伝聞
「ふん」
その男は、椅子に腰をかけて満足そうに鼻を鳴らした。頬杖をつき、一冊の本を片手で開いていた。
暗い室内。そばにおいてあるテーブルにおいてあるライトで、ようやく明かりを確保できている状態。そこで、その男は本を捲っていた。
その本には白紙が多く、書いてあったとしても、異国の文字のようであった。
それでも尚、男は口元をゆがめて本を捲る。
「……愉快だ」
そう、男は一言呟いた。すると、本のページを一度に大量に捲り、後半の方のある一ページを現す。次々と黒い点が流れていき、黒い線と化していた。
「2016、6月6日6時6分、世界は滅びを告げ、『草薙 仁』は死にいたる……」
捲る手を止めたそのページ。そこに記されていた文を読んだ後、男は呻き声とも似つかぬ笑い声を上げた。
……愉快だ、全く持って愉快だ。
そのまま同じ調子しばらく笑っていると、我慢の限界に達したのか、口を真上に上げ、高笑いを始めた。哄笑が部屋の中に響き渡り、反射して男自身の耳に響く。部屋の隅から隅までが男の口から発せられた空気の振動を伝え、近所迷惑になりそうなほどの音量と化し、しばらくの間、部屋の中は男の声で満たされていた。
クレッシェンドの哄笑が徐々にデクレッシェンドに変化していくと、口を閉じ、大きく深呼吸をして、横隔膜を落ち着かせ、ゆっくりと落ち着きを取り戻した。
「神という者が居るのならば……」
男は、さらにページを捲った。
「随分と上手な演出家だな……」
感嘆とした声と共に、慈しむような手つきで紙を捲っていく。紙特有の柔らかな音が響き、男の耳を撫でていく。
そして、もう一ページ、別のところで手を止めた。そこには――。
【2013、9月27日、『草薙 仁』 により、世界各地で暴動が巻き起こる】
そう、記されていた。
また、男は低く、呻くような笑いを、歯の隙間から空気中に漏らした。
ふぅ、と溜息をつき、天を仰ぐと、言葉を発した。
「そして……」
パタン、という音と共に本を閉じた。背表紙は革で、豪華そうな装飾すら施されていた。厚さは結構あり、人を殴り殺せそうなくらいには厚かった。
椅子から立ち上がり、部屋の中で歩き始める。暗闇の中で、床のきしむ音が聞こえた。
――随分な皮肉屋だ
そう口元を歪めながら心の中で言うと、ライトの明かりを抜け、暗闇の中へと歩いていった。
――精々ほくそ笑んでろ。俺は、必ず貴様の掌から脱してやる
不気味な、決意を残して……。
※
キーンコーンカーンコーン……。
軽い調子の電子音が響き、授業の終了を告げる。
「――起立、礼」
当番の言葉の後に、だるそうに有難うございました、の復唱が聞こえると、二、三分前とは打って変わり、騒がしさがクラスの中を包んだ。
「お~い、蒲原、飯食い行こうぜ~」
席を立った直後の俺に、そんな軽薄そうな声が聞こえた。
声がした方向に首を向けると、そこには一人の男子生徒が居た。Yシャツを制服のズボンからだらしなく出し、前面のボタンは全て開いている。ま、高校男子ならほぼ全員はやったことがある服装だろう。事実、俺も、今は同じ服装だ。
髪は校則に則った黒髪短髪。あれだ、少しワルになってみたいけれど成り切れずに中途半端なところで止まっている奴だ。俺?俺はただ単に、初夏を過ぎた季節に対応する為だ。少々熱がりの気が、俺にはある。……言い訳だと思う奴は思うが良いさ。
「別に構わんが、佐伯、今日はどういった形式にするつもりだ?目をつぶってか?くじ引きか?」
「今日は……くじ引きで良いだろう」
「あいよ」
佐伯、俺自身がそう呼んだ男と一連の会話を行なうと、 教室の引き戸を開き、なおも喧騒の真っ只中にある教室を後にした。
しかし、廊下に出てもなおも、生徒達の喧騒は続いていた。窓によっかかって友人と駄弁っているものも居れば、俺たちのように食堂に向かうものもいた。
そんな生徒達の真横をそ知らぬ顔で通っていく。コツコツ、と廊下を靴が叩く音が、静かに響いた。
「そういや、お前に借りた本まだ返して無かったよな?」
階段を下りながら、俺に向けて佐伯がそういった。
