第9話 竜の貴婦人
私は走り出した。デイジーも飛んでついて来る。
山は村の北側にあった。麓のほうは人の手が入っていた。猟師や木こりなど、村人がある程度出入りしているのだろう。土を踏み固めただけの小道があり、伐採された切り株が目についた。
木々が間引かれ、太陽の光が差し込む空き地もある。椎茸の原木栽培もしていた。
だが、山をある程度登っていくと、ぱったりと道が途切れた。下生えがひどくなり、草だらけの斜面が目の前に広がる。木々が密生し、枝葉で太陽の光がさえぎられていた。
昼間だが、わずかに薄暗い。
私たちは老竜の住処を魔法で探り出した。見つけるのは簡単だった。魔力の流れが感じられたからだ。人避けの結界だ。
強力なものではない。結界に近づきがたくなるという、簡単な思考誘導だ。当然だろう。あまりにも強い結界を使うと、魔力でなにかあると感づかれてしまう。
私たちは山の中腹にある結界に足を踏み入れた。
斜面を削ったように平らな土地だった。塀の代わりのように桜の木が何本も植えられている。葉桜ではない。満開の桜だ。その内側に花園がある。魔法を使っているのだろう。
季節を無視して、様々な花が咲き乱れていた。
入り口には朝顔のアーチが作られ、石畳の道が屋敷まで続いている。街路樹のように梅の木が植えられ、道の左右にはコスモスやパンジー、チューリップ、バラ、ユリなど、様々な花壇があった。
もちろん、すべて満開だ。屋敷のそばには、生け垣のようにアジサイが植えられ、花開いている。
私たちが屋敷にたどり着く前に、一人の貴婦人が扉を開けて出てきた。水色のドレスを着た二十代半ばの女性だ。強大な力を持つ竜は、人の姿になることができるという。この女がそうだと直感した。
隠しているが、強い気配をただよわせている。
「何用かな?」
見た目どおりの若々しい声だった。
「あなたが、老竜?」
「だいぶ長生きして、年老いてはおるな」
「あら、老女には見えませんわ。とてもお美しい」
貴婦人は笑った。
「竜と人では、老い方が違う。我々にとって、老いるとは成長すること。人にとっては、弱くなることであろう? できることが減ってゆく」
彼女はまっすぐに私を見据えた。
「して、何用かな? 強き人……我を狩りに来たか? 狩られるような悪事を働いたつもりはないのだがな」
「喧嘩しに来ました」
貴婦人は考えるように小首をかしげた。
「それは……狩りに来た、とは違うようだな?」
貴婦人はじっと私を見つめた。どこか愉快そうな表情だ。
「弱ったな。お主の目的がわからぬ。我と喧嘩をして、それで、どうなる?」
「よくある話ですわ、老竜さま。腕試しです。あなたと戦って、今の自分たちがどれくらい強いのか、確かめたいのです。どうかお相手を」
私はそう言って一礼した。貴婦人は、私の言葉を噛みしめるように目を閉じ、ふむふむとうなずいた。
「面白い娘だな、お主。そんな理由で竜に挑む者など普通はおらぬぞ?」
「そうなのですか? 長生きした竜ならば、この手の輩とはうんざりするほど遭遇しているものかと……」
貴婦人は、口許を隠して上品に笑った。
「そのような理由で命をかける馬鹿者とは、ついぞ会ったことがない」
「私だって死にたくはありません。殺しは無しにいたしましょう」
「よかろう。うしろの妖精も、それでよいか?」
貴婦人はデイジーに目を向けた。
「私はお嬢さまに従うだけですので」
「ただ……純粋な力比べとはいえ、絶対に安全とは言い切れぬぞ? 特に、お主らのような強者を相手取る場合、手加減してやれる余裕はない。それでもかまわぬか?」
「ある程度のリスクは承知の上ですわ」
私は言った。貴婦人はうなずいた。
「場所を変えよう。ここで暴れられては我が困るのでな」
ついて参れ、と貴婦人は歩き出した。