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四章 その1

 秘密の部屋とやらに向かおうとした時、唐突に委員長が口を切った。

「私は今回の護衛戦を下りようと思います」

 突然の発言だったが、俺と雫さん以外はまったく驚いた様子が無かった。

「お、おいおい。急にどうしたんだよ? 湖水家に仕えるのはこれからも変わらないんじゃなかったのか?」

「湖水家への忠誠心はこれからも変わりません。ですがそれと護衛の話は一切関係ありません。護衛とは守るべき方への偽りなき忠誠心、そしてその方から全幅の信頼を得る必要があります。その両方を兼ね備えた人物が、私には分かりました。だから今回の護衛戦から、身を引こうと思うのです」

 まったくもって理解できないが、とにかく委員長の意思が固いことだけは分かった。

「あ、僕も辞退しまーす」

 今度は委員長とは真逆の軽そうな声。無論、暗のものだ

「あ、あなたもですか⁉ なぜ急に……」

 雫さんは困惑した表情で暗にわけを聞いた。

「ま、動機はおおむね、委員長と同じです。付け加えるとすれば、もともと僕は乗り気じゃなかったってことですね」

 途方に暮れた表情の雫さんに追い打ちをかけるように、先輩が手を上げていった。

「まさか、あなたも……?」

「ん」

 たった一文字でも、真意は十二分に伝わってきた。

 波紋はにこにこと笑って雫さんの肩を叩いた。

「護衛を選ぶとすれば、ここに駆け付けてこない三人は論外。揚羽さんの言葉を借りるなら、私はそんな人に信頼をおけないので。そして駆けつけてきた四人のうち、三人は辞退しました。とすれば、選べる人は一人しかいませんよね?」

 雫さんは観念したようにうなずいた。

「正直、今まで陰と関係の無かった方では不安なのですが……、仕方ありません。あの清原のご令嬢を負かしたのです、実力も十分でしょう。私からは何も言うことはありません」

 それを聞いた波紋は満足そうにうなずいて、俺へと振り返った。彼女は満面の笑みを浮かべて言った。

「そういうわけだから。よろしくね、光雨」

「ああ、よろしく」

 実感はあまりなかったが、これで俺は波紋の護衛になったようだ。

「……こんなに簡単に決まっていいのか?」

「今となっては護衛なんてお飾りみたいなものよ、構えて考えるほどのものではないわ」

「だけどお前は、信用できないヤツを護衛にしたくなかったんだろ?」

「たとえお飾りでも、信頼できない人を身近に置きたくないでしょ? それだけのことよ」

 まぁ、そういうものか。

「分かったよ。よろしくな、波紋」

「ええ」

 この可愛い笑顔を近くで見ることができるんだ。そう悪いものでもないだろう。

「じゃあ、行くわよ」

 俺はこの機会に、気になっていたことを訊ねてみることにした。誰かに聞かれないように、声を潜めて聞いた。幸い、皆の注目は星子の方にそれている。俺たちの会話を気にする人はいないだろう。

「その前に一つ聞いていいか?」

「何かしら?」

 彼女の声はいつも通りの調子だった。

「さっきの作戦、俺に武勲を立てさせるためのものだろ?」

 波紋は俺の言葉でくすりと笑った。

「武勲なんて、大げさね」

「大げさ? いや、そんなことは無い。現にあれが決め手になって、委員長たちは護衛戦を下りたんだからな」

「偶然じゃない?」

 あくまでも白を切るつもりの波紋に対し、俺は追い打ちをかけた。

「根拠はこれだけじゃない。星子を捕まえるのは、別に俺たちじゃなくてもよかったはずだ。籠目村に住む半数の人は、陰の力を持つと暗は言っていた。なら、その人たちに向わせればよかった。そうすれば、俺一人以上の戦力を投入することが簡単にできたはずだ。だがお前は、それをしなかった」

