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大海賊ワイバーン 

 バレデラスと、最側近のガブリエウ・ペルディエンスが会話を交わしてからたっぷりと時間が進んだ同じ場所。

 そこにはこの世界を二分する勢力である、魔族、人間がひとつのテーブルを囲んで座っていた。

 しかも、そこには芳しい香りとともに険悪とは程遠い空気が流れていた。


「では、バレデラス様。そろそろ始めましょうか」


 全員が揃い、十分にその腹を満たしたことを確認した進行役のペルディエンスのその言葉で始まったそれは、もちろん仕事の段取りである。


「実は、今回の取引相手であるフランベーニュから内々にお伝えしたいことがあるという書き出しで始まる書状が三通届いております」


 ペルディエンスはそう言うと、自分たちが扱っているA4サイズの紙に書かれた書をテーブルに並べる。


「一応、すでに中身は確かめてありますので、それを申し上げますと、一通はフランベーニュの王太子からのもの。二通目は次男からのもの。三通目は三男からのものとなります」


 その言葉に感嘆ともため息とも違う香りのする声が漏れる。


「もしかして、賄賂の要求か」

「それ以外には考えられないだろう。いかにも腐れ王子たちが考えそうなことではある」


 続いて、魔族、人間双方から出たほぼ同様のその言葉は、その場にいない者たちへの嘲笑をもって肯定される。

 さらに続く冗談に乗せた嘲りの言葉の数々。

 酒を飲んだ勢いもあり大いに盛り上がったそれが一段落したところで、そのグループのトップに君臨する者が口を開く。


「それで、実際にはなんと書いてあったのだ?」


 貿易を生業にしていると豪語している者たち。

 当然全員がどの語学にも精通している。

 と言いたいところなのだが、実際のところ普段の会話に使用している共通語とも言われるブリターニャ語こそ全員が不自由なく使えるが、それ以外となると心もとない。

 魔族の言葉を話せる人間はおらず、その逆もほぼ同様というところである。

 その中で多くの語学に精通しているペルディエンスがこのような場を仕切るのは当然のことと言える。

 そのペルディエンスが主の問いに皮肉を込めて応じる。


「ハッキリ言いまして、中身はほぼ同じ。これからフランベーニュに向かう我が船団を襲う輩がいるという警告文となっています」

「ほう」


「ただし……」


「主語はすべて違います」

「どういうことだ?」

「王太子アーネスト・フランベーニュからの書簡によれば、すぐ下の弟カミールが雇い入れた海賊崩れが我々の船団の帰り道を襲うので注意せよとのこと。ご丁寧に襲撃予定海域まで記入があります。そして、最後にフランベーニュ海軍が安全な海域まで護衛するという申し出があります」

「では、次男のものは?」

「もちろん兄アーネストが募った海軍有志が護衛を装って近づき、我が船団を帰り道で襲う算段をしているというものです。こちらも襲撃海域が書かれており、それによれば陸上から見えない遠洋に出たところとあります。それを阻止し、あわせて王国の名誉を守るために自らの配下を周辺海域に配置し見張りにつかせるとあります」

「たしかに主語が違うだけで中身は同じだ。それで、三通目は何と言ってきたのだ」

「兄たちの襲撃計画を詳細に記されています」


「……なるほど。それはなかなか興味深い」


「さて、この書状についての諸君の意見を聞こうか。まず、アビスベロ」


 バレデラスに指名された魔族の大男アラリコ・アビスベロが立ち上がる。


「誰であろうと我々の積み荷を奪いにやってくるのであれば、待ち構え、遠慮なく叩く。それだけだ。もちろん船は沈め、乗組員は全員サメのエサにしてやる」


「さすが、アビスベロ。相変わらず熱いな」


 魔族の男の言葉を、まずは鼻で笑い、それからそれと同じ香りのするもので賞賛したのはテーブルの反対側に座る人間の男だった。

 見た目上、この場で一番の年長者であるその人間はさらに言葉を続ける。


「だが、それだけではだめだ」

「つまり、ガジャゴスにはもっと良い策があるというのか」


 最終的に自らの意見を否定された形になったアビスベロが言葉を強くする。

 だが、人間の男はまったく動じない。

 やってきた魔族の言葉をあしらうように右手で応じてから、その問いに答える。


「そもそも狩られるためにわざわざやってくる獲物を叩くのに気の利いた策などいらぬ。私が言いたいのは宴の後のことについてだ。すべてをサメのエサにするのではなく首だけは残し、フランベーニュに買い取らせるべきだろう。我々に手を出せばどうなるかということをフランベーニュの馬鹿王子どもに教え込むために。もちろん、これをネタにして商品の値を上げることも忘れてはいけない。自慢気に語るほどのものではないのだが、これが私の言いたいことのすべてだ。さて、これについてなにか意見があるのなら聞こうか。アビスベロ」

