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第14話 救出

 チェチェリーノ山のドックに照明が灯る。


「急いで水素を注入して。でも慎重に」

「人使いが荒いな」


 寝入りばなを起こされたダビンチさんが不機嫌に答える。


 メディチ邸では、俺とユーゴで飛行船を使って空から塔に侵入するという計画をなかなか理解してもらえなかった。そもそも空を飛ぶ乗り物というものが想像できないのだからしかたがない。

 最終的には「自分の好きな女の子ぐらい自分で助ける!」という半分やけになって放った俺のセリフに、それまで汚名を雪ぎたいと一番ごねていたジャンヌがなぜか感動してくれて、どうにか納得してもらった。

 ついでに、クラリスからは、


「マイお姉さまを無事に助け出さねば、あなたを処しますよ」


 という脅迫めいたエールまでもらった。……エールだよね?


 で、すぐにチェチェリーノ山へ行くと告げると、夜道を馬で駆けるのは危険だと言われ、徒歩2時間の道を身体強化をかけながら走り続ける羽目になり、ようやく別荘にたどり着いて、既に休んでいたダビンチさんを叩き起こして飛行船の使用許可と準備を頼み込んだのが今。


「とんだ処女飛行だ」


 ぶちぶちと文句を言いつつも、日付が変わる頃にはなんとか準備が整う。ゴンドラは底板を貼っただけでフレームがむき出しのままだが、飛ぶには支障は無い。


 水素を蓄えた飛行船は重みを支えていたロープから浮いて、係留用のロープをピンと張って宙に待機している。

 それを感動と驚嘆の眼差しで見ているジルベールとクララ。


 と、そこで重大な問題に気がついた。


「……これ、どうやって外に出すんだ?」


 飛行船はドックのほぼいっぱいの大きさがある。対して出入り口の扉は大きいとはいえ飛行船を運び出せるほどの高さは無い。


 やっちまった……。


 作ることにばかりに意識を集中して、外に出すことを考えてなかった。笑い話によくあるけど、マジで笑うしかない。


「こうなったらユーゴの魔法でドックをぶち壊すしかないな」

「馬鹿者が。ちゃんと考えてあるわ」


 ダビンチさんは余裕の表情で壁の片隅に歩いていくと、そこにある大きなハンドルを回した。すると、ガチャンガチャンと歯車の回る音とともに天井が左右に分かれ始める。

 開閉式の天井だったのか。


「秘密基地からの発進はこうでなくてはな」


 ドヤ顔で笑うダビンチさんを初めて尊敬したくなった。


「僕も乗りたかった」

「皆さま、ご武運を」


 恨みがましいジルベールと心配そうなクララに見送られ、係留ロープを切った飛行船は天井に空いた夜空に向かって上昇を始めた。




 今夜は空一面に雲が出ているせいで、月も星も見えない。眼下に見える地上も暗闇に包まれている。遠くフィレンチアの街に僅かに点っている灯りを目指して飛行船は静かに進む。

