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第16話 さらば、フィレンチア

 チュンチュン! チュンチュン!


 今朝は雀がやけにアグレッシブに鳴いている。何か訴えたいことでもあるんだろうか?

 黒姫がまだ寝てるから静かにして欲しい。


 それはさておき、談話室に行くと、あの夜ぶりにダビンチさんの顔を見た。


「今まで何してたんスか?」

「ちょっと調べものをしていた。……ところで、他の者はどうした?」

「え? さ、さあ?」


 黒姫はまだ寝てたけど、イザベルさんとジャンヌがどうしてるかは知らない。


「そうか。……ちょっとこっちへ」


 ダビンチさんに誘われて庭に面したテラスに出る。

 生け垣の向こうにはフィレンチアの街が見え、花の大神殿の傍にある鐘楼が鳴らす鐘の音が響いていた。


「実は、お前が魔法が使えないというのが気になって調べてみたのだ」

「え、そうなんですか」


 意外に面倒見のいい人だったようだ。


「まぁ、はっきり言って原因はわからん」


 でしょうね。叩いて治そうとしたくらいだし。

 しらっとした目で見ていると、ダビンチさんはもう一度辺りに人がいないことを確認するように首を巡らせてから、


「これからする話は、クリアト教が信仰されるようになる前に伝えられていた話だ」


 と、声を落として話しだした。


「はるか昔、人間は魔法が使えなかった。魔法とは神々や神獣、精霊のものだった。ただ、人間に近しい存在だった精霊は人間と関わるようになり、やがて人間の魔力と交換に人間に代わって魔法を行使するようになった。だがある時、魔力を与えることを惜しんだ強欲で狡賢い人間が精霊を騙して魔法の使い方を盗んだ。すると、今まで見えていた精霊の姿が見えなくなってしまった。人間に騙されて怒り失望した精霊が、自分たちの姿が人間の目に映らないように呪いをかけたのだと言われている」

「へぇー。精霊とかいたんですか」

「しーっ」


 ダビンチさんは口に人差し指を当てて注意してくる。


「大きな声を出すな。精霊の話は、人間が魔法を使えるのは創造神が女神たちに命じて人間に魔法を与えたからだとしているクリアト教では邪教扱いされているのだ。誰かに聞かれたら異端審問に掛けられるぞ」

「マジですか」


 ダビンチさんの真剣な表情に、俺も声を落とした。


「なんでそんなヤバい話を?」

「お前はドラゴンの魔素体が見えたと言っていたな」

「あー、はい」


 飛行船を作っている時の空き時間に、ドラゴンを倒した顛末を話したことがあったっけ。


「それはお前にしか見えなかったのだろう?」

「ええ、まぁ……」


 あれは魔力を感じ取れる俺だから見えたんだと考えてる。

 魔素の研究をしているシュテフィさんによれば、俺が魔法を使えない、魔力を体外に出せないが故に外の魔力を感じ取れるのだと言う。

 あ、そうか。

 もしかすると、昔の人は俺と同じだったのかもしれないな。

 魔法が使えない時は精霊とコミュニケーションが取れたけど、使えるようになると精霊が見えなくなった。


「つまり、ドラゴンの魔素体って精霊ってこと? いや、違うか。精霊が魔素的な存在だってことか」

「儂もそうではないかと思う」

「なら、俺にも精霊が見える?」

「たぶんそうだろう」

「じゃあじゃあ、頼めば魔力と交換で魔法を使ってもらえるってことか」

「理屈で言えばそうなるな」


 マジか!

 ついに俺にも魔法デビューの時が来たのか。しかも『精霊使い』だ。

 『魔法が使えないと追放された俺が実は古の精霊使いだった? 今更戻って来てくれと言われてももう遅い。美少女精霊たちとキャッキャウフフなスローライフを送ります』の出番だ。え? それはもう遅い?


