第9話 ありえんほどにエイリアン ⑨
「おい、ゲトガー」
沈黙を破ったのは、ルドヴィグ。
「お前。俺たちのミッションを忘れたのか? その女に、人間に、肩入れするつもりか?」
「待て、ルドヴィグ。俺は裏切ってなどいない。少し不覚を取っただけだ。機を窺い、いつか体を取り戻す」
「私の体だっつーの」
「痛っだっ!」
首を殴りながら私はルドヴィグと対峙する。
「もういい」
ルドヴィグが、吐き捨てる。
「先ほどお前は、自分のことを殺せと言ったな。その言葉、今叶えてやる」
「ちょっと待て、ルドヴィグ!」
途端、ルドヴィグの枝混じりの右腕が倍ほどに膨張する。その腕はムチのように柔軟にしなり、私に睨みを利かせている。
「わー。やばいね、あれ。頭を吹き飛ばされたら、さすがに再生間に合わずに死ぬよね?」
「お前、どうしてそんなに余裕なんだよ」
「で、ゲトガーは死にたいの? 生きたいの?」
「それは……」
「ん?」
首から、歯が軋むような音が聞こえてくる。ゲトガーが、歯を食いしばっているのだろう。
「生きたいに決まってるだろ!」
「ふーん。じゃ、この場は私に協力してよ」
「っクソ。残念ながらそれしか手はないみたいだな……。お前の言う通り、今日は本当に最高の一日だな! クソが!」
「でしょ!」
ルドヴィグの右腕がしなったのを見て、私はひょいっと顔を右に傾けた。
すると、先ほどまで私の顔が存在した場所を、文字通り大木のような腕が通り過ぎた。そんな様を、はっきりと視認することができた。私、ゲトガーに寄生されて目もよくなったみたい。
しかし、避けきれていなかったようで、左耳の先が弾け飛んでしまった。いてぇ。
「いったぁ!」
と。大仰に叫んだのは私ではなくゲトガーだった。やはり、痛覚は共有されているようだ。
「ちょっと。首元で叫ばないでくれる? 耳近いから結構うるさいんだけど」
「なあ。頼むからお前も少しは痛がれよ。地球には痛みという概念が存在しないのか?」
「もう少しで魔法少女になれると思うとアドレナリンがギュルギュルに垂れ流しで痛みなんて感じている暇ないよ」
満面の笑みで駆けながら、私はネオ委員長から距離を取った。
その間も、委員長の腕やら足やらが巨木の幹に変じて私を襲った。所々肉を抉られるが、未だに致命傷は受けていない。
しかし、ダメージを受ける度に首にいるゲトガーが騒いでうるさい。頼むから黙ってくれない?
怪我をしたそばから、ゲトガーが傷を治してくれる。しかしそれは、なにも私を思っての行動ではない。私が死ぬとゲトガーも死ぬから、しかたなく傷を治しているだけなのだろう。
「ねえ。ゲトガー。あなたの立場はよくわからないけれど。ここはひとまず力を合わせて委員長を倒そうよ。このままじゃ二人ともやられちゃう」
ゲトガーはしばらく黙ったあと。
「……そうだな」
と口を開き、続ける。
「だが、頭パカパカ女。お前はお前の同胞の命を奪うことができるのか? 今はもう、中身も見た目も元のあの娘からはかけ離れてはいるが……」
「一度寄生されると、もう元には戻らないの? 殺さないと駄目?」
「基本的にはそうだ」
「ふぅん。ま、私は、魔法少女になるためなら委員長ですら殺すよ」
「まあ、だろうな」
ゲトガーが、微かに笑った気配があった。
「ゲトガーは? ルドヴィグを殺すのにためらいはない?」
「ない。俺はお前とは違い合理的な思考を持っている。あいつはただの仕事仲間だ」
「へー」
「合理的に考えた結果、今はお前の味方をするのが最善策だという答えを出した。仕方なく、だがな。というか、お前に味方する以外ほかに道はないだろう」
ゲトガーの言葉の後半は、怒気が混じっていた。
「だね」
ルドヴィグの猛攻をなんとか掻い潜りながら、私は山を上っていく。障害物があった方が、やつは私を狙いにくいだろう。
木立の間を縫いながら進む。しかし、ルドヴィグは構わず木をなぎ倒しながらこちらに近づいてくる。
「私もあんなのできないの?」
後ろを振り返った瞬間、めきめきと嫌な音を立てて大木がこちらに倒れてきた。スライディングで木を掻い潜りなんとか前に進む。
「俺たちは、他の生物に寄生することで、自分と、寄生先の生き物の力を十二分に引き出せる。だが、お前の突拍子のないクソの中のクソみたいな行動のせいで俺の寄生は不十分に終わった。だから、ルドヴィグのような出力は出せない」
「ふーん。ならさ。私にいい案があるよ。ゲトガー」
「なんだ? 言うだけ言ってみろ」
私は、不敵な笑みを浮かべて。
「私を魔法少女にするんだよ」
「頼むから今からでも俺と脳みそ交換しないか?」
