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三章 その1

 暗と戦った次の日の夜。

 空は見渡す限り晴れていて、宝石のような星々が煌めいていた。自分がまるで夜空の中にいるのではと、ロマンチックな気分にしてくれる。そんな柄にもなく詩人になってしまうほど、素敵な夜だった。

 そして今夜も俺は旧校舎に向って歩いていた。もちろん選抜戦のためだ。

「こんばんは、光雨」

 旧校舎へと続く山道の途中のベンチ。そこにサンドウィッチを手にした波紋が座っていた。格好は相変わらずの巫女服。意外と気に入って着てるんじゃないだろうか。

「よう、波紋。夜のピクニックとは乙じゃねーか」

「ふふ、これはついでよ。本件は別にあるの」

 彼女は袴の汚れをはたいて立った。

「あなたに言っておくことがあるの」

 すっと目が細くなる。ここからは真剣な話、ということだろう。

「今日の相手は夏世よ」

「へぇ。きな臭いとは思っていたけど、やっぱりあいつも陰の関係者か」

「ええ、そうよ。……よく聞きなさい。彼女と戦う時は、様子見なんてダメ。長期戦になればなるほど、あなたは不利になる。覚えておきなさい」

 そう言って波紋は俺の来た道へ去っていった。


 俺は旧校舎に着くと、真っ先に女子トイレへ向かった。

 入り口から三つ目の個室。俺は再び花子と会うために、この呪われた個室の扉をノックする。

「花子、話がある」

 決まり文句を無視して俺は花子に呼びかける。それでも彼女は来るという根拠の無い確信があった。

「なぁに、こんな夜遅くに……って幽霊風情の私のセリフじゃないわね。くっくっく」

 ドアの向こうから聞き覚えのある声がした。

 俺がドアを開けると予感通り、花子がいた。覚醒前の眼鏡とツインテ姿だ。

「花子、おっひさー。二十四時間ぶりぐらいか」

 俺はわざと、おどけた挨拶をした。昨日の件はまったく気にしていないぜ、という雰囲気を装うためだ。

 彼女は怪訝な顔をして、梳くように髪をいじった。

「聞きたいことがあるんだけど、いいかしら?」

「何だ?」

「あなた、昨日の間抜け男よね?」

「もちだぜ」

 俺はふざけたテンションで花子の言葉に答える。しかし次の瞬間には真顔になって、彼女の顏を見据える。

「それで花子、さっき言ったように話があるんだが……」


「こんにちは、お嬢さん。月のきれいな夜ですね、……なーんてな」

 俺はちゃらけた挨拶で少女を迎えた。

「ん」

 少女、清原夏世先輩は相変わらずの調子でうなずいた。

 階段の踊り場から見下ろす先輩は隣に立った時よりも、より小さく見えた。

「……お前はまたそれか。まぁ、いいか」

 俺は後頭部をぽりぽりと掻いてため息をついた。

「……ん?」

 階段を上ってきた先輩は、きょろきょろと辺りを見回して首をかしげた。

「どうしたんだ?」

「んー……」

 先輩は俺の制服の袖を引っ張って階段を下りた。そして廊下の奥を指さす。

「もしかして、花子を呼び出さなくてもいいのかって言いたいのか?」

「ん!」

 先輩はいつもより大きくうなずいた。

「親切は嬉しいが、もういいんだ。あいつは一緒に戦うには危なすぎる。俺は先輩の命を危険にさらしたくない」

 俺はゆっくりと、一言一句を確認するように言った。

 それを聞いた先輩は袖を離し、一人で階段を上がる。

「……じ……」

 彼女は何かを言ったが、声が小さすぎて何を言っているのか聞き取れなかった。

「何だ?」

「同じ」

 今度ははっきりと聞こえた。小さな鈴を鳴らしたような、心地いい声だった。

「他の人と同じ。信用できない。あなたに波紋様の護衛は任せられない」

 俺は先輩の突然の豹変に少し驚いた。この前会った時とは同一人物とは思えないほど、毒舌家で饒舌家。だが俺はすぐに立ち直って、その言葉に不敵な笑みを返した。

「へっ、ちゃんと人語を覚えてきたか。褒めてやるぜ」

「……バカ。信じてたのに。あなたのこと、信じてたのに」

 先輩の言葉は断片的すぎて、ニュアンスがつかめない。しかしそれでも、彼女が俺に何かを期待していたことだけは分かった。

「……一つ、聞いていいか?」

「ん?」

「お前は波紋と仲よさそうだったじゃねーか。それなのに、何で波紋はお前を護衛にしようと思わなかったんだよ?」

 先輩は立ち止まって、こちらへ振り返った。寂しげな、今にも消えてしまいそうな笑みを浮かべていた。

「私はダメ。ずっと陰の力を使っていた家の人間だから。波紋様はそういう人間を信用しない」

 俺は初めて先輩と会った日のことを思い出した。波紋は自分の写っていた写真は消したが、先輩の写っていた写真には特に反応を示していなかった。

「……でも、お前は波紋のことを大事だと思ってる! それはお前と少し話しただけでも十二分に分かった‼ なのに、何で波紋はお前を信用しない⁉ どんな理由があったって、波紋はお前のようなヤツの思いをないがしろにするヤツじゃねーはずだッ‼」

