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第12話 飛行船を作ろう(2)

 夜会があった次の日から、俺とクララはチェチェリーノのドックに戻って飛行船作りに加わった。

 俺たちがいない間にも骨組みの製作はちゃくちゃくと進んでいたが、今日から俺にもできる作業があった。

 骨組みに張る膜作りだ。外皮と言うらしい。


「材料はこっちだ」


 ダビンチさんに言われてひょいひょいと倉庫の外について出ると、そこにはどこかで見たことのある赤茶色のまだら模様の紙のようなものが山と積まれていた。


「なんかクラーケっぽい……」

「そうだ。クラーケの皮だ」


 こんなところで再会するとは。


「お前たちの話を聞いてピンときてな。外皮に使えないかとすぐに手配したら、うまい具合にジローラモの商会がクラーケの足を買い取っていてな。鞣したものを運ばせた」

「これを使えと?」

「薄いが強靭で弾力もある。膠で張り合わせてくれ」


 鞣されたクラーケの皮はビニールみたいな手触りで、引っ張るとちょっと伸びた。なるほど、外皮にはうってつけかもしれない。

 しかし、クラーケもまさか空を飛ぶことになるとは思わなかっただろうな。

 ご冥福を祈りつつ、さっそく作業を開始する。

 クラーケの皮は大量にあって、俺一人でやるのはたいへんそうなんだけど。

 ま、なんにしてもすることがあるっていうのはいいことだ。


 ……そう思っていた時期が俺にもありました。


「ダビンチさん、これいつまで作業続けるんですか!」

「そんなもの、できるまでに決まっておるだろうが」

「じゃなくて、休みは無いのか聞いてるんです!」


 あれから毎日作業して、今日で7日目だ。


「休み? 月月火水木金金という言葉を知らんのか」

「知りませんよ! 土日どこ行ったんですか!」

「最近の若いもんは軟弱だな」


 週休二日が当たり前で育ってきた俺たちに何言ってんだ。まぁ、土曜日は特別授業とかあったけど。


「こうなったらストだ」

「すと?」


 クラーケの皮を張る作業を手伝ってくれていたクララが小首を傾げる。


「ストライキの略。ストライキっていうのは、労働者が働かないことで雇用主に対して抗議することなんだ。今の場合、ダビンチさんが休み無しで俺たちを働かせてるから、休みをくれなきゃこれ以上働かないぞって言ってるわけ」

「そんなことを言っても大丈夫なんですか?」

「ダビンチさんがもし俺たちに働いてもらわなきゃ困るなら休みをくれるだろうし、休みをやるのがイヤなら他の人を連れてきて働かせることになるだろうね」


 説明を聞き終えたクララが不安そうな眼をダビンチさんに向けると、ダビンチさんは観念したと両手を挙げた。


「ああ、わかったわかった。明日は休みにするから、今日のところはちゃんと作業してくれ」


 よしっ。

 ペタペタとクラーケの皮貼りを再開する。


 さすがにクラーケの皮だけでは飛行船全体を覆うには足りず、先端やゴンドラを吊り下げる船底部、尾翼の部分などには鉄を薄く薄く伸ばしたものを張り付けている。これにはジルベールが意外な能力を発揮して、極薄の鉄板を量産していた。