「……いや。何もない。そういうことなら、俺もガジャゴスの意見に同意する」


 ……瞬殺。

 ……さすが武闘派の代表格。


 バレデラスは発言をした人間を眺める。


 ……四十歳をとっくに超えたこの歳の人間でありながら、いまだ魔族と五分に渡りあう剣技と重い戦斧を振り回す腕力。そこに加えてこれまでの戦歴。これだけのものが揃えば、さすがのアビスベロも迂闊なことは言えん。

 ……そして、このふたりにもうひとりの武闘派指揮官マントゥーアを加えた三人が健在であるかぎり、フランベーニュのポンコツ海軍など全力でやってこようが恐れるに足らず。


 男は頼もしい部下たちを心の中で賞賛すると、口を開く。


「まあ、それは物を知らぬ客がやってきたらどう躾けるかという話だ。彼らをどのようにもてなすかはいつもどおりふたりに任せるので後で決めてもらうことにして話を進める。俺が今聞いているのは三通の手紙の意味だ。では、コンセブシオン。改めて問う。おまえはこの三通をどう読み解く?」


 バレデラスが尋ねた相手は人間の男だった。

 一礼すると、人間の男の口が開く。


「おそらくやって来る客はふたり」

「つまり、長男と次男ということか。だが、この流れでは三男も間隙をついて派手な見送りをしてくれそうにも思えるのだが」


 コンセブシオン。

 正しくはアンブロシオ・コンセブシオンという名の人間の若者から一瞬ののちにやってきた自らの問いに対する返答。

 それではやや必要事項が足りないと感じたバレデラスが再び問いの言葉を口にすると、人間の若者はあっさりと否定する。


「まあ、それはないでしょう」

「理由は?」

「三男のダニエル・フランベーニュは凡庸な王の補佐役の仕事が忙しく私腹を肥やすために策を弄する時間がないということ。そして、なによりも彼が駒として使える私兵は護衛程度。王に即位する目がないため彼に私兵を提供する貴族もいない」

「……つまり、物理的に余裕がないということか。では、三男が我々に手紙をよこした理由は何だと思う?」

「まずはふたりの兄に対する嫌がらせ。次にフランベーニュ経済の生命線である金、銀貿易に停滞が出ないようにするための予防措置。それから……」


「我々に対して自分だけは敵対心がないことを示し、ついでに恩を売るつもりではないでしょうか」


 ……一粒で二度おいしい。いや、三度おいしいな。それは。

 ……だが……。


 ……コンセブシオンの読みが正しければ、フランベーニュの要注意人物は長男でも次男でもなく三男のダニエル・フランベーニュということになる。


 ……心しておこう。


「……それで、取引は予定通りおこなうのか?」


 思案するバレデラスを会議に引き戻すその言葉は、その場にいる見た目上の最年長者である人間の男からのものだった。


 ……おっと。今は重要な会議中だった。


 その思いを顔に出さず少しだけ反省したバレデラスは何事もなかったかのように重々しく頷く。


 そして、口を開く。


「まあ、その程度では変更する理由はならないな」

「たしかに」

「だが、襲撃の情報を事前に得ながら、無策で死地に乗り込み、フランベーニュ産の暖かい施しを受けるような愚かな行為は避けたい。そのためには歓迎準備は入念にしなければならないだろう」

「当然だな」

「言っておくが、俺が求めているのは、ただ撃退するというだけではなく、あちらは全滅。こちらには損害がないということだ。では、それを踏まえてもう一度諸君に聞こう。その対策を」


