第10話 飛行船を作ろう(1)
マザランさんが言っていたとおり、その後も黒姫は神殿長から本神殿行きを誘われ続け、それがまた彼女の評判を広げることになったようで、今や黒姫はフィレンチアの街のちょっとした有名人だ。
そしてそれは意外な人物へも及んだらしい。
「公爵から夜会に招待された?」
「うん。なんかそうみたい」
5日後にある夜会に急遽招待されたそうだ。しかも、黒姫だけ。
「クラリスはまだ成人してないからわかるけど、白馬くんも呼ばれてないのよ」
「それってやっぱり聖女伝説のせいか」
「伝説とかやめて。でも、たぶんそうじゃないかな。挨拶に行った時は全然見向きもされなかったもの」
ふーん。噂の聖女を見てみたいってとこか。ミーハーめ。
「でね、夜会にはエスコートが必要なんだけど、高妻くん、一緒に行ってくれない?」
「俺?」
確かに俺は黒姫と付き合ってるわけだからエスコート役は当然といえば当然だし、他のヤツにやらせる気もない。
「でも、夜会ってダンスとかあるんだろ? 俺全然踊れないんだけど」
「別にダンスがあるって決まってないし、踊らなきゃいけないって決まりもないから大丈夫よ。踊るのがイヤなら隅っこで食事でもしてればいいし」
「あと、なんかお洒落な服もいるんだろ? あの黒姫に選んでもらった服でいいのか?」
「あれは普段のお出かけ用だからちょっと無理ね。私もドレスなんて持ってきてなかったからジローラモさんに用意してもらうことになってるし、高妻くんの分も頼んでおいてあげる」
「それなら、まぁいいけど」
「じゃあ決まりね」
黒姫はポンっと手を合わせてニッコリ笑った。
※ ※ ※
で、今日も今日とてダビンチさんのアトリエにやってきた俺とユーゴ、クララにジルベールの4人。
既にユーゴの電気魔法で水を電気分解して水素を発生させることに成功していた。
「その『すいそ』というものがどうなるんだ?」
ジルベールがダビンチさんに質問している。
「水素の比重は空気よりも小さい。つまり軽い。飛行船はこの水素を詰めることによって浮力を得るのだ。ただし、水素は爆発的に燃えるから火魔法は厳禁だ」
「火魔法は危ないということ以外さっぱりだ」
「まぁ、百聞は一見にしかずだな」
そう言って、ダビンチさんは実験を開始した。
まず、紙を張り合わせて風船を作る。作業をするのは俺とクララ。ユーゴは別室で水素を作り、ジルベールはじっと俺たちの作業を監視している。手伝え。
そこへ、
「大神殿の女神像を瞬時に直したという少年がここにいると聞いたが」
「帰れ!」
無遠慮にダビンチさんのアトリエに入ってきた狸顔の爺さんに、ダビンチさんが食い気味に返す。
「おまえに会いに来たわけではない。用があるのは少年にだ。君か?」
狸爺さんの眼が俺を捉える。
「いや、俺じゃないっス。たぶん、ユーゴのほうですね」
そこへジルベールが呼んできたユーゴが顔を覗かせる。
「あの~、僕に用って?」
ユーゴに気づいた狸爺さんは満面にいやらしい笑みを浮かべて近付いた。
「儂はヴェロッキオだ。どうだ、儂の工房で働かんか? こんな変人のところにおるより、儂の弟子になったほうが将来有望じゃぞ? 必ずピタリア中に名の知れる一流の彫刻士にしてやろう」
「帰れと言っておる。シロウマは儂の研究の手伝いで忙しい」
「この少年の才はお前なんぞに勿体無いわい。埋もれさせるには惜しい逸材じゃ」
「うるさい! 早い者勝ちだ!」
「あの、僕はちょっと興味あるんだけど」
ユーゴが遠慮がちに割り込んだ。
「ほれみろ」
「いかん。シロウマがいなければ儂らの研究はどうなるのだ」
いつから儂らの研究になったんだろう。
結局、ダビンチさんの飛行船づくりが一段落したら工房に見学に行ってもいいことになり、ヴェロッキオさんは渋々帰っていった。
とんだ乱入者があったが、どうにか縦が1m、幅が50㎝ずつの長方体の紙風船ができた。バランスを取るために下に小さな籠をぶら下げる。見た目は熱気球だ。
それに下から水素を注入すると、すーっと上昇していく。
「え……、浮いた?」
ポカンとするジルベール。
「どうだ。理解できたか」
「なるほど。これを大きくしたものに乗って空に浮かぶのだな」
「いや、そうではない」
「違うのか?」
ジルベールが怪訝な顔になる。その目の前にダビンチさんは1枚の紙を突きつけた。
「作るのはこれだ」
覗き見ると、細長い紡錘形の機体が描かれていた。その機体の下には箱型のキャビンが張り付き、後部には垂直尾翼と水平尾翼を備える。
「これ、どのくらいの大きさになるんだ?」
「うむ。そうだな……ジローラモの屋敷くらいか」
「そんなに大きいのか!」
ジルベールが驚愕して目を見開いた。
「そんなものをこの5人で作ろうと言うのか?」
「さすがにそんな無茶は言わん。まずは小型の試作機を作るつもりだ」
だよな。
それに、この狭いアトリエで作るならおもちゃみたいなものしか作れないだろうし。
と、物が散乱しているアトリエの中を見回すと、入り口に人の影が差した。
それは癖の強い黒髪ともじゃもじゃの髭を生やした青年だった。
「神殿の女神像を修理したのは君か」