「そうだな。テロリスト、だっけか?」
「そうだ。第一俺に聞くなよ。自分の本くらい把握しとけよ」
「へいへい。んで、返却期日は一週間後なのですが」
俺が笑いをこぼしながら相手に軽い口調で問いかけると、佐伯は手のひらをヒラヒラと振った。
「心配なさらずに。明日には返す」
「ならいい」
肩をすくめ、俺は佐伯にそういった。
佐伯と適当に言葉を交えると、いつの間にか広い部屋に出ていた。端には券売機と共に厨房があり、部屋の大半は椅子と長机に占拠されていた。その椅子と長机には、もうちらほらと人の影がある。昼休みはスタートダッシュが肝要とはいえ、流石に早すぎるだろう、と少し呆れた。
俺と佐伯は、それぞれ椅子に荷物を載せ、場所を確保した。しかし、座ることはせず、お互いに睨みあったまま立っていた。
「……いくぞ、蒲原」
佐伯からあふれ出ていたのは、気合。そして集中力。俺の一挙一同見逃さない。言外に佐伯はそういっていた。
「応。返り討ちにしてやんよ」
俺がそういった直後、俺がそう言い放つと、お互いに拳を握り締めた。
そしてその拳を振り上げ――
「「最初はグー!」」
振り下ろし、予定調和を果たす。
そして再度振りかぶり、佐伯の眼前に突きつけようとする。
「「ジャン・ケン!」」
そして、拳を開き、振り下ろす。
「「ポン!!」」
お互いの裂帛の気合が交差し、お互いの眼前にお互いの手がある形となった。その声の音量に、食事をしていた生徒も驚き、振り向いた。……うん、悪いとは思っている。
「くっそ……俺の……負けだと?」
佐伯は自分の手を腕でつかみ、わなわなと震えていた。ありえない、そういった呟きさえ聞こえた。
「そうだな佐伯。まだまだ精進が足りんよ。己の敗因を振り替えろ」
仁王立ちしながら、佐伯に勝ち誇った。
俺の出した物はパー。佐伯はグー。
俺の勝利であった。
「五連続だな?佐伯?早く仕掛けに急げよ~」
「く……分かってるさ!見てろよ。吠え面欠かせてやらぁ!」
This is 負け犬の遠吠え。
吐き捨てるようにそういうと、佐伯は券売機の方へ、足音が聞こえるほどの大またで歩んでいった。どうもかなり悔しかったようだ。まあ、今日も入れて5日間連続で敗北を喫して居れば無理は無いか。
そう思うと、俺は椅子に腰を下ろした。背もたれに背を預け、楽な姿勢になったところで、少し思考に脳を使用する。
白い天井を見ると、あちらこちらに蛍光灯があり、一生懸命俺らを照らしてくれている。
思考する事柄は、あの本について、だ。
まず、どう情報を集めようか、という思考に入った。
母親はどうだ?
そう思ったが、すぐに自分でかぶりを振った。
拾った、といっている以上、母親からの証言は期待できまい。あの本、物が物なだけに嘘を吐いているという可能性も捨てきれぬが、その場合はあの母親が本に何らかの形で関与している、ということだ。あの母親は拾っただけ、関与したとしてもそれだけが俺にとっては望ましい。あんなのでも、母親だ。訳の分からぬ物に関与していて欲しくはない。
後の可能性は……図書館とかその程度か?――駄目だな。期待が薄すぎる。
公共の施設に、あんな妖しげな物、あるいはそれに関するものがあるとは思えない。最も、国立国会図書館に、原典のネクロノミコンでもあれば話は別だが……。
ま、まずは行動ありき。そういうわけか。
何も分からないこの状況をうだうだと悩んでいても仕方が無い、そう結論を出した。
そして正面に向き直った瞬間、佐伯がトレーを二つ持ってこちらにやってきた。なんと言うベストタイミング。……成程、この香りから察するに、今日のあいつのベットはカレーというわけか。面白い。
嗅覚を働かせて沿う結論を出してみる。トレーが机に置かれ、トレーの中の料理を見てみると、確かに、見立てどおり二つともが暖かそうな湯気を出しているカレーであった。
「今日はカレーか……きちんとしかけはしたな?」
カレーを机に置き、椅子に座った佐伯に、俺はそういった。答えるかのように、佐伯は、不敵な笑みを浮かべた。
……さあ、此処からが本番だ。
