大海賊の宴
トゥーレがオディエルヌからの連絡を受け取るだいぶ前。
「十六番船より報告あり。右後方にあらたな船影。数は約百」
「信号旗でただちにオディエルヌ提督に報告しろ」
信号旗を読み取った見張り員と彼の代わりに指示を出す副官の声を聞きながら、偵察部隊を指揮するルゴンは苦悶していた。
……いったいこれはどういうことだ。
……我々は四隻の敵を追っていた。
……そして、敵は逃げながら味方に救援を求めた。
……その結果がこれなのか。
ルゴンの言うこれ。
それは……。
……前方に現れた三隊計二百隻。
……これはワイバーン一党であること間違いないだろう。
……さすがに二百隻は多いが、とりあえずそれは納得できる。
……だが、我々があらたなに発見した敵はいったい何者なのだ。
……先ほど発見した船影がすべて敵なら、左に四隊、右に三隊。計五百隻から六百隻。
……前方の敵を合わせれば七百隻以上。いくらワイバーンが大海賊とはいえ、さすがに七百隻を抱えているとは思えぬ。
……そうなると、考えられるのはふたつ。
……偽装。
……または、他の海賊との共同作戦。
……もっとも、海賊はお互いに縄張り争いをする敵とみなし、騙し合い、殺し合いをおこなっている間柄。その証拠に、互いに相手の情報を我々海軍に流してきていた。
……共同して戦うなど考えられない。
……そうなると、あれは偽装した船ということなのか。
「各船に通達。側面の敵は偽装の可能性がある。注意深く観察せよと」
「先行している七番船より連絡。前方の三隊より援軍要請が来ているが、どのように返事をすべきかとのこと」
「こちらだってそれどころではないのだ。後続隊にしても側面の敵が本物なら対応せねばならない。混乱のもとだ。放っておけと伝えろ」
……とにかく、今は動けん。
本来ならば、偵察任務など放り出して側面の敵に突撃するはずの猛将ルゴンを躊躇させているのが、その数。
側面から現れた敵はどの集団も五十隻以上で五倍から十倍。
さらに、今単独で突撃をかければ、残りも引き寄せることになり、数の差はさらに広がる。
当然といえば当然である。
だが、ルゴンの足止めをしているのにはもうひとつ理由があった。
それは彼の部隊の位置である。
彼の前にいるのはワイバーンを追って突撃したトゥーレたち三隊。
それから彼の後ろを進むソヴァール、レベナック、オリンクルの三人が率いるグループ、さらにその後ろをいくオディエルヌ率いる本隊。
速度の差もあり隊列は縦に大きく伸びていた。
お互いに他のグループの様子は掴めない。
もちろん信号旗によって命令や報告のやり取りはできるのだが、その中継点となるのが、ルゴン隊ということになる。
ここで、勢いに任せて敵に向かってしまえば、前方と後方の連絡はできなくなり、完全に分断されてしまう危険がある。
戦意過多ではあるが、その辺はわきまえている。
さすが副司令官に任じられただけのことはあるといったところであろうか。
……役割を与えられた以上、それを全うするしかない。
……だが……。
……側面の敵が偽装したポンコツだったときは、俺ひとりで粉砕してやる。
……そのためにも早く忌々しい側面の敵の正体を知らねばならん。
そして、ルゴンが望んでいた敵の正体。
それが判明したのはそれからまもなくのこととなる。
「ルゴン様。一番船より連絡。最初に現れた百五十隻に掲げられた海賊旗が確認できたそうです」
「でかした。それで……」
まずは見張り員を褒め、それからやや慌てるように尋ねたルゴンの問いにたいする答え。
見張り員が口にしたそれは驚くべきものだった。
「黒旗の意匠は交差する戦斧」
「……交差する戦斧が描かれた黒旗だと」
ルゴンは呻く。
それはとても有名なものであり、識別表など見なくても海軍に長く属している者なら誰でもその黒旗を掲げる海賊の名を知っている。
もちろんルゴンも。
さらにいえば、その旗を掲げる集団はルゴン自身にとって天敵といえるものでもあった。
過去交易船の護衛中に何度も遭遇し、その度に一方的に叩かれ、交易船は荒らされ自らの船は沈められた。
