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嗚呼、アア、ああ  作者: 沙羅双樹
本編【下積み】
5/11

少女

 ――頭が、痛む。


 俺は、うめき声を上げながら、柔らかなベッドから腰を上げた。柔らかな毛布が、なぜかとても重く俺にのしかかった様に感じた。


 あの本のあの文章を読んで、そこからの記憶が全く無かった。無かった、というよりは、元々記憶できていなかっただけなのかも知れないが。ただ、気づいたときには布団に包まったこの状態であり、残っているのは、この頭の鈍痛だけだった。


「いつつ……」


 こめかみ辺りに響く痛みに言葉を発しながらも、ベッドから腰を上げた。

 

 老人のように、よいしょ、と声を上げながらベッドから離れた俺は、昨日のリフレインのように勉強机に向かった。だが、全ての再現というわけではなく、勉強机の上に開いたままでおいてある本には、何の抵抗も無く触れることが出来た。


「……2016、6月6日6時6分、世界は終わりを告げ、『蒲原 巧』は死に至る……」


 細部まで変わらず、その文章は俺の目の前に飛び込んできた。


「……なんだかなぁ……」


 頭をかきながら、俺はそう呟いた。


 頭痛も少しばかり引き、我慢できる程度にはなっていた。そして睡眠をたっぷりととったためだろうか。物後を考える程度の余裕は出来た。


 とりあえず感じたのは、違和感だった。


 違和感だらけだった。


 まず頭をよぎることは――。思考をしながら、俺は横目で開きっぱなしにしてある古書を見た。


 ……これが、質の悪いいたずらではないか、ということだ。


 まず間違いなく最初にこれを思い浮かべるのだろう。ほとんどの人が同じ状況の場合。


 しかし、俺はこの可能性は否定しようと思う。

 

 理由としては、手が込みすぎていることと、俺自身の感覚である。


 言葉にし難い、混沌とも光とも言いがたいもの。


 昨日得た感覚。未知と言っても過言ではなかったそれは、現実離れはしていたものの、確かに現実の物だった。正確に言うのならば、現実の物であるという情報と共に、俺の脳内に直接流れ込んできたのだった。


 俺の母親ならば、これくらいのいたずらはしても不思議は無いものだが……まぁ、ありえないと一蹴しても構わないだろう。母親は色々と超人じみているが、流石に俺の脳内に本を媒体にして情報をぶち込むことまではできないだろう。


 だが、だ。


 この本、『運命の書』を現実の物と仮定してしまった場合、一つ懸念事項がある。


 世界は終わりを告げる――この文章が、本当に起きてしまう可能性が出てくることだ。


 蒲原 巧、それは俺のことである。まあ世界という全体が滅びれば、俺と言う単体は当然滅びるのだろう。


予言など非現実的。そう切り捨ててしまえばそれまでだが、自分がつい昨日体感してしまったことを否定できるほど、俺は図太い神経をしていなかった。


 ……面倒だな。


 俺は、素直にそんな感想を抱いた。


 本当に世界が終わるのならば、そんな壮大なスケールに矮小な人物でしかない俺がいくら頭を悩ませたところで意味は無いだろうし、楽観的な感想を抱いてしまえば、その本に描かれていることが外れるということもある。……あくまで、楽観的に考えれば、だが。


 考えれば考えるほど、ど壷にはまる。


 圧倒的に、判断材料が足りない。


 顎に手をあて、首を傾げ始めた頃。


「巧さ~ん、朝食が完成しましたよ」


 階下より、部屋の壁を通して言葉が聞こえた。その言葉に反応したように時計を見てみると、7時半。今日は学校が休みではあるが、平日と同じ時間だ。生活リズムは一定に。前に聞いたことがあったが、これは香苗が大切にしていることらしい。


 ……ま、腹が減っては戦は出来ぬ、とも言うしな。


 何と戦うんだ、という突っ込みは置いていただくことにして、朝なのと頭痛も手伝ってか、今の俺は頭の回転が不十分だった。思考能力を取り戻す為にも、空腹を満たす為にも、確かに朝飯は欲しかった。


 本を閉じ、勉強机の上に置いた後、俺は部屋を後にした。


 ドアを抜けると、その目の前には階段があった。下方向にだけではあるが。


 階段を一段ずつ下りていくと、ギシギシ、と古い木造建築にありがちな床の軋みが聞こえた。夜に聞こえたらホラー物だ。


 階段に沿って、少しずつ回転しながら降りていくと、廊下にたどり着いた。廊下は目の前をまっすぐに伸びており、左手には昨日食事を行なったダイニングキッチンへの襖が合った。

 

 ダイニングキッチンの襖を開き、体を内側にいれると、


「おはようございます」


 ゆったりとした声で、香苗が朝の挨拶をしてきた。今は、朝飯のもりつけ最中のようだ。今日も服装は、相も変らぬ家政服の上にエプロンというスタイル。変化が無いというのは良いことが悪いことなのかはわからぬが、落ち着くのは確かだった。