俺は、自分に言い聞かせながら生唾を飲み込んだ。そうだ、ここからなのだ。あのジャンケンは、あくまで前座。ベットするものを決める為と、ただの景気づけに他ならないのだ。
今、目の前にあるトレー二つに載せられたカレー。一つ550円のはずだったから、計1100円。それらを、どちらかが、奢る。そのために行なうのが、本番。
くじ引きである。
トレーと器には、そこに少し浮いている部分がある。誰でも、器の底の出っ張りは見たことがあるだろう。あそことトレーの隙間に、券売機のレシートが、どちらか一方にのみ入れてあるはずだ。その入れる行為を、俺たちは、仕込み、と呼んでいる。レシートを入れているほうを俺があてれば、佐伯の奢り。もし外せば、俺のおごりとなってしまう。1100円。高校生にとっては、小さな金額ではない。何より、プライドが掛かっている……。
「さて、佐伯……」
俺は長机にひじを置くと、手を組み、佐伯を自分の指越しに見た。くじ引きでは、相手に3回までの質問が許されている。答える側は言葉を発することは出来ない、というルールを設けてあるが、正直に答えるかうそをつくかは、相手の自由だ。判断のしようが無いからな。
さて、今日はどう攻めるか……。
少し思案した後、まずは無難に行こうと思った。
「お前は、左と右。どちらに仕込んだ?」
俺がそう佐伯に問いかけると、無言で、俺から見て右側のトレーを指差した。ここが、言葉を発することを禁じた理由の一つとなる。例えば、『左』とだけ言われても、俺から見た左か、佐伯から見た左かの判別が難しいからだ。その判別に別の質問を要する場合すらありえる。まあ、答えが行動ゆえの質問の難しさもあるわけだが。
兎に角、佐伯は右側に置いた、そう行動で示した。さて、これが嘘であるかどうか、だ。
「では二つ目だ。お前は、先程の問いで嘘をついたか?」
佐伯は、首を振った。NO。という訳か。
さて、これで二つの質問を無駄の終わらせたかのように感じる人も居るだろう。事実、俺はどちらに入っているのか見当もついちゃ居ない。
「じゃあ、ラストだ。お前は、どっちのカレーの方が美味そうに見える?」
そういうと、佐伯は少し戸惑いながらも、またもや右側を指差した。俺は、そのとき佐伯の瞳に注目していた。指を刺す瞬間、瞳は、俺から見て左のカレーを見てから右のカレーを指差した。これが意味することは……。
……相変わらず、佐伯は分かりやすいものだ。
そう一人ごこちると、ゆったりとした動作でトレー上のカレーに手を伸ばした。
その結果は――。
俺の手がカレーの皿の端をつかみ、持ち上げながらトレー上からカレーの皿をどけていく。
カレーをどけていく瞬間、白い紙切れが目に入った。
「……俺の勝ちだな?佐伯」
俺はそう、勝ち誇る口調で目の前に固まっている友人に言った。
皿がどかされたトレーの上にあったのは、細かい文が大量に書かれた、レシートであった。
俺が選択したのは、左のカレーだった。
「何故だ、何故ばれた……」
机に突っ伏しながら、細々としたうめき声を漏らした。ま、分かりやすいってこった。
隠したい物体があり、なおかつその物体を含めた選択を迫られたとき、人は往々にしてその物を隠したほうの物体を見てしまう性質がある。意味の無い質問を二つほどしたのは、佐伯の意識をそらす為。伏線とでも言うべきか。
「言っただろ?精進が足りん」
勝ち誇るような思考はしたが、佐伯にその思考を漏らすなどと言う事はしない。何故?そのほうが相手の嘘を、今後共に見抜けるだろう?説明するのは負けフラグ、ってことだ。
机に顔をうずめ、何事か呻いている佐伯を無視して、勝利を収めた俺は、軽く鼻歌を歌いながらカレーの中にスプーンをくぐらせた。
ルーとご飯を口の中でかき混ぜつつ、その辛味と、スパイスたちの競演による旨みを堪能していた。
やっぱりご飯は必要だと思う。うん。飲み物じゃないよカレーは。立派な料理ですよ。
食堂のカレーで舌鼓を打っていると、骸骨のような生気のうせた顔を持つ佐伯も、机から擬似骸骨の顔を起こし、カレーを口に運び始めた。
