表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/32

惨劇の始まり Ⅱ

「敵は必ずいる。気合を入れて探せ」 


その声の主は、不機嫌の見本のような表情で海を見つめるオディエルヌの視線の遥か前方にいる十七隻からなる前衛部隊を率いるボドワン・ルゴンだった。

 例のクジ引きの時には不満たらたらだったこの男が、人が変わったかのように熱心にその仕事に勤しんでいるその理由。

 それはもちろんオディエルヌが心の中で口にした「いつもの手」である。

 そして、そのいつもの手とは、相手に目の前にニンジンをぶら下げるというアレである。

 そう。

 あの後、オディエルヌはルゴンの耳元でこう囁いたのだ。


「敵を発見したら貴君に金貨五百枚を進呈する」


 金貨五百枚。

 フランベーニュ金貨は金の含有量が高くないため、あの商人国家の公式レートではノルディア金貨やブリターニャ金貨の十分の一の価値とされている。

 そして、非公式なレートではあるが、この世界で金の含有量が最も高い魔族金貨の百分の一の価値であるフランベーニュ金貨五百枚とは、某魔族が住んでいた別の世界の価値に直せば、約五十万円となる。

 たった五十万円と思いたくもなるが、それでもフランベーニュの物価や兵士たちの給金等々考えればそれはその世界に住む者にとっては十分ニンジンになりえるものともいえる数字であるのだ。


