もうひとつの海戦
フランベーニュ王国の小さな漁村タルノスの沖でおこなわれた海戦については後世の歴史家の意見は大きくふたつに分かれる。
そのひとつはフランベーニュ海軍とモロザリーアが率いた寄せ集めの海賊たちとの戦いのみをタルノス沖海戦とし、続いておこなわれたもうひとつの海戦には別の名称を与えるべきというもの。
もうひとつの意見は、もちろんその始まりから一連の戦いが完結し、ワイバーンがその海域から離れたところまでをタルノス沖海戦とすべきというものである。
前者については、フランベーニュ海軍はふたつの戦いにともに関わっているものの、戦う相手は変わっていることをその根拠とし、後者については、時間的にも、海域的にもほぼ同一であることを大きな根拠にしている。
一応話のケリをつけるためにつけ加えるならば、その名称をどうするかとなると四分五裂するものの、後世の歴史家の過半数が支持するのはふたつの名称を与えるべきという前者である。
ただし、紆余曲折の末、彼らが与え、公的なものとされているふたつ目の戦いの名は第二次タルノス沖海戦。
もう一方に十分な配慮をした折衷臭が盛大に漂う実に微妙なものである。
そして、この論争の決着に多大な影響を与えたものが、当時からその論争が本格的になる時代に至るまで一貫してふたつの戦いに別の名称を与えるべきという声が大部分を占めていたフランベーニュ人の意見となる。
なにしろ彼らはワイバーンを追ってさらに沖に向かったフランベーニュ海軍に起きたその出来事を公的なものとは別の名で呼び、涙していたのだから。
それを、この時期にフランベーニュで相次いで起こった災難、通称「三大厄災」のひとつとする彼らが呼ぶその名。
それは……。
タルノスの惨劇。
実をいえば、もはや戦いとも呼べないようなその内容と、目を覆うばかりの結末を考えれば、この名称こそその出来事に与えるにふさわしいものだという彼らの主張は尊重すべきものとも言えた。
つまり、その戦いはそれほど一方的だったのである。
最後に、実際の参加した当事者たちがそのふたつの戦いをどう見ていたのかを述べておこう。
これは火を見るよりあきらか。
なにしろ彼らは口を揃えてこう言っているのだから。
あれらはすべてがバレデラスの掌の上で起きた出来事である。