 香苗は、茶色の小ぶりの器に、ゆっくりと味噌汁を注ぎ、もう一回り大きなご飯茶碗に大盛り気味にご飯を盛っていった。押し付けてご飯をまずくさせるようなことは勿論せず、ふっくらとした柔らかなご飯が盛られていく。


 俺は香苗に近づくと、食器と同じところに置かれていたお盆を手に取った。すると、香苗によって盛られた器が、自然な動きでお盆の上に並べられていく。茶碗が二つに味噌汁の入った器が二つ。お盆入りきるぎりぎりの数だった。


 お盆を微塵も揺らさないように意識しつつゆっくりと進み、ダイニングキッチンのキッチンにあたるところにある、テーブルの上に器を並べていった。


「母親はもう出てったのか?」


 ご飯茶碗と味噌汁の器のセットは二つ。この家に住んでいるのは3人の為、一つ足りなかった。


「はい。早朝にもう出て行かれました。なにやら話し合いがあるとかで。恐らく、6時頃に」


「早いな。昨日も帰り遅かったみたいだし、過労死するぞ?その内」


 もうひとつのお盆を持ちながら、香苗はこちらに来ながら話した。テーブルの上に置かれていくのは、卵焼きと焼き魚、あと明太子ときゅうりの漬物。その全てをテーブルに並び終えると、湯飲みにお湯を注いだ後、お湯を急須に戻し、急須の蓋を押さえながら湯飲みにお茶を注いでいった。こぽこぽという音が響き、滑らかに湯気が立つ。


 全てがそろうと、添えるように箸が置かれ、それぞれ席に着いた。


「「頂きます」」


 ゆっくりと手を合わせながらどちらかともなくそう言った後、箸を持ち、朝食に手をつけた。まずは卵焼きだ。


 均等に切られた卵焼きを箸で抓み、口の中でほうばる。半熟の卵焼きの柔らかさによって口の中ですぐに溶け失せると、だし独特の旨みを残していく。うん、やはりいつ食べても絶品といえる。やっぱり砂糖より、だしだと俺は思う。異論は認めるが。


 すでに皮は剥がされ、ほぐされて小鉢に納められている明太子に、俺は次に箸を伸ばした。赤い卵を少量抓み、ご飯の頂点に乗っける。明太子が湯気の出るご飯に温められ、さらに赤みを増していくように感じる。周りのご飯ごと明太子を掬い、口へと運ぶ。ざらついた食感と共に、塩味がご飯と交じり合い、きつすぎない程度の塩分と化す。ほかほかのご飯でないと、こうは明太子とは混ざらない物だ。


 もう一口か二口明太子とご飯をぱくついたとき、香苗が口を開いた。


「今日のご予定は何かありますか?」


「いや……特に無いな」


 ご飯を飲み込み、相手の言葉に少し脳内に検索をかけると、特に反応は返ってこなかった。


「では、今日も書庫で?」


「多分な」


 焼き魚、今日は鮭か。箸を伸ばしながら、香苗に受け答えを行なう。骨はもう取り除いてあり、身をほぐすだけで簡単に食べることができた。こういった細やかな気遣いは早苗の美徳である。口の中に入れた鮭は適度な塩味に油が混じり、確かな旨みを舌の上に残していく。鮭は旬ではないはずだが、安定の旨さであった。


 俺は、無類の本好きである。暇さえあれば家の書庫にこもっているほどの、だ。


 今日はどんなジャンルの本を二度読みしようか。そう食事を続けながら思案を続けていると、一つ頭の片隅に引っかかるものがあった。


「あ、やっぱ今日は昨日母親が持ってきてくれたものを読む。だから多分、部屋に居ることになるな。外出するときは声かけるわ」


 そう、勉強机の上においてきた、あの本のことである。


 香苗も得心が行ったように、軽く頷いていた。


「表紙からして外国物のでしたし、確かに巧さんの興味は引きそうでしたね。一体どんな内容だったんです?」


「えっとな……」


 どう答えた物か……。


 相手の質問に、俺は内心腕を組み、少し悩んだ。


 昨日のことを言えば、まず間違いなく精神科行きだろうしなぁ……。まあ無難なことろにしておくか。


「詩集だよ。途中までしか読んでない、というか読めなかっただけだけどな、外国の字で。ま、興味は確かに引かれたけどね」


 あの一文からして、『運命の書』の記し方はけっこう詩的な表現が多いのかもしれない、そう思ったのだ。運命という曖昧なものを記す以上、そのような書き方にならざるを得ないのかもしれないが。


「詩集ですか、あまり私は良く分かりませんね、詩は……」


「ま、感性と考え方だからね。はっきりと物を書けや。と言う人も居るし、曖昧でいいですよ~自分で考えたいんで~。という人も居る。あとは詩の感じ方だからね。人それぞれとしか言うしかないよ」