 突然やる気になったルゴン。

 だが、先ほどまでの彼の態度はすでに部下たちに完全な形で伝染しており、ルゴンの思いとは裏腹に部下たちには敵を探す気などまったくない。


 ……つまらんとは思ってもやるべきことはやらねばならん。

 ……軍人なら軍人らしく命令されたらその指示に従うのは当然のことだろう。

 ……そんなこともわからんのか。おまえたちは。


 サボタージュを決め込むつもりだった自分のことは棚に上げたルゴンは部下たちの態度に大いに憤る。


 ……だが、おまえたちの気持ちもわからんでもない。

 ……仕方がないな。


 そう言って、実行したのはもちろん上司を見習ったニンジン作戦である。

 もっとも、彼が当初そのために用意したのはたった金貨一枚。

 上司のそれの五百分の一であった。


「各船に連絡。最初に敵船を発見した者に金貨一枚を進呈する」


「いや。ここは大奮発しよう。最初に発見した者が乗る船にはそれとは別に金貨十枚を進呈する。これでやる気になるだろう」


 即座に自らの宣言を訂正し十枚を追加したのはさすがに安すぎると反省したためなのだが、それでも自らがオディエルヌから貰うものを考えれば十分に安い。


 だが、これが功を奏す。

 それを信号旗で知った各船長の目の色が変わり、部下たちを叱咤する。

 そして、それが共通の標語のようにすべての船で連呼される。


「手に入れるぞ、金貨十枚」


「発見者に報酬だと?……ルゴンは随分やる気を出しているな」

「まったくです。先ほどの不貞腐れようから考えられません。まあ、そこが次席指揮官ということなのでしょうが」

「……そうだな」


 ルゴンの船から上がる部下たちへ向けた信号旗。

 当然それは後方を進む他の指揮官の目にも止まる。

 副官ウジェーヌ・キメッシュの差しさわりのない言葉の見本のような感想にとりあえずそう応じたものの、トゥーレは口には出さない言葉で呟く。


 ……手柄を立てることしか考えないあのルゴンが他人の手柄のために熱心に働くなどありえぬ話だ。

 ……何かある。


 トゥーレのこの読みは正しかった。


 だが、それがこっそりと用意されたニンジンの効果と考えられないのは、ルゴンの日頃の言動と、トゥーレの視野の狭さの合わせ技的な賜物といえるだろう。

 そして、考えることに不向きな頭でもう少しだけ考えたトゥーレの思考が行きついた結果がこれである。


 ……奴は敵を見つけた瞬間、抜け駆けをするつもりだ。

 ……ということは、我々もそれにふさわしい対応をとるしかない。


「我々も前衛部隊が掲げる信号旗のすべてを見えるところまで広がれ。ルゴンの子分どもが上げる信号旗を見逃すなよ」

「ですが、そうなると攻撃までに時間がかかりますが?」

「相手はたった四隻。集合場所は敵がいる場所にすればいいだろう。とにかく、ルゴンに手柄を横取りされるわけにはいかん。俺の言っている意味がわかるな」


 もちろん、前方を注意深く眺める第二陣、第三陣の指揮官たちにも前衛部隊に続くトゥーレ隊の動きはすぐに伝わる。


「トゥーレが何を考えているのか、おまえたちはわかるか?」


 目の前が起こっている奇妙な光景を腕組みしながら睨みつけるシャルプールはその場にいる部下たちにそう尋ねる。


「自らも偵察に参加しているような」

「そうですね。あれだけ横に広がってはいざというときに突撃体形を取るまで相当時間がかかるのですから、それしか考えられませんね」

「そうだな」


 ふたりから返ってきたきわめて常識的な答えにそう応じたシャルプールだったが、それが正しい答えではないことくらい老練なこの男はとっくに見抜いていた。


 ……トゥーレは他人の手伝い、しかも偵察などという地味な仕事を買って出るようなタマではない。

 ……まちがいない。

 ……あれは先ほどのルゴンから信号旗に反応したものだ。

 ……つまり、トゥーレはあれをルゴンが手柄を横取りする気だと受け取った。

 ……そこで、ルゴンが受け取る敵発見の情報を時間差なく手に入れるために横に広がったわけだ。


 ……甘いな。


 ……ルゴンはおそらく提督から多額の発見報酬を並べられたのだ。

 ……そうでなければ、ケチで有名なルゴンが発見者に報酬など出すはずがない。

 ……その程度のこともわからぬとはトゥーレも情けない。


 ……だが、これは絶好の機会。トゥーレ隊がもたもたと陣形を整えている隙をついて我々が獲物を狩る。


「すぐに突撃できるように密集体形をつくり、トゥーレ隊との距離をつめろ」


「それから見張りを厳に。前にいる二隊の動きに注意せよ」


「発見の報があってもトゥーレ隊がすぐに出られないのであれば、我々が代わりにいくしかあるまい。そうであろう」


 そう言って、シャルプールは部下たちを見やりニヤリと笑った。

 もちろんそれはその後ろにいるエオヴィルも同じである。


「どうやらシャルプールの爺さんは抜け駆けを狙っているようだな。だが、そういうことなら、我々もその権利があるはず」


 ひとりごとのようにそう呟き、それから一瞬と少しだけ考えたエオヴィルが号令する。


「各船に連絡。我が隊はシャルプール隊との距離を詰める。あわせて、密集陣形をつくれ」


「もちろん始まりは信号旗が上がってからだ。それまではシャルプール隊の前に出るなよ。爺さんがそういうことにうるさいからな」


「そして、一瞬の隙をつく。一番乗りは我々が頂くぞ。気を緩めるな」


「いったい前の奴らは何をやっているのだ」


 前方を進むレベナックから三隊の挙動不審な行動について連絡を受けたオディエルヌは、込み上げる怒りの大部分をどうにか抑え込んでから声を上げる。

 もっとも、本人はまったく気づいていないものの、この混乱は元はといえばオディエルヌ本人が原因だった。

 いうまでもない。

 この混乱は簡単にいえば、例のニンジンによって突然やる気になったルゴンの動きを抜け駆けの兆候と勘違いをしたトゥーレ。

 それに乗じて真っ先に敵に到着しようとしたシャルプールとエオヴィルという構図。

 つまり、全員の前でオディエルヌがニンジンの話をしておけば防げたのだ。

 まあ、それはいまさらの話ではあるのだが。


 とにかく事態を放置できない、混乱の張本人は事態の収拾に乗り出す。


 ……こんなことまで私がやらなければならないのか。


 心の中でそうぼやきながら。


「前方の各隊に連絡。敵を発見した場合、速やかに詳細を連絡せよ。なお、攻撃は私からの指令があるまで認めない。指示に従わなかった者は帰港後命令違反を犯したとして厳罰に処す」


 ……ロシュフォールがいるときにはこのようなことがまったく起きなかったというのに。


 ライバルのありがたさを思わずつぶやき、それから再び不機嫌になるオディエルヌだったが、とりあえずそれによって一時の混乱はこれで収束する。


 ……戦う前にこれとは……。

 ……だが、私の手元には彼らしかいいないのだ。

 ……それに、とりあえずはワイバーンを発見する前に収まったのだ。

 ……よしとするしかあるまい。


 オディエルヌは呟く。

 自分自身を納得させるように。


 それからしばらくは沈黙の時間が続く。

 もちろん多くの命令や報告、それを復唱する声、それから波や風の音はする。

 だが、それはすべてが船乗りの日常。

 つまり、その沈黙とはやってくるべき報告についてである。


 やがて、この世界の太陽にあたるものが頂点からこの日の終幕を告げるための下降を始める。


「やはり発見できませんね」

「そうだな」

「結局我々がモロザリーアなる者たちと戦ったあれがワイバーンに逃げる時間を与えた……というより、こうなってくると、ワイバーンは逃げる時間を稼ぐために我々とモロザリーアと戦うように仕向けた可能性も考えられます」

「うむ。その可能性は十分あるな」


 フォルマオンの言葉にそう返事したものの、オディエルヌは心の中ではまったく違うことを考えていた。

 

 ……だが、そうなると奴が四隻で来た理由がなくなるではないか。

 ……つまり、四隻で来たからには奴は我々を返り討ちにするため必ずどこかで姿を現わす。

 

 ……そういうことであれば、このまま進んでいればいいということになる。

 ……問題は何隻で現れるかということになるのだが……。

 ……我々の数は奴らの想定より多いはず。

 ……心配ない。

  

 ……とにかく早く姿を現わせ。ワイバーン。


 オディエルヌがそう言って自分の都合だけですべてを完結させてからさらにじりじりとした時間が過ぎる。

 そして、遂に彼の希望が叶う瞬間がやってくる。


「ルゴン様の船に信号旗が上がりました」

「来たか」


 座っていた椅子から勢いよく立ち上がるとオディエルヌはその情報を持ち込んだ伝令係ガストン・アンダイユに鋭い視線を送る。


「報告せよ」

「ルゴン隊三番船が左前方に黒旗を掲げた船を発見。数四。北西に進んでいるとのこと」


 ……よし。


「ワイバーンでしょうか?」

「それ以外にあるまい。ルゴンに連絡。偵察陣形のまま目標に向かって直進しろ」


「それから……トゥーレ、シャルプール、エオヴィルには突撃体形を維持したままルゴンの後方で待機しろ」


 ……四隻だけ。

 ……つまり、本当に四隻だったのか、そうでなければまだ味方と合流していないということになる。

 ……いずれにしても、これを逃す手はない。


 ……そして……。

 

「この戦い……勝てる」


 オディエルヌはそう呟いた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