「こんなのは公爵家の子息がすることじゃない」


 と不平を零していたけど、その顔は案外楽しそうだった。



  ※   ※   ※



 翌日、馬車に乗って4人で街へ降りる。

 メディチ邸に馬車を停めると、ユーゴはジルベールを伴ってなんとかという人の工房へ見学に行った。


「クララはどこか行きたいところある?」


 いつもなら「レン様の行きたいところへお供します」と言いそうなクララだけど、今日はちょっと違った。


「もしよろしければ、家族にお土産を買っていきたいのですが」


 と、照れくさそうに告げた。家族思いのいい子だ。


「ちょうどよかった。俺もペネロペたちに何か買っていこうと思ってたんだ」


 そして、俺はアクセサリーを売っている店でそれほど高くないものをいくつか見繕い、クララは散々迷ってから紅茶を一缶購入した。


 その帰り道に、なんとなく花の大神殿に寄ってみようと思った。

 理由は、まぁ、そっちのほうから黒姫の魔力を感じたからだ。

 あいつは今日もクラリスと神殿学校へ行ってるはずだから魔力を感じるのは当然なんだけど、なんかいつもより強く感じるんだよな。それがちょっと気になっただけだ。別に偶然会えたらいいとか、顔が見たくなったとかじゃないんだからねっ。


 誰も聞いてない言い訳をしつつ、花の大神殿へと続く通りを進んで行くと、何やらたくさんの人がいる様子。

 近づくと、神殿横の広場に長蛇の列ができていた。

 花の大神殿はフィレンチアの中心的な神殿で観光名所でもあるから普段からたくさんの人が祈りを捧げに来るとは言え、さすがに行列を作って順番待ちをするほどじゃないはずだ。そして、イヤなことに神殿の中から黒姫の魔力を感じる。


