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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

本日は晴天なり

作者: 沙華やや子
掲載日:2025/11/23

何にも考えず生きて来た


 少しだけ残っていたアイスコーヒーを、もう惜しみつつストローで突っつくのはやめて、百絵乃(もえの)は最後のタバコを吸い終え、火を消した。

 仕事帰りだ。

 ニコチンがきつく有名な、古くからある銘柄。パッケージをクシャッとひねり重厚な木製のテーブルにポン、と置いた。

 仏頂面だ。来月25のお誕生日を迎えるが子どもっぽい百絵乃は、いつも年齢を言うとびっくりされる。だが、瑞々しさを曇らせ今は仏頂面。


「お冷や、お入れしましょうか」

 まるでどこかの宮殿の執事みたいに品の良い男性が言ったが、断わった。


(あ! でも、忘れていた)

「すみません。ごめんなさい、やっぱりいただきます」とグラスをそっと持ち上げる百絵乃。


 複雑な暮らしをしている。


 喫茶店には粋な女性ボーカルのジャズが流れる。

 1月の空が薄曇りで(ニーハイブーツだから良かった)と胸を撫で下ろす。

 足元に温みはあるが……複雑な暮らしをしている。百絵乃は。


 処方されている精神薬をひと息に飲んだ。


慶太(けいた)、あなたが不快すぎるわ。そもそも最初から軽い気持ちよね。あたし、きっと)


 事情はこうだ。

 九州の田舎から上京してきた百絵乃。2年前に渋谷でナンパにあった。軽はずみだったかもしれない。百絵乃はその日のうちに、ナンパしてきた相手である慶太と深い仲になった。


 場所は……渋谷にいくらでもあるラブホテルではない。

 高円寺の団地だ。普通なら団地で何にも悪い事はない。その団地は狭い4畳半が2つ、あとはちっちゃい台所と狭い風呂とトイレだけ。

 慶太は1部屋占領。もう1つの部屋には……当時27才の慶太の親にしてはあまりにも年老いている両親。そして後には出戻りのお姉ちゃん・直子(なおこ)と、直子の連れ子である2才半の男の子もやって来るので、4人が1部屋に押し込まれている状況だ。


 そう、ナンパされた時、まだお姉ちゃん達は居なかった。


 人の両親がいる隣の部屋で、初めて会った男に抱かれた。


 田舎の広い家に暮らしていた百絵乃にとって、そこはカルチャーショックだった。

 その家は掃除をする人が居なく、洗い物はたまり、汚れないようにと新聞紙を敷いてご飯を食べる。しかし汚れて床もベタベタしている。折り畳み式のミニミニテーブルがあるだけ。順番にお食事だ。


 なにゆえ百絵乃がそこまで、慶太家の生活状況を把握しているかというと、まさに今、百絵乃はその団地で暮らしているからだ。慶太と結婚はしていない。同棲……というか、居候だ。