「そのような物ですか……」


「そんな物そんな物。本はあくまで楽しむ為の物だからね?」


 ズズ、と味噌汁を啜る。赤味噌の辛味が舌を抜け、程よい刺激を与える。煮干と昆布をベースにしただしも上手くマッチし、なんともいえない旨みを出す。


 ひとによりけり。そうとしか、先程の話題ではいえないだろう、そう思った。


「しかし……」


 香苗は湯飲みを啜り、軽く息をつく。湯気が立ちもぼる湯飲みを持ったまま、俺を見据えて言葉を放つ。


「こうも書庫にいらっしゃるということは、ご遊戯に付き合ってくださる御学友はいらっしゃらないのですか?」


 味噌汁を吹きそうになった。ブホッ、と俺の喉から変の音がしたかと思うと、気管のほうに汁が入り込みかけているのが分かった。激しく咳き込むと、段々汁によってもたらされた不快感は解消されていった。


 はしたない、としたなめるような目で見てきた香苗に、口の端についていた汁をぬぐいながら半ば叫んだ。


「いや、いるから。一人ぼっちじゃないからね!?俺。そういう心配ってけっこう心に来るんだよ!?」


 俺の心からの声に香苗は目を白黒させると、それは失礼しました、と謝った。……本当に分かってんのかな?


 こういう所は変わってないな。

 

 心の中でそう笑いながら思いつつ、相手の様子を見て、まあいいか、と思うと、再度味噌汁に口をつけた。


 一応説明だけしておこうか。 


 ――目の前に居る香苗は、母親の拾物だ。


 昨日の本と同じような気軽さで、あの母親は香苗を拾ってきた。……流石に投げたりはしなかったが。


 母親によると、雨の降りしきる夜中、一人ぼっちでトンネルの中に蹲っていたそうだ。ダンボールの中で。母親は、捨て子だろう。そう直感したらしい。案の定、戸籍謄本などをもらって登録されていた住所に出向いたが、不在。それどころか土地が売られて、よそ様の私有地になっていた。家も勿論なく、ただの空き地だった。そこで、電話をかけてみても、何も反応は無かった。


 彼女を母親がもって来たのは、俺が小学生低学年の頃。即ち、彼女も小学校低学年。そんな子供を捨てる親の心境は、正直理解できない。せめて施設にいれてやってくれ。そう思ったものだった。


 が、俺の母親は、何の抵抗もなく彼女を向かいいれた。そんな親に育てられた俺もお察しだ。施設にも入れず、女手一つで二人の子供を育て始めたのだ。自分の親ながら、本当に頭が下がる。


 思春期、今もそうだが、何か感じなかった物がなかったわけではない。だが、俺らはある意味兄弟のように育っていった。それこそすくすくと。


 そのときは、俺と普通に、対等に話していた。だが、敬語になり始めたのが中学生卒業後。お世話になった俺たちに恩返しがしたいと、家政婦の道を目指し始めたのだ。そんなことはしなくて良い、自分でやりたい事をやれ。俺と母親はそろっていった。が、香苗は、「なら、恩返しが私のやりたいことです」そういった。俺たちは、折れるしかなかった。


 その後、彼女は一年で学校を卒業。……今の一文、違和感があったかと思う。


 違和感の答え。飛び級。以上。


 小中学生と共に、彼女は家事の手伝いをしていた。……勿論、俺も、まかせっきりではなく、少なからずしていた。


 一応言っておこう。俺の母親は、スパルタである。そんな母親に、香苗は小学生の頃から文字通りみっちりと家事を仕込まれていった。


 料理、洗濯、掃除、エクセトラエクセトラ……。そんな彼女は、家政婦の基礎は確実に出来ていた。それが、学園に入学して花開いた。そして一気に飛び給して卒業。天才のレベルであった。劣等感を抱かなかった、そういえば嘘になるが、それよりも香苗の成長を喜ぶ方の気持ちが強かった。


 そして、家政婦として最初の実習の研修に、俺の家を香苗が希望したのだ。兄弟のように育ったとはいえ、香苗は拾い子。戸籍上は家族ではなかった為、順調に家政婦として俺の母が雇えることとなったのだ。


 とても、嬉しいことだ。今も昔も、そう思う。


 俺は、湯飲みを啜る。いつの間にか、香苗も俺の食器も、全て食物が消えていた。食後の一服は本当に幸せだ。


 湯飲みを置くと、減った分だけ急須からお茶を、香苗が注いでくれる。学園に行く前、小学生の頃からやってくれていたことだ。


 ふう、と息をつくと、


「ごちそうさまでした」


「おそまつさまでした」


 手を合わせて俺がそういうと、間髪居れずに香苗がそう返した。


 平凡な一日が、始まった。

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