と、鋭い眼を向けてくる。またユーゴの客か。
黙ってユーゴを指さすと、青年はその視線を滑らせて、
「君か。確かに君の腕は認めざるを得ないが、鼻歌混じりで女神の像を作ると言うのは感心しない。神々に対して敬虔な心を持っていない君を競争相手とは認めないからな」
と、勝手に言うだけ言って、ユーゴの返事も待たずに去っていった。
「……誰だったんだろう?」
「ああ、ミケランジェロの坊主だ。変わり者だから放っておけばよい」
首を捻るユーゴにダビンチさんが面倒くさそうに答えると、
「ミケランジェロ? まさか!」
ユーゴが唖然として無人の出口を見つめる。
「……サインもらっておけばよかった」
「まったく、ここにおると邪魔が入ってかなわんな」
ダビンチさんは深く息を吐くと、
「どのみち試作機はここでは作れんし、明日からはチェチェリーノの倉庫に行くぞ」
と宣告した。
※ ※ ※
フィレンチアの街から東に向かって徒歩で2時間ほどの小高い丘がチェチェリーノ山だ。
頂上は少し開けていて、フィレンチアの街が一望のもとに見下ろせた。
真っ先に目に飛び込んでくるのはあの赤茶けたオレンジ色のドームだ。その他の建物の屋根も赤茶色の瓦で揃えられ、壁もクリーム色っぽいものが多く、その統一感が気持ちいい。
街の向こうはまた丘になっていて、この街が丘に挟まれた盆地にあるのがわかる。
その眼を反対に向けると街の綺麗な建物とは対照的な薄汚い石積みの建物があった。ダビンチさんの倉庫だ。
「オーニソプターの実験で使っていたのだ。今日からは飛行船のドックになる」
両開きの大きな鉄の扉を開けて中に入る。
広さは細長い体育館といったところ。予想していたとおり、中はとても散らかっていた。
「とにかく掃除からだな」
腕まくりしてぐるりと眺める。
「一旦全部外に出しちゃうか」
工具とかなんだかよくわからない部品とかを運び出していると、サボってるやつがいた。
「ジルベール、なにぼーっとしてんだ」
「掃除など使用人の仕事だ。貴族のすることではない」
フンっとあごをそらす。
「クララだって貴族なのに掃除してるぞ」
「僕は公爵家の子息だ。田舎の男爵家の娘と一緒にするな」
「私はレン様やミシェル様の下で使用人の真似事をしていましたから」
クララは恥ずかしそうに言いながらも楽しそうに体を動かしている。
「だいたい何でこんな遠くまで歩いてこなければならないんだ。馬車は無かったのか」
お坊ちゃまは徒歩で来たのがお気に召さなかったらしい。要するに、疲れて動けないのか。
「まぁ、次期侯爵様はそこで監視しててくれればいいよ」
「……僕は三男だ。爵位は継げない」
ムスッとして言い返したジルベールは、のそのそと掃除を手伝い始めた。
そんなこんなで片付けと掃除で一日が終わってしまった。
また2時間かけて街に戻るのも時間と労力の無駄なので、近くにあるメディチ家の別荘に泊まらせてもらうことになっている。
別荘は丘の中腹の見晴らしのいい場所にこじんまりと建っていて、別荘の管理を任されているという年配の夫婦と数人の下働きの人たちがお世話をしてくれるそうだ。
※ ※ ※
不自由のない夜を過ごした翌日。
今日から本格的に飛行船の試作機作りが始まる。
「これが設計図だ」
ダビンチさんが数枚の紙をテーブルに広げた。
「ダビンチさん、飛行船は記憶の中で見ただけって言ってましたよね。この図面大丈夫なんですか?」
「今までいろいろなものを作ってきたからな。だいたいわかる」
ほんとに大丈夫か。
「でも、飛行船ってアルミとかジュラルミンを使ってるんじゃなかったかな。この世界にあるんですか?」
ユーゴも心配だったらしい。
「無いな。ボーキサイトはあるにはあるが、アルミニウムの精錬には多量の電力が必要だ。電気の無いこの時代では無理だろう」
「あ、だから僕の魔法がいるのか」
「そんなことには使わん。他の設備もいるはずだしな」
「じゃあ、どうやって?」
ユーゴの問いに、ダビンチさんはニヤリと笑う。
「ここは魔法がある世界だぞ」
そして、1枚の図面を広げた。
「まずは骨組みだ。金魔法は使えるか? なら、よし。材料の鉄は倉庫にあるものを使えばいい」
ああ、魔法で作るのか。
ダビンチさんによれば魔力を付与することによって強度も増せるから、かなり軽量化が可能になるそうだ。
「で、お前はなぜぼーっと突っ立っておるのだ?」
ユーゴはもちろんクララもジルベールも金魔法が使えるので、ダビンチさんの指示に従って着々と骨組みの部材を作っていた。
当然俺にできることは無い。
「いや、俺魔法使えないんで」
「は? 魔法が使えない?」
ダビンチさんは目をしかめて俺を見つめる。
「病気か何かか?」
「厳密には身体強化魔法は使えるんですけど、魔力が体の外に向かって出ないみたいなんです。原因は今のところわかりません」
「ふーん。どこかで詰まっておるのかもしれんな」
ダビンチさんはそう言うなり俺の頭を叩いた。
「ってぇ。いきなり何すんですか!」
「調子の悪いものは叩けばだいたい直る」
昭和の家電か!
結局、いつもどおり役に立たない俺は材料を運んだりいらないものを片付けたりと雑用に走り回ることになった。