つまり、海を漂いながら悔し涙をとともに仰ぎ見た、悠々と消え去る船にはためいていたその旗の意匠は、忘れたくても忘れられないといえるものだったのである。
「なぜその旗がここに……」
そう言いつつ、ルゴンはすでに結論を出していた。
「……暴虐の大海賊ウシュマル。つまり、奴がやってきたということか」
……いや。慌てるな。
……相手はあのワイバーン。ウシュマルの旗を掲げているだけかもしれない。
……そんな小細工に騙されて釣りだされて伸びきった隊列に穴を開けてしまっては目も当てられん。
「奴らが本当に大海賊ウシュマルというのなら、先頭にいるのは海賊の長サカリアス・ウシュマルが乗る『セナイーダ』だ。船形を確認しろ」
「船形は確認済みです。独特の形状から間違いなく『セナイーダ』です」
「わかった」
「まさかワイバーンとウシュマルが共闘していたとは……ということは……」
……まさか。
……いや。あれは単なる作り話。このような場で口にするものではない。
思わず口にしてしまった言葉の続き。
それは海軍に入りたての頃に聞いた話だった。
だが、ルゴンは胸に過ったその話の記憶を捨て去り、自分と部下たちを奮い立たせるため、まったく違う言葉を口にする。
「だが、これはいい。これまで俺を何度も海に叩き落とし我が海軍の兵を多数殺してくれたウシュマルを討つ絶好の機会。俺たちの目標は奴だ」
自らの宣言に歓喜と怒号で応じる部下たちを頼もしく眺めながら、ルゴンが考えていたのは先ほどから心から離れないあることだった。
……この戦場にはワイバーンとウシュマルというふたつの大海賊がいる。
……そして、それだけで三百五十隻。
……残りはすべて偽装したぼろ船の集まりなら問題ない。とは言わないが、とりあえずよしとしよう。
……だが、そうでなかった場合はどうなる?
……なにしろ、やってきた集団はあと六つ。
……そして、八大海賊。ワイバーンとウシュマルを除いた残りも同じく六つ。
……もし、あの噂が本当であるのなら……。
「十五番船より報告。右翼前から接近中の百隻に掲げられているのは、天秤が描かれた黒旗」
……やはり。
……そうなるのか。
「……強欲の大海賊トゥルム。つまり三人目」
「ルゴン様……これは」
ルゴンよりもだいぶ遅れてその噂を思い出した副官アラン・グラヴィールは血の気が引いた顔を上官に向ける。
「ああ。間違いない。これは『八大海賊の宴』だ。普段狩場で競い合う海賊ども。しかも大海賊。『八大海賊の宴』など腰抜けどもの戯言だとしか思っていなかったが、どうやら本当だったようだな」
「ということは……」
「俺たちの命運はこの時点で決まったようなものだ。とにかく、オディエルヌ提督に報告しろ。ふたりの大海賊が現れたことを。そして、これから起こる可能性のあることも」
八大海賊の宴。
それは各国の海軍に伝わる噂である。
通常競い合って交易船狩りをしている八大海賊。
だが、ある時に限ってはすべての遺恨を水に流して共闘し、事に当たる。
そのあることとは……。
八大海賊の誰かに海軍が手を出した場合。
八大海賊の誰かより宴の開始が宣言されると、他の大海賊はすべての仕事を切り上げてリーダー自ら全軍を率いて指定の海域にやってくる。
もちろんそれだけではない。
それだけの戦力を揃えたのだ。
やってきた彼らは当然狩りをおこなう。
そのターゲットとは自分たちに手を出した海軍の軍船。
彼らは主催者がおびき出したターゲットを取り囲み、一隻を除いたすべてを沈める。
そして、唯一残ったその一隻にはそこでおこなわれた「上下関係もわからぬ愚か者への躾」と称する残酷な宴の痕跡を全員の署名入りで残す。
その残虐性と凄惨さは言葉にできるものではないとされ、それを実際に見た者は海賊に対する憎しみを増大させるわけだが、それとともにそのあまりにも度を越した残虐さのため知らず知らずのうちにそれとは正反対の感情も芽生える。
