第5話 ありえんほどにエイリアン ⑤
暗黒の小学生時代に彗星の如く割り込んできた存在、魔法少女。
自分自身も魔法少女になりたいと思い始めてから……つまり、闇しかない人生に一筋の光明が差し込んだ日から。
私は、絶対に死ねなくなってしまったのだ。魔法少女になる、その日まで。
ある日。私は足を滑らせて、家の階段から転げ落ちてしまった。頭を何度も強打し、床に叩きつけられたときには意識が朦朧としていた。
消えそうになる意識の中。私は、とあるものを目にした。
床を這いつくばる私の視線の先。
壁際に、埃を被った小さな螺子を見つけたのだ。
鈍い光を放つその螺子は、ボロボロの私の体を反射していた。
フラフラとする思考の中で、私は、なぜだかはわからないのだが、あれは私の頭から零れ落ちた螺子なのではないのかと思ったのだ。
勿論そんなことはなく、実際のところはなにかの道具の一部が隅に転がっていただけなのだろう。しかし、頭を強く打った私の思考はかなり飛躍してしまっていた。
廊下で転がる私のそばを、母が通り過ぎた。彼女は、ゴミを見るような目で私を見下ろしてから、どこかへといってしまった。
その後、父も私の存在に気が付いたが、母と同じく私を無視した。
彼らにとっては私なんて、死んでくれた方がラッキー程度の存在なのだろう。しかし、私は死にたくなかった。魔法少女になるまでは。
決死の思いで床を這いつくばり、移動し、咳込む度に痛む体の痛みに耐えながら、なんとか病院に電話をかけることができた。
2コール目で繋がった。階段から落ちた旨を伝えると、受付は医者に電話を替わってくれた。
子供からかかってきた電話ということで、医者は私のことを本気で相手にしなかった。そいつはこう言った。
「冷えピタでも張っておいてください」
そして医者は電話を切った。
私に運がないだけなのだろう。私が出会う人間は、どいつもこいつも私を大切に扱わなかった。
この瞬間私は、学校にも家にもその他にもどこにも、私の味方なんていないのだろうと思い込んでしまった。
勿論、人間は悪いやつらばかりではないのだろう。
私がたまたま悪い人間に会いやすく、引き寄せやすく、そいつらの標的になりやすいというだけの話だったのだろう。
しかし、幼い私にそんなことはわからない。狭いその世界だけが、私の全てだったのだから。
とにかく、私はその日から。
頭の螺子が抜け落ちたその日から。
少しだけおかしくなってしまった。
開き直ってしまった。居直ってしまった。
「……しねない。まほうしょうじょに……なるまでは」
電話を置き、私はその場でぶつぶつと呟いた。両親が、気味悪がるように私のことを見ていた。
自分で傷の手当てをしようと、救急箱を取りにいこうとすると。
――父親に、腹を殴られた。
「お前に使わせる道具はない」
私は、胃が口から出てしまうのではないかと思うほどにきつくえづいた。これは、まずい。本当に死んでしまうかもしれない。
でも、駄目だ。
死んでしまうわけにはいかない。
私は、死ねない。
魔法少女になるまでは。
「ころさないで」
呟きながら私は、ふらついた勢いのままに父の腹部に拳をめり込ませた。
父は、いつもは怯えているだけの小動物のような娘の思わぬ反撃に、面食らっていた。
「っしにたくない。しにたくない。まほうしょうじょに、まほうしょうじょにならなきゃいけないの」
私は、呟きながら、馬乗りになって、父の腹をもう一度殴った。
先に殴ったのはそっちなのだから、こっちは二度殴ってもいいだろう。私は、死なないために、魔法少女になるために、必死だった。
横合いから、母の叫び声が聞こえる。そちらを向いた瞬間、母のビンタが私を襲った。
「ころさないで……ころさないでよ!」
そう叫びながら私は、ぐったりとする父の傍から飛び上がり、強烈なビンタを母に見舞った。
私をぶったのは母が先だったから、私は二度母をぶってもいい。だから私は、もう一度母をぶった。
だって私は死にたくなかったから。魔法少女になりたかったから。
すると、母は子供みたいに泣きだしてしまった。そんな母を見て、父も涙を浮かべていた。
二人は、寄り添って、化け物でも見るみたいな目で私を見つめていた。なんて弱い存在なんだろうと、哀れに思った。
今ならわかる。自分の子供という圧倒的弱者を相手に強がっているような人間が、本質的に強いわけがないのだ。
それからも何度か、親が私に酷い仕打ちをしてくることがあった。
しかし、私は死にたくなかったので、それを倍にして親に返していた。
すると次第に、親は私を虐待するのをやめた。それどころか、関わるのをやめてくれたのだ。
学校でも、家と同じように振舞った。私を虐める奴には、それを二倍にして返してやった。
頭をはたかれれば二度頭をはたいた。水をかけられれば二度水をかけてやった。
すると次第に、私を虐めるやつはいなくなっていった。皆私を恐れ、気味悪がっていた。
こうして私は、学校でも家でもはみ出し者になってしまった。
しかし、虐められていた以前よりは格段に生きやすくなった。それに、私には魔法少女という生き甲斐があったし、魔法少女になりたいという大きな夢もあった。
闇しかなかった私の人生に、やっと光がさしたのだ。
中学に入学しても友達がほとんどできなかったのは、恐らく、小学生時代の私の噂がどこかから漏れていたからだろう。
だから私は、委員長とともに粕浦中学校二大奇人などという不名誉極まりない称号を与えられているのだろう。
……いや、今思えば。そんな私と委員長と普通に接しているセイナは何者なんだよ。あいつが一番奇人だろ。
と、まあ。周りから最悪の印象を抱かれている私ではあるのだが。ただ一つ言っておきたいのは、家でも学校でも、自分から相手に手を出したことは一度もなかった。
私はただ、やられたことを二倍にして返しているだけなのだから。
……。
――神様。
あの日。
私の頭の螺子を外してくれてありがとう。
そのおかげで、やっと、魔法少女になることができそうです。