九人目の正体
アッサルグーベ。
そこが海賊専用の港なのだから、当然のことなのだが、その港町アディーグラッドにやってくるのは全員が海賊。
さらにここに住む者も、皆元海賊と彼らの家族。
つまり、通常のカテゴリー分けをするならば、百パーセントろくでもない者しかいないのだが、なぜか秩序が保たれている。
いや。
すべてが関係者だから秩序が保たれていると言ったほうがいいのかもしれない。
なにしろここは八大海賊のひとりが支配する場所。
そのよう場で揉め事を起こし、アレクサンドル・トゥルムを敵に回すほど度胸がある海賊はそうはいない。
それを示す言葉がある。
「ここは、アレクサンドル・トゥルムが白と言えば白、黒と言えば黒になる場所である」
これはサカリアス・ウシュマルの言葉。
そして、バレデラス・ワイバーンもここに関する名言を残している。
「アディーグラッドとは、ジェセリア・ユラとその配下が唯一他人の決めた定めに従う場所を指す言葉である」
だが、アレクサンドル・トゥルムが定めたルールさえ守れば、ここはやってきた者にとって非常に快適な場所であるのは確かである。
それは有り金全部を置いていきながら、多くの海賊が大金を抱えて再び姿を現わしていることからもあきらかであろう。
そして、そういうことで常にその筋の方々で溢れかえっているこの町だが、この日はいつも以上に賑わっていた。
まあ、大海賊の八人が約千隻の大型海賊船を引き連れてやってきたのだから、それは当然といえば、当然のことではあるのだが。
ちなみに、その数は約三十六万人。
船の警備上、岡に上がれるのはその半数ほどになるが、それでも十分に驚くべき数といえるだろう。
そして、彼ら目当てにいつも以上に張り切って営業する数多くある酒場の一軒である「イーリス」という名の店。
そこは当地でも最高級の部類に入り、フランベーニュやアリターナ自慢の酒と料理が提供されるため、ワイバーン配下のうち幹部クラスの者がこの地に立ち寄ったときには必ず顔を出す。
当然今回も。
「来たか」
重要だが退屈でもある会議が終わったバレデラス・ワイバーンが控室で待機していたペルディエンスとともにその店に直行し、すでに到着していた四人の幹部とともにやってくるのを待っていたのは、彼が抱える三つの武装集団のひとつを指揮する者だった。
アンドレア・マントゥーア。
大海賊級の数の海賊船を抱える第三分隊指揮官で、この業界が実力主義の権化であることを考えても、このような地位に就く者としては特別に若い二十代後半の人間の男である。
そして、彼とともにやってきた者がもうひとり。
外見はこの中ではもっとも若いマントゥーアよりもさらに若い人間だが、隠しようもない赤い目が実は魔族に属する者であることを示している男。
今回はマントゥーアの船に乗り込んでいたガエウ・デマハグマである。
「マントゥーア。おまえの仕事は常に完璧なのは承知しているが、一応、報告は聞いておこうか。今回の仕事の顛末を」
着席を促す手招きとともにやってきたバレデラスのその言葉に頷いたマントゥーアが口を開く。
「はい。まずは最初の仕事についてですが……」
「こちらについてはデマハグマがそのすべてをおこなったので彼に説明させたほうがいいでしょう。ということで、デマハグマ。ここで自らの戦果を語りたまえ」
マントゥーアはあっさりと功を隣の男に譲り渡す。
「では……」
マントゥーアの視線で促されたデマハグマは姿勢を正す。
「まあ、そうは言っても自慢すべきものではないです。なにしろやったのはたった三隻ですから」
「だが、一隻も逃がさなかった」
「そこはマントゥーア様の位置取りが完璧だったからではあるし、そもそもそれが仕事でしたから」
「だが、まちがいなくあの位置で転移避けの防御魔法を張っていなかったら逃げられていた」
「そのとおり。そして、俺は責任を問われていた。場合によってはユラに首を刎ねられていたかもしれん」
ワイバーンと三人の司令官たちに持ち上げられたデマハグマは少しだけ照れ気味に言葉を続ける。
「ですが、もう少し来ると思っていました」