 渋谷のお店で朝からお昼まで風俗嬢をしている百絵乃。慶太にナンパされた時は寮生活だった。

 寮と言ってもワンルームマンションをあてがわれていたので、自由な暮らしだ。ベッドや洗濯機に冷蔵庫など、家財道具はすべて揃っていたし。


 しかしある時期から、寮に入っている女の子の間で嫌な噂が流れ始めた。


「盗聴器、付けられてたりして……」


 今思えば、まさか~! と感じる百絵乃だが、当時その事が物凄くストレスになり、脅えた。くつろげる場所であるはずの住まいが住まいじゃなくなった。

 そこから心の病気にまでなってしまい、今も精神科へ通っている。


 慶太は、とても華やかな風貌だ。着ているものも派手で愛嬌がある。

(モテそう)と、声を掛けられた時思った百絵乃。

 しかし、付き合ってみると慶太は口下手で純粋な男だった。


「俺んとこ、来る?」と交際1カ月経った頃慶太が言ったから『盗聴器妄想』から逃れたい百絵乃は二つ返事で引っ越した。


 ちなみに慶太は、百絵乃の仕事に関して口出しをしない。

「一生懸命頑張っているのだから」と認めてくれた。

 稼いだお金は全て百絵乃の小遣いにしているというのに。焼きもちも焼かないで認めてくれている。

 慶太は工場内のライン作業で車の部品を作っている。休日は変則的だ。


 年老いた慶太の両親は、慶太にあんまり口ごたえできない風だ。しかし、慶太は特に両親につらくは当たらない。ただ、言い出したらきかない所のある慶太だ。


 百絵乃が慶太家に居候生活を始め、約半年した頃、お姉ちゃんの直子と男児が実家であるこの団地に帰って来た。


 こんなに小さな家で、半分を独り占めする慶太。しかしまあ、自然な事か。両親は夫婦だ。夫婦の部屋と息子の部屋に、そもそも分かれていただけの事。

 お姉ちゃんは、若いカップルの部屋に入り込むのに気が引けたという事だろう。だから親と同じ部屋。そしてボクちゃんと4人でギューギュー。


 比較的しつけの厳しいおばあちゃんのもとで育った百絵乃には、驚きの連続だ。


 まず最初に驚いたのは、慶太は真冬以外パンツいっちょう。トランクスしか履いていない。おじいちゃんみたいなお父さんは、股引こそ履いてはいるが、やはり上半身は裸。

 そして皆、驚くほど口が悪い。元暴走族の姉(直子)と弟(慶太)。お姉ちゃんは男の人みたいな喋り方をする。凄くびっくり。


 しかしお姉ちゃんは百絵乃をかわいがるし、百絵乃もお姉ちゃんとボクちゃんの事が好きだ。慶太は甥っ子の面倒をよく見る。


 ある時……お姉ちゃんがある女友達を呼んだ。


「慶太、元気?」

 赤ちゃんを連れている。


(なに、この女、なれなれしい。人の男に向かって)

 ムカッと来た百絵乃。


 彼女があっちに行った時、小声で「あの人、誰?」と慶太に問う百絵乃。


「昔の女だよ」


「ハー?!」

 あったまに来る百絵乃。


 しかし、どうやら、百絵乃の嫉妬心を超えるぐらい、慶太が姉に向かって怒っているようだ。


 その女性が居る間は何も言わずにおいた慶太。

 しかし女性と赤ちゃんが帰った後、姉弟喧嘩が始まった。


「おい! ねーちゃん、どういうつもりだよ! 花江(はなえ)を呼ぶなんて!」


 言葉にはしなかったが慶太は(俺には今、百絵乃が居るのに)という意味合いで怒ったのだろう。


 負けん気の強いお姉ちゃんから怒声が返って来た。

「なーんで、あたしがあたしの友達呼んだら駄目なんだよっ?! クソが! あーあー、わかった、わかったっ! どうせここは、てめぇらの城だよな!」


「ハ――――?!」


 気分悪すぎて、もうそのあとは忘れた百絵乃だ。



                *


(あんなにお姉ちゃんに怒っていたくせに、慶太、あれはな~に?!)


 百絵乃は非常に不愉快で、あの家を出て行こうと、この喫茶店でいつまでも考えているのだ。


 堂々巡りの万華鏡のように、魅惑のジェラシーがこのままじゃおさまらないので、席を立った。アイスコーヒーの会計を済ませ帰路を辿る百絵乃。



 ここまで思うゆえんは、つい最近の怨めしい出来事。


 またしても、お姉ちゃんの友達だ。

 その女性・弥生(やよい)ちゃんは時々慶太家に遊びに来ている。百絵乃ともよくしゃべる。


 いつものように仕事から午後1時ごろ帰宅した百絵乃。

 部屋の扉をガラッと開けた。


(え?)


 目に焼き付いて離れない、あの弥生ちゃんの格好。シレッとした顔で長いタバコをふかしている弥生ちゃんは、下着一枚だった。太ももまでのキャミソール。慶太はいつも通りパンツいっちょう。


(なにやってんの?)