「あの~、この列って何のために並んでるんですか?」


 おおよその答えを想像しつつ、手近にいた人に聞いてみた。


「ああ。聖女様に病気や怪我を癒してもらおうとしてるんだよ」

「しーっ。あんた、聖女様じゃなくて聖女様候補って言わなきゃ。もしくは聖なる女神様か」


 答えてくれた人の奥さんらしき女性が慌てて注意する。


「ああ、そうだったな。聖なる女神様の癒しだ」


 どっちでもいいけど、だいたいわかった。


「はぁ~。何やってんだよ、あいつ」

「神殿の中にマイ様がいらっしゃるんですか?」

「そうらしい。神殿長のオファーを断りきれなかったのかな。ちょっと心配だし、見てくるか」


 クララに答えてから、入り口のほうへ行こうとすると、


「おい、おまえ! ちゃんと列に並べ!」


 いきなりどやされてしまった。


「あ、いや、俺は癒してもらうんじゃなくて、ちょっと中の様子を見たいだけなんで」

「うるせぇ! 俺だって別に怪我はしてねぇよ。ただ見るだけで癒されるっつう聖なる女神様に会いたいだけで、もう鐘一つも並んでるんだ」

「ちゃんと並ばない奴には女神像の天罰がくだるらしいぞ!」

「そんな可愛い娘連れてるくせに。もげろ!」


 あちこちから非難の声を浴びせられた。

 ていっても、この列に並んでたら日が暮れそうだし、これはメディチ邸に戻ってジローラモさんあたりに聞いてみた方が早そうだな。




 メディチ邸に行くと、運良くジローラモさんが在宅していたので、黒姫の件で聞きたいことがあると伝えてもらい、しばらくして執務室に呼ばれた。

 いくつかの部屋を通り抜けて、一際重厚な扉の向こうがジローラモさんの執務室だった。

 中に入ると大きな窓を背負ったジローラモさんがどっしりとした執務机についていた。


「お忙しいところ時間を取っていただきありがとうございます」


 軽くお辞儀をしてから、


「黒姫のことなんですけど、どうして大神殿にいるんですか?」


 さっそく用件を切り出すと、ジローラモさんは席を立ち、手前に置かれたソファーを勧めてくれた。


「君はお酒を飲まないのでしたね。では、紅茶でもいかがかな」


 と、手ずから紅茶を淹れてくれる。


「ずいぶん前になりますが、レオナルドに紅茶を淹れてやったら『こーひー』は無いのかと言ってきたことがありましてね」

「コーヒーですか」


 確かにイタリアはカプチーノとかエスプレッソのイメージだよな。


 ジローラモさんは俺の顔を見てどこか納得するような微笑みを浮かべると、「マイ殿の件でしたね」と話題を戻した。


「彼女には今大神殿で市民に癒しの魔法をかけてもらっています」

「それは聞きました。でもなぜ? 黒姫は聖女に認定されるのを嫌がってました。ジローラモさんも放っておけばいいって言ってましたよね?」

「そのとおりです」

「でも、今やってることは聖女そのものじゃないですか」

「それが聖女認定を避ける一助になるのです」

「は?」

「正直、マイ殿を聖女に認定しようとしているのは神殿長だけです。それは彼の野心からのもので、非常に大雑把に言えば、他の神官たちにとってはどうでもいいことなのです。むしろ、今のように神殿に多くの信徒を集めてくれるほうが信仰的にも経済的にも喜ばしいはずです」


 経済的って、お布施みたいな収入のことか。世知辛いなぁ。


「逆に、もし頑なに神殿と関わることを避けていれば、マイ殿を聖女にしようという動きは神殿長のみならず神官たちを、そして市民をも巻き込んだ大きな流れとなってしまうでしょう。それに抗うことに比べれば、聖女、いえ聖なる女神として治癒魔法を施すほうが彼らの熱気を逃がすことができるというわけです」


 立て板に水のごとくジローラモさんが説明してくれた。でも、なんか引っかかる。


「……それ、誰から言い出したんですか?」

「僭越ながら、私の提案です。もちろん、マイ殿も納得した上でのことですよ」


 嘘ではないんだろうけど……。


「君が彼女を心配する気持ちはわかりますが、近衛士もついていますし、ぜひとも彼女を信頼してあげてください」


 ジローラモさんは『信頼』という言葉に若干アクセントをつけて言った。

 何かあるみたいだけど、信頼してこれ以上は追及するなってことか。


 ちょうどユーゴたちも戻ってきたみたいなので、暇を告げることにした。


「で、ユーゴはなんで落ち込んでるわけ?」


 合流したユーゴがどんよりとしていた。


「今日はベロッキオさんの工房に行ってきたんだけど、なんか思ってたのと違って……」

「工房だろ? 普通に彫像とか作ってるんじゃないの?」

「作ってはいたんだけど、なんて言うか、上下関係が厳しくて」


 ああ、徒弟制度とかそういうやつか。


「最初の3年は見習いで、10年でやっと一人前だって」

「それ、一人前になる前に日本に帰りそうだな」

「うちの部活は先輩後輩の関係緩かったから余計にがっかりした」


 これは異世界というよりも時代のせいかな。


「ま、そのうっぷんは飛行船作りで晴らせばいいさ」

「もうすぐ完成ですからね」


 ジルベールの言うとおり、飛行船作りも佳境に入っていた。


今はクラーケの外皮を張り終わった飛行船を左右の壁に渡した何本ものロープに乗せて、下部の作業に移っていた。

底に金属の板を使用する理由はクラーケの皮が足りないことの他にも、ゴンドラを吊り下げる部分の補強と水素の注入口や排出口及び尾翼の操作系を取り付けるのを容易にし、また飛行船の重心を下げることにも役立っているのだそうだ。


 並行してゴンドラ作りも始まっている。

 ゴンドラのフレームは長さ10m程の梯子を横に並べて繋いだような形をしていて、中央部分に人が乗る設計だ。


 そこへダビンチさんがタイヤの無い自転車とちょっと捻った金属の板を持ってきた。


「それって……」

「見たとおり飛行船の推進装置だ」


 やっぱり。

 金属の板は2枚羽のプロペラだ。それを自転車を漕いで回すわけね。


「風魔法の魔法道具とかで飛ぶんじゃないんだ」

「いずれはそのつもりだ。ただ、せっかく作ったからには使わないともったいないだろう?」


 「もったいない」とか言いだすところ、しみじみ日本人だったんだなぁと変に納得しているうちに、ダビンチさんはいそいそと自転車もどきとプロペラをゴンドラにセットし始めた。




 こうして、この世界初の飛行船は着々と完成へと近づいていった。


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