04悪い子、見つけた
「――ハァ、ハァ、ハァ……ッ!!」
できるだけ足音を消しながら、小岸桜盛は暗い廊下を走る。
適当な部屋を見つけると、体を滑り込ませるようにして部屋へ入り、机の下へと身を隠す。
体育座りで震える体を抱きしめながら、桜盛は部屋の外に意識を向ける。
(なんで追ってくるんだよ……。大丈夫だって言ってるのに……)
そう、別に自分のコレは本当に大したことのないものだ。なのに、執拗に追ってくるのはなぜなのか……。
――カラカラカラ……――
「――!!」
遠くから、あの音が聞こえた。桜盛の心臓が跳ねる。――ヤツが来る。
まだ近くない音が一度止まり、次いでガラガラと扉を開く音がする。しばらくカラカラ音をさせると再び扉の開閉音。
これを繰り返すたび、音は徐々に近くなっていく。
一部屋一部屋見まわっているのだろう。
――ガラガラ……
(頼む……)
カツリ……カツリ……
(都合よく……)
――カラカラカラ……
(この部屋だけスルーしてくれ……!!)
――ガラガラ……
「――ッ!!」
桜盛は息を呑んだ。
ヤツが、この部屋に入って来た。
カラカラカラ……カツリ……カツリ……
ゆったりとした歩調の音が聞こえる。懐中魔灯の光が、部屋の中を左右に照らす。
カラカラカラ……カツリ……カツリ……
音が一際大きくなった時、
ヤツの一部が視界に映った。
「――……」
桜盛は、自分でも気が付かない内に息を止めていた。
軍服のズボンと点滴台が目の前を横切り、白衣の裾がひらめいた。
……カツリ……カツリ……カラカラカラ――ガラガラ……
音は、徐々に遠ざかる。桜盛はへなへなと体の力を抜いた。脅威が、去った。
「た……助かったぁ……」
机の下に潜ったまま、桜盛は両手を床に付いて息を吐き、脱力する。
それにしても、と桜盛は思う。追ってきたくせに中を歩き回るだけだなんて、ヤツの警備もザルなものである。優秀と謳われる千近市国の兵士としてあれはどうなのだろう。ちゃんと訓練をしているのだろうかと心配になる。
「まぁ何にせよ、間抜けなことには変わりないか」
「誰が?」
ガッ、と、桜盛の隠れていた机に手が置かれる音がした。
ヤツの顔が、現れる。
ハネ気味の白い髪。
丸眼鏡の奥から覗く緑の目が、桜盛の姿をしっかり捉えていた。
「怪我を放っておく悪い子、見ーつけた」
***
「――はい、おしまい」
消毒された桜盛の腕の怪我の上から絆創膏が貼られた。
「小さい怪我だからって、放置しちゃダメ。侮ってかかると、後が大変だよ?」
そう言って困ったように笑うのは、先程桜盛を脅かしていたヤツ――衛生部衛生隊(簡単に言えば軍医)の野ヶ砂創。優しい緑の瞳に柔らかい雰囲気を放つ創を見ていると、桜盛に粘着していた人物が本当に彼だったのかと疑いたくなるほど穏やかな人物だった。
桜盛がこの傷を作った時に先輩である並日通と交わした会話を思い出す。
「桜盛、基地に帰ったら医務室行っとけ?」
「え……、でも、かすり傷ですよ?数日放置しておいても勝手に治りますよこんなの」
「……まあ、お前がそれでいいならいいけど」
とりとめのない会話だったが、今思えばあの時の通は半笑いだった気がする。通はこうなることを知ってて、あえて桜盛に教えなかったのだ。悪い先輩である。
絆創膏を見つめながら回想にふけっている桜盛に、創が優しく声をかける。
「怪我をしたり体調が悪かったりしたら、必ず医務室に来るんだよ?」
にこっと笑う創。そこからさらに言葉を続ける。
「あまり重症なものを隠したら、怒るからね?」
その声はとても柔らかいのに、目の奥は冷え切っていた。その寒暖差に、桜盛は体をぶるりと震わせた。
桜盛は本能的に悟る。この人に逆らってはいけない、と。
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