観しか出来なかった。
はあ、と軽く溜息をつく。
何が学校で起こるのか。気がきでならなかった。心構えは、できる気はしなかった。むしろ、知らされたぶん、恐怖感が増す。
本当に、何も出来ないのか?
もう一度考え直してみようと思い、少し思考を始めた。
自問を繰り返す。
そんなにも非力なのか?
自問。
そんなにも無力なのか?
自問、自問自問自問。
無答。
俺自身は、何も答えてはくれなかった。肯定でもしてくれたほうが、気は楽だった。諦めを、自分に認めさせることが出来る大義名分が出来るからだ。どうやら俺は、変なところで真面目らしい。そんなに苦しみたいかね、俺は。笑いすら出てくる。
プライドなどではなく、どうやら、思考放棄自体を俺自身は認めないらしい。苦しみぬいて、思考し抜けと、俺自身の声が聞こえてきそうだった。
本を閉じ、椅子から立ち、ベッドに横たわる。
今日くらいは良いだろ?俺?
天井に取り付けられながらも、ねっころがると目の前にぶら下がり、距離感がつかめない蛍光灯に手を透かす。
少し、いろいろなことがありすぎた。休ませてくれよ。
自分自身にそう言葉を投げた。
まるでその言葉を認めるかのように、ゆっくりと、瞼が下がり始めた。
……あれ?今、何時だっけ?
随分と早寝だな、とまどろみの端で思うと、夢の中へ、俺は飛び込んでいった。その最中。夢と現の丁度中間。無意識かのなかで。
俺の、声が、聞こえた気がした。呆れたような、幼い少年に諭すような口調だった。
『ま、今日だけは休め。これからは、精神をすり減らすことになる』
どういう……ことだ?おれ自身にそう問いかけようとしたが、睡魔によって、俺の意識は根こそぎ抉り取られた。
※
「首尾はどうだ?」
大き目の部屋。10m四方ほどのその部屋。上部に取り付けられている幾つかの小型蛍光灯によってその部屋は照らされていた。その壁の壁紙は、円が幾重にも重なった幾何学模様と、その中心に、絵で人間の瞳が、それぞれの壁にあった。数的には、それぞれの壁を合計して20は下らないだろう。それらが模様として飾られ、赤を基調として塗られる。その壁紙は普通とは違う趣味、悪く言えば悪趣味であり、明らかに異彩を放つ。その壁には、小型の振り子時計が取り付けられていた。示す時刻は、午前2時。ジャスト。
部屋の隅には棚があり、様々な置物があった。有名な絵師のリトグラフが無造作に飾られていたり、熊の置物、壁の方を向き、納められている写真は見せない写真立てなどもあった。床は、柔らかい繊維で作られ、暖かそうな見た目と暖色系の色で装飾された絨毯が敷かれ、その上に、皮が張ってあり、中に綿か羽毛か何かをつめ、弾力性に富んだ椅子がおいてあった。
椅子が不意にギシッとゆれると、人影を表した。先程の言葉は、その人物から発せられた物だった。手には携帯らしき物を持ち、何者かと話しているようだった。
「……ああ、そうか……いや、いい」
何回か頷き、話し相手の言葉に相槌を打ちながら、話を進めていく。
「いいか、7%は遅らせるなよ。ああ、そうだ」
背もたれに寄りかかり、椅子を少し歪ませる。
「過激派……?何を今さら。俺たち自体が過激派だろうが。明日の件は、先走る堪え性のない輩の行いだろ?内部のメンバーの楔には丁度良いさ……あぁ、そうだ、じゃあな」
会話を終えると、片手で電話を切る。
そのあと、少し笑いをこぼしながら、楽しそうに椅子を左右に揺らし始める。
「さてさて、物語が、運命が始まる……君らはどう出るのかな?俺以外の、運命の書所有者諸君?」
そう話す人物の手のひらの上には、豪華な背表紙で彩られ、ミミズが這ったような字と図形が組み合わされている、異国の文字が記された本があった。
――運命という歯車が、世界という装置を、ゆっくりと、動かし始める……――