そして、度重なる宴の開園によって心の奥に着実に育っていった八大海賊に対する恐怖という感情は各国海軍に残る先輩から後輩への非公式な申し継ぎ事項として脈々として受け継がれていくことになる。
八大海賊にはこちらから手を出してはいけない。絶対に。
もちろん、これを厳格に守ることによって平穏は保たれるわけなのだが、問題がまったくないわけではない。
当然その間には宴はおこなわれなかったわけなのだが、その期間に徐々に大海賊に対する恐怖が薄れ、いつしか悲惨な歴史を軽んじる者が出始めたのだ。
彼らに挑み、その結果として過去十一度にわたって「八大海賊の宴」の洗礼を受け、その度に百隻単位の軍船が海に沈められ多くの将兵が虐殺されたブリターニャ海軍には申し継ぎをする伝統はしっかりと残っており、同じく三度洗礼を受けたノルディアや五度の洗礼経験者であるアリターナにもそれなりに申し継ぎはおこなわれていた。
だが、幸か不幸か、過去にその経験がなく話を聞く程度の情報しかなかったフランベーニュ海軍では、もともと薄かった大海賊に対する恐怖心はその期間の間にすっかりなくなり、彼らの中では「八大海賊の宴」も作り話という説が主流となり、ブリターニャやアリターナの伝統は嘲笑の対象にされていた。
当然、今回のワイバーン討伐に対しても「八大海賊の宴」を持ちだして止める者はいなかった。
その結果がこれというわけである。
……今思えば……。
……海に叩き落とされているときに気づくべきだったな。
……とどめを刺さない。つまり……。
……奴らが本気ではなかったということを。
……まあ、今さらのことなのだが。
心の中でそう後悔し、続いて家で待つ家族の顔を思いだしたルゴンは、小さく声を出して生きて戻れないことを謝罪し、その思いが滲む言葉を呟く。
「俺としては、せめて残りはハリボテであってほしいのだが、そういうわけにはいかないだろうな」
もちろんここまできては、ルゴンのささやかな望みが叶うはずもなく、望んでもおらず聞きたくもない報告は次々と届く。
「十三本の剣が描かれた黒旗。鉄壁の大海賊ワシャクトゥンです」
「続いて確認。神速の大海賊カラクルムの三本の雷が描かれた黒旗」
「吊るされた罪人と抉り出された心臓の黒旗。慈悲なき大海賊コパン確認」
「槍に下げられた錨が描かれた黒旗。幻影の大海賊ボランパックのものです」
そして……。
「金糸で縁取りされた血色の旗に黒い人魚が描かれた意匠。麗しき大海賊ユラも確認できました」
「まあ、そうなるでしょうね」
達観したかのような副官グラヴィールの言葉に、苦笑いでルゴンが応じる。
「天空の大海賊ワイバーンを含めてこれで八大海賊の全員のお出ましということか。さて……」
「八大海賊を揃う光景などそうは見られない。これはあの世に行っても自慢にできる。ところで、相手を選び放題のこの状況だ。グラヴィール。おまえなら、最後に戦う相手として誰を選ぶ?」
「そうですね。どうせ殺されるなら髭面の男などではなく美しい女性がいいですね」
「ということは、ユラか。だが、海賊たちの噂によれば、大海賊のユラを率いるジェセリア・ユラは本当に絶世の美人らしいが、その残虐さは八大海賊で一番だという。さらに言うなら、彼女が侍らせ弄ぶるのは少女と少年だけらしい。残念ながら、俺はもちろん、おまえもその基準から外れている。勇んで彼女の前に全裸になっても切り刻まれておしまいだ。恥を掻くだけだからやめておいたほうがいい」
「そうですか。それは残念。では、ルゴン様のご随意に」
「わかった」
「この数での包囲だ。逃げ出すのは難しい。そうかといって、俺たちがこれまで海賊に対してのどのような対応をしてきたかを考えれば降伏し命乞いをしても許されるはずがない。となれば、フランベーニュ海軍の伝統を汚さぬよう堂々と受けて立つしかないだろう」
「信号旗用意。各船に通達。信号旗に関わるものをすべて焼却のうえ、偵察任務を終了し我がもとに集まれ」
「オディエルヌ提督宛。ルゴン隊はこれより大海賊ウシュマル討伐に向かう準備に入る。先行隊に連絡があれば至急願いたい」
「……全員の武運を祈る」