第15話 Kiss and Kiss
「それで、何があったんだ?」
ペダルを漕ぎながら、俺の傍で気持ちよさそうに夜風を受ける黒姫に聞く。
「神殿でバイトが終わった後――」
「バイト? 何だそれ」
意外な単語に、思わず聞き返した。
「アルバイト、労働とか仕事を意味するドイツ語の略よ」
「知ってる。じゃなくて、神殿のアレ、バイトだったのか?」
「うん。ちょっと欲しいものがあってジローラモさんに相談したら、けっこうお高くて。だから、その代金の代わりに神殿で治癒するっていう契約をしたのよ」
あのちょいワルおやじ……。
「で、ジャンヌがトイレに行ってる時に、変な人たちが部屋に入ってきたと思ったらいきなり魔法でイザベルさんを吹き飛ばしたの。イザベルさん、壁にぶつかって気を失っちゃって。それで、男の一人がイザベルさんにナイフを突きつけて、言うことを聞かなければ殺すって脅されて、それで仕方なくその人たちと一緒に馬車に乗ったら公爵のところに連れていかれてあそこに閉じ込められたってわけ。イザベルさんはどう? 大丈夫だった?」
「うん。直接は会ってないけど、大丈夫らしいよ」
「そう。よかった」
黒姫はほっと胸を撫でおろす。
「俺も黒姫に怪我が無くてよかったよ」
「うん」
「怖かったか?」
「ううん。高妻くんなら絶対私の魔力に気づいてくれるって思ってたから」
「そっか。不思議なんだけど、けっこう遠くからでも黒姫の魔力がわかったんだよなぁ。なんでだろ?」
「愛の力よ、きっと」
ふいに黒姫の顔が近づいてお互いの唇が触れた。
「ありがとう。助けに来てくれて」
「あ、ああ、うん。どういたしまして」
ちょっと久しぶりっていうか、王都を出発してからこういうこと無かったし、でも不意打ちはズルいというか、できればもっと堪能したいのでもう一度お願いします。
と、熱くなった顔で黒姫を見やると、彼女は白いローブを風になびかせてそそくさと俺から離れると、
「白馬くんもダビンチさんもありがとう」
と、二人にも感謝を告げた。
ううっ。この昂ぶった気持ち、どうすりゃいいんだ……。
無心でペダルを漕ぎ続けたおかげか、空が白み始める前にチェチェリーノのドックの灯りが間近に見えてきた。
水素の放出と風魔法を使って、ドックの天井から中へと降下する。そして、左右の壁から張ったロープにゆっくりと機体を預けてミッションは終了した。
寝ずに待っていたクララたちと無事の帰還を喜んだのも束の間、魔力を使い続けてくたくたの俺とユーゴはその場でダウン。同じく、誘拐の緊張から解放された黒姫もぐったり。
なんとか別荘まで移動して個室のベッドにダイブしたところまでは覚えてた。
※ ※ ※
気がつくと夕方だった。たぶん夕方だと思う。
ぐぅと腹が鳴った。
そういえば、昨日の夕方から何も食ってなかった。
すきっ腹を抱えて談話室兼用になっている食堂へ行くと、黒姫とユーゴ、クララ、ジルベールが揃っていた。おまけにイザベルさんとジャンヌ、マスカーニさんまでいる。ダビンチさんの姿は無かった。
「遅い」
「いや、なんか腹がへって」
黒姫の文句にまともに応えられずに席に着く。
「夕食を食べようと思ってたけど、みんな高妻くんのこと待ってたんだからね。遅い」
「はい。すみません」
大事なことらしく二度言われたので、殊勝に謝っておくと、
「申し訳ありません。私がレン様を起こしに行こうとしたのですが、マイ様からきっと疲れているから起きるまでそのままにしてあげてと頼まれましたので」
と、クララがいたずらっぽく暴露してくれた。ありがとう、クララ。そして黒姫。
食事を取りながら聞いたところによると、明るくなるのを待ってジルベールが黒姫の救出をメディチ邸へ伝えに行き、マスカーニさんと馬車で戻ってきたそうだ。その際、どうしてもとイザベルさんとジャンヌもついてきたんだとか。
「シニョーリア宮殿はずいぶん慌しい様子でしたね」
マスカーニさんが街の様子を教えてくれた。
「黒姫さんが突然いなくなってビックリしただろうね」
「フィレンチア公は必死にマイ様のことを探してるのでしょう」
「あの、それなんだけど……」
黒姫が遠慮がちに手を挙げた。
「私を攫ったの、フェルナンド王子なの」
「え、あいつが? なんで?」
黒姫は「えっと」と躊躇う仕草で俺のほうを窺った。
俺は大丈夫と頷く。どんなことでも広い心で聞いてやる。