 損害を出さずに勝つ。

 つまり、完璧な勝利。


 組織のトップからの要望に一同は黙り込む。

 当然である。

 相手がいる以上、それはほぼ不可能なことなのだから。

 もちろんそれが現実的ではないことくらいはバレデラス自身も知っている。

 だが、ただ勝てばよいというと、損害を出さないで勝つというのではおのずと戦い方は変わる。

 事前にそれにふさわしい策を用意し、入念な準備をせよ。

 バレデラスが言っているのはそういうことなのである。


 ……やってきた敵をただ叩くのではだめということか。

 ……こちらから一歩踏み込んだものを用意しなければならない。

 ……だが、これはなかなかの難題だ。


 異口同音の心の声が宙を漂う空白の時間はさらに続く。


「とりあえず、策を決めるのは前提を決めてからにしましょうか」


 話を進めるために沈黙を破り、その言葉を口にしたのは、人間、正確には人間の姿をした魔族であるいわゆる人間種の男だった。

 だが、その男の言葉は少々簡略化し過ぎた。


「ナランヒートス。ちなみにおまえの言う前提とはなんだ?」

「そうだな。その前提とやらがわからなければ答えようがない」


「なるほど」


 自らの提案が同僚たちに門前払いを食らっていることに気づいた人間の血が入る魔族はもう一度口を開く。

 それを伝えるために。


「私の言う前提。それは……」


「招かれざるその客はひとりずつやってくるのか、それとも手を取り合ってやってくるのかということです」


「なるほど」


 全員が瞬時にその男カミロ・ナランヒートスの言いたいことを理解し、一同を代表するようにアビスベロが声を上げる。


 ……張り合っているのだから、同時に姿を現すわけがないと考えたいところだが、必ずしもそうではないということか。

 ……たとえば、相手に我々を倒させ、そのうえで上前を撥ねる。または戦い両者が弱ったところでまとめて始末する。その腹積もりであったところが、一方的な戦いになり予定通りにことが進まなかった場合には、競争相手に協力することも考慮すべきということか。

 ……そして、我々の実力を考えれば、後者の可能性が高い。トドメを刺しにかかったところで背後から襲われるという笑えぬ喜劇もあり得るということか。


 ……つまり、我々は目の前だけではなく腹に敵を抱えて戦うことも考えるべし。ということか。


「だが、そうなると、単純なぶつかり合いだけを考えているわけにはいかないな」


 魔族の男が発した言葉に人間の戦士がすぐさま応じる。


「そうだな。そもそも相手は合計では我々よりも多い。というか、いつもどおりの数で出かけるのなら十倍にはなるだろう。それだけの敵を相手に策なしで戦って無傷でいるというのは少々虫が良すぎる」


 つまり、それなりの損害は免れないと言ったわけなのだが、その言葉に噛みついた男がいた。


「少々?相当の間違いではないのか?ガジャゴス」


 その男の言いたいことは損害の見込みが甘いということであり、その言葉を先ほどのお返しとして口にしたアビスベロとしては、「してやったり」というところだったのだが、そうはいかなかった。

 言われた男がその言葉を十分に噛みしめるように重々しく口を開く。


「まあ、その役目はすべてアビスベロの配下に担ってもらうことになるわけだから、アビスベロがそれでよいのなら私はそれでも構わんぞ」

「ふざけるな。こっちだって損害を一手に引き受ける役など御免被る」

 

 即在に、そしてあっさりとアビスベロを返り討ちにすると、その男の返す刀はそのまま別の人物へと向かう。


「ということは、それ相応の策が必要ということになる。ナランヒートス。そこまで考えていたのだ。当然兵を減らさないで勝つ策も用意しているのだろう。もったいぶらずさっさとそれを披露しろ」


 アナクレト・ガジャゴスの、促すというよりも命令に近い言葉にニヤリと笑って応じると、ナランヒートスの口が開く。


「もちろんただ勝つというのならいつもどおり力攻めをすればいい話。また、ふたりの王子が用意した軍がバラバラに来た場合でも損害はそれほど出ることはないかもしれません。ですが、たとえ協力の欠片もない状態であっても両者が合わせればそれなりの数。無傷で勝つのは難しいでしょう」

「そこまではすでに理解している。問題はそうなったときに、こちらが損害を出さずに十倍以上の敵をどうやって倒すかということだろう」


 ここまでの話を繰り返すように言葉にしたナランヒートスに対して、ガジャゴスはやや苛立ちを見せて再度の要求をする。

 