「何かろくでもないことを考えておる顔だな」

「んで、精霊ってどこにいるんですか?」

「知らん」

「そんな意地悪しないで教えてくださいよぉ」

「しなを作るな。気色悪い。知らんものは知らん。クリアト教が信じられている世界では精霊はタブーだし、そもそも精霊は人の目には見えんのだ」


 そう言えばそうだった。俺もあのドラゴン以外に魔素体も精霊も見たことないしな。


「えーっ。何すか、それ。期待させるだけさせて」

「まぁ、何かの拍子に偶然会えるかもしれない可能性はゼロではなかろう」

「そんなの空から女の子が降ってくるみたいなもんじゃないですかぁ、親方ぁ」

「誰が親方だ」

「何朝からおかしなこと言ってるのよ」


 黒姫の呆れたような声がした。

 見れば、イザベルさんとジャンヌも揃って胡乱な眼を向けている。


「ほれみろ。お前のせいで儂まで変人扱いだ」


 いや、ダビンチさんは最初っから変人扱いでしたよ。ジローラモさんに。

 俺からも白い目で見られたダビンチさんは「コポンコポン」とわざとらしい咳払いをすると、


「ジローラモからの伝言がある」


 と、何の脈絡もない話を始めた。


「クラリス姫たちは明日には帰国の途につくとのことだ」

「あ、私が攫われたから急遽遊学を中止して帰国するんでしたね」


 黒姫が申し訳なさそうに眉を下げる。


「マイ殿のせいではありません。私が不甲斐ないばかりに」

「私も傍についていながら何の役にも立てずに申し訳ありません」

「いや、全ての元凶はあの王子だろ」


 謝罪合戦が始まりそうだったので、一番ヘイトがしやすそうなヤツに罪を持っていく。


「うむ。そこで、我々も明日にはこの街を出立する」

「我々?」

「儂とレンと、そこの3人だ」

「ダビンチさん、一緒にデロイラに行くんですか?」

「ああ、そうだ」

「なぜに?」

「クラリス姫は遊学を途中で切り上げて帰るのだろう? 理由はどうあれ、それは王族として瑕疵になる。そこで儂だ。自慢ではないが、儂は国外でもそれなりに名が知れておる。その儂を手土産代わりに連れて戻れば、姫も評価を得られよう」

「なるほど。で、本音は?」

「デロイラにはドラゴンの素材があるからな。ぜひこの目で見たい。できれば触りたい。あわよくば使いたい」


 と、涎を垂らさんばかりの顔で両手をワキワキと動かした。直前の御大層な建前が台無しだ。


「じゃあ、私たちもメディチ邸に戻らないと」

「いや、儂らは姫たちとは別に行くことになる」


 黒姫が冷静に提案すると、ダビンチさんも真顔に戻った。


「別行動ですか?」

「未だに公爵家や神殿の者がクロヒメを探しているらしいからな。それに、仮にもクロヒメは聖なる女神として神々の国に帰ったことになっておるのだ。万が一にでも誰かに見られてはまずかろう」


