02感情が表に出ない美縁のエクスクラメーションマーク
軍の演習場に、一人の男が立っている。藍白色の髪に灰色の目をした美しい男、名前は持木美縁。彼は魔力の気配を探る訓練中であり、傍から見るとただじっと空を見上げているように見える。その姿はまるで絵画のようだ。
――ひたり。
そんな彼の背後に忍び寄る、怪しい影。
手ぶらの影は、極力足音を消し、少しずつ美縁との距離を縮める。
――ひたり……ひたり……。
美縁は振り向く素振りを見せない。美縁よりも小さい影は、着実に美縁へと近づいている。
――ひたり……あと10m……
――ひたり……あと8m……
――ひたり……あと――
次の瞬間、ヒュッっと空気が動いた。
「背後に忍び寄るな。驚くだろ」
左手に持っていた美縁の杖が背後に向けられる。杖の先端には一瞬で練られた魔力が込められていた。温度の無い灰色の瞳が影を射抜けば、影は焦ったように手を振った。
「わわっ!ちょっと待って!あたしだよ!支援部鼓舞隊の広瀬明!ちょーっと驚かそうとしてみただけ!」
少女の姿を確認した美縁は、練っていた魔力を散らして警戒を解いた。
「広瀬か。今のだけでも十分驚いたわ。心臓飛び出るかと思ったぞ」
そう答える美縁の声は平坦で、とてもじゃないが驚いているようには見えなかった。表情すら変わっていなかった美縁のことを思い出し、明は茶化して話す。
「またまたご冗談を!」
「本心なんだがな」
そう、美縁は背後に誰かがいると気が付いた瞬間、本当に驚いていた。
「こう見えて結構ビビりなんだ。自分は叫んでわめいているつもりなんだが、それが表に出てこないらしい。軍人として顔や声に出てこないのはありがたいが、仲間内でのコミュニケーション面では少々苦労している」
美縁は口元に手を当てて溜め息をついた。
「どうやったら表情筋は動くのだろうか……」
無表情ではあるが、その仕草はどこか物憂げに見え、女性受けはしそうである。現に明もそれに当てられて、つい「イケメン!!」と叫びそうになった。
しかし、美縁が言いたいことはそういうことではないだろう。女性受けをしたところでコミュニケーション能力が上がるわけではない。表情とはコミュニケーションを取るうえでなかなか大事な要素であるということに変わりはないのだ。
「表情筋の動かし方ねぇ……。うーん、あたしは勝手に動いちゃうからなー。いざどうやって動かしてるのかって聞かれると難しいなー」
明はうんうん唸りながら考える。美味しそうなデザートが出れば自然と笑みがこぼれるし、怖いものを見れば顔は引き攣るし……。
そこまで考えて、明はふと先程の美縁の言葉を思い出す。確かビビりと言っていなかったか。
「単純な好奇心なんだけど、美縁君はあの人を見ても表情筋って動かないの?
***
「ア”-↑!!ア“ア”ア“ア”――↑↑!!」
奇声を上げながら赤い目を光らせ、2本の鎌をデタラメに振り回す軍人。花神太一という名前の彼は誰の目から見ても狂っていることが一目で分かる奇行で魔獣の群れに突っ込んでいた。その様子を見た明は、いつ見てもドン引きの近寄りがたい人物だと思う。明が初めて太一を見た時は、あまりの奇人っぷりに卒倒しかけたほどだった。そんなインパクト第一みたいな人を初見すれば、流石の美縁も少しくらい表情が動くのではないかと明は思ったのだ。……しかし、いつ見ても太一はヤバい人だ。というか本当に人なのだろうか……。
太一にドン引きしながら明は隣の美縁を見る。果たしてその表情は――
――完全なる、無。
「え……」
逆に驚いて顔を見返すも、その表情が動くことは無い。いやここまで表情が動かないことなんてある?というレベルの無であった。
「え……うそ……。美縁君、これ見ても何とも思わないの……?」
思わず明がそう尋ねれば、返ってきたのは否定の声だった。
「十分引いてる。いやいやいやなんだあれは。悪魔に魂でも売ったのか?いやヤバすぎるだろ。本当にあれは人間なのか?どこからどう見ても死神だろ。怖っ」
文章こそ驚き引いているが、声に驚いた様子は無い。ビックリするほど平坦な声だった。
明は美縁に対して、太一に対する恐怖とはまた別の恐怖を感じて震えた。
「わぁ、すごい。表情全く変わってない。怖がってないでしょ絶対」
本当は先程の美縁の言葉には文末ごとに「!」マークが付いているので、正しい文章は「十分引いてる!いやいやいやなんだあれは!悪魔に魂でも売ったのか!?いやヤバすぎるだろ!本当にあれは人間なのか!?どこからどう見ても死神だろ!怖っ!!」である。
感情が表に出ないあまり、全ての言葉から「!」が消えてしまうのだった。