疾走しながら首に強烈なチョップを叩き込む。
「私が魔法少女になることができたら、あんなやつイチコロだよ」
「一応訊くが、具体的にはどうやってなるんだ?」
「魔法少女に重要な要素は三つあると私は思ってるんだけどね」
「なんか語り出した」
「一つは変身。これがないと始まらないよね。変身は魔法少女の華だよ」
「変身、か。それくらいなら今の俺でも多少はできるかもな。要は、ルドヴィグのように姿を変えればいいんだろう」
(――って。俺は、こんなやつのためになにを真面目に考えているんだ)
「で、次はステッキね。ステッキがないと魔法が使えないからね。ステッキなしで魔法を使う魔法少女もいるにはいるけどね。でも私は、やっぱりステッキが好きだなー。ステッキと一口にいっても、その種は千差万別。なにも棒状のものだけがステッキとは限らないからね。例えば、とある作品ではパンツの形したものもあって――」
(――なにやらごにょごにょと話し始めたが、こいつ、今は俺と思考が共有されていないようだな、殴ってこないし。思考が共有されていたのは、俺とこいつの体の支配権が曖昧だったから起きた特例だろうか)
「ちょっと、聴いてる? ゲトガー」
「あ、ああ……。ステッキ、ステッキだな。つまり武器だろ?」
「まあ、簡単に言えばそうかな。武器であり、杖でもあるね」
「おい! なにをごちゃごちゃと言っている!」
叫びながら、後ろからもの凄い形相のルドヴィグが迫ってくる。よく見るとやつは、自分で伐採した木々を取り込んでどんどんと巨大化しているではないか。
私は、ルドヴィグを見なかったことにして言う。
「で、三つ目は魔法ね。これがないと始まらないよね。空を飛んだり炎を出したり、その種類は多岐に渡るんだ」
「魔法? さすがにそれは無理だろう」
「無理じゃなくて、やるの。やれ」
「……わかったから。俺の歯の間から指を滑り込ませようとするのやめろよ」
(――なにをする気なんだよ、恐ろしい)
「変身と、ステッキと、魔法だな。まあ、なんとかならんこともないかもな」
「本当っ!?」
走りながら、私は今日イチの笑顔を浮かべる。
「まあ、それっぽいことができるだけだがな」
「十分だよ! できるんだね!? 凄いじゃんゲトガー! ありがとう!」
私は、両手で自分の首を絞めるみたいに覆った。しかしこれは、なにもゲトガーを絞め殺してやろうとしているのではなく、彼を抱きしめているつもりなのだ。
「……おう」
(――こいつ、かなり情緒不安定だな。こんなやつに協力するしかないとはな……。どうなるんだ? 俺の未来)
「で、具体的にはどうするの? 私はなにをすればいい?」
「一時的に、俺の力の出力をあげたい。そのために、お前の血を俺に飲ませろ」
「私の体の血は共有されてるんじゃないの?」
「どうやら、この首の部分だけは俺の支配が強く、独立しているようだ。だから、内からではなく外からお前の血液を摂取する必要がある」
「ふぅん。私の血を吸って力を取り戻して、また私を乗っ取ったりしないよね?」
「さあ、どうだか」
にやりと、ゲトガーの口角が上がった感覚が首にあった。
「まあ、乗っ取られそうになったらまた脳を弄ればいいし、別にいっか」
「あれはもう二度とするなマジで」
刹那。私は、背筋が凍るほどの悪寒を背中に感じた。
「飛べ! クソガキ!」
ゲトガーの叫びと、私が地を大きく蹴り前方にジャンプしたのがほとんど同時だった。
轟音、振動、土煙。
転がりながら背後を確認する。先ほどまで私がいた場所に、大木が斜めに突き刺さっていた。
そして、更にその背後には。
「おい。いい加減このくだらない茶番を終わらせさせてくれ」
私は、一瞬にして目の前に山が移動したのかと錯覚した。私の眼前で、森の巨人が佇み私を見下ろしていたのだ。大きな大きな影が、私を飲み込んでいる。
その巨大な体躯には、木や葉や枝や花やつぼみやツタが、できの悪いコラージュ作品のように折り重なっている。全長は優に、この森で一番背の高い木を越えているであろうことは明白だ。
少し顔を上に向けると、巨人の胸の辺りに委員長の顔が存在していた。よく見るとその山の正体は、折れた木々たちを吸収して大山となったルドヴィグなのであった。
その姿はまるで森の番人。否、森そのもの。
私は、私たちは。森そのものを相手にしているのだ。
「おい。勝てるんだよな? 魔法少女になったら、アレに」
「勿論」
「根拠は?」
「魔法少女は最強だから」
私のその言葉は、嘘でも強がりでもない。
魔法少女はいつだって、逆境に打ち勝ってきた。
「魔法少女に、不可能はないんだよ」