「夜会の時にね、なんかプロポーズされたの。俺の妻にならないかって」
「なんだと! あの野郎、ひとの彼女に何言ってんだ! 尻の穴から手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタ言わせんぞ!」
「高妻くん、食事中」
「はい、すいません」
黒姫に睨まれて、大人しく椅子に座る。
「あの王子がマイ様を見初めたのですか?」
「姫殿下のお相手ではありませんか」
「それで、マイ様のお返事は?」
クララが遠慮がちに訊ると、
「もちろん断ったわよ。でも、その後も懲りずに何度も言ってきて」
「諦めたらそこで試合終了だもんね」
「始まる前から不戦敗よ」
「珍しくユーゴ殿とマイ様がわけのわからないことを言っている……」
「それほど動揺したのでしょう。お可哀そうに」
ユーゴと黒姫の会話にジャンヌとイザベルさんが同情する。俺の時と扱い違くない?
「それ、クラリスも知ってんの?」
こそっと聞くと、黒姫は気まずそうに頷いた。
あちゃー。お見合いの相手が自分そっちのけで他の女に言い寄ってるとか、マジで同情する。
まぁ、クラリスにはあんな王子よりも素敵なドロボーさんが心を盗みに来てくれることを祈ろう。
「で、マイ様に断り続けられた王子が強硬手段に出たというわけですね」
「うん。国に連れて帰れば何とでもなるって」
「どこの拉致国家だよ! どってっぱらに風穴開けて鰹節3本突っ込んで猫けしかけんぞ!」
「高妻くん、ステイ」
「はい」
「すっかり調教されてる……」
「これを妻にしようとか、王子も豪気だな」
「ジルベール、ステイ」
「うぃ」
「王子が犯人だとして、なぜシニョーリア宮殿の塔に閉じ込めたんだろう?」
おとなしく座る俺とジルベールの横からユーゴが疑問を口にした。
「フェルナンド殿下はあの宮殿に逗留していますから」
「じゃあ、公爵も共犯?」
「それは十分にあるだろうな」
「ならば、王子と公爵の二人がマイ様を攫ったと糾弾せねばなりませんね」
「それは少々難しいかと」
ジャンヌの提案にマスカーニさんが被りを振った。
「なぜです?」
「端的に言えば、証拠が無いのです」
「あ、そっか。俺らが黒姫を連れ出しちゃったからか。しまったな」
「いえ、返って好都合だそうです」
マスカーニさんの言葉に全員が首を捻る。
「マイ様にはこのまま行方不明になっていただきたいと主人が申しておりました」「行方不明でいいの? みんな騒がない?」
「はい。実は街でおもしろい噂が広まっているのです」
と、マスカーニさんがいたずらっぽく微笑む。
「今日の夜明け前に、街の上を白いローブのようなものが飛んでいたというものです」
あ、それ黒姫だわ。
誰かに見られてたのか。白いローブだけ目立ってたんだな。
「それが空の彼方へ消えていったということと、いつも白のローブ姿だったマイ様がいなくなってしまったことが結びつけられて、マイ様が実は本当に聖なる女神が顕現された姿で、この国での癒しを終えて神々の国に帰っていったのだと言われているのです」
「……」
黒姫がチベットスナギツネの顔になっていた。
「ですので、マイ様はこのままこの別荘にてお過ごしくださるようにと」
「そのほうがいいね。王子も諦めるだろうし」
「神殿長もだな」
「今度こそマイ様をお守りします」
「私もあのような失態は二度とお見せしません」
ジャンヌとイザベルさんが席を立って黒姫に礼を執った。
「僕とジルベールは明日帰るよ。僕たちまで行方不明じゃ怪しまれるからね」
「あ、じゃあ俺とクララも」
「いえ、レン様は残ってください」
珍しくクララが異を唱える。
「マイ様のためにもレン様は残ってください」
「え、でも、俺も行方不明のままじゃマズくない?」
「いや、レン殿なら大丈夫だろう」
「そうですね。レン殿なら大丈夫です」
「ああ。レンはいてもいなくても誰も気にしないから大丈夫だ」
みんな言わずに誤魔化してくれたことを、なんでジルベールは言っちゃうかな。
※ ※ ※
翌朝、ユーゴとジルベール、クララ、マスカーニさんを乗せた馬車を見送り、後はずっと別荘の中で過ごした。
イザベルさんたちは飛行船を見たそうにしてたけど、外に出ると誰に見られるかわからないため却下となった。
※ ※ ※
その翌日の昼過ぎ、またマスカーニさんがやってきてすぐに戻っていった。何しに来たんだ?