 やってきたその言葉。

 実をいえば、ナランヒートスはそれを待っていた。

 ニヤリと笑い、大きく頷いたナランヒートスが口を開く。

 

「我々と対峙するのはそのうちのひとつにしていただく。というのはいかがでしょうか?」


「チョット待て。ナランヒートス」


 ナランヒートスの言葉にすぐに反応したのはアビスベロの隣に座る彼の副将を務めるベルナベ・ラスカサスだった。


「時差をつけて戦うと言いたいのだろう。悪くはない。悪くはないのだが、それでは最初の話と違うではないか」

「いや。意図的に両者を分断するのだから、ギリギリ合格と言えなくもない。そして、策としても妥当なところではある」


 ナランヒートスの言葉には納得しがたいと表明したラスカサスを制するようにアビスベロが割って入る。

 だが、ナランヒートスの言葉はそれをも否定する。


「いえいえ、そうではありません。私は純粋にやって来る方をひとりに絞ると言っているのです」


「それは片方を縛りつけて裏切らせないようにするということか」

「いや。ナランヒートスが考えているのはふたりの王子を我々の前に現れる前に食い合いをさせることだ。違うか?ナランヒートス」


 まずは目の前からやってきたアビスベロの言葉を否定し、それから自説を繰り出したのはガジャゴス。

 そして、それはアタリを引く。

 大きく頷いたナランヒートス。

 それに続いてその利点を語り始める。


「……そうなれば勝者も少なからず被害を被っているはず。しかも、そこまで被害を受けては飼い主の手前手ぶらでは帰れない。手負いのまま我々の前に現れる。そんな輩を倒すことなど我々にとって雑作もないこと」


「いいな」

「まったくだ。悪逆非道なことを考えさせたら誰にも負けないその悪知恵は全く衰えていないようだな。ナランヒートス。そして、そういうことなら……」


 実戦部隊の指揮官たちがふたりの王子が用意する襲撃部隊を戦わせる算段を話し始めたところで、お役御免となった情報係のコンセブシオンがバレデラスのもとにやってくる。


「バレデラス様にひとつお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「もちろんだ」

「では……」


 そう言ってから、少しだけ間をあけたコンセブシオンの口が開く。


「我々にとってもっとも望ましい状況は、魔族と人間が対立しながら並立することです」


 ちなみにコンセブシオンが口にした「魔族」という単語。

 これは人間側の呼び名であり、いまだアグリニオンのすべてが自らの土地であるとして国名さえ持たぬほど選民意識の強い魔族たちはそう呼ばれることをひどく嫌い、当然自らがその言葉を口にすることは、特別な事情がないかぎりないといえる。

 だが、この海賊組織に限っていえば、それは人間の多義語として魔族を含めて日常的に使われる用語であり、当然そう言われて腹を立てる魔族などいない。

 それはこの組織の長であり純魔族でもあるバレデラスにも言えることである。

 魔族の国ではタブーであるその言葉をスルーしたバレデラスは心の中で呟く。


 ……両者が戦っているからこそ、その仲介をする我々が繁栄する。

 ……だが、共倒れはもちろん、商品を売ることも買うこともできないくらいに国力がなくなっても困る。

 ……つまり、現状が我々にとってもっとも望ましいと言いたいのだな。

 

「たしかにそうだな」 


 バレデラスから自らの意見を肯定する言葉がやってきたのを確認すると、コンセブシオンは言葉を続ける。


「ですが、その状況が崩れつつあります。現に、フランベーニュとアリターナが魔族の鉱山地帯を手に入れるために軍を動かしています」

「だが、抵抗が激しく落ちる様子はない」

「そうは言っても、押されていることは確かでしょう」

「まあ、それはそうだろうな。確実にマンジュークを確保するためにも魔族としてはどこかの時点で攻勢に出たいだろうな……」


 ……なんだ。この違和感は。


 コンセブシオンにそう言った瞬間、バレデラスのもとに再び強烈な違和感がやってくる。


 ……何かおかしい。

 ……ペテンに遭っているような。


「一応確認しておく。最近魔族側の攻勢があったのはどこだ?」

「もちろんノルディアです。もっとも攻勢に出たというよりもクアムート城を包囲していたノルディアの大軍を袋叩きにしたうえ、多数の人質をとって、ノルディアから大金を巻き上げようと交渉を始めるようだというのが正しいのですが。そして、今回のフランベーニュ行きの目的のひとつが捕虜のなかにいるノルディアの王族や上級貴族に飲まさせるために魔族軍司令官から直々に発注があった大量の高級酒の確保となります」