 聞こえるのは風の音とプロペラが回る音とペダルを漕ぐ俺の荒い息づかいだけだ。けっこううるさいな。

 舵輪を握るのはダビンチさん。空を飛べて喜んでるかと思ったら、「景色が見えん」と不平を零している。

 ユーゴは風魔法で俺をサポートだ。おかげで電動アシスト付きの自転車のように楽に漕げる。


 時刻は午前2時くらいか。フィレンチアの街は静かに眠っている。ところどころに漏れる明かりがぼんやりと建物の姿を浮かびあがらせていた。

 その闇の中で侯爵の宮殿だけはいくつもの照明が点り、あの塔が黒いシルエットを作っている。

 塔の上にある見張り台も真っ暗だ。見張り台があるなら24時間年中無休で見張りがいるだろうと覚悟してたけど、真っ暗で誰もいる様子は無い。


 ようようその影が大きくなってきた。そこにしっかりと彼女の魔力を感じる。


「少し高度を下げるぞ」


 ダビンチさんがベントのレバーを操作して、すっと飛行船が塔に近づく。


「よし。シロウマ、アンカーだ」


 塔の最上部にはとんがり帽子みたいな屋根があった。

 ダビンチさんの合図でユーゴがロープのついたアンカーをその屋根に向けて投げると、魔力で操作されアンカーは見事に引っ掛かった。


 ロープを手繰ってゴンドラを塔に接近させる。ゴンドラのフレームの端がゆっくりと塔に接触した。


「よし、行くか」


 ユーゴに声をかけて行こうとすると、ダビンチさんから待てがかかった。


「少々風が出てきた。シロウマは残って風魔法で飛行船を安定させろ」


 となると、塔に侵入するのは俺一人か。

 牢屋というからには鉄格子とかあるんだろう。それを開けるなり壊すなりするのをユーゴに頼もうと思ってたんだけどな。仕方ない。


 ユーゴから剣を一振り借りた。

 ミスリル級の切れ味を誇るこの剣でならなんとかなるだろう。


 下階からの明かりでほんの僅かに塔の形がわかる。

 フレームを伝って塔の最上部に飛び移る。ここは真っ暗だ。

 でも大丈夫。

 俺は眼球に身体強化の魔力を込めた。すると、ほんのちょっと暗視が効くようになる。これは、さっき夜道を走っていた時に気づいたスキルだ。


 床に空いた穴から梯子で降りて、さらに円い柱を巻くようにして下に伸びている階段を降りるとテラスのようになっている見張り台だ。

 中央に下へ向かう階段が見えた。黒姫の魔力もその下から感じる。他に魔力は感じないから、どうやら黒姫一人のようだ。


 石の階段は狭く真っ暗だった。

 けれど、少し降りていくと、その闇の先に虹色に揺れる怪しい光が見えた。その向こうに黒姫の魔力も感じる。

 慎重に歩を進めていくと、そこには虹色にゆらめく小さな窓がついた頑丈そうな鉄の扉があった。怪しい光は扉だけじゃなく、そのあたり一面の壁からも放たれていた。


 この虹色の光には見覚えがあった。俺たちが召喚された魔法陣がある塔が同じように光っていた。魔法障壁だ。

 この障壁は魔法はもちろん、物理的な攻撃にも耐えられるようになっている。

 それに、鉄扉に鍵穴も把手も無いところを見ると、ルシールが使ってたみたいな魔法的な錠になってるのだろう。

 魔法のある世界の牢屋らしいっちゃらしいけど、想定外だったな。


 扉の小窓からそっと中を覗くと、部屋の隅にぼんやりと白い影が見えた。黒姫だ。

 周囲に誰もいないことを再確認して、


「黒姫」


 と小さく呼びかけた。すると、


「高妻くん?」


 と、黒姫の声が返る。


「助けに来たぞ」


 さらに呼びかけると、ぱたぱたと足音と魔力が近づいてきて、小窓が彼女の顔でいっぱいになる。


「絶対に来てくれると思ってた」


 弾むような、それでいてちょっと湿った声音。


「任せろ。世界中のどこにいたって黒姫の居場所はわかるから」

「なんかストーカーっぽい……」


 すすっと顔が遠のく。

 おかしい。俺史上最高の決め台詞だったのに。


「でもどうやってここまで来たの? 下に見張りがいたでしょ? 頑丈な扉も」


 再び顔が覗いて急くように聞いてくる。

 はーん。下にも扉があるのか。そこで見張ってれば大丈夫って思ってるんだな。おかげで誰にも気づかれずに済んだけど。


「下じゃない。上から来たんだ」


 ちょいちょいと空を指さす。


「上? まさか空を飛んできたとか?」

「そ。ダビンチさんと作ってた飛行船でね」

「そんなもの作ってたの」


 ほんとに関心無かったんだな。俺たちのことに。


「今助けるから」


 と言ったものの、鉄の扉は頑丈そうで、更に魔法障壁まである。

 けど、ユーゴがいない以上俺がやるしかない。


 左足をやや前に、剣を顔の右横に構える。

 身体強化をフルに発動させて右足を踏み込み、腰の回転を使って剣に体重を乗せるように袈裟斬りに振り下ろした。


 ゴン


 手がしびれた。


「硬ってぇ」


 ユーゴの剣をもってしても扉の魔法障壁を打ち破れなかった。


「くっそ。剣に魔力を纏わせないとダメか」


 致命的に俺にはできない。どうする?