「そ、それはただ思いつか」

「思いつかなかったなんて通用しないぜ。ここに来たばかりの俺でさえすぐに浮かんだんだ、何年も住んでいるお前が考えもしなかったっていうのは不自然だ。それに連行するときに来たおっさんたちもまるで素人の集団だった。プロなら血を見たぐらいで、あそこまで怯えたりはしないだろう。俺の手柄を取ることのない連中を選んで送ってきたのは明白だ。何か反論は?」

 波紋は小さくため息をついて両手を上げた。

「降参、白旗よ。私の護衛は頭も切れるみたいね、嬉しいわ」

「こんなこと、小学生だって分かるぜ」

「謙遜よ。それで、あなたはその推理を私に聞かせて何がしたいのかしら?」

 俺は知りたかった。彼女がここまでして、俺を護衛にしたがる理由。すなわち、あの条件の真意を。

「お前の護衛を選ぶ条件に、人付き合いが苦手なことってあっただろ。何でそんなものがあったんだ?」

 それを聞いた波紋はむすっとした、不機嫌な表情になった。

「何、私をからかうつもり?」

「いや、ふざけた質問に聞こえるかもしれないが、真剣なんだ。頼む、教えてくれ」

 彼女はしばらく俺の顔をにらみつけていたが、やがて首を横に振って小さく吐息をついた。

「分かったわ、教えるわよ」

 彼女は瞼をぎゅっと閉じて、深呼吸をした。目を開くと、ゆっくりと言葉を探すように話し始めた。

「私はね、護衛が欲しかったわけじゃないの。心を許せる人が欲しかったの。だけど私は生まれつき人づきあいが苦手で、誰かと話すのが下手だった。生徒会の人とだって、業務以外の時はまともに話せないのよ。だけど同じような人となら、何とか会話することができるんじゃないかって思ったの」

 話し終えた波紋は、ひどく疲れたような顔をしていた。だけど俺は最後にもう一つ、彼女に聞いておかなければならないことがある。それは何よりも聞きたかった、大事な質問だった。

「だけど、波紋には先生がいるし、母さんだっている。何より、誰よりもお前を大切に思ってくれている先輩がいるじゃないか」

「怖いのよ。私はなぜか、陰を持っている人が怖いの。だから近くに、そんなことと無関係の人にいてほしかったの」

 気が付けば皆はいなかった。おそらくすでに、秘密の部屋に向かっているのだろう。もう一度誰もいないことを確認してから、俺はそっと彼女の肩を抱いた。

「……ありがとう」

「俺はお前の護衛なんだ。ただ、当たり前のことをしているだけだ」

「ふふ、そうね……」

 彼女の体は思った以上に小さくて、温かった。そしてこれは、思った以上に恥ずかしい……。

「……あの条件にして、正解だった。私はあなたになら、心を許せる」

「そ、そうか。その、よかったな」

 抱擁を少し緩めて、彼女の顏を見る。まるで風呂上がりのように、顔が火照っていた。

 改めて思う。波紋はとても可愛らしい。

「あなたになら、何でも話せる。何でもしてあげられる。……でも、体はダメだから! あ、あと二年待っててくれれば……」

「お、おう」

 相槌は打っていたものの、波紋が何を言っていることはまったく耳に入ってこなかった。

「その、光雨。少しの間、目を閉じてくれる?」

「あ、ああ……」

 何が何やらさっぱり分からず、俺は言われるままに目を閉じた。波紋の手から俺の胸へ体重がかかり、温かい吐息が顔に近づいてくる。波紋という少女の臭いが、鼻をくすぐる。それは甘い、いい匂い。俺の体温が上がり、波紋の体も同じぐらい熱くなる。鼓動の音が耳に響くように鳴り、頭はまるで財布のように空っぽだった。波紋の肩をつかんでいた手、それを自然と彼女の腰に回してしまう。何かの気配が目と鼻の先、いや唇の間近に感じる。俺はいったい、どうなってしまうんだろう……。

