第6話 押しに弱くてぐいぐい来られると断れない
私はテーブルに突っ伏してだらりと腕を下げ、死んだようにその場に留まっていた。扉の開く音がしたので目を向けた。
掃除用具を持った魔族の姿が見えた。私と視線がかち合うと、彼はびくりと一歩退いて、慌てた様子でどこかへ去っていった。
しばらくすると、魔王がやってきた。私のそばに立つと、彼女はいつもどおりの感情を抑えた声音で話しかけた。
「何かございましたか、陛下」
「陛下じゃないです」
「ご希望があれば、なるたけ叶うように努力いたします。陛下」
「陛下じゃないです」
いつの間にか、外堀が埋められている。私が「皇帝陛下」になっている。聞けば、魔界とアルファ王国だけでなく、ヒュスタトン大陸各地も「私の国」になっていた。
「メソン大陸攻略は遅れていますが、戦力の要であった聖女はこちらの手にあります。なにも問題ないでしょう。聖剣も我々が所有しており、敵は精神的支柱を失いました。ガンマ帝国に動きはないようですが、今後も監視は続けます」
横で聞いていたリリーが言った。
「これ、わたしたちが魔王軍側についたと思われるんじゃないかな。魔王軍の攻撃、まったくゆるんでないわけだし」
「そのとおりじゃないの!? どうすんのこれ!?」
ようやくヤバい事態だと気づいて、私は狼狽した。
「直接行けばよいのではないでしょうか!」
聞き慣れない声がした。見れば、ウェデリアが右手を元気よく上げていた。まるで子犬のようだ。期待に満ちた笑顔で私を見つめている。
「面倒くさいんで、ぶっ飛ばしちゃいましょう!」
「また、過激なやつが出てきたな」
シスルが漫画雑誌を読みながらつぶやいた。最近、魔界で流行っているらしい。
「もうここまで来たら、そっちのほうが早いんじゃねぇの?」
「大丈夫なのそれ!? 私、暴れちゃっても平気!?」
「今さら体裁とか気にしても遅いだろ。天下無双の女帝さま、って印象を与えちまってるんだから。変更不可だよ」
「まだ女帝とは知らされてないはずでしょ!? サインしちゃったけど!」
「通信魔法で、プリムローズ陛下に服従した、と布告済みです。アルファ王国も同じく、支配下に入ると宣言しています」
魔王が言った。
「初耳なんですけど!?」
「別段、お耳に入れなければならない情報でもありませんでしたので」
魔王は淡々としていた。
「私の意志を無視して話が進んでいく……!」
「しかし、条約に署名なされたのでは? はっきり書いてありますが」
「そうでした!」
確かに書いてあった。速やかに、プリムローズ・フリティラリアが主となったことを布告するように、と。
だが、ついさっきサインをしてすぐさま行われるとは、なんというスピード。お役所仕事なんだから、もっとスローでもいいのではないか。
「じゃあ、行きましょうか」
座っていたデイジーが、ふわりと浮かび上がった。
「とりあえず、聖王国まで行って蹴散らして、ガンマ帝国つぶしましょう」
「決断早すぎじゃない!?」
「すみません。思ったより振り回されてるお嬢さまが面白くて」
「わりとひどい理由!」
「でもここまで来ちゃったら、いっそ行くとこまで行ってしまえばいいのでは?」
「他人事だと思って……」
「当事者じゃないですからね。私もリリーさんもシスルさんも」
デイジーは楽しげに笑った。
「あれだけ嫌がっていた魔王討伐だって、結局行くことになったんですから。抵抗しても無駄だと思いますね。むしろ、さっさと終わらせてしまったほうがよいかと」
「でも、皇帝って……私のガラじゃないわ」
「魔王討伐だって、お嬢さまの思い描く『理想の自分』から、だいぶかけ離れていたのでは? それにたぶん傀儡というか、祭り上げるための対象がほしいだけでしょう? 実務的なことは、いっさいやらせないと思いますよ」
私は少しばかり黙った。
「それもそうね! じゃあ、皇帝やっちゃってもいいかしら?」
「お前ちょっと単純すぎじゃねぇ?」
シスルはページをめくりながら言った。
「ダメかしら?」
「いやまぁ、グダグダ言われるよりゃ、いいんじゃねぇの?」
「ちなみに私が皇帝やることについて、思うところはないの?」
「順番逆だろ!? なんで決意してから訊くんだよ?」
「だ、だって、よく考えたらサインしちゃったし……。なんか無理っぽいから」
今さら間違いです、とは言えなそうな雰囲気だ。
「プリムさんって、意外と押しに弱いよね」
リリーが言った。
「ぐいぐい来られると断れないというか」
「お嬢さまは存外ヘタレですからね。初めてのときもそうでしたよ。口ではダメとか言いつつ、結局本気で抵抗しないというか」
「ああ、そういやデイジーから手ぇ出したって――ってちょっと待てぇ! なんか犯罪臭がするんだが!?」
シスルはびっくりした様子で顔を上げた。