第9話 戻らぬ覚悟
追いかける。
真っ暗で、足場の悪い山道を走り続ける。
まさかスマホに触ると解除されるなんて。
こんなバカげた理由で出鼻をくじかれてたまるか。
笑い話にもならん!!
くそっ、足が痛い。コウダイのせいで痛めた足が、まだ完全に治りきっていないんだ。
幸いにも、あのスマホはライトが付けっぱなしだ。相川が気づいて消すまでは、光を頼りに追いかけられるがーー。
「光が消えた!?」
「わぎゃあああああ!!」
相川の悲鳴。
なんだ。どうした。
ゆっくりと近づいてみる。
どうやら相川は地面から突出した木の根っこにつまずき、
「う、うぅぅ、足が、足があぁぁ」
足を痛めたようだ。
よかった。助かった。
こっちの足も限界だったんだ。
ヒヤヒヤさせやがって。
「く、来るな!!」
「そのスマホをよこせ、今すぐに。そしたら、命までは奪わない」
「スマホだとぉ? い、嫌だねクソガキ。お前、これを部下に見せてなんか命令してただろ。そしたらおかしくなって自殺したんだ。なんか、なんかあるんだろこれに!! だからサエさんもお前に従っているんだ!!」
勘のいいヤツ。
「ふざけやがって、こんなもの!!」
「あっ!!」
相川がスマホを投げた。
果のない闇の中へ、スマホが消えていく。
こいつ……。
「へ、へへへ、どうした、探しに行けよ。大事なスマホなんだろ? ふぅ、足もだいぶ痛みが引いてきたぜ。捻挫じゃなくて助かった」
「痛みが引いてきた? まさかまだ逃げられると思ってんのかよ」
「…………お前、俺に何をしたんだ。どうして俺はここにいるんだ」
「教えてやるつもりはないね」
「俺も、殺すつもりなのか」
殺したくはない。
こいつにはまだ利用価値がある。
母さんモドキにスマホを探させて、俺が見張るか。
しかしもしこいつがまた逃げ出したら? 俺一人で止められるのか? 悪いがもう走れないぞ。
それに、今は真っ暗闇だ。しかもなにがあるかわからない山。
もし母さんモドキが急激な斜面に足を滑らせ死んだら、余計なトラブルが増えるだけ。
つまり、スマホの回収はほぼ不可能。
ホロンはあのアパートにいる。
なら、ならばもう。
母さんモドキの手には、まだシャベルがある。
「恨むなら自分を恨めよ、相川」
「へっ、お前に俺は殺せねえよ」
「すでに人は殺してる」
「あんときと今じゃ状況が違う。死ぬように命令するのと、殺すのとでもな」
「…………」
憎たらしいが、言えない。
母さんモドキに、やつを殺せと。
言葉が喉で詰まってしまう。
殺す。人を殺す。
相川の人生を終わらせる。
もうそれしかないのに、何故俺は躊躇っている。
とっくに人の道理なんて捨てたはずだろ。
こんなにも違うか、生存本能による殺しと、保身のための殺しは。
人としての遺伝子が、同じ生き物の殺害を嫌悪しているのか。
「ま、まぁ、殺したい気持ちはわかるぜ。彼女を寝取られて、仕舞には母親からも裏切られて、殺人衝動が湧き上がってくるよな。でも、やめとけ、お前のそれは、まだ一過性の混乱でしかない。冷静になってから罪悪感で苦しんで、精神が壊れちまうぞ」
「生き残りたくて必死かよ」
「忠告だぜ。そんなやつ、何人も見てきたからな。盗みやクスリはまだしも、殺しだけは絶対にやめとけ。……わかった、こうしよう。お前、どうせサエさんのスマホを持ってたりするんだろ? それによ、録音しろよ。俺の自供。それがあれば俺はお前を七法印に売れない。な?」
「……で?」
「ミコちゃんも悲しむぜ? もしお前が警察に捕まったり、悪いやつらに報復されたら、一番苦しむのはミコちゃんだ。そうだろ? お前がいなくなったら、ミコちゃんはどうなる」
「ミコを悲しませようとしたやつが適当抜かすな!!」
俺はもうすでに二人も殺しているんだ。
いまさら引き下がろうとするな。
「わかった。やめよう、なに話しても命乞いにしかならねえ。俺も裏の人間だ、死ぬ覚悟ならできてる」
「諦めが良いな」
「ただ、頼む、ひとつだけ願いを聞いてくれ。お前に損はない」
「なんだよ」
「妹に、俺の金庫に隠してある金を渡してほしいんだ」
「…………妹?」
「あぁ、広島に住んでる。俺には別に借りてる部屋がある。そこに金庫があって、2000万は入ってる。妹は未亡人で、一人なんだ。頼むよ」
嘘くさい。
俺の同情を誘っているんだ。
こいつに妹なんかいない。
仮にいたところでーー。
なんとなく、俺のスマホで時間を確認する。
もう深夜2時だ。6時、いや5時までには完全撤収しないと、誰かに見られる恐れがある。
あの死体だって、まだ埋めきれていない。
だとすれば、ここでこいつを殺したら、その死体も処理しないといけないわけで、もっと時間が掛かってしまう。
時間が、ない。
こいつを殺すのは、無理かーー。
「自供するって、これまでの悪事をだろ? それが本当だって証明ができるのか? 嘘っぱちの悪事について話すかもしれないだろ」
「まぁ、そうだな。確かにそう疑うのも無理はない。……そうだ、あの死体を埋めるのも手伝おう。シャベルに指紋をたくさんつけてやるし、俺も死体遺棄で同罪になるぜ」
「…………お前にはまだ利用価値がある。俺は、ミコのために裏AVで大金を稼ぐ。そして、七法印を壊滅させる」
「ナイスなアイデアだな。協力するよ。でなきゃ逮捕されちまうからな。……ふっ、妹のために金を残したい、か。この世界に入った俺と同じ動機だな」
「一緒にするな。お前に妹なんていないだろ」
「友達を家に連れてきたときの妹が一番ウザいんだよな。うるさいの注意したら不機嫌になるし、ちょっと可愛い友達を見てたら文句言ってくるし」
やめろ。
「でもたまに風邪引いたりして寝込んでるのとか見ると、守ってやらなきゃなって気持ちになるんだ。お兄ちゃんだからな」
やめろ!!