 俺がどれだけ叫んでも、先輩の寂しげな笑みが変わることはなかった。

「仕方がないこと。だって波紋様は、自分の父上を陰に殺されたのだから」

「そりゃ、どういうことだよ……?」

「言ったとおりの意味。波紋様は自分の父上を陰、……花子に殺された」

 二重の意味でショックだった。波紋が背負ってきた不幸。そしてそれに花子が深くかかわっていたことが。

「……そうか、だから波紋は花子のことを憎んでいたんだな」

「そう。そして、その陰と深くかかわる私たちを波紋様が信じられないのも無理もないこと」

 そこで俺は一つ、疑問を抱いた。それは冷や汗の出る、嫌な疑問だった。

「波紋は陰と関わる人間を嫌っている。ならよ、自分自身はどうなんだ? ヤツ自身だって、陰と契約しているじゃないか」

 先輩は表情に影を落として、ぼそりと言った。

「カッター、自傷」

 その単語二つで、十分だった。

「そういう、ことだったのかよ……。あいつ、自分自身さえ嫌っているのかよッ! それで、自分自身を傷つけている? ふざけんなよ、そんなこと俺が許さねえッ!」

 怒鳴りは静寂に溶けて、あとには風が建物にぶつかる音だけが残った。

「……これ以上、話すことは無い。さ、始めよ。正真正銘の殺し合いを」

 先輩は元の無表情に戻って、胸ポケットに付いた札に触れた。俺も同じように、自分の札に触れる。

 呪具は一日に三回しか使えない。しかし選抜戦は一日に何回か行われているらしい。当然、波紋はすべての戦いを自分の力だけで行えるわけではない。ゆえにいくつかの試合は対戦者同士の力で波紋の消耗を補う必要があるわけだ。

『通信が来たってことは、二人とも準備はいいわけね?』

「待った!」

 俺の制止の声に先輩は首をひねり、波紋は沈黙した。

「その前にすべきことがあるだろう!」

「ん?」

『はぁ……、もう勝手にすれば?』

 波紋の承諾を得たところで、俺は天に向かって拳を振り上げた。

「先輩、ジャンケンだ!」

「ん」

 こくりとうなずいた先輩は最初のグーを出した。

「最初はグー、ジャンケンポン!」

 俺はチョキ、先輩はグーだった。

「じゃあ先輩、上り側か下りる側か、好きな方を選んでください」

 先輩は少し悩んだ後、上る側の方を選んだ。

「オッケー、始めてくれ」

『今度から、そういうのは先にやっておいてちょうだい……。我への忠誠を胸に、いざ始めよ!』

 開戦宣言と同時に、俺はポケットからカッターを取り出す。

 さっきの札で力を一度消費したから、呪具を使えるのは残り二回。無駄にはできない。

 だが、先輩との戦いを長引かせてはいけない。これは事前に、波紋から聞かされたことだ。長期戦になればなるほど、先輩が有利になる。なら、俺のすべきことは一つ。

「先手必勝ッ!」

 俺はカッターの刃を伸ばし、先輩の札だけを切るように距離を調整しながら切りかかる。

「……ふっ」

 先輩の息を吐く音が聞こえた。カッターの刃は空を切り、気が付いたら俺は転倒していた。その拍子にカッターの刃も軽い音を立てて折れる。

「ぐあッ!」

 倒れてなお、今の瞬間に起きたことを信じられずにいた。

 先輩はカッターの刃をしゃがんでかわし、足を引っかけて俺を転ばせた。先輩は肉体戦にも通じているようだ。

「んにゃろー!」

 頭に血が上った俺は起き上がると同時にカッターの刃を出し、再び先輩の札へ切りかかる。

 しかし今度は、カッターの刃が空中でへし折られた。

 先輩の周囲を赤い光の粒子でできた壁が覆っていた。それに刃が触れた瞬間、ぺっきりと折られたのだ。

「結界を展開した。これより私が動かない限り、あなたは私に触れることはできない」

 先輩の手には一つのブレスレットがあった。赤い斑点のある濃い緑色の石で作られたものだ。

「そ、それは……⁉」

「血星石の石言葉は堅固。そして負に染まったそれを円環という無限を意味する輪にすることにより、永久的にその恩恵を受けることができる」

 ……詠唱が無かったってことは、おそらく呪具だ。回数制限があるから、永久であるはずがない。だが一回という制限が一歩なら、ただ待っていても戦いが長引くだけだ。つまり相手の思うつぼ。