「……そうだったな」


 ……知らん。

 ……というか、俺がうっすらと覚えているものと違う。

 ……だが、情報を管理しているのがコンセブシオンであることを考えれば、これだけのことを正確に報告されていないということはない。

 ……つまり、俺が間違えて覚えていたということか。


 ……ボケたか。


 ……いやいや、人間の百歳ならともかく、魔族の百歳ではさすがにそれはないだろう。

 ……しかも、忘れているのはその部分のみ。

 ……ということは、こっちと向こうを行き来する異世界転移をしすぎて副作用を起こしたのかもしれん。


 ……いや。今はその理由などどうでもいい。

 ……問題は俺が正確な状況を掴んでいないということだ。

 ……ここは包み隠さず素直に白状するしかあるまい。


「コンセブシオン。どういうわけかその情報は俺の記憶から抜け落ちている。もう一度詳しく説明してもらえるか」


 それからしばらく経ったところで、バレデラスは「なるほど。そうだったな」という呟きとともに頷く。


 だが、心の中ではまったく違う感想を口にしていた。


 ……大軍に囲まれていたクアムートが陥落しなかっただけでも驚きなのに、六倍以上の相手を粉砕したとは……。

 ……それに、捕らえた者は奴隷か処刑という魔族のこれまでの方針に反し、捕虜を金に換えようという発想。

 ……その商才だけではなく、交渉でノルディアの動きを封じようとするとは随分毛色が違う将軍が現れたものだな。


「その軍の指揮官はわかっているのか?」

「もちろん」

「今後のために名を聞いておこうか」

「アルディーシャ・グワラニー。つまり、例の文官と同一人物ですよ」

「例の?」


 ここでバレデラスのもとに三度目の違和感がやってくる。


「……その男の逸話についてもついでに話してもらえるか。……確認のためにもう一度」


 バレデラスの言葉に戸惑いの表情を浮かべたものの、コンセブシオンは主の求めに応じ、文官時代のグラワニーと海賊たちとのかかわりについて話し始めると、バレデラスの口からため息を漏れる。

 

 ……俺はすべてをすでに一度聞いたことになっている。

 ……だが、俺、少なくても現在の俺にとっては初めて聞くものばかりだ。


 ……紙の代金を値切る。

 ……これはこれまでも何度もおこなわれてきたことであり、そう驚くことではない。

 ……問題は……。

 ……この世界の者が知らぬはずの紙の詳しい製法を脅しの材料として伝えてきたことだ。

 ……そして、それをネタにした奴の要求とは、コピー用紙一枚の代金を魔族銀貨十枚。すなわち一万円と設定していたものを、魔族銅貨十枚にしろというもの。

 ……一枚一万円で取引していたものを十円に値切る。

 ……そこに我々が要求に応じなければ、自国生産を始めるという文句までつく。

 ……全くもって法外な要求である。


 ……そもそも文官風情が海賊の上前をはねようとは無礼を通り越して不届き千万。


 ……だが、それは紙の本当の値段を知らぬ者にとってのもの。

 ……その値段を知る者にとっては異世界への運搬料込みと考えても一枚十円はきわめて妥当な額ともいえる。

 ……そして、交渉の結果、最終的には一枚あたり魔族銅貨五百枚で取引することになり、その功績で奴は地位が何段階も上がり、王から山ほど褒美を賜ったというわけか。ということは……。

 ……簡単にいえば、奴のひとり勝ち。

 ……魔族の国としても今までと同じ代金で二十倍の紙が買えるのだ。当然そうなるだろうな。


 ……もっとも、安くなった分購入量がさらに増えたので、こちらの利益は驚くほど減ったというわけではない

 ……つまり、損を、いや、儲けが減ったのは俺個人だけというわけか。

 ……まあ、そうは言っても安物のコピー用紙一枚が五百円というのは十分に高いし、さらに向こうの世界に持っていった金や銀、それに貴石の売値を考えればまだまだぼろ儲けではあるのだが。


