あちらとこちらを繋ぐもの
実はこことは別の世界では男だったアドニア・カラブリタ。
その彼というか彼女は、数年前からカラブリタ家のかじ取りを担っており、さらに評議員としてアグリニオンの国政にも参加している。
そうなれば、それまでよりも多くの情報が手に入るわけなのだが、そのなかのひとつが元の世界との繋がりを示すものについてのことである。
紙。
しかも、それは元の世界では見慣れた大きさのもの。
アグリニオンでは一般的な羊皮紙とはまったく違う感触と色を持つその紙を眺めながらアドニアは心の中であらためて呟く。
……病的なくらいに十進法に拘るこの世界で、この中途半端なサイズの紙が出回ることなどありえぬことなのだ。
大昔に生きたとある人物の人差し指の幅を基準にしたといわれる一ジェバ。
それは彼女が男性として過ごしていた世界での一センチにほぼ等しい。
そして、その紙のサイズは縦二十一ジェバ、横二十九ジェバ。
言い換えれば、縦二十一センチ、横二十九センチ。
つまり、彼女が言うその中途半端なサイズとは、もちろん向こうの世界で一般的だったA4と呼ばれる紙の大きさと同じである。
そして、そこから導かれるものは当然外れようがない結論となる。
……誰かがこの世界に紙を持ち込んでいる。
実を言えば、元の世界から紙を持ち込んでいる者がいるのではないかという疑念を抱いたのは彼女が初めてではない。
大海賊ワイバーンとの紙の価格交渉をおこなっていた元文官で現在は軍を率いて各地を転戦しているグワラニー。
その紙を初めて見たときに驚きのあまり腰を抜かしかけたアリターナの「赤い悪魔」の創始者であるアントニオ・チェルトーザ。
彼女に加え、このふたりも元の世界からA4サイズの紙が流れてきているのではないかと疑っていた。
さらに三人ともその特別な立場によって知り得た情報から、その出どころが大海賊ワイバーンであるところまで突き止めている。
ただし、チェルトーザとアドニアは、大海賊ワイバーンが持ち込みに関連しているものの、バレデラス・ワイバーン本人がその持ち込んだ人物ではないと断定していた。
その理由。
それは彼らが手に入れた情報からバレデラス・ワイバーンが魔族である可能性が高いからというものである。
まずその発端となる情報は小物海賊からの手に入れたもの。
天空の大海賊ワイバーンは、バレデラス・ワイバーン本人だけではなく、部下の多くも魔族である。
もちろんこれはフランベーニュではガセとして即座にゴミ箱に捨てられたものと同じ情報である。
だが、ガセにしてはあまりにも多い同業者からのタレコミを無視するほど彼らの情報分析力は甘くない。
……確認ができないのは魔族の者がいることで起こる揉め事を避けるため姿を隠しているからと考える方が正しいだろう。
それが、彼らの国に交易でやってくる大海賊ワイバーンの海賊船でそれらしい存在が確認できていないことに対するふたりの共通した認識だった。
彼らの推測が続く。
……ワイバーンは魔族の可能性が高い。
……そうであれば、大海賊のなかでワイバーンだけが魔族から金や銀を手に入れられることも説明がつく。
そして、当然の帰結としてそこに行きつく。
……そうであれば……。
……元の世界で人間だった者が魔族になるはずがない以上、ワイバーンが元の世界と行き来しているはずがない。
こうして常識的には正しいのだが、残念ながら正解ではないその答えによってふたりはそこで脱落し、バレデラス・ワイバーンと元の世界との繋がりを疑う者は同じく魔族としてこの世界で生きているグワラニーだけとなる。
もっともグワラニーが脱落せず残ったのは、同じ魔族としてこの世界で生きていたということもあるのだが、元の世界へ帰還するという願望が特別強かったこと、というよりも、ふたりが元の世界への帰還にそれほど執着していなかったからというのがより大きな理由であると思われる。
そうでなければ、脱落したふたりもここからさらに歩を進めていただろうし、そうなれば、いずれグラワニーと同じ結論に達していたのは疑いようがない。
なにしろ、グラワニーがバレデラス・ワイバーンはここと元の世界を行き来している者であると確信する証拠を手に入れた方法とは、このふたりがその気になれば容易におこなえるくらいごく単純なものだったのだから。
ということで、常識が邪魔をして真実に近づき損なったふたりだが、そのうちのひとりについて、もう少しだけ言葉を加えておくことにしよう。
結果的にはそれがダメ押し的なものになるのだが、実はアドニアの推測にはいかにも辣蘭商人らしい要素も加わっていた。
もしバレデラス・ワイバーンがあちらとこちらを行き来できて、紙を向こうから持ち込んでいるのなら、もっと多くの商品がワイバーンから自分たちアグリニオンの商人のもとに流れてくるはずだと考えたのだ。
……向こうはこちらより千年は進んでいる。
……そして、向こうにはこの世界にも馴染み、さらに高価で取り引きされる品はいくらでもある。
……だが、現実は元の世界を感じさせるものは紙のみ。
……すなわち、それはワイバーンやその周辺の者たちも実は向こうとの往来はしておらず、紙はすでにこの世にはいない誰かに製法を教わってつくっていることを示している。
……まあ、そうなると結局サイズの問題は解決されずに残るのだが、それを考えるのはいずれまたということにしておくか。
思考が完全に行き詰ったアドニアはそう呟きながら、その紙を眺め直す。
……それにしても……。
……さすがに高すぎるだろう。
……手漉き和紙ならともかく安物のコピー用紙一枚がブリターニャ金貨一枚。すなわち一万円。
……ぼろ儲けにも程がある。
……いっそのこと、紙をつくり売るか?
アドニアはコネのある大海賊ボランパックに紙の製造方法、その基本を教えて生産させることを思いつく。
だが……。
……やめておこう。
……紙はワイバーンの金儲けの根幹のひとつ。
……それに手を出したら、ワイバーンの怒りを買う。
……その後に何がやってくるのかは想像もしたくない。
……今のところは静観。
……これが最良の一手。