 訊く気にもならない。

 関係を待ったにせよ、持たなかったにせよ、吐き気がするほど気分が悪かった。


                 *


 しかし、取り敢えず行く所がない百絵乃。

 弥生ちゃんの一件にはムカムカするが(お金を貯めたら出て行こう)と決意する。


 それはお姉ちゃんに先を越された。窮屈さに耐えかねたのだろう。お姉ちゃんはボクを連れ、新しいアパートへ引っ越して行った。


                 *


「おはよう、百絵乃ちゃん」


「あ、お母さん、おはよ」


「タバコ1本、恵んでくれないかい」


「あ、良いわよ」


 この家にはお金がないのだ。お父さんは新聞配達。お母さんはパチンコで稼いで来る。


 お母さんと居ても別に気兼ねをしない。実家とまったく様式こそ違いはあれども、本物の家族の感覚だ。

 百絵乃は窓の外に目をやった。何処までも続く晴れた空に端っこがあるように感じた。真白い雲の先は行き止まりに見えた。

 ここは5階なので見て取れぬが、下の小さな公園からは子ども達がキャッキャとはしゃぐ笑い声が聞こえてくる。


 百絵乃もタバコに火を点けた。フーッと鼻から白い煙を平気で出した時「居なくなれば良い」と、どこかからか聴こえた。自分の声によく似ている。

(うん、そうだね)と百絵乃は得体の知れない声に向かって胸の中で返事をした。


 お姉ちゃんは引っ越したというのに、弥生ちゃんは相変わらず慶太家に遊びに来る。

 忌々しいキャミソールの一件があったものの、百絵乃は弥生ちゃんと友達付き合いをしているし、弥生ちゃんは弥生ちゃんで、慶太家を家族のように慕っている。

 ある時など、慶太と百絵乃が出先から帰宅すると、弥生ちゃんとお母さんが二人で楽しそうに話し込んでいた事もある。


 変な関係だ。

 なにかが抜け落ちている。


 今にも抜けそうな団地の古い床を見つめながら、この毎日を思った。

 否、百絵乃は、欠けてしまっているのは自分だと気づく。


 焦りや怒りを押しとどめ、平気な振りをしている。


 もう、我慢ならない、とかき氷みたいな水色の冬空に誓う。



 街のパチンコ店が新装開店するという。お母さんはその知らせを知った時からソワソワ、ウキウキとしている。

「いっぱい出るだろうね~! あたしの腕の見せ所だよ」だなんて言ったあと、入れ歯をはずして洗い始めた。


 明後日か。


「ねぇ、慶太、あたしさ、弥生ちゃんとゆっくり話したいんだー。明日弥生ちゃんがここに泊まるように誘っても良いかな?」


「え!? 泊まるって、弥生ちゃん、何処で寝るの」


「そんなのどっちの部屋でも良いじゃん。あたしと慶太は恋人同士。それをわかってる弥生ちゃんが何か変な事でもするの?」


 敢えて逆に尋ねて見せる百絵乃。


 慶太はなんだか慌てた表情をした。百絵乃はこっそりこの男を鼻で笑った。


(やっぱりあの日、男女の仲を持ったのね。この男に、ほとほとしらけたわ)


 慶太は答えた。

「ああ、弥生ちゃんが変な真似をするわけないさ。泊まっても良いんじゃない」


 百絵乃は嬉々としている。企みを持っているからだ。


(願い事が叶う!)


 すぐに電話を掛ける百絵乃。

 弥生ちゃんはコール2回で出た。


「もしもし、弥生ちゃん」


『うん! 百絵乃。どうしたの?』


「相談したい事があるの、あたし……。明日さ、泊まりに来てほしい」


 弥生ちゃんは男に貢がせ生活している。暇人だ。


『良いよ。泊まりに行くよ』


              *


 弥生ちゃんはお昼頃やって来た。

 お父さんは新聞配達が終わると、浴びるほど酒を呑み続けている。お母さんはなにをする事もなく、タバコを呑み続けている。


「お母ちゃん、メシもらうわ」

 貧しい家にやって来て、厚かましい女だ。


(ま、あたしも同類か)

 百絵乃はその憂鬱を即座にかき消す。


「ありがと、来てくれて」


 慶太は「ちょっと友達の家に行って来る」と席をはずしていた。


「ううん。良いよ、百絵乃。ところで相談って、なんかあった?」


「ンー、あたしさ、風俗やってんじゃん?」


「うん、うん」


「慶太はなんにも言わないけど、やっぱ悪いかなーって、ちょっと悩んでんの。お金にはなるんだけど……」


「あー、ね~。んー。でもさ、あたしも風俗上がりだけど、理解ある彼氏だったよ、当時。慶太も理解あるから、いんじゃないかな」


 百絵乃のはらわたが煮えくり返っていた。

(『慶太』とか、てめぇが呼ぶな)と。


 しかし笑顔で「弥生ちゃんはそう思う?」


「うん、そうだね」


「そうか~。じゃあ、もう少し頑張ってみようかな。店長にも頼りにされてんだよね」


「うん、うん」


 上辺だけのお悩み相談コーナーが終了した頃、丁度慶太が帰宅した。


「おお、弥生ちゃん、久しぶり」


「おお、慶太、元気か」

 弥生ちゃんも決して品の良い話し方ではない。


「元気だよ。ところでさ、今日どっちの部屋で寝んの? 母ちゃん達の部屋? それともここ?」


「あ、ここで寝ても良い?」


 悪びれる様子もなく弥生ちゃん。恋人同士の部屋に寝ると言う。

 確かにもう一組布団はあるが。

(ゲスな女だな)と腹の中で思う百絵乃。

 しかし百絵乃の企みが、百絵乃の精神を今支えている。


 明日、お父さんは早朝新聞を配った後、行きつけの立ち飲み屋へ行く。これは日課だ。お母さんは新装開店のパチンコで夕方以降まで帰って来ない。慶太はといえば、明日は早朝から夕方まで仕事。