「あ、うま」
数回咀嚼し、そうとだけいうと、佐伯は目を欄欄と輝かせ、再度口にカレーを運び始め、徐々にその速度が増していく。その顔には先程までの先からのショックはなく、そこには食事を楽しむ一人の男子高校生が居るだけだった。……単純すぎる。
佐伯の単細胞ぶりに呆れつつもカレーを口に運んでいると、佐伯が口をひらいた。
「そういや神原」
「ん?なんだ?」
「噂に興味ってあるか?」
「特には無いが、何かネタがあるのか?」
口にスプーンを運ぶ手を止め、きちんと咀嚼も完了してから口を開いた。親の言いつけは大事だ。俺が佐伯の話に身構えると、重々しく、ゆっくりと口を開いた。
「いやな、何度も言うが噂にすぎないんだがよ。『終末思想』ってしってるか?」
終末思想……。口の中でそう呟くと、頭の中で、脳内に検索を掛けた。天井を仰ぎ、聞き覚えのあるその単語を探した。俺は思考しながらも、ネットサーフィンならぬ脳内サーフィンを行なった。
「……終末論、みたいなもんか?」
ヒット、一件。検索できた事柄を佐伯にいった。
「……というか、ほぼ同じだな。困窮、悲壮。それらの救済を神に求めるって意味では」
どうやら、検索した事柄はビンゴだったらしい。佐伯が丁寧に説明を付けてくれたことにより、より記憶が鮮明となった。
「その救済の方法ってのがあれなんだろ?胸糞悪いんだが」
「ああ、滅び、だな。端的に言えば」
滅び――。
その言葉に近いものを、俺は最近聞いたことがあった。
が、今回は検索をかけるまでも無かった。
あの本である。あの古書である。
【2016、6月6日6時6分6秒。世界は終わりを告げ、『蒲原 巧』は死に至る】
ここで、その本のに関することが出るか?厳密には本に書かれていた言葉が出るか?だが、本全体のことにしてしまってもよいだろう。
予想だにしていなかった情報源であった。
「――んで?前置きは良いから噂ってのは何だ?」
「まあ、一言で言うぞ?……近いうちに、世界が滅ぶんだと」
……溜息しか出なかった。いんちき臭いにも程がある。
「そういう予言臭いのは、ノストラダムスの時点でおなか一杯だ」
「お前生まれてねェじゃん」
「話だけで満足に過ぎる」
「そ~ですか」
再び、俺はスプーンを手に持ち、口に運び始めた。興味がそがれた。それ以外に思うところは無かった。
「だがな、此処からが問題だ。そのいんちき臭い噂をな、信じている輩が居るらしいぞ?こっちは噂じゃなくて確定情報」
スプーンが、再び止まった。信じ難い。そこまでこの社会は堕ちたのか?そう思った。宗教ならいざ知らず、終末思想に染まる輩まで出始めたというのか?恐ろしいことだ。
「俄には信じがたいことだが……じゃあ、教祖でも居るのか?」
「ん?ああ、居るな。確かに。名前はえっと――あれ?」
とぼけたような声を出すと、佐伯は頭をかきながら、瞳を上のほうに向けた。人が上を向いたときは何かを思い出そうとしている時――って、忘れるか?普通?
「おい」
「ああ、大丈夫だ。思い出したから。名前はな、草薙 仁、だ」
佐伯の口の動きが、やけにスローもっションに見えた。
草薙、仁。その言葉が、俺の中で何度も反響して、胸の中心にすとんと落ちた。共鳴とでも言うべき感覚が、俺の中に駆け巡った。
俺の生涯忘れられない名前とのファースト・コンタクトが、このときであった。
幸か不幸かは、断言しよう。不幸である。
そして、それ以上の衝撃を、佐伯の口からあふれ出る言の葉によって得ることになった。
「その教団の思想はな、簡単に言うと、だ。どうやら、今の世、人の行いを鑑みて神の救済は期待できない。よって――」
佐伯はそこまでいうと、佐伯のスプーンを俺の目の前に突きつけた。俺が少し驚く向こうで、佐伯の目が変化していた。噂に過ぎないと言っているくせに、その瞳は真剣そのものだった。
「……我々で世の救済を行なう。というものらしい」
再度俺に与えられた衝撃で、手からスプーンが零れ落ち、食堂の床に落ちた。スプーンが金属質特有の甲高い音を立て、数回撥ねた。