 また黒姫がチベスナ顔になっている。

 黒姫=聖なる女神はすっかり定着してしまったようだ。


「では、私は荷造りをしてまいります」

「あ、私も手伝うから」


 イザベルさんが一礼して行こうとすると、これ幸いと黒姫がそれについていった。当然ジャンヌさんもいなくなる。


「ダビンチさんはいいんですか? アトリエとか」

「既に整理してある」

「あの飛行船はどうするんですか?」

「持っていきたいところだが、そうもいかんだろう。ドックに放置しておくしかない」

「大丈夫なんですか? 盗まれたりしません?」

「なに、水素がなければただの置物だ」


 まぁ、電気の魔法石が無ければ水素は作れないしな。

 でも、後世の人が発見してビックリしないかなぁ、



  ※   ※   ※



 翌日、俺たちを乗せるためにやって来たのは、知らない商会の名前が入った幌付きの荷馬車だった。


「え、荷馬車?」


 黒姫たちも怪訝な顔で2台の荷馬車を凝視している。

 すると、御者台から降りてきた髭面の男が帽子を取って「申し訳ないです」と詫びた。


「荷物の陰に乗ってくだせぇ」


 荷台を覗くと、手前には大きな荷物があるけど、奥の方は空いているようだった。

 それにしても、この髭面の人、


「……マスカーニさんですよね?」


 魔力の質に覚えがあった。


「え、ウソ?」


 黒姫が驚いて見やると、その御者は癖毛だらけの頭を掻いた。


「おや、バレていましたか。変装には自信があったのですが」

「ほんとなんだ。マスカーニさんって何者なの?」

「ただの使用人です」


 ぜったいに違う。


 彼が言うには、俺たちの移動は極秘任務なので信頼のおける者の同行が必須なんだけど、マスカーニさんは顔が知られているので変装しているんだとか。


「でも、なんで荷馬車なんですか?」


 まるで市場に運ばれて行く子牛の気分だ。


「ただの荷馬車ではありませんよ。乗り心地はメディチ家専用の馬車と遜色ないことを保証いたします」

「いえ、乗り心地じゃなくて、普通に馬車じゃダメだったんですか?」

「念のためです。主が言うには、まさか聖なる女神様が荷馬車で運ばれて行くとは誰も思わないだろう、とのことでした」


 まぁ、確かにそうだけど。そうだけど!




 やがて、特に知られていない商会のどこにでもある荷馬車が2台、誰の目に留まることも無くひっそりとフィレンチアの街の門をくぐっていった。

 その荷台の陰に乗っている者が悲し気なメロディを口ずさんでいることを知ることも無く。



  ※   ※   ※



 マスカーニさんが保証してくれたとおり、乗り心地のいい荷馬車でリヴォーヌの港まで運ばれた俺と黒姫、イザベルさん、ジャンヌ、ダビンチさんの5人は馬車に積んできた荷物とともに船に乗り込み、遅れてやってきたクラリス姫たちと船上で再会を喜び合った。


 ひとしきり黒姫とのおしゃべりを堪能したクラリス姫が俺たちに向き直る。


「ユーゴ、レン。よくぞマイお姉さまを助け出してくれました」

「全てはレンが考えたことです」


 ユーゴが俺に花を持たせようとしてくれたけど、


「いや、ダビンチさんの飛行船があったからこそできたんです。今回のMVPはダビンチさんですよ」


 と、ダビンチさんを紹介した。

 クラリスは「えむぶいぴー?」と小首を傾げつつ、


「あなたが高名なレオナルド・ダビンチですね。聖女マイの救出に協力していただき感謝いたします」


 と、ダビンチさんに向かって小さくお辞儀をした。


 ちなみに、皆ピタリア語の魔法石を外しているので、言葉の魔法石が無いダビンチさんにはマザランさんが通訳をしている。


「この度は我が国に来てくれるとのこと、心より歓迎いたしますわ」


 そう言った後、クラリスは公式の顔を崩してもじもじと話し出す。


「それで、その、我が国でも、ひ、飛行船というものは作れますか?」

『姫殿下は飛行船に興味がおありで?』


 マザランさんの訳で問われたクラリスはちょっと頬を赤くした。


「その、マイお姉さまから聞いて、私も乗ってみたいなと思って……」


 もじもじとするクラリスとかちょっと意外で可愛い。


「……何か?」


 俺の視線に気づいたクラリスが睨み返してきた。


「あ、いえ、『レンごときが乗ったというのに、わたくしが乗らないなどありえませんことよ!』とか言うほうが悪役令嬢(王女殿下)らしいかなと思って」

「あなたは私のことを何だと思っているのですか」


 今最も悪役令嬢に相応しい娘第1位(俺調べ)ですが何か。


「……後、私のことはクラリスと呼ぶように」

「はい?」

「マイお姉さまを助け出した褒美に、名前で呼ぶことを許すと言っているのですっ」


 クラリスはそう言放ってプイっと横を向いた。ツンデレ悪役令嬢だったか。


「ははっ。恐悦至極に存じます」


 右手を胸に添えて頭を垂れた。いち、にぃ、さん、よしっ。


 茶番を終えて、ダビンチさんに話を向ける。


「飛行船、作れるんですか?」

『設計図は儂の頭の中にあるし、一度作っているので特に難しいことなかろう。水素を作るにはシロウマの手を借りねばならんが、最悪儂でも作れないこともない。ただ……』

「ただ?」

『飛行船の外皮にはクラッケの皮が適しているからな。あれが手に入るといいのだが』


 それ、フラグだからやめてね。




 案の定、航海中にクラッケの襲撃を受けたのは言うまでもない。

 まぁ、立ったフラグは回収しなきゃだし、しょうがないか。


 そういえば、回収してないフラグがあったような……。


次回、最終話です。

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