 ……だが、そのグワラニーなる文官上がりの将軍は要注意だな。

 ……さらに言えば紙の製造法を知っていたことや適正価格をピンポイントで指し示してきたことについても疑念が残る。

 ……そう。もしこれが百年後の話であれば、ほぼ確実に俺がおこなった今回の実験で飛ばされた誰かではないかと疑うという。


 心の中で他人には聞かせられない損得勘定を終わらせると、バレデラスが口を開く。


「そいつの年齢はどれくらいだ?」

「……人間換算では二十歳前後とのことです」

「人間換算?」

「人間種ですからそう言ってみました」

「人間種?……まあ、文官ということだから当然そうなるな。だが、その文官がなぜ戦場に立っているのだ。しかも、一軍を率いているということは将軍。どうやったらそんな短期間に将軍になれるのだ?」

「その辺についてはよくわかりませんが、どうやら自ら前線に出たいと王に申し出たようです。そのときの大言壮語を気に入った王より兵を預かったということのようです」

「なるほど」

「まあ、剣を振り回すだけが取り柄の他の魔族の将軍たちと違い、各国の情報を我々に散々聞いてきたのはさすが文官上がりというところでしょうか……」

「……教えてやったのか?」

「求められた情報もいつぞやの幽霊騒動に関する噂話など特別繊細なものではありませんでしたし、なにしろ情報料としてこちらの想定以上な対価を提示されましたので」


 ……紙代はケチるくせに、情報に関しては気前がよい。

 ……ますますそいつが向こうの世界の人間に思えてくる。 


 ……だが、そいつは我々の、というか俺の利益を九割以上も減らした張本人だぞ。

 ……嫌がらせのひとつくらいは……。


 心の中ではあるものの、そこまで言葉を吐き出したところでバレデラスは気づく。


 ……それは誰の頭にも浮かぶこと。

 ……当然どうするか打診があったはずだ。


 ……つまり、それは俺自身が了承したことに違いないのだ。


 ……まあ、そんな記憶には全くないのだが……。


 ……いやいや。今さらそれについてガタガタ言っても始まらない。


 気を取り直したバレデラスは心の声を封印し、いかにもそれらしい顔をつくる。


「当然だな。我々にとって情報も商品。いや。特別な商品だ」


「さて、だいぶ話が逸れてしまったが、マンジューク銀山を含む鉱山群も危ない状況になっているにもかかわらずなぜ魔族に肩入れしないのかということを聞きたかったのだったな」


 自らの要件をあらかた済ませると、バレデラスは確認するようにその言葉を口にする。


「では、コンセブシオンに聞こう。我々は劣勢の魔族に対して具体的にどのような支援ができるのかな」

「ブリターニャやフランベーニュから手に入れた軍の動きを魔族に伝えます」

「悪くはない。だが、それは今でも商品という形で売り渡しているではないか。ついでにいえば、我々は魔族の情報を人間側には一切流していない」

「そのとおりです」

「つまり、それは前段階ということか。では、決定打となるものは何か?」

「我々が持つカードで手っ取り早く人間側を掣肘できるものは魔族から流れ出てくる金や銀の差し止めでしょう。人間側の国はどこも魔族の金や銀なしでは経済は回らない。ここを止められてしまうということは井戸が枯れるようなもの。給金が払えず兵たちの戦意が落ち戦いどころではなくなります」

「そうだな。フランベーニュがマンジュークに拘るのも魔族がそれをやってくる可能性を考慮してのものだろう。だが、この策には大きな欠点がある」

「それをやってしまうと、我々自身も金や銀の売り手を失い大きな痛手を負う」

「そういうことだ」

「ですが、フランベーニュがマンジュークを落としてしまえば我々は金や銀の売り手だけではなく買い手も失うことになりますが?」

「いや。必ずしもそうなるとは限らないだろう」


 マンジュークをはじめとした魔族の国の鉱山群から産出される金や銀はこの組織がおこなう仲介貿易の根幹を成すもの。

 それを失っても、商売は十分にやっていける。

 目の前の男はそう言った。

 だが、コンセブシオンにはその意味がわからない。

 そうかといって、それはただの強がりというわけではないのは男が纏う雰囲気から伝わってくる。


 ……つまり、そうなっても問題ない次善の策があるということですか。

 ……では、それを伺いましょうか。


「それがどういうことか教えていただけますか?」


 当然のようにやってきたコンセブシオンからの問いの言葉。

 バレデラスはそれに大きく頷く。


「まあ、そう難しいことではない。要するに魔族の鉱山群をフランベーニュが独占するのなら、我々は金や銀の買い取り相手を魔族からフランベーニュに変えるだけの話だということだ」