俺を共感させるな。
お前は、お前は、俺を地獄に叩き落とし、殺そうとしたクズなんだよ。
「なぁガキ、迷ってんだろ? 俺の会話に乗って、時間をかけて、問題を先送りにしているんだろ? お前に殺しは無理だ。……あぁもうわかった。じゃあ全部俺のせいにすればいい。あの死体も俺が殺したことにしろ。警察に通報すればいいだろ? な? だから、殺すな。大丈夫、お前のことは、誰にも話さない。あの変なスマホ、まだあったりしたらウンザリだしな」
「…………」
「本当だ誰にも話さない。だから決断しろ、真月ハク」
「…………」
「俺も仲間に入れてくれ」
瞬間、小枝の折れる音がした。
それに枯れ葉を踏む音。近づいてくる。
誰かの足音? 人がいるのか?
相川が叫ぶ。
「助けてくれええええ!!!! ここに人殺しがいるうううう!!!!」
「なっ!?」
「このガキだ!! 俺の部下も殺してる!! 殺人鬼なんーー」
相川の声が小さくなっていく。
そうだろう。だって足音の主は、俺が催眠で操ったサラリーマンだったのだから。
「あの場所で待っているはずじゃ……」
「遅いので遭難されたのかと思い、捜していました。遺体のある穴までは、正確に戻ることができます」
「そう……。そりゃ、優秀だ……」
相川に視線を戻す。
苦々しそうな顔を浮かべている。
こいつはいま、叫んだ。
俺のことを。
俺の罪を。
そっか。やっぱりそうなんだ。
「お前を一瞬でも信用しそうになるなんてな。まだ覚悟が足らなかったようだ」
「クソガキがぁぁぁ!! はっ!! とことんマヌケなガキだぜ!! いいか? お前の母親は何度も俺が抱いているんだぜ? なんだったらお前の親父が生きていたころからな!! ちなみにミコちゃんの下着も盗んで売ったわ。本人の写真付きでな!! ギャハハハハハ!!!! まぁ気にすんなよ、よくある商売だ」
「…………」
「てめぇみてぇな真面目なだけのバカなガキはな、どうせ周りの人間不幸にするしか能がねえんだよ。きっとミコちゃんも思ってるぜ。あーあ、こんなお兄ちゃんよりもっとカッコいいお兄ちゃんがよかったーってな。しかも彼女を寝取られた情けないカス。生きてたってしょうがねぇのによぉ!!」
母さんモドキとサラリーマンに指示をだす。
「あいつを……」
サラリーマンが相川を羽交い締めにする。
母さんモドキがシャベルを構える。
母さんモドキの動きが止まった。
「なにをしている」
「…………」
「やれ」
「…………」
「殺せ!!」
催眠状態でも殺人には抵抗があるらしい。
だが母さんモドキは俺の命令に従い、シャベルを立てて相川の脳天へと振り下ろした。
頭から血が吹き出し、気を失っているが、それでもまだ、生きがある。
死ぬのは時間の問題。
しかしーー。
「待て、貸せ」
トドメは俺が刺す。
直接、俺の手で。
それが筋ってもんだろ。
その後、母さんモドキとサラリーマンは大きな穴を掘って、相川を埋めた。
それを眺めながら、ホロンに電話をかける。
『もしもーし。どうしたのハクきゅん』
「…………」
『ハクきゅん?』
「なんでもない」
どうして電話なんかしたんだろう。
自分でもわからない。
たぶん、他者との繋がりを感じていたかったのかもしれない。
共犯者を求めていたのかもしれない。
自らの意思で人の道を超えた、俺のーー。
「なにか喋ってくれ」
『んふふ、可愛いお願いだね♡♡ 私、毎日がとっても幸せ。だってハクきゅんと同じ世界にいるんだもん』
「…………」
『なにがあってもハクきゅんの味方だよ。だってハクきゅん意外に価値がないもん。だから……愛してるよ、ハクきゅん』
「…………」
『大好き♡♡』
もう、後戻りはできない。




