第11話 夜会
今日は夜会があるので、俺とクララは明るいうちにメディチ邸に戻っていた。
夜会に出れるような服を持っていない俺は、ジローラモさんが用意してくれた服を着せられていた。
深い緑色のしっかりした生地でできた上着は襟の無いブレザーみたいで飾り紐で留めるようになっている。その襟や袖口からシャツのフリルがひらひらとはみ出しているし、サスペンダーで吊った濃い灰色の細身のズボンの裾からアヒルの嘴のような革靴が覗いていた。
「に、似合って……ぷっ……似合って……って……」
黒姫が褒めようとしながら笑うのを必死に我慢してプルプル震えている。
「くっ、殺せ。殺してくれ」
もういっそ笑ってくれたほうがすっきりする。
「も、もう大丈夫よ。うん、大丈夫」
ハァハァと息を整える黒姫は、編み込んだ髪に小さな花をちりばめた飾りを差し、襟や袖口やスカートの裾に黒のレースをあしらった落ち着いた赤色のドレスを着ている。アクセサリーもいつもより多めで、あ、俺が誕生日に贈ったブローチもつけてくれてるのか。まぁ、控えめに言って、めっちゃ綺麗だ」
「え、褒めても何も出ないわよ」
黒姫が頬を染めてそっぽを向いた。
やべぇ。知らないうちに声に出てたようだ。
侍女さんたちから生温かい微笑みで見送られてイザベルさんやクララがとともに馬車に乗り込んだ。
夜会の会場は公爵の住むシニョーリア宮殿の500人は入れそうな大きなホールだ。
金色に輝く内装は豪華で、壁と言わず天井と言わずたくさんの絵が描かれている。
「あの天井を突き破って落ちたら死ぬよな」
公爵に挨拶する長い列に並んで高い天井の絵を見上げながら独り言ちていると、
「何バカなこと言ってるのよ。ほら、もうすぐ私たちの番だからね」
ジローラモさん夫妻も招かれていたようで、先に二人の挨拶があって次が俺たちだ。
公爵のロレンツォ・ソデリーニはジローラモさんより少し年上くらいで、煌びやかな衣装でふっくらとした身を包み、豪華な椅子に深く腰掛けていた。
「本日はお招きいただきありがとうございます」
黒姫が綺麗なカーテシーを披露する。その隣で俺も胸に手を添えて軽くお辞儀をした。
「其方が最近噂の聖女候補か。今宵はゆるりと楽しんでゆかれよ」
ずいぶんあっさりと対面は終了した。
「なんか拍子抜けしたな」
「でも、この前よりはマシよ。あの時は口も利かなかったもの」
「にしたって、もうちょっと会話とかしてもいいだろ。黒姫に興味があるから招待したんじゃないのか?」
「さぁ?」
「まぁ、この夜会の出席者たちには嬉しい客人でしょうね」
首を捻る黒姫の後ろからジローラモさんが会話に入ってきた。
「何といってもマイ殿は聖女候補であるばかりではなく、これほどに美しい女性ですから、当然皆の注目の的です」
ジローラモさんが自慢げに広間を見回した。
俺もそれにつられてぐるりと広間の様子を窺うと、ジローラモさんの言うとおり、あちらこちらから視線を感じた。
「客寄せパンダってわけか」
「サプライズゲストって言って」
広間を見回して改めてわかったけど、夜会に招待されたのは貴族だけじゃなくて平民も多かった。といっても、魔力量で俺が判断してるだけで、服装や立ち位置とかでその違いは判別できなさそうだ。マザランさんが言っていたとおり、ここでは貴族と平民の差があまり無いというのが実感できる。
それでも見るからに貴族とわかるヤツもいて、赤と金を使った煌びやかな貴族服を身に纏った若い男がいた。魔力量は平均的ながら顔面偏差値は高く、まわりには貴族平民年齢を問わず女性が取り巻いている。けっ。
心の中で舌打ちをしていると、ダンスタイムになった。
踊らない俺たちはそそくさと軽食が置いてあるテーブルへと移動する。
「うーん。さすがにパスタやピザは無いかぁ」
残念そうにする黒姫だったが、ワインにはご満悦だった。
「お酒は二十歳になってからのほうが体にいいらしいぞ」
小声で忠告すると、
「あ、私、聖魔法でアルコール分浄化しちゃうからへーきなの」
と、馬耳東風とグラスに口をつける。それ何のために酒飲んでるんだ? ブドウジュースでいいじゃん。
「ね、あそこの人見て。赤い服着てる人」
胡乱気に見ていると、黒姫がこそっと指を指した。その先には豪華なドレスを着た令嬢と踊るさっきのイケメンがいた。
歳は10代後半か。波打つ黒髪に薄い茶色の瞳、彫りの深い顔で優雅な微笑を振りまいている。
「あれ、スパーニャ王国のフェルナンド王子よ」
「あれがクラリスのお見合いの相手か」
「うん、そうよ。神殿学校でも会ったから間違いないわ」
「ふんっ。あんなどこの馬の骨ともわからんヤツにうちの可愛いクラリスはやらん!」