「ですが、鉱山群を押さえたフランベーニュに金や銀を吐き出させるための材料は?」

「当然紙だ」

「紙……ですか……」


 疑わしさ満載。

 ハッキリそうだと言わないが、コンセブシオンの言葉からそれは伝わってくる。

 だが、バレデラスは自信満々である。


「魔族のようにはいかん。と言いたげだな」

「率直に言えば……」

「だが、フランベーニュにだって魔族と同じように文字を書いたり読んだりする文化はある」

「それはそうですが……」

「これまでフランベーニュで紙が魔族の国ほど普及しなかったのは単純にその対価が用意できなかったからだ。だが、マンジュークをはじめとした鉱山群を手に入ればそれは変わる」

「どういうことですか?」

「鉱山が産出される膨大な金や銀は自国だけでは使い切れない。当然それを対価に自国で生産できないものを手に入れようとするだろう。その中に紙があるということだ。そして、一度使い始めれば、我々の紙がフランベーニュ国内で一般用として使用されている羊皮紙や木の皮などとは比べようがないくらいに使い勝手がよいことに多くの者が気づく。そうなればしめたもの。一度味を覚えてしまえば使用量は増えることはあっても減ることはないのだ」

「そういうことであればフランベーニュは自国生産を目指すのでは?」

「そうして、魔族と同じ道を歩むわけか。失敗の経験を積み、我々のありがたさを実感するのだから、それもいいかもしれん」


 魔族と同じ道。

 それは自国生産を目指したものの結局失敗するということをバレデラスの言葉は暗示している。


 ……たしかにそうだ。

 ……魔族もあれだけやってできなかったものをフランベーニュが簡単にやり遂げるはずがないのだ。


「なるほど。たしかにそうですね」


「……ですが、そうなると……」


 コンセブシオンは少しだけ躊躇った。


「バレデラス様は魔族を見限っているのでしょうか?」

「見限る?」


「言葉の端々からそう思えるもので。違いましたか?」


「さあな」


 それ以外には考えられない。

 そう言いたげな表情のコンセブシオンの言葉にバレデラスは素っ気ない答えで応じる。


「率直な気持ちをいえば、どちらでもいいのだよ。そんなことは」


「俺はこの組織が繁栄すればそれでいい。取引相手がどうなろうが知ったことではない。だから……」


「どちらか一方に必要以上に肩入れすることはない。それをおこなうのは一方がこの組織にとってあきらかな敵である場合だけだ」

「なるほど」


「それに、現状を維持させるために今日はこちら、明日は向こうと立場を変えながら助力する。そんなことをしていては、命をかけて戦っている者たちから信用がなくなる。俺は蛇のように恐れ嫌われるのは構わないが、蝙蝠のように軽蔑されるのは御免被りたい」


 ……両方とも陸上の生き物。

 ……海に生きる者たちの頭領とは思えぬお言葉。


 ……ですが、状況を鳥のようで鳥ではないどっちつかずの蝙蝠に見立てるとはすばらしい表現です。


 コンセブシオンは主が言外に言いたいことを理解し、少しだけ笑みを浮かべて短い言葉で応じる。


「たしかに我々にとって信用は大事です。ですが、そういうことであれば中立というのも似たようなものなのではないでしょうか?」

「いや。一見すると中立も同じように思えるが、それまでと同様関りに一線を引くのと、安全な場所から手を出して戦況を引っ掻き回すのではまったく違う。俺が戦っている一方であるなら、休戦してでもまずはその目障りなそいつを叩き、改めて雌雄を決するだろうな」


 ……さすがです。

 ……そして、私もその意見に同感です。


 コンセブシオンは心の中でそう呟いた。

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