 その時だった。

「おーい、早くしないと置いてっちゃうよー……、あ」

 舞空先生のKYっぷりが遺憾無く発揮された。

 紙一枚分まで迫っていた温もりは、波が引くように去っていく。

 目を開くと、閉じる前と同じ格好で波紋は立っていた。まるで閉じていた間の時間が止まっていたのかと疑ってしまう。だけど胸に置かれていた手が離されても、しばらくその温もりは残った。


 消火作業でぐちゃぐちゃになった道を俺たちは歩いていた。

「ごめん、ごめんってばー」

「黙りなさい。あなたなんか、きつねうどんの具にでもなってればいいのよ」

「そもそもそれ、きつね使ってないしー」

「黙れって言ってんのよ、クズ、ブタ、クソ狐」

「せめてブタか狐かはっきりしてよ」

 舞空先生はすっかりへそを曲げてしまった波紋に謝っているが、なかなか相手にしてもらえないようだ。まぁ、誠意がこもっているようには見えないし、許そうという気持ちもなかなか起きないよな……。

「本当に仲がよろしいですよね、あのお二方は」

 俺がぼんやりと二人を見ていると、委員長が話しかけてきた。

「そうだな。まるで姉妹みたいだ」

「姉妹、ですか。確かにその表現は言いえて妙ですね」

 思えば、委員長と落ち着いて話をするのはこれが初めてだった。教室でもなく、まして学校の中でもない。そして日の上っている昼ではなく、月の照らす夜。おまけに日常とかけ離れたこの状況で彼女と交わす会話は、不思議としっくりくるのだった。

「舞空先生は波紋様の生まれる前から、湖水家に御厄介になられていたそうです。ゆえに雫様と過ごした時間が長く、まるで親友のような間柄なのです。加えてあの男勝りの性格。私には舞空先生が雫様の旦那様、そして波紋様のお父様のように見えるのです」

「なるほど、言われてみればそう見えなくもないな。……だけどその、二人にはいたんだろ? 本物の、親父がさ」

 委員長はすっかり曇ってしまった空を見上げて、ぽつりと言った。

「人のことを悪く言うのは、あまり好きではありません。だけどこれだけは言わせてください。理不尽な理由で子供に手を上げる者に、親を名乗る資格はありません」

 どうやら委員長は、親父さんにいい印象を持っていないらしい。どんな人だったのか気になるが、今はそれよりも大切なことがある。

「話は変わるが、本当によかったのか? 俺なんかに護衛を譲っちまって」

「ええ、あなた以上の適任者はいません」

「だけど俺と同じぐらい適した人はいる」

「参考までに聞きましょうか」

 俺の言葉は煮え切らないものだろうか。いや、そんなことは無いはずだ。実に明快で、理にかなったものだ。

「まずは委員長、あんただ。あれだけの忠誠心を持ちながら、適任者じゃないなんて言えるはずがない。それに護衛戦に選ばれるほどだ、何かスゲー呪術を持っているに違いない。自分で卑下していた暗の呪術だって、今日は大活躍していたんだからな」

「ありがたきお言葉です。それで、他の方は?」

「もう一人は清原夏世。あいつは波紋を誰よりも大切に思っている。誰よりも彼女の傍にいるべき存在なんだ。素人の俺が言うのもなんだけど、陰と呪具の使い方もうまい」

「けれど、その素人であるあなたに負けている」

「偶然と花子のおかげさ」

 今まで何を聞いても動じなかった委員長が、花子という言葉で初めて驚いた顔になった。

「あなた、あの子と組んでいたんですか……⁉」

「あ、ああ」

 むしろ彼女の勢いに俺の方がびっくりした。

「……そうですか、それで」

 何か委員長には納得することがあったみたいだが、こっちはさっぱりだ。

「なぁ、花子のことを何か知ってるのか?」

 俺が聞いた時には、彼女は平然とした表情に戻っていた。

「いえ、何でもありません」

 委員長は足を速めて、さっさと歩いていってしまった。

 俺は肩をすくめて、ペースを変えずに歩いた。

 鼻にぽつりと冷たいものが落ちた。

 どうやら一雨降りそうだった。

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