その答えは夕食後にわかった。
「これ……」
黒姫が金色のリボンが掛けられた手のひらに乗るくらいの大きさの赤い袋をご機嫌な顔で差し出してきた。
「ちょっと過ぎちゃったかもだけど、ヴァレンタインのチョコ」
袋を渡されポカンとする俺に、彼女は言葉を続ける。
「ジローラモさんに頼んでたの、さっきマスカーニさんが持ってきてくれて」
「もしかして、バイトしてまで欲しかったものって」
「うん。この時代、チョコレートってまだ珍しいみたい」
黒姫ははにかむように頷いた。
はぁ~。こんなチョコのためにバイトとかして、おまけに誘拐されて。何やってんだよ。メッチャ嬉しいじゃん。サイコーかよ。
「あ、開けてもいいか?」
「どうぞ」
袋の中にはチョコレート色をしたアーモンドくらいの大きさのものがいくつか入っていた。
それを一粒取り出してしげしげと眺めていると、
「あ、ほんとはね、手作りにしたかったんだけど、ほら、調理器具とか揃ってなかったし……」
黒姫が言い訳めく。
うん、正しい判断だ。
名状しがたい何ものかが生み出される悲劇は回避できたようだ。
「……なにか失礼なこと考えてない?」
「全然」
ジト目の黒姫を躱すように、パクっとチョコを口に放り込んだ。
ふむ。高濃度カカオみたいな味だな。
そして、ガリッとかみ砕くとアーモンドの味覚。
「美味しい」
素直に言葉が零れ出た。
「よかった」
微笑む黒姫の向こうに、ジャンヌさんたちの物欲しそうな顔が見えた。
分けてあげたほうがいいか……。
「……そういば、チョコレートって昔は媚薬として使われてたらしいよ」
「え、ウソっ」
何かで読んだ蘊蓄を披露すると、黒姫が焦ったように聞き返してきた。
「じゃあ、チョコが欲しいって言った時にジローラモさんやマスカーニさんが微妙な顔してたのって……」
黒姫はそこまで言ってから、ハッとなってイザベルさんたちを見やった。
「ち、違うからね。これはそういうんじゃなくて、フツーにチョコとしてあげたんだからね」
「え、ええ。そうですね」
「私たちは何も聞いていませんから」
二人は顔をそらしたままそう言った後、「今夜はこれで失礼させていただきます」とそそくさと退室していった。
それを呆然と見送っていた黒姫がパッと俺を振り返る。
「か、勘違いしないでよね。別に高妻くんを興奮させようなんてしてないんだからねっ」
「わかってる。食べ慣れてる人には効かないんだって。そもそも媚薬としても怪しいらしいし」
「じゃあ、なんであんなこと言ったのよ。誤解されちゃったじゃない」
顔を赤らめてぷんすかする黒姫。
「ああ言えば食べたいって思わないだろ? イザベルさんたち」
「うわっ、サイテー」
「サイテーでも独占したかったんだよ、このチョコは」
呆れる彼女を強引に抱き寄せる。
「ありがとう」
そう言って唇を重ねたのは、きっと媚薬のせいじゃないはずだ。