「そこはその指揮官の矜持というものなのだろう。俺なら、目の前に十倍の敵が現れた瞬間に逃げ出す」
「部下を見捨てて?」
「当然だ。それが海賊の海賊たる所以だ。ということで、つまらん矜持のおかげで逃げられなかった哀れな海軍提督に乾杯」
バレデラスはそのひとこととともにグラスを掲げ、部下たちもそれに続く。
「まあ、冗談はともかく、わざわざ三方向から攻めたのだから総崩れしなくても当然指揮官はそちらに退避すると思い百隻を預けたマントゥーアを配置していたのだが、どうやら無駄になったようだな」
「わずか三隻に対するのは百隻の海賊船。それを見た瞬間の奴らの絶望した顔が目に浮かぶな」
そう。
あの戦いで後方を遮断し、フランベーニュへの退路を断った謎の集団とはマントゥーア率いるワイバーンの第三分隊だった。
そして、包囲の一端を単独で任せていることからもわかるとおり、マントゥーアに対するワイバーンの信頼度は驚くほど高い。
なにしろ、バレデラスが宴の開催を最初に伝えた幹部がこのマントゥーアだったのだから。
ちなみに、大海賊全員でフランベーニュ海軍への盛大なもてなしをおこなうということをマントゥーアの次に伝えたのが自らの船に同乗することを命じたふたりの分隊指揮官で、残りの幹部がその全容を知ったのは宴が始まる直前のことだった。
満足そうにマントゥーアの報告をきいたバレデラスが再び口を開き、酒の香りを漂わせた言葉を吐く。
「それで、もうひとつのほうについても聞いておこうか」
「そちらについては、予定通り」
バレデラスの問いにそう言ったマントゥーアは持っていたグラスを置く。
「港近くまで運ぶまでもなくフランベーニュの捜索隊がこちらの希望どおり宴の痕跡を発見してくれました。彼らがあの船に向けて転舵したところを確認しています」
「気づかれなかったか?」
「偵察する者が乗っていたのは小舟ですし、なにしろ彼らにとっての裏側に泊めていましたので発見されていないでしょう。ただし、そのあとすぐに転移魔法でその海域を離脱しましたのでそれ以降船のなかで彼らが何をしたのかはわかりません。それから、もうひとつ」
「どうやら船は沈められずに、港へ曳航することを決めたようです。夜間に戻りバレデラスからお預かりしているアンシスコープなる魔道具で彼らが曳航作業しているのを確認しましたので」
……まあ、暗視スコープは魔道具ではないのだが。
……だが、これは少し驚きだ。
「つまり、フランベーニュ海軍はあの惨状を王に見せるつもりということなのか?」
バレデラスの問いにマントゥーアが頷く。
「今回の件はふたりの王子が原因です。もし、そこで沈めてしまえば証拠はなくなり、たとえ事実を報告しても、王子たちには逃げ切られ、最終的には敗死した提督がすべての責任を押しつけられることになり、提督の遺族も迫害を受けることになるでしょう。捜索隊の指揮官としてはそうなることを見過ごせなかったのではないでしょうか」
……なるほど。たしかにそうだ。
「なかなか仲間思いの男だな。その探索隊を指揮した者の名を調べておいてくれ」
「すでに調べてあります」
「ほう」
「さすがだな。では、聞こうか」
「アーネスト・ロシュフォール。平民出身の提督で部下も優秀なようです。我々の戦いの前哨戦で船が破損したためやむなく帰港したようです」
……ほう。
「さすがにすべてが終わってからではそこまで調べられまい。ネズミでも仕込ませておいたのか?」
「半分は港に置いた者たちからの情報で、残りは我々の旗を掲げて仕事をしている者を狩っている最中に手に入れた情報です。なんでも、提督は海賊集団を率いる男と白兵戦までおこなったとか」
「それはすごいな。……それで、提督と手合わせしたとその男はどうなった?まあ、提督が生きているのだから提督が勝ったのだろうが」
「いいえ。勝ったのは海賊の方です。しかも、一方的に。もっとも、海賊は逃走することを優先にしたため提督は命拾いしたようですが」
「ということは、その男は生きていると?」
「残念ながら仕事をするために我々の前に現れましたので始末しました」
「……子分ともども」
「なるほど」
「完璧だ」