「それ、白馬くんの剣?」


 小窓から黒姫が覗く。


「貸して。私がやってみる」

「できるのか?」

「剣に魔力を注げばいいんでしょ。そういうの得意だから」


 すこぶるいい笑顔の黒姫。不安だ。

 とはいえ、現状手詰まりには違いない。しかたなく小窓に剣の柄を差し込んで黒姫に渡した。


「離れててね」


 声がして扉の向こうの魔力が高まった。

 小窓から見える暗闇に青白い稲光が幾度も走り、それに合わせてパリパリと何かが爆ぜるような音がする。ふ、不安だ。


「せーのっ」


 気の抜けるような掛け声とともに剣が振り下ろされる気配がした途端、


 バシィィッ


 扉が眩しいほどの閃光に包まれた。

 それをまともに見たせいで眼が見えない。まるでム〇カだ。


 ようやく戻った視界には、虹色の光を失い開け放たれた扉の傍に、白いローブ姿の黒姫が立っていた。


「ね。得意だって言ったでしょ」


 凄いドヤ顔だ。

 でも、ユーゴの剣がなんか焦げ臭い。明るいところで見るのが恐いんだけど。


 察するに、魔法障壁も扉の魔法錠も電撃という想定外の魔法を、しかも呆れるほどの強さで受けて崩壊したのだろう。

 まぁ、そういう考察は後だ。

 下のほうに動きを感じる。さすがに怪しげな音が続いて不審に思ったようだ。


「行こう、黒姫」

「うん!」


 階段を上ってテラスに出る。更に螺旋階段と梯子を上ると暗い空に浮かぶ飛行船の影が視界に入る。


「ほんとに飛行船なんだ」


 黒姫が感嘆の声を上げた。

 が、その視線を下に向けた途端ピタリと動きが止まる。


「急いで」

「え、無理」


 下に見える灯りで高さを実感してしまったのか、恐怖で動けなくなってしまったようだ。


「しょーがねーなー」


 さっと黒姫を抱き上げる。


「え?」


 つべこべ言われる前にひょいとゴンドラのフレームに飛び移ると、ぐらりとゴンドラが揺れた。


「ちょっ、ヤダ」


 黒姫がギュッと抱きついてくる。久しぶりの感触。


「身体強化してるから大丈夫」


 そのまま揺れるゴンドラの上をユーゴたちのいる中央部まで歩いていった。

 

「黒姫さん、無事?」


 ユーゴが呼びかける。


「うん、大丈夫。来てくれてありがとう」

「よかった」

「よくない。高度が下がる」


 ダビンチさんが険しい声で言った。

 確かに、ゆっくりとだが塔が上に伸びていくように見えた。


「重量が増えたからだ。バラストを全部捨てろ。アンカーも抜け」

「え、なに? 私のせい? ちょっと、私そんなに重くないわよ」


 バラスト用に積んでいた水が次々に捨てられるのを見て黒姫が抗議する。


「大丈夫。黒姫の重さは俺が知ってるから。イテっ」


 フォローしたはずなのに叩かれた。解せぬ。


「惚気はいいから、ペダルを漕げ」

「アイアイサー」


 ピッと敬礼して、持ち場に着く。


「よし、帰還するぞ」


 ダビンチさんが舵輪を回しユーゴが風魔法を起こすと、再び浮上した飛行船はゆっくりとその舳先を東に向けた。


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