「けっ、円環が呪具になったら、永遠に呪いが消えねーってことじゃねーか。そんなもの俺がぶっ壊す!」

 俺はカッターをポケットに突っ込んで、右手の拳を握りしめた。そしてそれを光の壁にたたきつける。しかし俺の手が痛むだけで、壁にはひびすら入らない。

「ってー……」

 俺はジンジンと痛む拳を引いた。骨にまで響く、嫌な痛みだった。

「いくら攻撃しても、この結界が崩れることはない」

 無感情な声にイラッとする。まるで、自分は戦うために生まれたマシーンですって言ってるように思えたからだ。

「そんなもん、やってみなきゃ分かんねーだろうが……!」

 俺は何度も壁に拳を食らわせたが、皮膚が破けるばかりでびくともしない。

「降服することを勧める。これ以上何をしても無駄」

「うっせーよ! 無駄だって誰が決めようと、俺は諦めねえ。俺が護衛にならなきゃ、あいつに約束を守らせられねえからなッ!」

 俺の返事を聞いた先輩は落胆もせず、抑揚のない声で淡々と話す。

「降服拒否、了解した」

 彼女は目をつむり、呪文を詠唱した。

「耳を傾けよ。運命に意志を軽んじられ、魂を弄ばれ散っていった者の嘆きに」

 次に目を開けた時、先輩はやはり無表情だった。しかしそれだけじゃなかった。

心ここにあらず、瞳の光は消え、だけど声だけは感情豊かに言葉を紡ぐ。まるで一致しない組み合わせに、俺は戸惑った。

「今まで懸命に生きてまいりました。不得手な人間関係に悩み、不得手な勉学で悩み、不得手な家族との交流で悩みながらも、私なりに努力してまいりました」

 さっぱりわけの分からない言葉。しかし次第に俺は、先輩の話が自分のことのように思えてきた。

 心の中で警鐘が鳴っていた。このまま耳を傾けていたらヤバイ。

 俺は自分の直感に従い、不用心だと思いながらも先輩に背を向けた。

「ひとまず、逃げる……!」

「逃がすと思う?」

 先輩はそう言って、呪文を唱えた。

「上りて下りて永久とわに、きざはしは登登と、深深と」

 その詠唱から逃げるように、俺は一気に階段を駆け下りた。……はずだった。

「……あれ?」

 一階に着いたと思ったら、まだ一段残っていた。俺はその一段を確認するように、ゆっくりと降りる。しかしまた一段残っている。降りる。また一段。降りる。また一段。降りる。また一段……。

「何だよ……、これ?」

 ふと背後に気配を感じて、俺は振り返った。

「なッ……⁉」

 思わず悲鳴を上げそうになった。

 足音はまったく聞こえなかった。それなのに俺のすぐ後ろに、先輩が能面のような表情を浮かべ、背にくっつくような距離で立っていたのだ……。

「どうしたの、降りられないの?」

 先輩は俺の横を通り、何ごともなく一階に降り立つ。

「あなたもほら、来なよ」

 俺はもう一度足を下ろす。ダメだ、やっぱりまだ一段残っている……!

 でも、後ろの階段は正常。目の前だって先輩は普通に一階の床を踏んでいる。じゃあ、おかしいのはいったい何だ? 階段か? 先輩か? それともこの世界? それとも、それとも、それとも……。

「俺がおかしいのか⁉ 俺が異常なのかよッ⁉ 何でだよ、何で降りられねーんだよッ、チックショオオオオオオッッッ‼」

 自分でも支離滅裂なことを言ってるっていうのは、分かっていた。だけどもう、精神を正常に保つことはできなかった。

降りても、降りても一段増える階段。それなのに後ろの段数は変わらず、先輩は難なく一階に降り立っている。これで気がおかしくならない方がおかしい……、ああくそッ!

 そんな俺を見ても、先輩は無表情。嘲笑いもしなければ、心配そうな顔もしない。精巧につくられた人形なのではないか、と疑ってしまうぐらい表情を変えない。ただ、口だけが動く。その作りもののような口からは、さっきの続きが紡がれていた。まるで催眠術のように、耳を傾けていると気が狂いそうな、言葉の羅列。だんだん、自分が失われていく……。

「しかし努力は実ることなく、私の人生はことごとく失敗で終わりました。もう私の居場所は、窓で切り取られた風景と牢獄のような部屋だけとなってしまいました」

 俺、私、俺、私……私、は……私は。

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