「どこの頑固オヤジよ。あと、血統は高妻くんよりも確かでしょ」
こそこそと話していると、踊り終えたらしいそのイケメンが歩み寄ってきた。近づくと身長はそれほど高くない。よし、勝った。これで1勝1敗だ。
「こんばんは、クロフィメ嬢」
「こんばんは、王子殿下」
黒姫はグラスをテーブルに置くと、ドレスの裾をつまんで軽く身を沈めた。
「学校で見るよりも別格に美しいですよ。見違えてしまいました」
「お褒めいただき光栄です。殿下の凛々しいお姿は学校でも変わりませんね」
「王子たるもの常に人に見られていることを忘れてはならないというのが教えですから」
さいで。
「ところで、先程からダンスには参加していないようですが、よろしければ1曲踊りませんか?」
フェルナンドがすっと黒姫に右手を差し出した。
「え、いえ、私は――」
「あなたほどの女性を壁の華にしておくのは男として心が痛みます」
む、俺に対するイヤミか。
けど、踊れないのは事実なので文句の言いようが無い。
複雑な思いで睨む俺を完無視してフェルナンドは続ける。
「今日の夜会、あなたは注目の的だ。皆あなたの登場を待っているのですよ」
そっと周りに目をやると、確かに視線が集まっている。
「よもや踊れないということはないでしょう?」
「ええ、まぁ……」
「ならば、ぜひ1曲」
それでも困ったように躊躇う黒姫に、
「……あまり私に恥をかかせないで欲しいな」
微笑む顔とは裏腹な口調でフェルナンドが迫った。
なんだ、こいつ。
黒姫が困ってんだろうが。
「おい――」
立ち上がろうとしたら誰かにぐっと肩を押さえられた。
「マイ殿。お受けになってよろしいかと」
ジローラモさんだった。
「……はい。光栄に思います」
黒姫はチラッと俺を見てから、フェルナンドの手を取った。
そして優雅にエスコートされて広間の中央へと歩んでいく。
「相手は大国の王子ですからね。断って不興を買うくらいなら、受けておくに越したことはありませんよ」
ジローラモさんの言うことはもっともなんだけど、なんか釈然としない。
「まぁ、王子が強引だったことは否めませんが……」
ジローラモさんの呟きを聞き流し、もやもやとしながら二人のダンスを眺める。
俺が踊れれば、こんな気持ちになることも黒姫を困らせることもなかったんだろうか。
ダンスなんていずれ日本に帰るから覚えなくていいってスルーしてたのが凄くすっごく悔やまれる。
黒姫はフェルナンドと踊った後も、次々とダンスを申し込まれていた。中には、
「いずれ聖女となられるあなたと踊れたことは一生の思い出になるでしょう」
なんて、あからさまに喜んでいるおっさんもいた。
黒姫は笑顔で対応してるけど、内心げんなりしてるんだろうな。せっかくエスコートで来てるのに、全然役に立ってない。
「トイレでも行ってくるか」
ふーっと息を吐いてその場を離れた。
ちょっと長いトイレから戻ってみると、黒姫の姿がどこにも見えなかった。
ジローラモさんを探して聞いてみた。
「先程まで踊っていましたが、さすがに疲れたのでしょう。相手を断っていましたから」
「でも、広間のどこにもいないみたいなんです」
「では、紳士が詮索してはいけない所でしょう」
ん? あ、トイレか。入れ違いになったんだな。
ずいぶん待って、ちょっと大丈夫かと心配になって居ても立ってもいられなくなった頃、ようやく黒姫が戻ってきた。それも、なんか凄く嬉しそうに。
「どこ行ってたんだ?」
人が心配してるのに、という台詞を飲み込んで聞く。
「疲れたからちょっと休憩。高妻くんこそいなかったじゃない」
「トイレだよ」
「そうなんだ。あ、私はトイレじゃないからね」
黒姫は一言言い置いて言い訳を続けた。
「なんかね、休憩したい人用にゆっくり休める部屋があるのよ」
「ふーん」
「けっこう踊って疲れたなーって思ってたら、ここの使用人の人が案内してくれたのね。で、そこで出してもらったお菓子がね、もうビックリ! なんだと思う?」
「さあ?」
「チョコよ、チョコ!」
「チョコレート?」
「そう! 滑らかさとかはイマイチだったけど、この世界に来てから初めてのチョコよ。もうサイコー!」
凄くテンションが高い。
まぁ、俺たちの世界じゃ普通にあるものでも、こっちだと無いものってけっこうあるもんな。コーヒーとかスイーツとか。もちろん和食も無いけど。
「うん。チョコレートがあるってわかったのはラッキーだったわ。なんとしても手に入れなきゃ」
「おい。チョコをあげるからって言われてもついていくんじゃないぞ」
「バカにしないでよ。子供じゃないんだから」
ぷんすかとする黒姫だが、ありえそうで不安だ。
「まぁ、期待しててよ」
黒姫は謎のセリフを口にして楽しそうに微笑んだ。