 明日の朝、お母さんが出て行ったあと、弥生ちゃんと二人きりになる百絵乃。



 夕方まで慶太を交えた3人で、気の抜けたサイダーみたいな世間話に花を咲かせた。時々お母さんが煙草をせびりに部屋に入って来ては、そのままおしゃべりに加わった。


 そうして迎えた夜。弥生ちゃんが先に入浴した。百絵乃がパジャマを貸してやった。そのあと、慶太と百絵乃が一緒に狭い風呂に入った。時々こうして一緒にお風呂に入るのだ。


 カップルが仲良く風呂を上がると、弥生ちゃんが暗い目をしていた。


(やっぱり慶太に気があるのね。いい気味だわ)と百絵乃は、ほくそ笑む。


 百絵乃は眠剤を飲むのでよく眠る。しかし眠り始め3時間ぐらいすると必ず1度目覚めてしまう。でもすぐにまた二度寝へと睡魔にいざなわれる。


 今夜も深夜、一度目覚めてしまった百絵乃。

 見ると自分のすぐそばで、掛け布団の山ができ、モゾモゾと蠢いている。

 自分の恋人と女がまぐわっているのだ。弥生ちゃんは声を押し殺そうとしているらしいが、時々吐息を漏らす。


 想定していた通りだ。


 明日が来るから、夜明けが待っているから百絵乃は耐えられる。


 肌と肌がぶつかり合う音を冷静に聴きつつ、そちらへ背を向けていた百絵乃は、いつの間に眠った。


 朝のまばゆい光が瞼に転がり起こされた。隣に居る筈の慶太が居ない。すでに出勤していた。


「おはよう、百絵乃」


「ンー、おはよ、弥生ちゃん」


 ねぼけまなこの百絵乃。時計を見ると8時も過ぎていた。

(いけない! あたし、シャンとしなきゃ……! せっかくのチャンスを棒に振っちゃいけないわ)


 顔を洗いに洗面所へ行くと、お母さんは既にパチンコ店へ出掛けていた。

 お父さんはまだ帰って来ない。


(お父さんが帰って来るまでに!)


 百絵乃は弥生ちゃんを呼んだ。

「弥生ちゃ~ん! 冷凍庫にピラフ入ってた。食べるう?」


「食べるっ! ハラペコ~」


「ヒッ!」


 おびき寄せた卑しい弥生ちゃんに、出刃包丁を向けている百絵乃。


「あんたはさー、ヒトのモノ盗るの好きね!」

 弥生ちゃんが逃げるまなく飛び掛かり、腹を刺す。

 ブスッ!

 震え失禁した弥生ちゃん。真っ赤に染まる百絵乃が貸したパジャマ。


「うぁあぁ、うぁああ――――――ッ!」

  狂っている弥生ちゃんに向かって「メシもよぉッッッ!」と百絵乃は言いつつ一回包丁を抜き「男達の財産もよぉっ!」と言いながらまた腹を刺した。


 弥生ちゃんは白目をむいている。


「泥棒めッ! 好きモノ外道め! 慶太みたいな男、要らねぇけど、てめぇが生きてると虫唾が走るんだよッ!」


 とどめに左胸辺りを深く、深く思いっきり何度もさした! ザクッ! ザク……ッ! ザクザク、ザック! ザク!


「しねッ! 死ね! シネ、しねしね死ね、しね、死ね――――――ッ!」


 弥生ちゃんには届いていない。とっくに死んでいるから。百絵乃の血まみれの顔は鬼そのものだ。


 死体をポーンと一度蹴飛ばす百絵乃。風呂に入り、上がるとサッと美麗にお化粧をし、華やかなミニのワンピを着、めかし込んで出て行った。


(今日は晴れの日)


 百絵乃が最後の砦を破壊した日。

 自分から自分が消えた日だ。


 やわらかなおひさまが、冬の貴婦人・クリスマスローズに、嬉しそうに笑いかけている。




※ この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。



この先も何にも考えず……

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あの男は要らねえけど、手前が生きてるのは虫唾が走る… 最高です、この"感情"。
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